第23話 三十分 3

「め、い、どぉ!! 糞ったれなお貴族様のくせして、わくわくさせてくれるじゃーん!!」


 バンシーは即座にアリザに詰め寄る。


 今のバンシーであればアリザを無視してミファエルを殺す事も可能だ。


 それをしないのは、この状況を楽しんでいるのと、もう一つ。


「ハァッ!!」


 防御一辺倒だったアリザが拳を繰り出す。


 先程の拳よりも更に威力と精度が上がった拳。


「さながら手負いの獣だねぇ!」


 手負いの獣程恐ろしいものは無い。例え格下が相手だとしても、油断をすれば噛み殺されるのはバンシーの方だ。


 拳とナイフの応酬。


 二つがせめぎ合い、火花を散らす。


 しかし、どれだけ奮闘をしても実力差は歴然だ。それに、アリザの方がダメージが大きい。


 次第に、アリザは対応しきれなくなる。


 浅く、けれど、確かに身体を斬り付けられる。


「ぐぅっ……!!」


「アリザっ!!」


 まだ三十分は経っていない。十分経っただろうか? いや、もしかしたら十分も経っていないかもしれない。


 体感ではもう経っているような気がするけれど、まだなのだろう。


「――っ!!」


「派手にやってるねー、あっちも」


 大剣を振り回すロックと、それを躱しながら魔法と剣を器用に繰り出すオーウェン。


 一進一退の攻防を繰り広げているように見えるけれど、その実オーウェンの方が押されている。何せ、オーウェンの攻撃は全て通らないのだから。


 オーウェンの表情にも余裕が無い。恐らく、自分が勝てない事を分かっているのだろう。


 三十分。仕事をしていればあっと言う間の時間も、毎秒を命がけになっているととても長く感じる。


 それでも、耐えて見せる。


「良い拳だけど、なーんか違うなぁ。殺しに来てないでしょ? 無理してはいるけど、無茶はしてないしー」


 バンシーは攻撃の手を止めると、自身の頬をナイフの腹でぺちぺち叩きながら喋る。


 しかし、その声はアリザには届いていない。


「さっき三十分がどーとか言ってたよね? 援軍でも来る? そいつ、アタシより強い? って、聞こえてないんだったー! ねぇ、そこの糞お嬢さん。援軍でも来るの?」


「え? あ……」


「おいどもんなよ。はー、ばっどこみゅにけーしょん! いつものご口舌が聞きたいぜー、アタシは!」


 足元に転がるガラス片をミファエル目掛けて蹴る。


「ひっ……!」


「お嬢様!!」


 声を上げ、アリザはなんとなくで腕を振る。


 確かな感触と共に、ガラス片は弾かれる。


「私の後ろへ!!」


「う、うん……っ」


 アリザに言われた通り、ミファエルはアリザの背中に隠れる。


 そんなミファエルを見て、バンシーは心底軽蔑したような目を向ける。


「はぁ……糞ったれなお貴族様っていっつもそうねー。偉ぶってるくせに、肝心な時にはこうして縮こまってさーあ。ねー、一人じゃなんにもできないくせに、どーしてそこまで偉ぶれんのー?」


「……っ」


「聞いてるー? …………おいてめぇに言ってんだよクソガキ!!」


 踏み込み、アリザに肉薄する。


「――ッ!!」


 明らかに先程よりも早い攻撃。


 アリザはなんとかそれに食らいつくも、幾つもの斬撃や刺突を食らってしまう。


「ぐぅっ……!!」


「あ、アリザ……っ!!」


 連撃により隙を見せたアリザ。その隙をバンシーが見逃すはずもなく、アリザの横っ腹を蹴り付けて壁に叩き付ける。


「アリザっ!!」


 無防備なまま壁に叩きつけられたアリザは、そのままずるずると地面に倒れる。


「――ッ!! お嬢様!!」


 異変に気付いたオーウェンが駆け付けようとするも、ロックがそれを阻む。


「お前の相手は俺なのだろう?」


退けッ!! 来たれ風、汝は吹き飛ばす者なり――ガスト!!」


「ぬぅっ!?」


 攻撃が通らないのであれば、この場から退場してもらう方が良い。


 突風がロックを襲う。床に大剣を突き立て、ロックは突風ガストを耐え忍ぶ。


「吹き飛べッ!!」


 更に魔法に魔力を込める。


 ミファエルの危機だけれど、ロックをどうにかしない限りは自分もミファエルのところへ行けない。


 突風ガストで威力が弱いのであれば、もっと威力の高い魔法で吹き飛ばすしかない。けれど、そうすればまだ残っているこの屋敷の使用人達にも危害が加わる恐れがある。


 それに、吹き飛ばした先でロックが人を殺す可能性もある。暗殺者は目撃者を全て殺すものだ。ロックを目撃した住人を殺害するのは有り得る事だ。


 しかし、優先順位は――ッ!!


「はぁ、まーいいや。どーせこいつもろくでもねぇ糞貴族だろーね」


「――ッ!! お嬢様!! 逃げてください!!」


 バンシーがナイフを振り上げる。


 突風ガストを止めてオーウェンが向かおうとするも、バンシーの方が早い。


「もう殺そー。はい、ばいばーい」


 振り下ろされるナイフ。


 恐怖に身を縮めるミファエル。


 鮮血が舞うかのように思われたその時、甲高い金属音が鳴り響く。


「…………お前、本当に凄いよ。御貴族様には勿体無いくらいだ」


「…………ぐ……ッ……!!」


「あ、アリザ…………」


 ミファエルとバンシーの間に割って入り、アリザは両腕を交差させてナイフを受け止めていた。


 しかし、籠手ガントレットももう限界だったのだろう。


 ナイフの切っ先は籠手ガントレットを貫通し、アリザの右腕に深々と刺さっていた。


「お、嬢様……お下がり、ください……ッ」


 誰の声も聞こえていないアリザは、しかしミファエルに言葉をかける。


「ねぇ、そいつそんなに大事? あんたの命かける程大事な奴?」


「お二人から離れろッ!!」


 背後からオーウェンが斬りかかる。


 が、それをノールックでバンシーはナイフで受け止める。


「くっ……こいつッ!!」


「俺を忘れるな」


「なっ! くそっ!!」


 背後から振られる大剣を巧みに躱し、ロックに魔法を放つ。


「来たれ風、汝は吹き飛ばす者なり――ガスト!!」


 もう一度吹き飛ばそうとするオーウェン。


「ちっ。面倒な……!」


 広い場所であればもう少し逃げようがある。けれど、此処は一方通行である。必然、真正面から魔法を受ける必要がある。


 だが、それでも良い。面倒だけれど、注意が自分に向いているのであれば、背後からバンシーがオーウェンを殺せる。


 いつものバンシーであれば、そうしている。


「……っ!! 何をしている、バンシー!!」


 しかし、今のバンシーは違った。


 バンシーは自身を満身創痍ながらも睨みつけるアリザと、真正面から向かい合っていた。


「ねぇ? 大事なの? そんなのが? ただの偉ぶった人間が、それほど大事?」


 ぐりぐりとナイフで腕を抉る。


 痛みは最早感じていないのか、アリザは表情一つ変えない。


 何を言っているのか分からない。アリザに読唇術は使えない。


 出血し過ぎたのか、視界がぼやける。


 死を間近にして、走馬灯のようにあの頃の事を思い出す。


 魔物の氾濫に遭って母親を亡くした怯え切った少女。


 その子の姉として母代わりとして頑張った日々。


 義母からも異母兄弟からも愛されなかった少女。


 生まれが違えど、育ちが違えど、誰かが誰かに愛される世界にしたいと使命を持った少女。


 不器用で、不格好で、今はただの夢物語を……あぁ、けれど、アリザは確かに愛してしまった。そんな少女の夢ごと、アリザは愛したのだ。


 ぼやける視界。けれど、まだ位置は分かる。


 まだ立てる。まだ戦える。


 もう時間の事は頭には無くて、あるのはただ夢見る少女ミファエルを救いたいと思う心だけだった。


「お嬢様を……死なせは、しない……っ!! 絶対に!!」


「――っ!? あんた……ッ!!」


 何処にそんな力があったのだろう。アリザは右腕を持ち上げてあえてナイフを自身の腕に食い込ませる。


 床を力強く踏みしめる。


「私が、お嬢様を…………ッ!!」


 目一杯左腕を振り上げる。


 そこに技術は無い。あるのは、根性のみ。


「護るッ!!」


 繰り出されるのは技も何も無いただの拳。


「さいこーだよ、あんた」


 虚は突かれた。けれど、満身創痍の相手の拳を食らう程、バンシーは弱くは無い。


 アリザの拳を躱し、右手に持ったナイフをアリザの胸に突き立て――


「よく持たせた」


 ――ようとしたそのナイフが止められる。それも、素手で。


「――ッ!? なんだてめー!!」


 気配が無かった。気付いたら、自身とアリザの間に入っていた。


 慌てて距離を取るバンシー。その背中をオーウェンがすかさず剣で斬り付けようとするけれど、バンシーは軽やかに回避する。


 得物を二本手放したバンシーは舌打ちをしながらも、腰に差している予備のナイフを抜く。


 オーウェンは魔法を止め、バックステップで乱入者の隣に並ぶ。


「味方、で間違い無いか?」


「ああ」


 頷く乱入者を、オーウェンは横目で見やる。


 黒の仮面に黒の衣装。味方と言われると正直怪しいけれど、今は助太刀に感謝するしかない。


「私があの女を片付ける。その間、君はあの男を――」


「無用だ」


 言いながら、黒衣の者は倒れかけているアリザを支える。


「アリザっ! アリザっ!」


 ゆっくりとその場に寝かせれば、ミファエルが泣きながらアリザに覆い被さる。


「いやっ、いやぁ……っ! 死なないで……死なないでアリザぁっ……!!」


「お前は、彼女の治療を。治癒魔法が使えるのだろう?」


「あ、ああ……けれど、敵が――」


「問題無い」


 立ち上がり、静かな足取りで黒衣の者は歩き出す。


 恐ろしいほどに音がしない。まるで、生き物ではないかのような錯覚さえ覚える。


「…………ぉ、願……っ……す……」


 意識が朦朧としているだろうに、アリザはそう絞り出す。


 誰も、彼女の言葉を理解できなかった。けれど、黒衣の者にはその言葉はしっかりと聞こえてきていた。


「任せろ」


 黒衣の者――月影はしかと頷いた。

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