第21話 三十分 1

 騒がしい鐘が鳴ったのは、月影達の居る街だけではない。


 ミファエルの住む街でも、魔物の氾濫を知らせる鐘の音が鳴り響く。


「――っ。アリザ!」


「大丈夫です、お嬢様。アリザが付いています」


「僭越ながら、私も付いております」


 この鐘の音の意味をミファエルも知っている。


 魔物の氾濫を知らせるこの鐘を、ミファエルは一度聞いた事がある。


 幼い頃、此処とは違う場所で。


「お嬢様……」


 アリザにしがみつき、がたがたと震えるミファエル。


 アリザは震えるミファエルを抱きしめる。


「大丈夫ですよ。お嬢様は私が御守します」


「…………うんっ」


 私もいますよ。とは空気を読んで言わないオーウェン。


「しかし、魔物の氾濫ですか……公爵領は魔物の数が少ないはずですが……もしや……」


「異常繁殖か、あるいは・・・・というところでしょう。オーウェン、魔物との戦闘経験は?」


「ありますよ。勿論、対人も済ませて・・・・あります」


「非常に頼もしいです。有事の際、私がお嬢様を抱えます。オーウェンは道を切り開いてください」


「分かりました」


 アリザの指示に頷き、オーウェンは窓の外へと視線を向ける。


 もうすでに戦闘は始まっている。だが、外壁が高くて戦闘の様子は伺えない。


「誰か、状況を知らせてください! 魔物の規模と種類を!」


「分かりました」


 廊下で護衛をしていた内の一人が外壁へと走る。


 公爵の屋敷に直接伝令は来ないだろう。来るとすれば、この街を守護する騎士団長の元になるだろう。公爵が不在な今、此処に護衛は来ても伝令が来る事は無い。


 状況を知りたいなら、自分から動いた方が良い。


 ひとまず、出来る事はした。後は、気掛かりを無くす。


「アリザさん、先程の言葉の意味は何でしょう? 私の思い違いでなければ、あの事を危惧しているのかと思われますが……」


 オーウェンの言葉に、アリザは苦い顔をしながら応える。


「恐らくは、同じ想像をしているはずです」


「やはり……」


 そうなると、かなり厄介だ。オーウェン一人でどうにか出来る限度を超えている。


「百鬼夜行、ですか……」


 オーウェンの言葉に、アリザはこくりと頷く。


 百鬼夜行。そう呼称されるのは、一人に対してだ。


 百の魔物を操る殺し屋。それが、百鬼夜行。


 百鬼夜行の手口は魔物の軍勢を使っての数による蹂躙だ。どうやって魔物の軍勢を生み出しているのかは不明であり、またその名前の由来も不明だ。


 ただ、誰かが言ったのだ。百の魔物を操り、軍勢を操ると。


 公爵領のように魔物が少ない地域で魔物の氾濫が起こる事はそうある事ではない。それが起こったという事は、百鬼夜行が動いたと警戒をしてしかるべきだ。


「逃げますか?」


「最悪は……」


「――っ! だ、駄目よアリザ! 市民を置いて逃げられないわ!」


 アリザの言葉に強く反応をするミファエル。


 その手は、声は震えているのに、目だけはしっかりと意志が宿っていた。


 思わず、オーウェンは息を呑む。


 どうやら、ただの我が儘お嬢様という訳では無いらしい。


「大丈夫ですよ、お嬢様。逃げるのは本当に最悪の事態に陥ってからです。アリアステル家の騎士団は優秀です。魔物の氾濫など、直ぐにでも退治しますよ」


 にこりと、ミファエルを安堵させるようにアリザは笑みを見せる。


 此処で自分が恐れを見せてはいけない。ミファエルを護るのが、自分の役目なのだから。


「そーそー! 魔物の氾濫なんて怖くなーい怖くなーい!」


「――ッ!!」


 明るく陽気な第三者の声。


 即座に、オーウェンは抜刀する。


「おわっ! 危なっ!」


 抜刀と同時に斬りかかったオーウェンの攻撃を、闖入者はするりと避ける。リアクションの割に、その動きは素早く、オーウェンの攻撃を明らかに見切って回避をしていた。


「アリザさん、お嬢様を!!」


「ええ!」


 オーウェンは即座に二人を庇うように立ち、アリザはミファエルを抱きかかえる。


「貴様、何者だ」


 静かに、けれど、確かに圧のある声音で誰何すいかする。


 目の前に立つのは幼さの残る少女。くすんだ赤髪をツインテールでくくり、両手に持つのは大振りのナイフ。


 こんな少女、この屋敷の中では見た事が無い。


 明らかに敵。それこそ、誰何すらいらない程の。


 隙が無い……!


 誰何は時間稼ぎ。相手の情報を少しでも頭に叩きこむための観察の時間を作るためだ。


「くししっ! あんたアタシの事知りたいのー? もうっ、知りたがりさんっ」


 いやん、アタシ恥ずかしーと身体をくねらせる少女。


 ふざけた態度の少女を、オーウェンは冷静に現状を把握する。


 扉は少女の背後。窓はあるけれど、此処は三階だ。少女一人を連れて逃げるのは難しいだろう。


 つまりは、この少女を倒して避難をする必要がある。


 それだけなら出来なくも無いはずだ。光明を見出したところで、扉から大柄な男が頭をかがめて入って来る。


「――ッ!」


 新手の登場に、オーウェンの背中に冷や汗が流れる。


「バンシー、殺す時は静かにやれ」


「はー? うっせ! 最終的に殺せばいーでしょー?」


 目の前の少女もそうだけれど、後から入って来た男は強い。恐らくは、自分よりも。


 扉から入って来たという事は、恐らく他の騎士は殺されているだろう。


 今ミファエルを護れるのは自分しかいない。けれど、護りきる事はきっと出来ないだろう。


「すみません、後で給料から天引きしておいてください」


 オーウェンは即座に答えを出す。


「来たれ風、汝は切り裂く者なり――エア・スラッシュ!!」


 オーウェンは壁に魔法を放つ。


 風の刃が壁を切り裂き、人一人が通れるくらいの大きさの穴を作る。


「そこから逃げてください!! この二人は私が相手をします!!」


 それでも、十分持つかも怪しい。


「三十分持たせてください!! それだけで十分です!!」


 言いながら、アリザは即座に穴を通って移動をする。


「アハッ! 追いかけっこー?」


「バンシー、行け」


「りょうかーい!」


「行かせない!!」


 即座に、オーウェンは斬りかかる。


 狙いは赤毛の少女――バンシーだ。


 が、大柄の男が素早くバンシーの前へと回り込み、背負った大剣を引き抜いてオーウェンの剣を防ぐ。


「くっ――!!」


「ばっいばーい! 後お願いね、ロック!」


「ああ」


 大柄の男――ロックがオーウェンを食い止めている間に、バンシーは部屋から出て行く。


「待て!!」


 目の前の男もそうだけれど、バンシーも相当の実力者だ。何せ、バンシーが声を発するまでオーウェンは接近に気付かなかったのだから。あのまま無言で攻撃をされていれば、恐らく気付くのは身体にナイフが当たる直前だっただろう。


 行かせてはならない。アリザでは、バンシーには勝てない。


「来たれ風、汝は切り裂く者なり――エア・スラッシュ!!」


 迷わず、ロックに風魔法を放つ。


 壁を簡単に切り裂いた魔法だ。勿論、殺傷能力も高い。


 それを、至近距離で放つ。


 確殺の一撃。そのはずだった。


「――ッ!?」


 風の刃は、確実にロックに命中した。そのはずなのに、ロックの身体が切り裂かれるどころか、ロックの身体には傷一つ付いていなかった。


 魔法を使った痕跡は無い。


祝福ギフトか!!」


「その通り。俺の身体は龍の鱗のように硬い。ゆえに、生半なまなかな攻撃は無意味と知れ」


 ロックが大剣を振るう。


 頑強、ゆえに強靭。


 室内で大剣を振り回すのは難しい。中途半端に振れば、剣が壁に突き刺さってしまうからだ。


 しかし、ロックは構うことなく剣を振る。


 壁を抉り、天井を壊し、家具を破壊する。


「くっ……!!」


 ロックの猛攻を、オーウェンは必死に避ける。


 一撃でも直撃してしまえば、オーウェンの剣は折られ、その斬撃をもろに身体に食らってしまうだろう。


 それほどまでにロックの斬撃は豪快で、力強かった。


 格上相手に戦った事はある。けれど、ロックは格が上過ぎる。


 隙を見て攻撃を仕掛けても、ロックの身体に剣は通らない。


「汝は炎、全てを焼き尽くす者なり――ファイア・ボール!!」


 斬撃が通らないのであれば、それ以外の方法でダメージを与える。


「熱なら……!!」


「無意味だ」


「――っ!!」


 火傷では済まない炎を受けてもなお、ロックの身に変化は無い。


「化物め……ッ!!」


「褒め言葉だ」


 ロックは迷う事無く大剣を振るう。


 今の攻防でおよそ二分。


 アリザの提示した時間まで、後二十八分。


「これは……中々に無理難題だ……!!」


 言いながら、オーウェンは剣を構える。


 無理難題と分かっていても、諦めるつもりは無い。


 諦めてしまったら、それこそ騎士の名折れだから。

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