第99話 ひよりの解消
「なんか……なんだかなぁ。寮の雰囲気が違うっていうか……。入居者の様子も変わったよな……」
『二ヶ月もない』そんな任期期間を伝えた一週間後のこと。いつも通りに仕事をこなしている蒼太は帰宅者がいない女子寮内で思いのままの声を漏らしていた。
『雰囲気が違う? どんなところが違うの?』なんて純粋に聞き返された場合、明確な回答を出すことはできないが入居者の様子が変わったことは簡単に説明できる。
成人組の琴葉と小雪は一日で関わる回数が増えた。いや、普段以上に関わろうとしてくれるようになった。
そのことに関して特に問題はない。むしろ任期期間を考えて嬉しい気遣いをしてくれているのだが……問題はこっち、女子高生組である。
ひよりと美麗、この二人は
「でも、こればかりは俺が原因だよな……」
変化が生じた理由はただ一つ、別れが近づいている事実を伝えたから。これ以外に考えられない。
いきなり全部を話すのではなく、もっと順序を決めて少しずつ出していくべきだった。
その反省があったのだ。
「はぁ……」
最後まで責任は取らないと。それが管理人としての蒼太が強く思うこと。
まずは女子高生組の様子を元に戻すために動こうと決意した蒼太である。
****
「ひより、いきなりで悪いんだけどちょっと時間もらえる? 管理人室で少し話したいことがあるんだけど」
「は、はひっ!?」
17時30分。学校から共に帰ってきたひよりと美麗。隣に美麗がいる状況であるが、タイミングを逃さないためにこんな声をかけた蒼太である。
「あ、あの……お話って二人っきりでですか!?」
「そんなに驚かなくても。ただ管理人室で話すだけだから」
「え、えと、えとえと……」
「そーた、それってひよりだけなの? それならあたしが見てないとこでしてほしかったんだけど」
まさかこのような声をかけられるとは思っていなかったのだろう。挙動不審になりながら戸惑っているひより。
そんなひよりに少しの時間を与えるように間に入った美麗である。
「いや、明日は美麗と二人で話せたらって思ってるよ。ひよりからなのは順番のようなものだから」
「ふーん。それじゃあたしは先に部屋に戻ってるから。そっちの方が不自由なく話せるだろうし」
「ありがとうね、美麗」
「別に」
特に違和感のない普通のやり取りだが、どこか刺々しい声色で近寄りがたい雰囲気を出していた美麗なのだ。
これは……心を開いてくれていなかったあの時にどこか似ていること。
会話が終わるとこちらに振り返ることもなく二階に上がっていった。
(……これも解消していかないとな)
美麗の後ろ姿を目に映しながら見送る蒼太は切り替えるようにひよりに目を向ける。
「じゃ、ひよりは管理人室にきてくれる? 別に説教とかするわけじゃないからそこは安心してよ」
「わ、わかりました……っ」
緊張を含ませた顔をするひよりを先導するように管理人室の扉を開けた蒼太。そのまま手招きで中に入らせる。
「それじゃあここに座ってくれる?」
「は、はい。え、えっと……そ、それでお話とはなんですか?」
あらかじめ準備をしていた簡易製の椅子に座らせたその瞬間である。
蒼太がもう一つの椅子に座るよりも前に本題を促してくる。
どんな内容を話されるのか、そんな不安があるだろうにいきなり突撃してくる様はなんともひよりらしい。
ふっと笑みをこぼした蒼太は、椅子に腰を下ろしながらこう言うのだ。
「まぁ、ひより自身に心当たりがあることを話すだけだよ」
「っ!?」
「ひよりは最近何かと遠慮してるでしょ? 俺が一番気になったのは料理のリクエストを
「……」
「どうしても言えない理由なら素直にそう言ってもらって大丈夫だから」
一瞬、曇った顔をするひよりは落ち着きないように栗色のボブを触っている。
チラッチラッと、蜂蜜色の瞳を動かしながら言い淀んでいた。
「そ、それは……あ、あの……」
「うん?」
「そ、蒼太さんの迷惑になるって思ったんです……」
「迷惑って?」
「だってリクエストばかりだとそれに合わせないとですし、それは大変なことで……それに蒼太さんが作りたい料理や食べさせたい料理があるんじゃないかって思います……。だ、だからリクエストはもういいんですっ! 蒼太さんの料理は全部美味しいですから」
「いや、気を遣ってもらってるところ悪いんだけどリクエストされた料理もされてない料理も手間で言えば同じくらいだよ? むしろ献立を考えるのって困るからリクエストされた方が楽なんだよね、俺的には」
「…………」
蒼太は嘘を言っていない。こればかりはひよりを気遣ってもいない。管理人としての率直な意見を述べているだけ。
そして、ここで違和感を覚える。
この回答に『ほんとですか!?』と嬉しそうに食いつくわけもなく、無言になったひよりを見て……。
まるで、今の発言で納得してほしかったような……そんな感じだった。
「もしかして他にもあるんじゃない? リクエストをしなくなった理由が」
「っ」
「あるんだね」
「……す、凄いですよね蒼太さんは。なんでそんなにわかっちゃうんですかね」
「ひよりをちゃんと見てるからに決まってるでしょ? ほら、せっかくの機会なんだから少しでも話してよ」
「わ、笑ったりしませんか……?」
「もちろん。だから教えてくれる? 時間は全然かけてもらって構わないから」
そんな前置きをされるとガチョウ倶楽部のようなことをしたくなるが、真剣な顔で問うてくるひよりを見ればそれはすぐに正される。
待つこと10秒。ひよりは小さなピンク色の口を開いた。そして話される内容は蒼太が思いもしなかったこと。
「……ひ、ひよりは蒼太さんに嫌われたくないんです」
「へっ? 嫌われたくないって?」
「言葉の通りです。ひよりはみんなよりわがままをたくさん言ってます……。だからリクエストはもうしたくないです。蒼太さんに嫌われたくないんです……」
「え、ええ……。そんな理由で?」
「なっ!? そんな理由ってひよりにとっては大事な理由ですよっ!!」
綺麗に光る瞳を大きくするひよりは柔らかそうなほっぺを膨らませた。原始的な感情表現だがそれが可愛らしく映るひよりである。
「いや、今さら我慢しても遅くない? ひよりの言うわがままって俺にはもうバレてるわけだから」
「で、でも……少しは印象が変わるじゃないですかっ!」
「確かにそれはそうかもしれないけど……うーん。今のままじゃ逆に俺から嫌われることになるけどいいの?」
「えっ!? な、なんでですかっっ!!」
こんなに元気で明るくて、優しいひよりを嫌う人間はあまりいないだろう。蒼太だって嫌いになる要因を一つとして見つけられないくらいなのだから。
そう、これは大袈裟に言っているだけ。脅しのようなものだ。
「だって俺は明るく元気なひよりが好きだから」
「っっ!?」
「迷惑がかかってるならまだしもそんなことはないんだし、リクエストされた料理を嬉しそうに楽しそうに食べてる姿を見るのが俺の楽しみだったのになぁ」
「そ、そうだったんですかっ!?」
ここで初めて食いついたひよりである。
「うん。だから遠慮なんかしないでこれからもリクエストをしてよ。無理な時は無理って伝えるし、そんなわがままで俺が嫌いになることはないんだから」
「ぁ……」
そうしてゆっくりひよりの頭に手を伸ばした蒼太。そんな蒼太の手を見た瞬間に自ら頭を突き出してくるひより。例えは悪いが飼い主が大好きなペットのようである。
「本当、頭を撫でられるの好きだよなぁひよりは」
「えへへ……」
「ってことで、これから遠慮しようものなら頭を撫でるのも禁止するから。わかったらちゃんと遠慮をせずにリクエストすること。いいね?」
「は、はい……っ。わかりました」
「よしっと。それじゃ、そろそろリビングに戻ろうか」
キリのいいタイミング。蒼太が頭を撫でる手を離そうとしたその瞬間である。
ばしっと蒼太の手首を両手で掴んでくるひよりだった。
「蒼太さん……。あと一時間撫でてほしいです……」
「ごめん。さすがにそれは無理だ」
甘えていい。遠慮しなくていい。そう言ったことでひよりは甘えを加速することになる……。
上目遣いで見てくるも、当たり前に首を横に振る蒼太であった。
そして、一応の解決には成功することができた蒼太でもある……。
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