第4話 忍び、後を付ける

「何か御用でしょうか?」


 警戒しつつ、月影はテントの入り口を閉じる。


 手は自然体で身体の横に置く。後ろ手にしては、手に暗器を持っていると覚られる可能性がある。特に、給仕の女性には注意しなければいけない。身体運びで分かる。この女性は、戦闘経験がある。


 給仕の女性は月影を最大限警戒している様子だ。それはそうだろう。出自の知れぬ浮浪児など、貴族にとっては警戒の対象でしかない。


 しかし、目の前の少女にとっては違うらしく、月影が出て来た事にほっと安堵の息を漏らしている。


「ごめんなさい。少し、お話しをしたかったもので」


「いえ、大丈夫です。それで、何の用でしょうか?」


「貴方達は、孤児でしょう? その、もしよろしかったら私が働き口を斡旋しようかと思いまして」


「働き口、ですか?」


「はい。貴方達は、日々生きるので精一杯なのでしょう? 働き口が見つかれば、今よりも良い生活が出来るはずです」


 にこりと屈託の無い笑みを浮かべる少女。


 それは、純粋な善意なのだろう。ただ助けたくて、その提案をしているのだろう。その利益メリット不利益デメリットにはきっと気付いていないだろう。


 純粋な善意。だからこそ、意図が読めない。


 その先にある光景ものが、分からない。


 彼女の善意を利用している者が居る可能性も在る。彼女を陥れるため、上手く浮浪児を減らすため。可能性はいくらでも考えられる。


「……いえ、大丈夫です。僕達、少ししたら冒険者になりますので」


 この提案は魅力的に見えるけれど、穴が多すぎる。乗るにはいささか不安定だ。


 フィアには安全な仕事をして欲しいと思う。だからこそ、美味しすぎる話にほいほい乗るのではなく、慎重に選んだ方が良いだろう。


「ですが、冒険者は危険なお仕事でしょう? 子供の死亡率も高いと聞きます。私が斡旋した方が、安全で日々を生きるのに十分な給金を渡す事が出来ます。そんな危ない事をしなくても大丈夫なんですよ?」


「……失礼ですが、その仕事先というのが不透明である以上、僕は頷く事が出来ません。ごめんなさい」


 ぺこりと素直に頭を下げる。


 ぴくりと給仕の女性が反応をするけれど、口に出す事はしない。


「そんな、謝らないでください! そうですね。確かに、あやふやな話をしてしまいましたね。それでは、後日斡旋先を幾つか決めて来ます。その仕事内容を見て、決めてください」


「いえ、僕達は冒険者になるので大丈夫です」


「駄目です。先程も言った通り、冒険者なんて危ない職業に就く必要は無いのです。良いですか? 世の中には冒険者よりも素晴らしい職業がたくさんあります。選択肢を自ら狭めては駄目です。まずは、落ち着いてよく考えてみてください。きっと、貴方も気に入る仕事が在るはずです」


 優しい笑顔で、まるで諭すように言葉を紡ぐ少女。


 そんな少女に月影が何かを言う前に、テントからフィアが出てくる。


「べらっべら偉っそうに! こちとら選択肢なんてはなからねぇんだよ!」


 テントから出てきて、開口一番にフィアが少女を怒鳴り付ける。


「フィア、落ち着いて」


「お前は黙ってろ! 良いか? オレ達はあんたら貴族の施しは受けねぇ! 仕事の斡旋もいらねぇ! 分かったらとっとと帰りやがれ!」


 怒鳴り散らすフィアに驚いたのか、少女は怯えたように一歩後退る。


 すかさず、少女の前に給仕の女性が立つ。


 殺気立ったその様子に、月影もさりげなくフィアの前に立つ。


「口のなってない子供ですね。これだから教養の無い者は嫌いなのです」


「気が合うな。オレもてめぇらみたいに偉ぶった奴らは大っ嫌いだ」


「偉ぶった、ではありません。貴方方とは違い、お嬢様は偉いのです」


「あーそーかよ! だったらこんなとこいねぇでとっとと消えちまいな!」


「言われずとも。お嬢様、行きましょう。こんなところに居ては、どんな病気をうつされるか分かりませんからね」


 少女の背を優しく押しながら、給仕の女性はフィアから少女を素早く遠ざける。


「けっ! いけすかねぇ奴! おい、中入んぞ!」


 苛立たし気にフィアが言う。


 けれど、月影には少し気になる事があった。


「御免、フィア。僕、ちょっと出てくる」


「は? 何処行くんだよ」


「野暮用。大丈夫、別にさっきの人達追いかける訳じゃないから」


「……さっさと帰って来いよ」


「うん」


 頷き、月影は歩き出す。


 先程から、先の少女を数名が見ていた。いや、見るというよりも、監視という表現の方が正しいだろう。それも、保護や護衛を目的としていない部類の監視だ。


 殺気立っている訳では無い。けれど、その視線が持つ意味くらいは分かる。そう言う世界に、月影は身を置いていたのだから。


 路地裏に入り込み、そこから月影の存在感が希薄になる。


 足音が消え、呼吸音も極微小なものに。


 先程、監視をしていた者の元へと向かう。


 馬車の移動に合わせて場所を変えているだろう。


 その位置を予測し、先回りをする。


 馬車の移動ルートを知るために後を着けているのだろう。


 市街であれば、馬車はそんなに速度を出せない。鍛えた者であれば、追うのは容易いだろう。


 暫く気配を消しながら歩いていると、同じように歩く人物を一人発見する。


 注意深く観察してみれば、その人物と同じように馬車を観察している人物が他にも四人居る。


 身のこなしからして、同業者の可能性が高い。


 企てているのは、公爵令嬢の暗殺だろうか? 護衛というには、あまりにも視線が剣呑すぎる。


 自分には関係の無い事と放置しようかとも考えたけれど、それは月影にとっても良くない事だろう。


 彼等が公爵令嬢の暗殺を企てているのであれば、今日の月影達との接触は好都合に違いない。


 公爵令嬢殺害が暗殺だとばれてしまうのはまずい。一番良い殺し方は、それが暗殺だとばれない殺し方だ。


 今回の場合で言えば、公爵令嬢を殺害し金目の物を奪う。そして、それを幾つか月影とフィアのテントの中へと放り込んでおく。


 加えて、月影とフィアを殺害して魔物のいる場所へと放り込んでおけば勝手に死体処理をしてくれる。


 公爵令嬢が殺害され、金目の物が無くなる。そして、二人の浮浪児が姿を消す。


 そうなれば、必然的に月影とフィアが公爵令嬢を襲って逃げた事になる。


 それは暗殺ではなく、痛ましい強盗事件になる。


 問題は、御付きの侍女であるけれど、不意打ちをしたように背後に刺突痕を付け、その後に胸や腹を幾度となく刺せば良い。そうすれば、不意を突かれ、確実に殺害をするために何度も刺されたと思わせる事が出来る。


 監視している暗殺者の視線に、侍女は気付いていない様子だった。数的有利も暗殺者側にある。


 白昼とは言え、女性二人を殺害するのは容易い事だろう。


 人通りが極端に少ない壁際、それも、浮浪児の居住地ともあれば人は寄り付かない。大通りから外れている事もあり、この場所での白昼での暗殺は難しく無いだろう。


 可能性としては十分あり得る。


 事実確認のために日を置くのは下策。危険の芽は、即時潰すに限る。


 持っている武器は袖に隠した暗器一つ。


 十分だ。


 一年前よりも良い食事をしているので、身体も以前よりは出来てきている。


 それに、今の自分に出来る事は全て把握してある。奥の手も、忍術も使える。今の自分であれば、確実に仕事を完遂できる。その自信と自負がある。


 であれば、脅威を排除しない理由が無い。


 月影の目から光が消える。まるで、月の無い夜のようなその目は、獲物を前にし、心を殺した忍びの目。


 音も無く、月影は背後から迫った。

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