第61話 一歩ずつ

 今回の代理決闘により、ミファエルは一目を置かれるようになった……訳では無い。依然、貴族派の生徒がミファエルを見る目は変わらないし、タルケン達も絡んでくる事は無くなっただけでミファエルを良くは思っていない。


 以前より遠巻きに見られるようになった。ただそれだけの事だった。


 しかし、ミファエルの態度は毅然としていた。


 代理決闘を経て過度な自信を持ったという訳でもなく、自身の騎士を誇示する訳でも無い。


 ただ、少し動じなくなった。というくらいだ。


 代理決闘の後。疲れが溜まっていたのか、気絶するように眠り込んだオーウェンは二日後にようやっと目を覚ました。


 疲れが取れたのかすっきりした顔色をしたオーウェンと、自身の侍女であるスゥを交えてミファエルはお茶会を開いた。


 と言っても、二人ともミファエルの従者という扱い。従者が主人と同席をするわけにもいかず、結果的に一人でお茶を飲む羽目になる……と、思いきや、対面にはナナリーが座っていてくれた。


 ナナリーは何も言わず、ただお茶会という体をなすためにそこに座ってくれていた。


 その事をありがたいと思いながら、ミファエルは話しを始めた。


「遅くなりましたが、ありがとうございます、オーウェン。私のために、戦ってくれて」


「騎士として当然の事をしたまでです」


「それでも、ありがとうございます。……思えば、あの時の事も、私はお礼を言っていませんね……」


 あの時とは、公爵邸が襲撃された時の事だろう。


「それも騎士として当然の事です。御嬢様がお気になさる事はありません」


「私のために命を懸けてくれたのです。気にしないと言う方が無理な話です」


 少しだけ怒ったように眉を顰めるミファエル。


 どうして、ルーナ忍びといいオーウェン騎士といい、澄ました顔で答えるのだろうか。少しは自分の身も鑑みて欲しい。


 しかし、怒ってはいけない。今日は怒るために二人を呼んだのではないのだから。


「……学院に来て、頑張ると決めましたが……私は、自分が見たいものしか見えていなかったのですね。決闘の時に気付きました。私、ルーナの事も知らなければ、オーウェンやスゥの事を、なに一つだって知っていないのです……」


 申し訳なさそうに、ミファエルは言う。


「だから、答えられませんでした。ベイングローリーさんにオーウェンが何故一人前の騎士に勝てたのかと問われた時に、私は何も言えなかったのです……」


「それは……致し方の無い事でしょう。私もあの者も、何も言わずに……待ってください。あの者は御嬢様にも何も言っていないのですか?」


「はい……」


「それはあの者の責任です。情報の共有をしなかったあの者を咎めるべきかと」


 むっと怒ったように言うオーウェン。オーウェンが此処まで感情を出すのは珍しいと思いながらも、ミファエルはふるふると首を振る。


「いえ。聞こうと思えば、私は聞ける立場でした。だって、主ですから」


 聞こうとしなかったのは、自分の事で手一杯だったから。知ろうとしなかったのは、ルーナであれば大丈夫だと思っていたから。


 つまる所、オーウェンを見ていなかったのだ。


「私は、まだ貴方達と向き合っていなかったのです……それに、ようやく気付きました」


 恐らく、怖かったのだ。頼れる者がいなくて。


 この学院にルーナが居ると分かって・・・・、弱い心はそちらにどんどん傾いてしまっていた。


 まだ、護られる側で居たのだ。


 だから、護ってくれる者を頼った。護ってくれる者以外に意識が向かなかった。


 それはルーナであり、ナナリーであった。


 二人は、自分の守護者と先輩。どちらも、自分を護ってくれた。


「誰もが誰かに愛される世界、か……護って貰っている私が言ったら、ただの我が儘になってしまいますね……」


 自虐的にミファエルは笑う。


 そんな事は無いと、言うのは簡単だ。騎士として同調すれば良いだけの事なのだから。


 しかし、そんな甘い言葉は今のミファエルには必要ではない。甘い言葉を言うだけであれば、オーウェンである必要は何一つだって無いのだから。


「……私、まだこの学院に来た理由が分かりません。自分が何をすれば良いのか、自分に何が足りないのか……問題点、解消方法、その全部、まだまだ分からないのです」


「それは私も同じです。見えた事も在れば、見えない事もまた在ります」


「強くなったオーウェンでも、そう思うのですね……」


「上を見ましたから。今は追い付こうと必死です」


 まだまだ強くなれる。そして、強くなった暁にはルーナをぶっ飛ばす。


「少し、安心です。私だけでは無いのですね……」


「皆、同じような悩みを抱えていますわ。私だって同じですもの」


 付け足すように、ナナリーが笑みを浮かべて言う。


 基本的には無口に徹しようと思ったのだけれど、こればかりは年長者の助言が必要だと思ったからだ。


「そう、なのですね……」


 ナナリーの言葉に、ミファエルは安堵したように肩の力を抜く。


 ミファエルに必要なのは教導者ではない。切磋琢磨しあえる仲間と他人を知ろうと思う心なのだ。


 ただの役割としてではなく、一人の人間と付き合っていかなくてはいけない。それは、相手を思う上で一番大事な事なのだから。


 まだ実家を離れて少し。甘えていた心があったとしても、無理は無い。


 けれど、それは今日までにしよう。確かに、まだアリザは恋しい。自分の一番の理解者がいない事はとても寂しい。


 それはきっと、自分がアリザ以外を見ていないからだ。


 視野を広げてみれば、こんなにも自分は恵まれている。


 無口な侍女。


 優しい先輩。


 心強い騎士。


 何を考えているか分からない、私の守護者。


 もう、十分果報者ではないか。


 何も怖くない……というのは嘘になるけれど、少し安心している自分は確かにいる。


 身近な人から、こつこつと。良好な関係を築けていければいいと思う。


「ねぇ、オーウェン。貴方は何が好きなのですか?」


「好きなもの、ですか? そうですね、鍛錬や勉学は自分のためになりますので、好んでしています。後は、これでも劇を見るのが好きです」


「まぁ、そうなのですね!」


「でしたら、王都に素敵な劇場がございましてよ? 今度、私が案内いたしますわ」


「それは光栄です、コナリー様」


「きっと、貴女も気に入りますわ、ミファエル」


「はい。楽しみにしていますね」


 密談は終わり、歓談に移行する。


 一名程、その歓談についていけていない者も居るけれど、それは今すぐにどうにかなる事でも無い。


 緩やかにその凍り切った心を氷解していくしか無かろう。


 そう。焦る事など何一つ無いのだ。


 ゆっくりゆっくり、自分の速度で頑張れば良い。


 ただ、逃げるのも、甘えるのももう終わり。休みはするけど、進み続けよう。


 そう決めたのだ。


「劇、楽しみね、オーウェン」


「そうですね。異国の剣士の話らしいですが……御嬢様は活劇よりもラブロマンスの方が好みなのでは?」


「ふふっ、合う合わないは見てからのお楽しみですね。そこも踏まえて劇の楽しみ方だと、ナナリー様は言っておられましたから」


「それもそうですね」


 食堂の二階席で、二人は談笑をする。


 そこにスゥの姿が無い事をとやかくは言わない。その理由を、ミファエルはオーウェンから聞き及んでいたから。


 オーウェンは席に着く事は無く、対面は空いているけれど、そこに一人の人物がやってくる。


「あ、あの……っ」


 気の弱そうな、けれど、上品な仕草の少女。


「あ、アリアステル様。あ、相席させていただいても、よろしいですか?」


 おずおずと、しかし、確かにミファエルに向けられる視線。


 心の奥から込み上げる感情の意味を、ミファエルは正確に理解する。


「はい、喜んで!」


 小さな一歩。けれど、一歩ずつ、こつこつと。


 まずは、彼女と言葉を交わそう。


 次は、誰と言葉を交わそう。


 ミファエルは鮮やかな笑みを浮かべる。


 ああ、きっと。誰もがこういう日々を送れることを、自分は望んでいるのだろう。


 自分の目指す先が、少しだけ鮮明になったと感じた。





 これは余談。蛇足とも言える。


 ミファエルが知らなくても良い事。つまり、影の部分になる。


 代理決闘の後、当りに当たり散らしたタルケン・ベイングローリーは不機嫌なまま自室に入り込むや否や、乱暴に自身の椅子に座る。


「クソッ!! マルコスめ……ッ、アリアステルめ……ッ!! よくもこの私に恥をかかせてくれたな……ッ!!」


 怒りの対象は自分を負かした上に何も要求をして来なかったミファエルと騎士の癖に子供に負けた騎士擬きのマルコス。


「ふざけるなよ……!! このまま終わらせてたまるものか……ッ!! 不貞の子である事は違いないのだ……ッ!! このまま野放しにするなど言語道断ッ!! いずれまた粛正して…………!?」


 怨み言をつらつらと並べるタルケンは、急激に部屋が暗くなった事に違和感を覚えて俯かせていた顔を上げる。


「なっ!? どういう事だ!! 設備のこしょ――」


「動くな」


 自身の従者を呼ぼうとした直後、背後から声が発せられる。


 男とも女ともつかない、謎の声。


「声を出すな」


「……っ!? ……っ!?」


 声を出すなと言われても、どうしてだか声が出ない。


 寒くも無いのに背筋が凍り、手足はみっともないくらいに震えている。


「二度と余計な事をするな。私が言いたい事はそれだけだ」


 直後、背後から感じる圧力が上がる。


 冷や汗が体中から流れ、体中が震え上がる。


 そんなタルケンの前に、一枚の紙が置かれる。


 その紙は確かにタルケンが処分したものだった。


 タルケンが愛しい人に宛てた一編の詩ポエム。ルーナには分からなかったけれど、影女がこれが一番相手に打撃を与えられると言っていたので、試しにこれを置いてみた。


 青春が暴走して書かれた思いの丈の込められた一編の詩ポエムは、翌日まで寝かせて自分でも無いなと思ったとても恥ずかしい逸品。


 これを世にばら撒かれでもしたら恥ずかしくて外も歩けない。


「私は、痛いところをいつでも突ける。努々ゆめゆめ、忘れるな」


 そんな脅し文句を残して、圧は消えていった。


 呼吸を忘れていた身体が、激しく呼吸し肺に息を送り込む。


「あ、悪魔め……ッ!!」


 タルケンの言葉が聞こえてきていた影女は、違いないと、そう思った。

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