第三章 斎火の王

第62話 蠢動

 扉が開く。


 一つ、大きな扉。


 人一人通るには大きすぎて、龍一体通るにもやはり大きな扉。巨人でさえ、頭をぶつける事は無いだろう。


 大きな、大きな扉。


 決して空いてはいけない、災厄の扉。


 扉は何処へ繋がっているのやら。空いたそばから、わらわらと何かが出てくる。


 無数の、おびただしい数の蟲。


 蟲は手あたり次第に食い歩く。


 木を、草を、岩を、家を、人を、魔物を、文明を。


 食らう、食らう、食らう。


 見境なく、際限なく、食い歩く。


 ついには国一つ無くなって、世界そのものが無くなって。


 食らいつくした先には何も残らない。結局一つの世界が終わるだけ。蟲も最後は自分を食べて、食らい尽くしてはいお終い。


 そうして、世界は一つ消えた。これは、それだけの御話。



 〇 〇 〇



「ふぅ……疲れました」


 自室の椅子に座って、ふぅと一つ溜息を吐くのは公爵令嬢ミファエル・アリアステル。


 酷く疲れた様子なのは、先日の一件だ。


 と言っても、代理決闘の件では無い。では、いったい何の件か。


「戻ったか」


「ええ、はい。戻りました」


 聞こえて来た声にむすっとした様子で答えるミファエル。


 姿の見えない相手との会話にも慣れたものだった。


 先程まで、学院の最高責任者……つまり、学院長に呼び出されていたのだ。


 理由は、我らが頼れる忍び、ルーナについてだった。


 食堂で聞こえた声、闘技場で見た靄の腕。それらの真偽、及び、ルーナという存在について質問……というより、詰問をされた。


 学院長だけではなく、御偉方の先生や、謎の専門家先生等々、大人に囲まれてもう大変だった。大人と言えばアリザくらいとしか接して来ていなかった分、大勢の大人に囲まれる心労は思っていた以上だった。いや、思っていた以上に人が来ていたのも理由だけれど。


 しかして、ミファエルにとって都合が良かったのはアイザックがその場に居た事だ。


 気心が知れた訳では無いけれど、顔見知りが居ると少しだけ落ち着ける。


 が、アイザックの役目は真偽眼によるミファエルの発言に真偽の判断。つまるところ、学院長等と同じ立場なのだけれど、そんな事知るよしも無いミファエルにとっては唯一の心の拠り所でもあった。


「言われた通りに出来たか?」


「ええ、それは勿論。……と言っても、はいかいいえしか言っていませんけれど」


 問われたのはルーナは何者か、何処の人間か、どんな力を持っているのか、本当に学院に侵入しているのか、と言った内容だった。


 その全てに、ミファエルは簡単に返事をしたのみ。


 問1 ルーナは何者か。


「私の護衛です」


 問2 何処の誰か。


「私にも分かりません」


 問3 どんな力を持っているか。


「分かりません」


 問4 本当に学院に侵入しているのか。


「分かりません」


 にこにこ、可愛らしく、少女らしく、無邪気にミファエルは答えた。


 本当はもっと聞かれたけれど、子細は省く。


 結果的にミファエルの返答の仕方で正解だった。事細かに返せば疲れる。疲れたら返答も雑になる。そうすれば、ぼろが出る。


 それに、真偽眼を持ったアイザックがいたのだ。事細かに話せばその分真偽を見破られる。


 情報を与えるにしても、一言知っている知らないと答えた方が与える情報は少ない。


 そもそも、言葉通りミファエルはルーナの事を殆ど知らない。なので、どんな質問にも答えようが無い。


 それが、ちょっとだけ気に食わない。


 最近のミファエルは、オーウェンやナナリーだけではなく、他の生徒にも歩み寄ろうとしている。


 生徒達は最初は戸惑いながらも、ミファエルと話していく内に段々と心を開いてくれている様子だった。


 しかして、そういう者は大抵が下級貴族。高位の貴族になるにつれて、ミファエルへの反応は冷ややかなものだった。


 めげない、しょげない、諦めない。


 そんな気持ちで、ミファエルは日々奮闘中だ。


 が、明確に二人だけ何も話してくれない者が居る。


 それがスゥとルーナだ。


 スゥは、何故だか素っ気ない。


 ルーナは、隠し事が多い。


 スゥのミファエルに対する距離感の理由はなんとなく分かっている。そんなに直ぐに解決できる問題では無い事も承知している。


 けれど、ルーナは違う。ルーナはただの秘密主義者だ。ちょっとは心を開いて欲しいとミファエルは思う訳である。


「ルーナ。聞きたい事があるのですが」


「なんだ?」


「ルーナの好きな食べ物は何ですか?」


「特に無い」


「では、ルーナの趣味は?」


「特に無い」


「ではでは、ルーナの特技は?」


「戦闘だ」


「むぅ、それは知っています。そう言う事では無くて……」


 もっと、私生活的な情報が知りたいのだ。


「……主が、人との距離を詰めようとしているのは把握している。それは、主の将来を考えれば良い事だと、私は思う」


「な、なんですか、急に……」


 ルーナに褒められて、ミファエルは照れ臭そうに顔を赤らめる。


「だが、私と距離を詰める必要は無い。私とは事務的な会話で構わない」


「むぅ……!」


 ルーナの言葉に、ミファエルは思わずむむっと頬を膨らませる。


「ルーナは、少しだけ私に心を開いてくれても良いと思うの……」


 だって、ミファエルは仲良くなりたいと思っているのに、ルーナは近付いて来てはくれないのだもの。


 それは、とても不満だ。凄く凄く、不満なのだ。


「心を開くのは、彼等だけで十分だ」


 ルーナの仕事は心を鬼にする事だ。どんな手を使ってでも主を護りきるために。


「私は不十分! ルーナは私の守護者? なのでしょう? だったら、もう少しくらいお話ししてくれたって良いと思うの」


「それは私の役目ではない。仲良しこよしは、他の者とやる事だ」


「むぅ! あらそう! ルーナは私の事に興味の一つも無いのね!」


 興味は有る。けれど、それはミファエルの言う興味とはまた違うものだと、ほんのりとルーナは理解している。


「興味関心なら、他の者が持ってくれよう。今日は休むと良い。言葉遣いが緩む程疲れたのだろうからな」


「え、あっ……」


 ルーナに指摘されて初めて気付いた。


 学院に居る間は敬語を徹底すると決めていたのだけれど、昔のように思わず子供っぽい口調になってしまっていた。


 子供っぽいから卒業しようと思っていたのに。


「ではな、主」


 それっきり、ルーナの声は聞こえなくなった。


「もうっ! ルーナったら……!」


 ぷんすこ怒った様子を見せるミファエル。


 机に突っ伏して、不服そうに言葉を漏らす。


「……隠れてなくたって。……私は、ルーナの事、全部信じてるのに……」


 寂しそうに呟かれる言葉。


 これまでも、ルーナは約束を護ってくれた。


 文字通り、命だって懸けてくれている。だから、もっと人となりを知りたいのに。


 知っているのは、あの日であった孤児だった頃のルーナ。見た目とは裏腹に、とても強い光を持った少年。


 今まで見て来た中で、一番輝いていた美しい人。


 どんな人なのだろう。どんな人生を歩んできたのだろう。どんな事を積み上げて来たのだろう。


 どうしてそんなに高みに登れたのだろう。どうしてそんなに強いのだろう。どうしてそんなに戦ってくれるのだろう。


 気になる。とても、気になるのだ。


「ずっとお預けされてみたい……」


 知る手段は無い。それが、ちょっともどかしい。


「ルーナの馬鹿……」


 むすっとした声でミファエルは呟く。


 それを聞いているのは、幸いにも影女一人だけだった。


 ミファエルは、誰にも聞かれていないと思っているけれど。

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