第6話 次の初対面、ひより
「まあ、寮の説明はこんなところね。分からないところがあれば寮に住んでる子に聞きなさいよ? あんたよりも詳しいのは間違いないんだから」
「そうだね、わかったよ」
蒼太が理恵からの業務内容を聞いている場所は、玄関を上がり一階廊下を右に曲がった場所に設置されている管理人室の中。
その一階廊下を左に向かえばリビングに辿り着ける。
この管理人室は寮に帰宅した者を必ず目に入れられる場所に作られており、共同スペースであるリビングでトラブルが発生した時には一番早く駆けつけられる場所でもある。
「仕事内容についてもある程度は理解したでしょう?」
「母さんがプリントしてくれたおかげでね。しかもラミネートしてくれてるから助かるよ」
「あんたには無理させてるからね。これくらいはしとかないと筋じゃないでしょう?」
「筋通しすぎだと思うよ。俺的には」
蒼太が片手に持っているのは、理恵が手書きで分かりやすく記してくれた仕事内容の紙。
ご丁寧にラミネート加工がされており、水に濡れても安心で
これから蒼太が管理人となり行わなければならない仕事はこれだけある。
・お出迎え・朝と夕の食事提供・食事の片付け・食事の買い出し・出勤確認・衛生管理・消耗品の買い出し・郵便物、宅配便等の受け取り・共有箇所の掃除・寮内の監視・施錠確認・盗難防止・災害時の避難誘導・寮内の安全管理・住人同士のトラブル対応。
この寮の朝食提供は6時30分から。そして夕食提供は18時から。つまりこの時間までには料理を完成させておかなければならない。
この寮には学生も住んでいるらしく、7時からの朝食では間に合わないとの事情があるのだ。
「でも……朝が早いね。朝食のことを考えたら5時15分起きってことになるし」
「いくらなんでも早すぎでしょうそれ。5時50分起きでも十分間に合うわよ。トースターでパンを焼いて、その間にハムと玉子焼く。後はお湯を沸かしておいてインスタントのコーンスープでもあれば形にはなると思うけど。あとはカット野菜でも付けたら文句も出ないでしょ」
「確かにそのメニューならかなりの時短で作れるけど……俺って朝が弱いからさ。寝ぼけたまま料理作ったら塩と砂糖間違えて入れそうな気がするんだよね」
「本当にお願いだからそんなコントみたいなミスはしないでよ? 寮の子は優しいから指摘せずに食べると思うから」
「うん。だからとりあえず早起きすることにするよ」
優しい人ほど損をする。これがブラック企業に染められてしまった蒼太の悲しき思考。流石にそんなことはさせられないのである。
「でも、思ったより仕事量があったよ。これ時間足りるかな」
「四ヶ月休み取ってたらそうも感じるでしょうけど余裕よ余裕。あんたがしてた仕事はこれの2倍以上あったはずだし絶対。残業含めたら3倍ね」
「それは確かに……。あれは生き地獄だったよ。それなりに給料高ければアレだけどそんなこともなかったから」
「よく頑張ったわね。次はこの職場でゆっくりすると良いわ」
「……」
母、理恵の
だが、うるっとくることはない。むしろ厳しい現実に戻された蒼太だ。
「ゆっくり出来ないの分かってるよね母さん。俺、小雪さんって人に出鼻挫かれてるんだから」
「あんた本当になにをしたのよ。小雪さんあんたを見て怯えていたし、『ごめんなさい』って謝ってたけど。私としてはあんたが睨んだとしか考えられなくて」
「一つ聞くんだけど俺の顔って怖い? 今のこの顔。可能性があるとしたらこれなんだけど」
そして真顔で理恵を見る蒼太。
「怖いってよりも平凡な顔って方が大きいわね。私から見てだけど」
「おい!」
「まあこんな軽口は置いといて……寮の説明等も終わったし、私はそろそろ帰るけど頑張りなさいよ? 一応、消耗品と食材の補充は昨日のうちにしたから今からあんたがする仕事は簡単な掃除と夕食の準備ね」
「ありがとう。俺を含めた数……五人分作れば良いんだよね?」
「あっ、今日は四人分で良いらしいわ。美麗ちゃんって子は外で済ませてくるそうだから」
「そ、そうなのね。俺の初出勤日に……」
ここでも何故か嫌な予感がした。顔も合わせていないのに美麗という人物に避けられているような……と。
「ちょっと残念ではあるわよね。夕食時に挨拶する機会がなくなったってことだから」
「予定が入ってたようじゃ仕方ないけどね。我慢することにするよ」
「そうするしかないものね。それじゃあ、さっき言った通り私は帰るから」
「了解。見送りするよ」
「いらない。見送りする時間は掃除に当てなさい。サボることはせずに誠実に取り組むこと」
「いや、見送りくらいさせてよ」
「いらない! 見送りする時間は掃除に当てなさい。サボることはせずに誠実に取り組むこと。分かったね?」
見送りさせてもらえないのは見ての通り。息子だから理解出来る。こうなった理恵は意地でも折れない。こっちが折れる他ないのだ。
「は、はい。頑張ります」
「もっと声大きく」
「はい! 頑張ります!」
「合格!」
「痛った!?」
ベシッ! と合格の印に蒼太のお尻を思いっきり叩いた理恵は、管理人室を開けると振り返ることもなく堂々と玄関まで歩いて行った。
『信頼してるからこそ後は任せた』なんて意味が込められた行動なのだと蒼太は
ただ、それは完全なる間違いだ。
理恵は住み込みを始める息子との別れが
そうして……『ガチャ』と女子寮の扉が閉まり、理恵は女子寮から出て行った。この広い女子寮に一人ぼっちになる蒼太。静まり返る空間。
「って、ぼーっとしてる暇はないよね。早く仕事をしないと……」
少々締まりのない感じではあるが、仕事の開始である。気合いを入れて蒼太は掃除用具を取りに行く。
掃除箇所は多数ある。室内なら玄関に廊下にリビングにトイレ。室外なら玄関外。
現在の時刻15時。
夕食を作り始める時間を考えたら1時間と30分ほどしか時間を取ることは出来ない。
汚れた箇所が特にない玄関を後にして、仕事を開始した蒼太だったが……集中を続けていた。そのまま一時間が経った頃だろう。
この女子寮に一人帰宅した者がいたのだ。
——そろーり、そろーりと近づいてくるすり足の音に小柄な影。
「やっほっほー!」
そんな独特の挨拶、テンションと共に蒼太の両肩をボンッ!
「う、うぉおおっ!?!?」
次にオバケを見てしまったような情けない男の絶叫。ジェットコースターに乗っているような悲鳴。
「あはははっ! 驚き作戦大成功ですっ!」
「な、なんだなんだ……いきなり……」
「実はですね、音の鳴らないよーにゆっくり玄関を開けて入ってきたんです!」
蜂蜜色の瞳を細めて満面の笑みを浮かべている女子。
栗色のショートボブに学校の制服を着用、白のニーハイソックスを履いた小柄な学生は蒼太の言葉など耳に入っていないようである。
「あの! もしかしてお外に止まってたカッコいいバイクってお兄さんのですかっ!?」
そして興奮したように前傾姿勢になって聞いてくる。
「……そ、そうだけど」
「わーっ! 凄くかっこいいですね!」
「そ、それはどうも……」
「いいなぁいいなぁ。あんなにかっこいいバイクひよりも欲しいなぁ」
「そう言ってもらえるのは嬉しいなぁ」
初対面で挨拶はなし。最初から驚かされ体験したことのないテンションに押し負ける蒼太だが、大事にしているバイクをこんなにも褒められたら気分が高揚していた。
「はいっ! それでですね……、ひより魅了されてしまってそのバイクに跨いでしまったんです!」
「え?」
——不穏。
「そうしたらバイクをガチャーンと転倒してしまいました!」
「ちょ!? そ、それはう、嘘でしょ!? ほ、本当のことなの!?」
あのバイクはブラック企業を耐えに耐え抜き、やっと買えたバイクなのだ。
それを初対面の相手にこう言われたらもう……素の反応は抑えられないだろう。
「あははっ、冗談ですよー!」
「なっ、冗談!? ほっ、なにその寿命が縮まる冗談は……」
「えへへ……すみません。緊張をほぐそうかと思いまして」
「そ、それはありがとう。確かに緊張はほぐれたよ」
このハッチャけたやり取りが二人の初対面記念である……。
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