第10話 琴葉、目の光消える

『火をつけっぱなし!』

 と、ひよりから嘘を吐かれた蒼太はその意味を知ることもなく琴葉の地雷を踏み抜いたことも知らず……再び鍋に着火していた。

 時間は17時05分。そろそろ料理を作り始めなければ夕ご飯の提供時間に間に合わない。

 なんだかんだでこの件に気付かせてくれたひよりには感謝していた……と、もう一つ。

 今、どうしてもツッコミを入れなければならないことがある。


「……えっと、なんですか琴葉さん? まだつまみ食い出来るものはありませんよ?」

 真横ではなく正面。

 ぐぐぐっとつま先立ちをしてカウンターキッチンに手を掛け、頭を出す琴葉は綺麗なジト目を蒼太に視線を送っていた。


「そんなことはしません。私はちゃんと我慢できます。ちゃんとお皿に盛り付けられてから食べることができます」

「自分は我慢出来ずに食べちゃう時があるんですよ。台所で立ったままつまみ食いするのってなんかいつもより美味しく感じて」

「……そ、その気持ちは分かりますけど」

 この寮では朝と夕に管理人によってご飯が作られるが、キッチンは共同で使うことになっている。週末、ご飯の出ないお昼時ひるどきに入居者がご飯を作ることも多い。


 そして今、『私はちゃんと我慢できます。ちゃんとお皿に盛り付けられてから食べることができます』と豪語していた琴葉だが、

『気持ちは分かる』なんてつまみ食いを行なっていることを暴露してしまっている。


 もちろんその矛盾点に気づいていた蒼太だが……それ以上に気を引かれたことがあった。


「おぉ、難しい言葉を知ってますね嗜むって。流石は受験生ですかね……?」

『ぴくっ』

 途端である。幼くある琴葉の小顔、その右眉だけピクピクッと上に動く。

 トラバサミ付き地雷を恐れていない蒼太の悪意なき追撃。

 

 リビングのソファーに座り、このセリフを偶然にも聞いてしまうひよりは絶対零度に肝を冷やしていた。


「あのですね……蒼太さん。私と夕ご飯を食べながらでも少しお話しましょう?」

「それは全然構いませんよ。会話するのは大歓迎なので」

「……お願いしますね。では、私は先にお風呂をいただいてきます」

「ごゆっくりどうぞ」

「はい。蒼太さんはやけど等にはお気をつけください……ね」

「ははっ、ありがとうございます」


 最後にニッコリと微笑む琴葉はつま先立ちを止め、ぺたりと地面に足を付ける。そしてゆっくりとリビングを去っていった……。


 蒼太に背後を見せたその時の琴葉の顔を……位置状況の関係でひよりは目撃する。


「あわ、あわゎわあわあ」

 ひよりは蒼太に視線を送るも……全く気づいていない。どこか楽しそうに料理に取り組んでいる。

 この時……悟る。ただただヤバイと。


 トン、トン、トン。

 ひよりは集中して聞く。ゆっくりと階段を上っていく琴葉の足音を。

 その音がリビングに聞こえなくなった時である。


「そ、そそそそそ蒼太さんッ!? 何やっちゃってるんですかっ! どんだけ怖いもの知らずなんですかっ!!」

 ひよりは闘牛のように走り近づく。ソファーのある位置から蒼太のいるキッチンまで。 


「え? いや、俺普通に怖いもの苦手だけど……」

「ウソつかないでください! 琴葉さんにあんなにケンカを売る人が怖がりなわけないですっ。ひより初めて見たんですから!」

「喧嘩を売るってそんなつもりないよ? 俺は楽しく会話してただけだから」

「いいえ、完全にケンカを売りにいっちゃってますよっ! 琴葉さんを何歳だと思っているんですかッ!」


 ここからやっと、やっと解けることになる。蒼太の誤解が。


「何歳って琴葉さん中学生3年生くらいでしょ? 今年……いや、来年になるのかな、難関高校に受験するのは」

「酷い、本当に酷いですこれ……」

 本気で言っていると理解するからこそひよりは頭を抱える。


「酷いってその意味がわからないんだけど……」

「ま、まずですね、ひよりは高校三年生になりました」

「それはおめでとう」

「えへへ、ありがとうございますっ! ってそうじゃないですっ!」

「上手いなぁ一人ツッコミ」

「も、もういいです! あのですね! 琴葉さんはひよりの年上さんですっ!! 決して中学生なんかじゃないです!」


 ひよりは言ったのだ。その事実を。

 だが——これは無意味だった。


「ははっ、精神年齢、、、、じゃそうかもね」

「なっ!? お願いですから聞く耳を持ってください! ひよりは本気で言ってるんですから!!」

「いやいや、本気ってそんな冗談はもういいから」

「……」


 こうした会話でも蒼太は料理の手を止めてはいない。かなり手慣れた様子を見せながら変にフォローをされるひより。


「でも琴葉さんの落ち着き具合と丁寧な言葉遣いは凄いよね。どこに遊び行ってたのか分からないけど、大人に見られようと背伸びしてるところは微笑ましいよな」

「殺す気です。こんなの……琴葉さんを精神的に殺す気です……」

「ん?」

「あ、あのですねっ! ひよりは本気の本気で言ってるんです! 琴葉さんの方が年上だって!!」


 必死になって、言葉通りに本気で伝えようとするひよりだが、初対面の印象がかなり尾を引いている蒼太。

 場を明るくさせるための冗談だと捉えてしまっている。


「ひより、もう飽きないこのやり取り」

「も、もぉぉおおおっ!」

 イライラと焦りが募っていく。上手く伝わらないならこうもなってしまうだろ


「あ、あのですねッ、琴葉さんは車も持ってるんです!! く・る・ま・も・ち!」

「はははっ、車持ちって言われてもなぁ。免許取れる年じゃないって琴葉さんは」

「そう言うなら証明してあげます! ここに来てください!」

 ひよりはどこどこ足音を立ててリビングに走っていく。そして止まった場所はカーテンに遮られたとある窓。


「ごめん、行きたいのは山々なんだが今は料理中なんだよ」

「むきーーーっっ!」

 蒼太のために言っているのにここまで相手にされていないのだ。とうとう猿のように怒ってしまうひより。


 ズカズカと再び迫ってくるひよりは……キッチンの中に入り、超高速の手つきで火のスイッチを切る。


「きてください!」

「ちょっ!?」

 そして蒼太の片腕を両手で掴み、先ほどの場所にずるずると引っ張って行く。


 全ての力を使ってなんとか窓まで移動することに成功したひよりはガラッとカーテンを雑に開けた。

 途端、外の光がうっすらと差し込みここから見えるのは外の駐車場である。


「あの車が! 琴葉さんのです!!」

 その力の入った声と共に、指をさすひより。


 その方向には確かに止まっていた。Wのロゴが入った白色のbeetleビィトル。この女子寮で初めて見る車……。


「……え?」

 この摩訶不思議な現象に一瞬で脳がパンクした蒼太。

 両目を擦ってもう一度見てみる。幻覚でもなく——先ほどと同様に止まっている。


「で、ですから琴葉さんは車を持てる年齢なんです! 成人さんで、本当にオフィスの受付嬢として働いている方なんです! あのコスプレって言っていた服は本物の仕事着なんですッ!」

 車という証拠をなんとか持ち出せたひより。

 この状況をようやく理解した蒼太は顔色がみるみるうちに変わる。


「う、嘘……でしょ。失礼だけどあの身長であの顔だよ…………?」

「だからひよりは言ったじゃないですかケンカを売ってるって! 受付嬢をしてる琴葉さんに『ご冗談を』とか、仕事服なのに『カスタマイズしてコスプレをしてる』とか、その着てる理由を『就職した気持ちになる』とか! 誤解であってもアウトですよっ!!」


 ひよりの振り返り発言でどれだけヤバイことを言っていたのかハッキリ思い出す蒼太。

 失礼極まりないことを初対面でかましたことは明白。

 管理人の立場であるのに自ら敵を作ってしまったようなものだ。


「ひより、俺どうしよう……。え、な、なんでこんな……。ひより……もう一回言うよ。琴葉さんあの顔……だよ?」

「ちょっとは同情はしますけど、ひよりは知りませんからね! 琴葉さんがお話ししましょうって言っていたの、あれは絶対お説教です。ひよりはその雰囲気を察したら逃げることにします」

「お、お願い。逃げないで……」

「無理です。だって琴葉さんはひよりに席を外すように促してくるはずですから」

「……」


 説教を聞くことで周りの入居者が悪い気分にならないようにする成人らしい対応。ガチである。


「琴葉さんがリビングを出る時の顔で分かりました。笑ってなかったですもん」

「いや、笑ってたって……。ニッコリって」

「お目目めめ……見てなかったんですか? 目に光がありませんでしたよ」

「……」

「蒼太さん、これはドンマイです。でもこの失敗が次に生かされるんだと思います」


 そう言って慰めようとするひより。


「うん……。とりあえずひよりのパスタ麺は1束にしよう……」

「なっ!? なんでそんな八つ当たりするんですか! 3束、3束です!」


 肩を落としながらキッチンに向かう蒼太。……その気分は先生から職員室に呼び出しを食らった時のように暗かった。

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