第22話 三十分 2

 オーウェンの開けた穴からアリザはミファエルを抱き抱えて逃げ出す。


 ミファエルは恐怖のためか、アリザに強く抱き付いている。無理も無い。明確に命を狙われているのだから。


「ばっきぃーんっ!!」


 背後で扉が蹴破られる音が聞こえる。


 声からして、追って来たのはバンシーだ。オーウェンが厄介な方を引き受けてくれた事になる。


 オーウェンは心配ないだろう。十二歳にして大人にも顔負けしない程の剣の腕と冷静な判断力がある。更に、魔法の腕も確かだ。早々やられる事は無いだろう。


 むしろ、心配するべきは自分達だ。


 アリザには武術の心得がある。けれど、お世辞にも強いとは言えない。ごろつきを撃退できる程度の実力しかない。本職の殺し屋を相手に戦える程、強くは無い。


 ちらりと背後を振り返れば、そこには嬉々として二人を追いかけるバンシーの姿が。


「くっ……!!」


 速い。けれど、恐らくはバンシーは本気ではない。本気で走れば、即座に二人に追い付くことが出来るだろう。


 楽しんでいる。殺しを、この追いかけっこを。


 けれど、それならそれで良い。無駄に時間を使えば良い。


『三十分耐えろ』


 がアリザに出した指示。三十分耐えきれば、彼が来る。


 三十分で耐えれば、アリザ達の勝ちだ。


「――っ!!」


 背後から繰り出される斬撃を、アリザは横っ飛びで避ける。


 いつの間にか直ぐそこまで追い付かれていた。直前まで、気配をまったく感じなかった。


 流石はプロの暗殺者。視線を少し外しただけで気配が消えるとは思いもしなかった。


 繰り出される斬撃を、アリザはバックステップで回避をする。


 詰め込みが甘い。アリザだってタダでやられてやるつもりは無いけれど、それにしたって攻撃に害意が無い。


 攻撃の手が止まったところで、バックステップで更に距離を取る。が、背中に軽い衝撃。


 どうやら、壁際まで追い詰められてしまったようだ。


 階段に差し掛かる手前であえて気配を出しながらの攻撃。しかも、階段へのルートを防ぐような攻撃だ。


 階段を通り過ぎ、後は逃げ場のない背後に追い詰める。


 本気で殺しに来ている訳では無い。けれど、本気で遊び・・に来ている。


「追いかけっこってきらーい! アタシ、ちゃんばらの方が好きなんだよねー」


 ガキンッ、ガキンッっと大振りのナイフを打ち付け合う。


 袋小路。逃げるには、立ち塞がるバンシーをどうにかしないといけない。


「お嬢様、私の後ろに」


「アリザ……」


 ミファエルを下ろし、アリザは自身の背に庇う。


 これは、ミファエルは知らない。それどころか、オーウェンも屋敷の人間も知らない事だ。


 スカートの腰の辺りに手をやり、ボタンを外す。


 スカートに穴が開き、そこに手を入れる。


「んん~? なーにしてんの、かにゃ!!」


 素早く、バンシーは詰め寄る。


 振るわれる凶刃。


 しかし、響くのは肉を切る音ではなく、金属同士がぶつかり合う音だった。


「――っ!! へぇー、面白いねぇ!!」


 たんっ、と踏み込む音。


 バンシーは即座に退避を選ぶ。先程までバンシーの顎のあった位置を、鋼の拳・・・が風を切って通り過ぎる。


「お嬢様に近付く不埒な輩は、専属侍女である私が沈めます」


 いつの間にか、アリザの腕には鈍色に光を反射する鋼鉄の籠手ガントレットが装着されていた。


 見辛いけれど、ロングスカートの裾に深くスリットが入っている。


 アリザは太腿に折り畳み式の籠手ガントレットを仕込んでおり、スカートにあった穴はガントレットを装着しやすくするための工夫。スリットは、ガントレットを取り出しやすくするための工夫である。


 こんな要素、普通のメイド服には無いものだ。


「隠し武器とか、お前暗殺者かー?」


「メイドですよ。ごく普通の」


 油断なく、構えを取る。


 アリザのもっとも得意とする戦闘は無手。しかし、月影のような達人の域には程遠い。素手でナイフ相手に捌ける自信は皆無だ。


 そのための折り畳み式のガントレットだ。


 軽量かつ折り畳み式なので普段から太腿に装着できる。


「メイドがそんな仕組みギミックの服着るかよー!!」


 笑いながら、バンシーは肉薄する。


 アリザの目的は耐久。そして、ミファエルを殺させない事。


 つまり、自ら攻め入る必要は無い。


 繰り出されるナイフの連撃を、アリザは拳で対処する。


 たった一月だったけれど、それでも指南・・して貰えた事が効いている。


 アリザは、戦えている。


「意外に動けるねぇーメイドー!!」


 けれど、そう長くは持たない。


 バンシーは本気を出していない。そして、相手は格下であるアリザだ。この戦いにおいて緊張感というものをバンシーは持ち合わせていない。


 対して、アリザは自身の戦闘不能が即ミファエルの死に直結する。一撃一撃に注意を払わなければいけない上に、背後のミファエルにも警戒を割かなければいけない。


 圧倒的不利な状況。


「どーしたどーしたー!? 護ってばっかじゃ、アタシは殺せないよー!?」


 鋭く切り込んでくるバンシー。


 その攻撃を、アリザはなんとかしのいでいる。それも、そう長くは続かないだろう。


 アリザの籠手ガントレットは折り畳みと軽量に要点を置いて、無理を言って早急に作らせた物。つまりは、まだまだ試作段階の代物だ。


 何回か使用したが、手入れも毎日している。腕のある鍛冶師に任せた代物だ。そう簡単に壊れるとは思っていない。


 けれど、どうしたって耐久度は通常の籠手ガントレットには劣る。更に言えば、アリザは達人ではない。相手の攻撃を凌ぐ事は出来ても、最小限にいなす事は出来ない。


 ただ受けるだけ。いずれ壊れる。


 ただ護るだけなら、ジリ貧になるのは確実。


『耐久というのはそれだけで疲れる。身体もそうだが、主に心が。何せ、ずっと攻撃に晒される訳だからな』


 鋭く喉元を狙うナイフを、アリザは手の甲で弾く。


『相手は殺しの達人だ。耐久戦になれば、お前の方が不利になる。身体はともかく、精神を鍛えていないお前には難しい』


 素早く繰り出される突きを、下から上手く相手の手に掌底を当てて逸らす。


『だから、虚勢でも良い。戦う意思を見せろ。死んでも一矢報いると思わせる気迫を見せろ。相手に、躊躇わせろ』


 再度繰り出されるナイフを手の甲で弾き、一歩踏み出す。


「――っ!!」


「ッ――!!」


 鋭く拳を繰り出す。


 狙うは顎。脳を揺らせば、それだけ相手の攻撃は鈍る。


 バックステップで距離を取ろうとするバンシー。


 けれど、拳は既に顎を捉えている。


 このまま、振り抜けば――!!


 拳の勢いに乗せられ、バンシーの口が開く。


「ァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


「――ぁっ!?」


 唐突に身体を貫く衝撃。


 壁にひびが入り、ガラスが割れる。


 視界がぐらつく。急に音が聞こえなくなった。身体に力が入らない。


「あっぶなー……良いの貰うところだったよー」


 バンシーの少女のような声が一変、少し粗のある乾いた声になっていた。


「まっさか、祝福ギフトを使う事になるなんて思わなかったなー。メイドぉ、けっこうやるぅ! って、聞こえてないかぁ!」


 耳に手を当てながら、アリザはふらつく足で地面に立つ。


「ごっめーん。鼓膜破っちゃったぁ」


 けははっと楽しそうに笑うバンシー。


「あ、アリザ……!!」


 背後に居たミファエルにはそこまでのダメージが無いのか、壁に手を付きながらも立つ事が出来ている。


 ミファエルの案じる声も、アリザには届いていない。


 足がふらつく。膝が笑っている。平均間隔は鈍くなり、視界はぐらつく一方。


 耳だけではなく、身体中に痛みが走る。


 鼓膜が破れているであろう事は、消失した音と首を伝う血、熱を持つ耳の奥が教えてくれる。


 だからこそ、一歩を踏み込む。


 耳に当てていた手を離し、拳を握り締める。


「安心、してくだいっ……お嬢様……っ」


 ぐらつく視界で、アリザはバンシーを捉える。


「御守しますっ……この、命に代えても……!!」


 満身創痍ながらも立ち塞がるアリザに、バンシーは凶悪な笑みを濃くした。

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