第46話 二重に歩く者、溜息を吐く

 レイラットは神経質そうな視線を一瞬だけドッペルゲンガー達に向けた後、直ぐに興味ないとばかりにアイザックに戻す。


「殿下、此処は貴族の子息子女のための場です。幾ら殿下とは言え、品の無い下民を招かないでいただきたい」


「ほう、では私の客人を私の目の前で品が無いとけなすのは品のある行いなのか?」


「貶してなどおりません。事実を申したまでです。テーブルマナーを知らない事に加え、品の無い大きな声。御客人を招くというのであれば、必要最低限のマナーを憶えてからにしていただきたい」


「マナーとはその場その場で求められるものだ。此処は学院の食堂。幾ら貴族の子息子女が集う場所と言えども、それ以上でもそれ以下でも無い。ただの食堂に堅苦しいマナーなぞ持ち込むな」


「それは詭弁です。此処はただの食堂ではなく、パーファシール王国の運営する学院の食堂です。つまり、国を担う若人達が集う学び舎です。もし他国の者が視察に来た時、マナーのなっていない無法地帯のこの場を見てどう思うか、聡明な殿下であればお分かりでしょう? その場その場で取り繕うなどあるまじき事です」


「誰も平民にマナーなど求めまい。それに、彼等に求められるのはマナーなどでは無い。国を護る圧倒的な力だ。それ以外は全て二の次で良い。まぁ、アステルのように総兵団長にでも上り詰めれば、多少は必要になるがな」


 お互い譲るつもりは無いのか、飄々とした表情でまくしたてる。


 一触即発、とは行かないけれど、良い空気では無い。


 此処はドッペルゲンガーが謝罪をしてすませよう。


 行動に移そうとしたその時、ドッペルゲンガーよりも早く別の者が動いた。


「お兄様、お止めください」


 静かな、凛とした声。


「……ミファエルか」


 その声の主を認識した途端、レイラットは不機嫌そうに眉を寄せた。


 言葉を挟んだのはレイラットの妹であるミファエル。その後ろには、オーウェンが付いている。


「お前は口を挟むなミファエル。これは私と殿下の問題だ」


「恐れながら言わせていただきます、お兄様。アイザック殿下と問題が起きているという事実をよく理解するべきです」


「何?」


「確かに、彼等はもう少し落ち着いて食事をするべきでした。それは、彼等も認めるところでしょう。殿下も、その自覚はございますでしょう?」


「ああ。私とて、あまり騒がしくなるようであれば注意くらいするさ」


 マナーなどどうでも良いとは思っているけれど、節度は弁えているつもりだ。あまり騒がしくなろうものであれば、言葉をかける事くらいはしよう。


「注意するだけで良かった事を、お兄様はわざわざ問題を起こしたのです。その事実を、よく考えるべきかと」


 静かに、しかし、確かな声音でミファエルは言葉を告げる。


 少し前のミファエルでは、決してしなかった事。


「……お前……っ」


 レイラットの額に青筋が浮かぶ。


 が、自制する心は持っているのだろう。怒鳴り声を上げるでもなく、糾弾するでもなく、レイラットは一度小さく息を吐くと、アイザックを見る。


「……差し出がましい事を言いました。申し訳ございません」


「いや、私も止めるのが遅かった。その点はこちらも非を詫びよう」


 一つ謝意を示す礼をした後、レイラットはその場を後にした。


 怒気は感じ取れたけれど、これ以上事を荒立てるつもりも醜態を晒すつもりも無いのか、ドッペルゲンガー達の方を見る事は無かった。


「ふぅ……すまないな、ミファエル嬢。手間をかけさせた」


「いえ、こちらこそお兄様が申し訳ございませんでした」


 ぺこりと申し訳なさそうに頭を下げるミファエル。


「こちらにも非はある。面倒臭がって私室に連れて行かなかった私の落ち度だよ」


 頭を上げるミファエル。しかし、その表情はやはり申し訳なさそうだ。


「殿下だけの責任ではないでしょう。僕達も騒がしくし過ぎました。申し訳ございません」


「すんません」


「「ごめんなさぁい」」


「申し訳ありません」


 五人それぞれ、申し訳なさそうにアイザックとミファエルに謝る。


「気にするな。嫌味など言われ慣れてるからな」


「こちらも気になさらないでください」


 アイザックとミファエルは気にした様子も無く微笑む。


 が、ミファエルは直ぐにむくれた顔をしてドッペルゲンガーを見る。


「それはそうと、ルーナ・・・。何故貴方は騎士科にいないのですか? おかげで私の騎士はずっとオーウェンのままです」


「……」


 ミファエルの言葉に、オーウェンは微妙そうな顔で自身の主人を見る。


 入学式から十日も経過しているにもかかわらず、ミファエルは会うたびにドッペルゲンガーをルーナだと言い張る。オーウェンが再三説明をし、恐らくはルーナも本人に直接説明をしているのだろうけれど、ドッペルゲンガーをルーナだと信じて疑わない。


 まぁ、それも無理からぬ事だろう。何せ、は同じなのだ。どうしたものかと思いながらも、ドッペルゲンガーは困ったようにミファエルに言葉を返す。


「あの……以前も申し上げた通り、僕はツキカゲであってルーナという名前ではありません……」


「いえ、貴方はルーナです」


「その自信はどこから来るのですか……」


「ルーナも知っているでしょう? 他の誰の目を誤魔化せても、私の目は誤魔化せま――」


 にこっと自信満々に微笑んで見せていたミファエルだけれど、急にその目を丸く見開く。


「……ルーナの光じゃない……?」


「光? 光とはどういうことだ?」


 ミファエルの呟きに、アイザックが訝し気に訊ねる。


「いえ、大した事ではございません」


 すかさず、オーウォンがアイザックに言葉を返す。


 オーウェンはミファエルの事情を知らない。だが、何かあると言う事は聞かされている。それが、目に関する事である事はオーウォンも気付いている。そのため、何かあれば即座にフォローできるようにいつでもミファエルの言動には気を付けている。


「御嬢様、ですからルーナは彼ではありませんと何度も申し上げました。ルーナは彼のように人畜無害な笑みを浮かべたりはしないのです」


 主人の勘違いを正すように、オーウェンが口を挟む。


 さりげなく話題を逸らすオーウェンに、アイザックは彼女達の触れられたくないところに触れてしまったと気付き、そのままオーウェンの話題に乗る事にする。


「……そうだな。ミファエル嬢、彼はツキカゲだ。ルーナという人物では無いよ。出生届もきちんと出ている。私もしっかり確認したから間違いない」


 さらっと権力の乱用を公言したけれど、そこを突っ込んではいけない。アイザックのこの発言はドッペルゲンガーにとって助け船だ。


 アイザックが確認をしたというのであれば、信憑性が高くなる。


 だが、アイザックの助け船も必要無かったようで、ミファエルはがっかりしたような、納得できないと言ったような表情を浮かべながら頷く。


「そう、なのですね……」


「ああ」


「なるほど……」


 ミファエルは暫くドッペルゲンガーの顔を見やったけれど、少しして残念そうな表情を浮かべて頭を下げた。


「それは、大変申し訳ありませんでした。私の勘違いだったようです……」


「い、いえ、分かっていただければそれで」


「ありがとうございます。……それでは、失礼致します。お邪魔致しました」


 しょんぼりしながら一つ礼をして、ミファエルはその場を後にした。


 オーウェンも一礼し、ミファエルの後に続く。


「余程そっくりなんだな、お前とルーナとやらは」


「あ、はは……そうみたいですね」


 アイザックの言葉に、ドッペルゲンガーは曖昧な笑みを浮かべるだけだった。


 ルーナとの接触は万が一を考えて控えていたけれど、これはそうも言っていられないようだ。


「はぁ……」


 思わず溜息を吐いてしまうドッペルゲンガー。面倒な任務だとは思っていたけれど、これは予想以上かもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る