第50話 二重に歩く者、騒ぎを見守る 1
ミファエルはスゥを連れて食堂に向かった。
食堂に入った途端、針の
「……っ」
噂は科の垣根を超えて広がっているようで、貴族平民関わらずミファエルに視線が向けられる。
この視線の中、優雅に食事が出来る程ミファエルの精神は強くは無い。
ミファエルが踵を返そうとしたその時、前から数人の生徒がミファエルの元へとやって来た。
「やあ、アリアステルさん。ちょっと、お話しよろしいかな?」
声をかけてきたのは同じ執政科の生徒。しかし、学年はミファエルよりも上の生徒。
立場的には公爵令嬢の娘であるミファエルの方が上である。けれど、年上を無下にする事も憚られる上に、後輩として先輩の顔は立てるべきだ。
が、それは相手がミファエルを害する気が無い時の場合に限る。
それが分からない程、ミファエルは愚かでは無い。
「すみません。体調が優れないので、また改めてお願いいたします」
ミファエルがそう言って踵を返そうとすると、少年はミファエルの手を取ってその動きを止める。
「時間は取らせないよ。何、アリアステルさんが正否をしっかりと告げてくれれば良いだけの話なのだから」
「いえ、ですから……」
「貴女が不貞の子というのは本当の事かな? それの正否だけを教えてくれれば良いのだよ」
ミファエルの言葉に被せるように、この食堂に聞こえるような声量で少年は言い放った。
貴族にしてはあまりに不誠実なその行いに、しかし咎める者はいない。
貴族は基本的には貴さを重視する。青い血が流れている事が貴族としての絶対条件。一滴でも下民の血が流れていようものなら、その者は最早貴族では無い。
だから、貴族では無いかもしれない者、貴族では無い者への対応は酷く冷たい。
彼等にとっては簡単な話なのだ。この場で正否を告げれば良いだけの、簡単な話。
此処で誤解だと分かれば大手を振るってそれを喜び、下衆な噂を流した者に共にお灸をすえてやろうと肩を組む。
逆に噂が本当であればこの場で糾弾すれば良い。ミファエルを生き恥だと罵ってやれば良い。
義は彼等に在り、不貞を働いた公爵は誰がどう見ても悪者なのだから。
公爵の地位を脅かす事が出来るのであれば、それを利用する。どちらに転んでも、彼等には利しかない。
「さぁ、どうなのかな?」
「わ、私は……」
言い淀むミファエルから視線を外し、ミファエルの背後に立つスゥを見やる。
「君。君は噂について何か知っているかい?」
いかにも優し気な声音で問う。けれど、そこには獲物を狙う肉食獣のような獰猛さが隠れている。
水を向けられたスゥは特に取り乱す事も無く、淡々と答える。
「私の口からは何も言えません」
スゥはたったそれだけを言った。
否定も肯定もしない答え。けれど、それだけで十分なのだ。
やましい事が無いのであれば違うと答えれば良いだけなのだ。何も言えないという事はつまり、隠された何かがあると言っているようなものなのだから。
スゥの言葉を聞いて、神妙な面持ちをする執政科の生徒達。
「そうか……はっきりとしない態度といい、君の従者の言葉といい……つまりは、そう言う事だったんだね」
瞳に宿る敵意。
彼等の中では、もうすでにミファエルは不貞の子という認定になっていた。
「君のような半端な血の者は我が校には必要無いだろう。即刻、退学したまえ」
「ちょっとお待ちなさいな」
貴族派の生徒達が勢いを増そうとしたその時、ミファエルを庇うように一人の女子生徒が執政科の生徒達に立ちはだかる。
彼女の名はナタリー・コナリー。伯爵令嬢であり、ミファエルの事を可愛がってくれている先輩だ。同じ執政科の生徒でもある。
美しい金の髪にボリューミーな縦ロールとちょっときつめな目元が特徴な少女である。
「なんだね、コナリー」
「なんだね、ではありませんわ。不貞の子だのなんだの、ああ馬鹿らしい」
「なんだと?」
心底から呆れたように吐き捨てるナタリー。
「血がどうとか、本当に馬鹿らしいと言ったのですわ」
「それは、我がベイングローリー家を愚弄する発言と取ってよろしいか、ナタリー・コナリー」
「愚弄しているのは貴方達個人ですわ。かのベイングローリー家ともあろうものが、随分とまあ目が曇っている事ですわね」
ナタリーの発言に、執政科の少年――タルケン・ベイングローリーは額に青筋を浮かべる。
また、ナタリーの事を良く思っていないのは他の執政科の生徒も同じである。
「はっ、そう言えばコナリー家も成り上がり貴族だったな。下民の肩を持つのも頷ける」
「それとこれとは関係ありませんわ。私はミファエルだから肩を持つのですわ」
「同じ事だ。何せ、同じ穴の貉なのだからな」
「はぁ……賢いのはベイングローリー侯だけですわね。跡取りがこんなに視野狭窄では先が思いやられますわ」
「なっ……! 言わせておけば成り上がり貴族風情が!!」
「成り上がりでも貴族は貴族ですわ!! その貴さも、使命も、貴方よりは十分に理解してるつもりですわ!!」
食堂のど真ん中で激しい言い争いが勃発する。
そんな言い争いをドッペルゲンガー達は離れたところからご飯を食べながら様子を見ていた。
「御貴族様怖ぇ……」
「そうですねぇ」
「あれ、カゲちゃんの事他の人と勘違いしてた人じゃなーい?」
「あー、確かに。あの美貌、忘れんよ、ウチは」
「やれやれ、問題ばっかりだな。これだから貴族は面倒くさい」
はぁと深い溜息を吐きながら、パンを食べるアイザック。
何故か、アイザックは貴族専用の二階ではなく、ドッペルゲンガー達と同じく一階で食べている。しかも、同じテーブルで。
最初はどうなのかと思ったけれど、最早慣れたもので皆気にした様子は無い。唯一、ドッペルゲンガーだけは気にしているけれど。
ドッペルゲンガーが入学試験で目立ったのは、貴族に目を付けられやすくするためでもある。
目立ったドッペルゲンガーを貴族が気に入り、ドッペルゲンガーが少なからず注目を浴びる。そして注目を浴びれば、自然と人目を集める事になる。
そうすれば、ミファエルが声を掛ける切っ掛けにもなる。表立ってミファエルと繋がりを得るために、自然な流れを作りたかった。
その意図もあって少し目だってみたのだけれど……結果はアイザックが釣れてしまったり、ミファエルがルーナと誤認して声を掛けて来たりと少しドッペルゲンガーの予想とは違う形になった。
釣れるにはあまりにも大物だし、扱いに困るのでどうにかしたいと思っている今日この頃。
学内に青い血を尊ぶ貴族派と、その者の実力を尊ぶ平等派の二つの派閥がある事は知っていた。それでいて、レイラットが貴族派である事も把握していた。
十中八九噂の出所はレイラットだろう。レイラットを含めたミファエルの兄姉は、侍女の子であるミファエルを快く思っていないと、アリザが言っていた。
例え父親の咎が明らかになろうとも、此処で排除したいと思うのは当然と言えるだろう。
何せ、この場にはミファエルを庇護する者が誰一人としていないのだから。
一番良い舞台に、ミファエルが飛び込んできたという形になるだろう。
「御嬢様! 大丈夫ですか?」
騒ぎを聞きつけたのか、オーウェンが焦りを見せた表情で現れ、ミファエルの元へと駆け付ける。
「スゥ、これは一体どういうことですか?」
「御嬢様が不貞の子であると、そういう噂が流れています」
「なっ、誰がそんな馬鹿げた事を!」
簡潔過ぎるスゥの説明にも関わらず、即座に事態を把握して見せたオーウェン。
しかし、犯人捜しをしている場合ではない。真っ青を通り越して白色までなってしまっているミファエルの顔色。直ぐにでも休ませる必要がある。
が、それを許してはくれない。既に大勢の貴族派の生徒達に囲まれ、この場で事態をおさめなければ収集が付かない程までに規模が膨れ上がっている。
教師が駆けつけてくる様子も無い。
ミファエルの味方はオーウェンとナタリーのみ。
「はぁ……面倒だがなぁ。うるさくてかなわん。ちょっと行ってくる」
「頑張ってくだせぇ、殿下」
「「殿下、ふぁいとぉ!!」」
アイザックにエールを送るシーザーと双子。
アイザックは適当に手を振って、渦中へと向かった。
さて、
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