第18話 公爵令嬢の憂鬱
豪奢な自室で、少女は膨れっ面をしながらティータイムを過ごしていた。
そんな様子を、侍女であるアリザ・ルージュは困った様子で眺める。
彼女が不機嫌な理由を知っていて、それがどうにもできない事がらだからこそ、アリザは何も言葉をかけられない。
とはいえ、このままずっと不機嫌で居られるとこの後のレッスンに差し支える。アリザは言葉を慎重に選びつつ、言葉をかける。
「お嬢様。そろそろご機嫌を直されてはいかがですか?」
「だって……」
少女は不服そうな表情でアリザを見る。
「決まってしまった事は仕方がありません。それに、お嬢様を思っての采配です」
「それは、分かってるけど……」
言って、ちらりと視線をアリザから外す。
視線の先には、部屋の隅に立つ一人の少年の姿が。
上品な服に身を包んだ少年は背筋を伸ばして立ち、視線をずっと前に固定している。しかし、視界の中に常に少女を捉えられるようにしており、常に周囲に注意を払っていた。
腰に下げた剣は装飾に富んでおりながら実用的な形をしており、有事の際にはその剣で斬った張ったをする事が出来る。
彼は、オーウェン・ブルクハルト。少女、ミファエル・アリアステルの騎士だ。
と言っても、騎士に任命されたのはつい先日の事である。年はミファエルと同じであり、まだまだ騎士見習いと言ったところだ。
彼が自身の騎士に決まった事が、ミファエルにはどうしても納得できなかった。
「あの子を騎士にしたかったのに……」
「お嬢様、そのような事をおっしゃらないでください」
あの子とは、つい
灰色の髪の狼のように鋭い金眼の少年。
二人の前で、三人の暗殺者を一瞬にして倒してしまった、常軌を逸した力を持つ少年をミファエルは自身の騎士にしたいと宣った。
しかして、何処の馬の骨とも知れない孤児を騎士にする事は出来ない。ミファエルの父は猛反対をして、馬鹿なことをしでかさないようにと早々にオーウェンを騎士に任命した。
半年も時間が空いてしまったのは、騎士の人選に時間がかかったのと、家族を言いくるめるのに時間を要したからだ。
どうしても月影を騎士にしたかったミファエルは、もう一度屋敷を抜け出そうとして幾度となく失敗した。具体的には、部屋の前に見張りが立ち、部屋の中にもアリザ以外の女中が常駐する事になった。
暗殺者に命を狙われたというのに外に出ようとする胆力には目を見張るものがあるけれど、だからと言って好き勝手に動かれても困る。公爵にとっては大事な愛娘だ。好んで失いたいとは思わないだろう。
ガードが固くなっている間に、月影は街を出て行ったと知り意気消沈し、更に自身の騎士が勝手に決まって憤慨してしまっている、という状況だ。
オーウェンが騎士に任命されてからずっとこの調子だ。
オーウェンは涼やかな表情を崩しもしないけれど、内心は穏やかではないだろう。
「あの子、あの子は私が見てきた人の中で、一番
輝いていた。その言葉の意味を理解できるのは、この場にはミファエルとアリザしかいない。
「それはもう何度も聞いております。お嬢様のお気持ちも分かりますが、騎士の家系を差し置いて孤児をお嬢様の騎士にする事は出来ません」
何より、あれは騎士には向かないだろう。という言葉は、アリザの中だけの物。そんな事を言ってしまえば、火に油を注ぐ結果になるだろうから。
「そんなの私には関係無いわ。平民にもなれない、貴族にもなれない、中途半端なはみ出し者だもの」
「お嬢様……」
つーんっと拗ねたようにアリザから顔を背けるミファエル。
「どうか、そのような悲しい事を言わないでください。御当主様のお耳に入れば悲しまれます」
「ふん」
ぷいっとさらにそっぽを向いてしまうミファエル。
「お嬢様、来年からは学院に通われるのですよ? 公爵家の令嬢が、そのような事では他の貴族の子息子女に示しが付きません。お嬢様の一挙手一投足が、公爵家の態度として映ってしまうのですよ?」
少し厳しめに言うけれど、それでもミファエルは不機嫌そうな顔をおさめもしない。
「私、学院なんかに行きたく無いわ。きっとどの子も退屈よ」
「見てもいないのに分かるものですか。人となりはその目で見てみない限り分からない物ですよ。もしかしたら、お嬢様がお気に召す者が居るやもしれませんよ?」
「居ないわよ。どの子も貴族らしく、平民は平民らしく。つまらない所よ。そんなところで時間を潰すよりも、少しでも多く貧しい人達を救うために動くべきなのよ」
「お嬢様の志は立派と存じます。しかし、それは救う手立てとその頭があってこそです。その方法を勉強するための学院であり、そのコネクションを得るための友好です。お嬢様お一人で出来る事なんて高が知れています」
「むぅ……!」
「可愛らしく頬を膨らませても駄目です」
我が儘を言うミファエル。それを窘めるアリザ。
そんな二人を見て、オーウェンは心中で落胆をする。
幼い頃から騎士を目指してきた。それは、立派な領主に仕えるためにだ。決して、我が儘な公爵令嬢に仕えるためではない。
来年からはオーウェンはミファエルと一緒に王都の学院に通う事になる。騎士科に入学するオーウェンはそこで将来仕えるための主を選ぼうとしていた。他の騎士科の生徒も、同じだろう。
けれど、期せずしてオーウェンの主は決まってしまった。何処にでも居る、我が儘な御令嬢。そんな相手に仕えたくて騎士を目指している訳では無い。
騎士として、立派に国を動かす主を支え、主が護る市民を護る剣となるために日々研鑽を積んできたのだ。
二人には知られない程度に、オーウェンの拳に力が入る。
それに、ミファエルの出自については有名だ。ミファエルは純粋な貴族ではない。つまり、上に立つ資格が無い。
これでは騎士としてのオーウェンの価値も下がる。どうにかして、自身に問題が無い程度に騎士を退任したい。
こんな子供の御守りに時間を割いている場合では無いのだ。
今は優雅なティータイム。これが終われば、自分は一度席を外す事が出来る。その間に、学院に行くための勉強と剣の鍛錬の時間に当てられる。
ミファエルとアリザにとっては気の休まる時間だろうけれど、オーウェンからしたらこの時間は無意味で退屈な時間そのものだ。
ただ、だからと言って手は抜かない。経験に勝る物は無いのを、オーウェンは知っている。嫌な相手でも、実践には変わらない。少しでも自身の糧にするために、オーウェンは真面目に取り組む。
向こうもオーウェンでは不満な様子。我が儘そうな彼女の事だ。少し我慢をすれば直ぐに解任される事だろう。
自分よりも孤児の少年が望まれているという事実は気に食わないけれど、半端物の御令嬢の相手など、孤児の騎士擬きが相応しいだろう。
オーウェンのそんな不遜な考えを、二人が知るはずも無い。
けれど、オーウェンは近々そんな考えを壊される事になる。それも、オーウェンの知るはずも無い事である。
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