第27話 数十日後のある日
それから数十日が経つ。
この寮には確かな変化が訪れていた。
「……」
「ソウタさん、お醤油はどこにあるかしら?」
「あー、すみません。キッチンに置いたままでした。今持ってきますね」
6時35分。平日の早朝、リビングには3つの影があった。
「はいどうぞ」
「ありがとう」
「……」
小雪に醤油を渡した蒼太は、隣に腰を下ろしているもう一人の人物に声をかける。
「美麗さん、魚の骨の取り方は分かる?」
「バ、バカにしないで! そのくらい分かるし!」
「もし取れなかったら俺が取るから教えてね」
「だから分かるって言ってるじゃん! 子ども扱いすんなし」
「はははっ、子ども扱いしてるつもりはないよ」
初対面の時と同様、一つ言葉を返せば強い口調が帰ってくる。
「……もぅ、美麗はすぐに突っかからないの。ソウタさんは心配してくれているのよ?」
「だ、だってアタシのこと下に見てるんだもんコイツ……」
「こら、ちゃんと名前で呼びなさい」
最近の朝食の風景がコレ。蒼太が美麗に問いかけ、強い口調で返させ、それを小雪が注意する。なんとも賑やかな空間だ。
「お? ようやく俺のことを名前で呼ぶ?」
「よ、呼ぶかっての! 絶対呼んでやるもんかっ」
「いつ呼んでくれるのか楽しみに待ってるのになぁ……」
「マジでなんなのコイツ!」
「美麗、少しは落ち着きなさい」
「だってコイツが調子乗ってるだし! キモい!」
「あーあ、とうとう悪口言っちゃった。そんなこと言ったら小雪さんに説教されるのに」
美麗の悪口など効かない蒼太だ。小雪に流し目を送って『どうぞ』とのアイコンタクトを出す。
「ソウタさん、今日の夕食はピーマンを入れた料理をお願いするわね」
「ちょっとそれだけは嫌! ホント苦手なんだって!」
「それならピーマンの塩焼きでどうでしょう? 素材の味を楽しめると思いますので」
「マジで論外!」
「小雪さんの判定に任せますよ」
「そうね……。反省の色もないようだし作っておいていただける?」
「はい分かりました」
この会話だけで夕食の一品が決定する。ピーマンの苦手な者が恐怖するピーマンの塩焼きである。
「もうなんなのホント……。マジでコイツのせいじゃん」
「あ、また俺の悪口言っちゃったね。そんなに言うならもう一品追加しようかなぁ……。ピーマンの浅漬けとかどう?」
さらに素材の味を楽しめる料理をチョイスする蒼太。悪口を言われ続けているが、こうした仕返しをしていることでなんとか対等に近い関係には持ち込めているのである。
「もー! う、うるさいってば! もういいから早くどっか行って!」
「あぁ……言われちゃった」
そこでチラッと小雪を見る蒼太。一瞬目が合った小雪が軽く頷いた。
「それでは何かあれば呼んでください。お皿はそのままにして置いて結構なので。では失礼しますね」
この引き際は全て小雪に任せている蒼太。それが正しい選択であるのは間違いない。日が経てば経つほど美麗との会話時間も増え、一緒にいられる時間も増えているのだから。
初日は『どっか行って!』の一言で退出を食らってしまったくらいである。
美麗を小雪に任せて管理人室に戻る蒼太はため息をつくわけでもなく、安心したように笑みをこぼしていた。
「本当進展したよなぁ……」
話のキャッチボールをしようとする蒼太にドッヂボールをしてくる美麗。結果、話の内容はアレだが口を交わせるようにはなった。そして一番嬉しいことが美麗が必ずご飯を取るようになったこと。
『美味しくない』などと言いながらもちゃんと食べてくれるあたり、素直になりきれていないだけ。微笑ましくある。
だが、今のところは全て間に誰かが立っている。大半は小雪であるが、ひよりや琴葉の場合もある。
いつかは一対一で話せたら……と密かな思いを抱く蒼太である。
****
そこから20分後の6時55分。
学校の制服に着替えた美麗が階段から降りてくる。
廊下をまっすぐ歩き——管理人室のガラスを一瞥。蒼太と目が合った瞬間、『ふん!』と分かりやすくそっぽを向いて玄関に向かっていった。
「ちょ! なに今の!」
今の態度はさすがに見逃せない蒼太。管理人室の扉を開けて美麗の後を追いかける。
そこで見たのは美麗が靴棚からローファーを取ったところである。
「……」
「……」
当たり前に蒼太に背を向けて素早くローファーを履く美麗。声をかけられるまでに出ようとしている。そこで蒼太は違和感に気づく。
「あれ、今日はひよりと一緒じゃないの……?」
「…………委員会」
間を開け、ぼそりと一言。委員会があるから早く行くとの意味だろう。
「そっか。まだ外は暗いから気をつけてね」
「……」
その蒼太の声に反応はなかった。玄関ドアを開けた美麗は声が聞こえていなかったように外に足を踏み出した。
(……あはは、やっぱりこれは無視されるかぁ)
正直、こうなることは予想の範疇であった蒼太。嫌な顔はしまいと苦笑いを浮かべながら最後まで見送る。
『委員会』と答えてくれただけでも上出来と言われたら上出来だろう。
そのドアが閉まる瞬間だった。———『コク』と頭を下ろした美麗を目に入れた蒼太。
「え……」
偶然なのか、気のせいか、それとも返事をしたのか判断はつかない。閉まった玄関ドアを見てまばたきを複数回。硬直した蒼太の背後を取るようにして廊下に出てきたのはリビングでテレビを見ていた小雪だった。
「ふぁぁ……。美麗は行ったようね」
「……あっ、朝早くからお疲れさまです」
違和感を悟らせないようにすぐに気持ちを切り替える蒼太。
小雪の起床時間は9時頃だが、美麗の朝食に合わせて起床している。普段よりも早起きしている分、あくびが出てしまうのも仕方がないだろう。
「また9時に起こしにいきますのでお休みになってください」
「ありがとう。それじゃあおやすみなさいソウタさん」
「はい、おやすみなさい」
とろんとした瞳をした小雪は二階に上がっていく。姿が見えなくなるまでに見送った蒼太はリビングに戻り皿洗いを開始する。
美麗が使った食器と小雪が使った食器。二人分は大した量ではない。スポンジで洗った後に乾燥機に入れる。
「ふぅ……終わった」
と、一息付くように時計を見れば7時過ぎ。
「え!? もうこんな時間!?」
蒼太はそこで気づくことになる。美麗のことばかり頭に入れていた結果、最低でも45分に降りてくるひよりがまだリビングに降りてきていないことに……。
考えられることは一つ、寝坊である。
「やべぇ、これ起こしに行かなかった俺のせい……とかあるか?」
後頭部を掻きながら天井を見上げる蒼太。じわじわと罪悪感が襲ってくる。
『ダダダダダダダッ!!』
途端に聞こえてくる。二階から騒がしい足音が。そして階段を駆け下りてくる足音が。
「や、やややややばいです蒼太さーん! 二度寝しちゃいました! してしまいましたっ!! これは遅刻レベルです!!」
リビングからではない。廊下から聞こえてくる。
「蒼太さん! ひよりやっちゃいましたっ!!」
「聞こえてるって……おいおい、髪ボッサボサじゃないか」
リビングに姿を現したと思えば寝ぐぜをいっぱいに付けたひよりだ。ある意味珍しい格好である。
「も、もう直してる暇はないんですっ!」
「朝ごはんは……?」
「た、食べたら間に合いません! 作ってくれたのにすみません!」
「ち、ちょっと待てぇ? もしかしてそのまま行こうとしているのか? さすがにその髪で学校行くのは恥ずかしいだろ……」
「で、でも仕方がありません! ひより行ってきますねっ!」
「おいおいおいおい、ひより」
「はいっ!?」
急いで玄関に向かおうとするひよりを間一髪で止める蒼太。
「俺のバイクでいいなら学校まで送るぞ? まぁ女子校にあのバイクで行くのはかなり目立つと思うけど……」
「へっ!? いいんですかっ!?」
「ああ、だからとりあえず髪整えてこい。その間におにぎりも握っとくから。朝ご飯として学校で食べてくれ」
「あ、ありがとうございますーっ! 蒼太さん神です!」
「はいはい。あと靴下も履き忘れてるから履いてこい」
「あっ!?」
素足であることすら忘れていたひよりだ。遅刻との現実に頭が真っ白になっていたのは間違いないだろう。
「あとバイクに乗るから安全を考えてスカートからスラックスに変更。学校指定のやつあるだろ?」
「あ、ありますっ! すぐに着替えて着ますっ!」
「はいよ」
そうしてひよりを学校にまで送り届けることになった蒼太は女子校で噂されることになる……。
ひよりは女子校のツートップの一角。その相手をバイクの後ろに乗せて送るわけでもあるのだから……。
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