第98話 小雪と真白と本気の度

 平日の14時。

 基本的に客が空いているこの時間。隠れ家的なコンセプトで作られたカフェの店内の、その壁際の席には常連の二つの影があり……ケーキとコーヒーを味わいながら会話を楽しむ者たちがいた。


「それでねそれでね、昨日、私の旦那さんが子どもたちと公園に遊びに連れていったらね……みんな泥をつけてお家に帰ってきたの!」

「あら、みんなで泥遊びをしたのかしら。お子さんのために一生懸命遊んでくれたのね、旦那さんは」

「私も最初はそう思ったんだけど、子どもから聞いた話だと一番楽しんでたのは旦那さんだったらしいの! ものすっごく可愛いでしょ!?」

「ふふふっ、それは可愛いわね。それに子どものお世話をしてくれる旦那さんは素敵だと思うわ。ほら、今の時代も子どものお世話は奥さんがするみたいな風潮がないわけではないでしょう? 真白さんは自宅で稼いでるわけでもあるから」

「うんっ、確かにそうだね」


 入店から1時間。その中で旦那の話が45分を占めていた。つまり75%をこの話題にに費やしている者——小雪と会話している者こそ、ハンドメイド界の頂点に君臨する元アイドルの真白だった。


 旦那の話をする時は特に目を輝かせ、元気溢れたようにイキイキと表情を豊かにする真白だ。側から見れば少しおバカそうで……。そんな人物ではあるが、ハンドメイド界ではバケモノと呼ばれている。ブログからの収入も小雪の倍以上にある経済力にも長けた女性である。


「ただ……最近、旦那さんのお仕事が忙しくなってきてるからあんまり無理はしないでほしいなっても思っててね。子育てが大変なのは私もわかってるから、体調を崩す心配があるから……」

「え? 真白さんの場合は心配、、だけじゃないでしょう?」

「っっ!?」

「驚いてるけれどわたしからすればお見通しよ? だって真白さんはサキュバスの血を引き継いでいるからそんな営みができないのは困るものね」

「え、えへへ……」

「そ、そこで照れられるとどのような反応をすればいいのかわからないのだけれど」

「ごめんなさいっ!?」


 サキュバスとはもうそのままの意味と捉えていい。よほどの理由がない限りは年がら年中で旦那を襲う真白なのだ。

 それでも小雪は引いたりはしない。そのようなことをしたくなる、襲いたくなるほどの素敵な旦那さんであることを真白から聞いているのだから。

 そして、もし真白が小雪の立場だったら——自分もそうしてしまうだろうなんて気持ちがあるのだ。


「はぁ、それにしても真白さんが本当に羨ましいわよ」

「羨ましい……?」

「ええ。狙っていた男性と想いを結んで、ご結婚をして、旦那さんとお子さんと共に幸せな生活を送っていて」

 真白を気分よくさせるための言葉でもなく、これは小雪の本心であり小雪が一番に望んでいる生活。

 真白が何気なく送っている日々が小雪の理想であり望んでいること。


「そんな言葉をかけてもらえるのは嬉しいなぁ。でも一日が早く過ぎちゃうからちょっと思うところはあるよ?」

「それは贅沢な悩みじゃない。充実しているからこその感覚なんでしょうし。それにしてもさすがはアイドルを落とした旦那さんよね。真白さんをここまで夢中にさせて幸せにしているんだもの」


 小雪は無意識に考えていた。

(もし、蒼太がわたしの旦那さんになってくれたのなら真白さんのような生活が送れるのでしょうね……)

 と、確信に近い思いで。


「そう言われたらそうなのかも……」

「そうかも、じゃなくてそうなのよ。わたしが保証するわ」

「あっ、それでも不満はあるよ!? やっぱりパートナーになるといろいろな問題が出てきて……」

「そ、それはよく聞くことだけれど真白さんも? 今まで旦那さんに対して不満を漏らしたことはないでしょう」

「それは仕方がないっていうか、どうしようもないっていうか……。わたしがそんな人を選んでしまったからっていうか……」

「一応聞いていいかしら」


 真白から旦那の情報を聞くに、蒼太と似たような性格をしているのだ。

 家事や掃除ができて気遣いができて優しくて。

 もし、願望が叶うことになれば同じ悩みを抱くかもしれない。そんな思考を働かせていた。


「えっとね、その……旦那さんは凄くモテちゃうんだよ……っ! 既婚者だってわかってるのに!」

「んっ? そ、それが悩みなの?」

 勝手に高価なものを買った。料理を作ったのに声かけなしで外で食べてきたなど、そんな悩みかと思えば少しズレた悩みを打ち明けてくる真白に小雪は白い首を横に傾ける。


「そうなのっ! 旦那さんは教員ってお話はしたと思うけどこの前ね、生徒さんから3通のラブレターもらってたんだよ!? もうみんなわたしから旦那さんを奪う気満々なんだもん!」

「そ、それは……さすがね」

「旦那さんを信じてないわけじゃないけど、信じてないわけじゃないけど……旦那さんに告白してくる相手はピチピチの女の子だから取られちゃうんじゃないかって不安で。男の人って性欲が強いから……煩悩でその……一回の快楽のために……」


 と、右の人差し指と左の人差し指でツンツンと合わせながら不満よりの不安を吐露する真白に小雪はバッサリと切り込んだ。


「いや、そこは安心していいでしょう? 旦那さんの性欲は真白さんが搾り取っているというか独り占めしているんだから。それに性欲が強いのは真白さん、あなたよ」

「っっ!? そ、そんなに強くないよっ!!」

「まぁ……真白さんの言いたいことはわかったわ。素敵な旦那さんを選べば選ぶだけ狙われる心配が出てくるってことね?」

「う、うん……! そう! わたしは自分のことで精一杯だったからそんなことを覚悟してなかったから。だから雪ちゃんは早いうちに覚悟してた方がいいと思う」

「わ、わたしもなの?」

 真白の不安が小雪にも当てはまる。それが疑問だった。


「だって雪ちゃんにアタックをしてくる男の人はかっこよかったり、優しかったり、そんな人が多いと思うからわたしの旦那さんみたいなことになると思うの。付き合っても、結婚しても狙われるって言うか……」

「あぁ、そう言うことね。ふふっ、その点なら大丈夫よ。わたしの場合はまずはそこにたどり着けるかわからないもの」

「えっ!?」

 意味深に発する小雪は小さく切ったチーズケーキを口に含んで片手でもぐもぐを隠す。


「た、たどり着けないってどう言う意味?」

「簡単に説明をするのならアタックされる側じゃなくてする側に回っているってことよ。……わたしが。これが逆だったのならどれだけよかったことか」

「ん……え……、ええええっ!? つまり雪ちゃんに好きな人ができたってこと!? って、なんで早く教えてくれなかったの!?」

 初耳の真白、興奮した様子で問い詰めるが……別に小雪は隠していたわけではない。


「教えるもなにも毎度毎度、真白さんが旦那さんのお話で時間を使うからでしょう? わたしは話すタイミングを伺ってはいたのよ」

「そ、それはすみませんでした……」

「だから真白さんが羨ましいのよ。本当に。誰しも共通のことだとは思うけれど好きな人と付き合うことができて、今の生活を築けていて」


 次にコーヒーを口に含んだ小雪は物憂げに微笑を浮かべた。

 そこに含まれるのは『わたしも真白さんと同じ道をたどることができるのかしら』という不安の感情である。


「うーん……軽はずみなことを言っちゃうかもしれないけど、雪ちゃんなら好きな人と付き合うだけじゃなくて結婚することもできると思うけどなぁ。経済力もあって人柄もよくて容姿も整っていて。男の人からしたら一度でいいから付き合いたいって思うはずだもん」

「わたしの独壇場なら良いのだけれど、その男性を狙っている方が一人、二人……いや、三人いるもの。正直、わたしの知らないところでまだいるのかもしれないけれどね」

「さ、三人も…………ですか。さすがは雪ちゃんが狙う男の人だ……」

「それも、全員が全員素晴らしい子なの。欠点が一つも見つからないくらいに。わたしがマウントを取れるとしたら年収だけ。それもわたしが年上だから将来的には意味のないことだけれど」

「ほ、ほわぁ……」


 この時、どのような言葉をかけて良いのかわからない真白はこんな返事をするしかなかった。

 小雪がこのようなことを言うのは珍しい。それが今心に思い浮かべている感想。


「でも、譲るつもりも負けるつもりもないけれどね。ここで譲歩しようなら真白さんのような生活は手に入らないもの」

「うん。同じ気持ちの人とはギスギスしちゃうかもだけど、好きな人だけは譲っちゃだめだと私は思うな」

「ええ。それに年上としても負けられないもの」

「雪ちゃん。私、応援するから頑張ってね」

「ふふっ。元アイドルさんからの応援があっても負けるかもしれないわね。なんと言っても真白さんの旦那さんよりも素敵な方だから」

「んなっ!? そんなことはないもんっっ!!!!」


 そんな親しいからこその会話を続けながら2時間を過ごした二人。

 時刻は16時になり、幼稚園に子どもを預けている真白は『じゃあまた会おうね雪ちゃん』と声をかけて去っていった。

 

 しかし、先ほどの席にはまだ一つの影がある。


「すみません。コーヒーのおかわりとカスタードプディングをお願いします」

「かしこまりました」

 一人、カフェに残る小雪は追加の注文をして居座っていたのだ。

 ゆっくりと心を落ち着かせ、これからのことを深く考える時間を確保するために。


「はぁ……。本当、厄介な男性に惚れてしまったわね……」

 小雪の中では入居者全員で蒼太を奪い合う構図が見えているのだ。

 トラブルが発生するかもしれない。ギスギスするかもしれない。そんな未来が見えていてもなお、引く姿勢は見せない小雪だった。


「もう2ヶ月もないんだもの。不本意だけれど周りなんか気にしていられないわ……」

 小雪は理解している。他の入居者蒼太を譲らない考えでいることを……。

 

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