第25話 侍女、語る 2

 特別な目を持つ者を、月影は知っている。前世でも、特別な目を持っている者に出会った事があるからだ。


 ある者は千里先を見通し、ある者は未来を予見し、ある者は視線だけで相手を殺す事が出来た。


 だからこそ、アリザの言葉に意外性は感じなかった。


 本来、そう言った特別な目を持つ事は稀なのだけれど、月影の前世では多くの者と出会っていたのであまり特別感は無い。なんなら、里の者にも数人居たし、月影や以前の主もその一人である。


 そう言った者を、月影は異眼いがん持ちと呼んでいた。


 しかし、この世界と月影の世界では異眼の数が違うのかもしれない。こちらの世界では、もっと異眼持ちが少ない可能性も在る。


「特別な目、ですか」


「はい。子細は話せませんが、世界でも稀な目をお持ちです」


「だから、狙われていると?」


「はい。御嬢様が御当主様に保護される前、村での御嬢様は有名でした。怪我や身体の不調などを瞬時に見抜き、更には雨や嵐を予見したりなど、常人には不可能な事を御嬢様は容易くやってのけたのです。特別な術や魔法を使ってもいないのに……」


 前世でも天気を予見する者はいた。しかし、それは術を用いての話だ。予見には、事前の準備が必要となる。


 アリザの口ぶりから察するに、ミファエルにはそれらの準備が必要が無いのだろう。


 天気を予見したのであれば未来予知の可能性があるが、怪我や身体の不調を見抜く事が出来たのは未来予知の範疇ではないように思える。身体の不調が悪化する未来が見えたというのであれば未来予知だとは思うけれども。


 未来予知の異眼。更には、それを上回る能力を持つ可能性も秘めているだろう。


「確かに、未来予知が出来るのであれば、その力を欲しがる者は少なく無いでしょうね」


 ただ、それでも疑問は残る。


 未来予知の能力を欲しがるのは分かる。けれど、未来予知の能力を消そうというのは分からない。


 便利以上に十分な戦力になる能力だ。消すよりもまず、有効活用しようと考えるのが普通だろう。


「……なるほど。敵の依頼人は敵対国、もしくは公爵家の力を削ぎたいと思っている者、ですか?」


 月影の言葉に、アリザはこくりと頷く。


「恐らくは、そうでしょう。御当主様も同じ考えです」


 利用しようにも、ミファエルは公爵家の娘となってしまっている。かどわかすのは不可能。であれば、これ以上力を付けて権力を増大されるよりは、消してしまった方が都合が良いと考えたのだろう。


「よく村娘だった時に攫われませんでしたね」


「御嬢様が自身の力を人目に出すようになったのが魔物の氾濫に遭う少し前からだったのです。なので、あまり大きな騒動になる事もありませんでした」


「なるほど。つまり、総括すると、御嬢様は最低でも未来予知の能力を持っている。それ以外にももしかしたら何らかの力を有している可能性が高い。国、ひいては公爵家が力を持つ事を恐れた敵対国か公爵家をよく思っていない対立貴族が刺客を放った、という考えでよろしいですか?」


「はい」


 仕事の内容としては前世とそう変わらない。要人警護。ただそれだけだ。いつもの忍びの仕事をすれば済む話。


 けれども、そうなれば月影は今の生活を捨てる事になる。


 月影は名無しの忍び。月影という名も、以前の主が不便だから付けたものだ。


 月影は目に見えない脅威になる。名の知れた恐怖ではなく、名の知れない恐怖になる事で主を護る忍びだ。


 そのためには、今のフィアとの生活を捨てる必要がある。


 今まで一緒に生活してきたフィアと、まだ会って数回の少女。どちらを取るのかなど、考えなくとも分かる事だ。


「仕事の話、お断りします」


「――っ! 理由を、お聞きしても?」


「僕が仕事に入るにあたって、僕は今の生活を捨てる必要があります。フィアと公爵令嬢、どちらを取るかなど考えるまでも無い事です」


「それ相応の報酬をお渡しします。必要であれば道具の確保もこちらでやります。不自由のない生活と、護衛の仕事のサポートは約束します。彼女のサポートや冒険者パーティーへの斡旋もします。何不自由はさせません」


「それをフィアは望まないです。それに、僕にも流儀というものがあります。やるからには、徹底的にやります。ただ、そのためには今の生活を捨てる必要があります。僕はフィアとの生活を捨ててまで、あの人を助けようとは思えません」


 目に見えない脅威になるには、情報の一切を遮断する必要がある。


 出自不明。手口不明。年齢も、性別も、姿形も不明。


 忍びの里でも月影の情報を知っている者は極少数。里長と、月影に匹敵する実力を持つものだけが月影の情報を知っていた。


 目に見える脅威は名のある武士に任せた。目に見えない脅威、つまり、月影は計り知れない存在として相手の脅威になるのだ。


 そのためにはフィアとは一緒にはいられない。弱く、訓練をされていない月影の情報を漏らしてしまう可能性が高いから。


 忍びの里は最早関係無く、月影個人として生きていくのであれば、フィアと一緒に生きていきたいと思う。


 月影にとって、フィアは仲間だけれど、ミファエルはただの公爵令嬢。どちらを取るかなど考えるまでも無い話だ。


「聞いた事は誰にも言いません。それでは、失礼します」


「ま、待ってください! お願いします! 貴方以外に頼れる者が居ないのです!」


「頑張って僕以外を見付けてください」


「無理なんです! 先程も言った通り、御嬢様は公爵家でも立場が危ういのです! きっと奥様方の横槍が入ります! 貴方以上の人材を見付けられたとして、御嬢様の護衛にするのは不可能なのです!」


「そうですか。ですが、僕には関係の無い話です」


「お願いします! 私に出来る事なら何でもします! お金も、この身体も、貴方に差し上げます! ですから、どうか、どうか……!!」


 縋りつくように月影の腕を取り、アリザは頭を下げる。


 そんなアリザの姿を見て、月影はふと疑問に思う。


「何故そこまでするのですか? 彼女に、それだけの価値が在るのは分かりましたが、貴方がそこまでする必要は在るのですか?」


 それは、純粋な疑問。


 未来予知の能力はかなり強力な武器になるだろう。けれど、本人に戦闘能力が無い以上、いつ失われてもおかしくない武器だ。


 それに、未来予知の能力が惜しいのであれば、公爵がもっと本腰を入れて護るべきだ。


 ただの従者である彼女に、そこまでする義理が在るとは思えない。


 月影の質問に、アリザは月影に鋭い視線を向けながら応える。


「価値などどうでも良いのです!! 私があの子を護りたいと思ったからそうするのです!!」


「なるほど、感情論ですか」


「感情論で何が悪いのです!! あの子だけなのです!! 誰もが誰かに好かれる世界にしたいと言ったのは!! 権力のある貴族が言わず、名声のある冒険者が言わず、誉れある騎士が言わなかった言葉を、あの子だけが言ったのです!! それを支えたいと思って、何が悪いというのです!!」


「――っ」


 アリザの言葉を聞いて、月影の動きが一瞬止まる。


 思い起こされるのは、最後の主の言葉。


『月影。私はな、誰かが誰かに好かれる世の中を作りたいのだ。人間、一人では生きては行けぬ。誰かがいなければ、寂しかろう。なぁ、月影。其方も、私が居なければ寂しかろう?』


 悪戯っぽく笑った最後の主。


 救えなかった、最後の主。それが、月影の少しの心残り。


 もし、もしやり直しが出来るとしたら。最後までやり遂げて、心残りも、後悔も、捨て去る事が出来たのなら。


 それが代償行為になる事は分かっている。けれど、幼いまま死なせてしまった最後の主の、成し遂げられなかった本懐。


 もしあの時、主の言葉を聞かず、主を護る事だけに専念していれば、国は落ちても主だけは生きていただろうか。そうすれば、叶えられなかった夢の続きに向かって歩めただろうか。


 たらればだ。自分も主も、あの日城で焼け死んだ。


 けれど、もし、もし自分が、主の夢を継いだと知れば、それを成し遂げられたと知れば、主は笑ってくれるだろうか。


 感傷だ。忍びには不必要なものだ。


 でも、今の自分になって思う。不必要だと斬り捨てた物が無かったから、自分は主を死なせるはめになった。


「感情とは、くももどかしいものだな……」


 ぽつりと、噛みしめるように月影は呟く。


 合理的に考えるのであれば断るべきだ。月影にとってこの話は旨味が無い。冒険者として生きていった方が、旨味がある。


 けれど、芽生えたこの感情を無視する事は出来そうに無い。


「分かりました。請けましょう、その話」


「――っ! 本当ですか!?」


「ええ。ただし、幾つか条件を出させていただきます。構いませんね?」


「はい! それで御嬢様を御守できるのであれば!!」


 希望が見えたように笑みを浮かべるアリザ。


「まず、直ぐには無理です。フィアを育てる時間が欲しいです。それまでは、貴女が御嬢様を護ってください」


「彼女のパーティーへの斡旋ならします。ですので、直ぐにでも……」


「駄目です。フィアに死なれたら困ります。僕が、直々に戦い方を叩きこみます。これは、最低条件です。良いですね?」


「……期間は?」


「短くて半年。長くて一年貰います。これが飲めないのであれば、この話は無しにします」


「…………分かりました。何とか、私達だけで護ってみせます」


「その意気です。ああ、安心してください。僕達が冒険者になるまでひと月あります。その間に鍛えてあげますよ」


「え? ああ、彼女をですか?」


「いえ。貴女をです」


「え?」


 月影の言葉に、ポカンと口を開けるアリザ。


「貴女を、そこそこ戦える従者に鍛えます。大丈夫です。業務に支障は出ないので」


 状況が飲み込めない様子のアリザだが、ミファエルを護れる手段は多いに越した事は無い。


 強くなれるというのであれば、頷くべきだ。


「分かりました。お願いします」


「ええ。細かい話は、後で詰めましょう」


「はい。あ、えっと……そう言えば、なんとお呼びすれば?」


「ああ、そうですね……」


 月影は、最後の主が付けた名前。この世界での名前も、勿論ある。けれど、それもきっと捨てる事になる。ならば、名乗る名など持ち合わせてはいない。


「お好きにどうぞ。名前は、もう捨てましたので」

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