第6話 忍び、反発

 正直、呆れたと同時に馬鹿なのかと思った。


「はい、こちらが働き口の斡旋先になります」


 にこにこ笑顔で紙束を渡してくる少女を見て、思わず硬直してしまった。


 暗殺者を二人始末したのが昨日。月影が火遁の術で騒ぎを起こして暗殺者の死体は即日発見される事になった。


 今朝には暗殺者が居た事は広まり、その報告は公爵家にも伝わっているはずだ。


 にもかかわらず、公爵令嬢である彼女は護衛を一人も増やさずにこんなところまで来ていた。


 侍女の方は最大限警戒をしているようだけれど、当のお嬢様の方はなにも警戒していない。


 馬鹿なのか、侍女に全幅の信頼を寄せているのか。


 幸いなのは、フィアがまだ寝ている事だろう。フィアは寝起きが悪い。朝早くから起きている月影とは違い、フィアはもう少し遅い時間に起きてくる。


 つまり、このお嬢様は朝っぱらから働き口の斡旋リストなんて物を持ってきた訳だ。


 フィアが起きていたら、寝起きの機嫌の悪さに加えて更に機嫌が悪くなった事だろう。


「僕達、冒険者になるって言いましたよね?」


「私は駄目だと言いました。安全な仕事があるんですから、そちらを選ぶべきです。さ、この中から選んでください」


 にこにこ。


 愛らしい笑みを浮かべる公爵令嬢。


 まるで、それが正しい事だと言わんばかりの態度。事実、それは正しいのだろう。彼女にとっては。


 しかして、月影は普通に働くよりも冒険者をやった方が効率的だ。何せ、月影は戦闘の達人。隠密、白兵戦、どちらも出来る。


 魔物がどの程度の強さなのか分からないけれど、護衛の依頼もあると聞く。対人であれば、なんら心配は無い。


 それに、暫くは討伐ではなく採取系の仕事をする手はずだ。月影もフィアも、この壁に囲まれた街しか知らない。外の世界に出た事が無いため、第一に必要な地形と生態系の把握をしなければいけない。


 薬草や木の実の採取。冒険者に限らず、そういった薬の材料になる物は王国の騎士達も必要としている。そのため、買い手は多い。依頼自体も取り下げられる事は無いと聞く。初心者向けの依頼だろう。


 確かに冒険者は危険な仕事だ。万全の準備を嘲笑う不測の事態もあるだろう。


 しかし、月影にはその事態に対応できるだけの知識と冷静な判断がある。何より、前世の戦闘の経験がある。早々、死ぬような無様は晒さない。


「いえ、大丈夫です。僕等は立派な冒険者になるので」


「いえ、駄目です。貴方は立派な職人になってください」


 にこっと愛想笑いをしたら、にこにこと純粋な笑みで返すお嬢様。


 何故そこまで固執するのか、月影には分からない。ただ、利益の面で考えるのであれば、彼女の売名行為に繋がる事は分かる。


 しかして、それはかなり非効率的だ。何せ、この街に孤児は既に片手で数えられる程しかいない。大勢に手を差し伸べるよりも数人に手を差し伸べる方が簡単だ。


 ゆえに、美談にしては弱い。


 どちらにも利が無いのであれば、これ以上付き纏われても面倒だ。


「あの、慈善活動ならもっと他にやった方が良いのでは?」


「はい?」


 月影の言葉に、お嬢様は小首を傾げる。


「孤児数人に手を差し伸べるより、もっと他にやる事があるのでは、という意味です」


 月影の言葉に、ぴくりと眉を動かす侍女。しかし、当の本人は何も感じ取っていないらしく、先程と同じように小首を傾げている。


「ですが、貴方は孤児でしょう?」


「はい」


「では、まず貴方に手を差し伸べます。だって、困っているのでしょう? 子供を助ける事以上に優先される事は無いはずです」


 にこにこ。優しい笑み。


 その言葉を聞いて、少しだけ納得する。


 恐らく、このお嬢様は何も考えていない。浮浪児が困っている。だから、手を貸す。それだけしか、考えていない。


 売名も、利益も不利益も、何も考えていない。


 ただ困っているから手を差し伸べている。それだけなのだ。


「別に困ってません」


「いえ、困ってるはずです。こんなところに住んでいては、身体を壊してしまいます。それに、何の蓄えも無いのでしょう? 備蓄も私が賄います。そうすれば、安心して暮らせるはずです」


「必要ありません」


「必要なはずです」


「いえ、お嬢様。必要は無いかと」


 二人の問答を見守っていた侍女がとうとう口を挟む。


「アリザ、どうして?」


昨日さくじつも思いましたが、孤児にしてはこの者達はあまりに血色が良すぎます。満足のいく食事が出来ているのでしょう」


「まぁ、そうなのですか?」


 お嬢様に尋ねられても、月影は頷かない。食糧は全て盗品だ。出所を探られれば痛いのは月影の方だ。


「孤児が食糧を得る方法など知れています。どうやらこの者達、相当盗んできたようです」


 鋭い視線が月影に刺さる。それは、軽蔑の視線。この侍女は、心の底から月影達を軽蔑しているのだろう。


 他人からの評価など、月影はどうでも良い。別段、軽蔑されたところで今後に差支えは無い。むしろ、この侍女が早くお嬢様を連れて行ってくれるのであれば、軽蔑されようが構いはしない。


「お嬢様、このような下賤の輩に手を差し伸べる必要はありません。さぁ、屋敷に戻りましょう」


「こらアリザ! 駄目よ下賤だなんて! 訂正なさい!」


「事実です、お嬢様。お嬢様は、ご自身の立場を良くご理解ください。お嬢様は、このような者達とは歩む道が違うのです」


「理解しているからこそ、私は彼等に手を差し伸べたいのです! それの何がいけない事なのですか?」


「手を差し伸べる相手を考えてください。このような者達を助けたとしても、お嬢様には何の利益もありません。むしろ、この者達が失態を起こした時の不利益の方が大きいのですよ?」


「人助けに損得勘定など入れては――」


「あの」


 一言で二人の言い争いを遮る。


 二人の視線が向いたところで、月影は後ろを気にしたように視線を移す。


くだらない・・・・・喧嘩なら他でお願いします。フィアが起きちゃうので」


「あ、も、申し訳ありま――」


「謝る必要はありません、お嬢様。このような物の価値の分からない者など相手にするだけ時間の無駄です。さぁ、帰りましょう」


「駄目よアリザ。まだ仕事先を決めて無いもの」


「必要ありませんよ。冒険者が彼等の天職です」


 すっと目を細め、侍女は月影を見る。


「どこぞで野垂れ死んだ方が世のためです。手を差し伸べるだけ、無駄ですよ」


「アリザ!!」


 侍女の物言いにお嬢様は怒ったように柳眉を吊り上げるけれど、侍女はどこ吹く風。


「さ、帰りましょう」


 侍女は少し強めにお嬢様の肩を押して馬車へと向かう。


 その瞬間が、好機だと思ったのだろう。


 三方向から放たれる投げナイフ。狙いは言うまでも無くお嬢様だ。


 侍女は気付いていない。勿論、お嬢様も気付いていない。


 馬車の御者台に座っている御者も気付いていない。


 気付いているのは、月影ただ一人。


 手に持っていた三つの小石を投げる。


 一度に放たれた小石は寸分違わず三方向から投げられたナイフに当たる。


 小石と衝突したナイフはその軌道を変えて地面に突き刺さった。


「――ッ!! お嬢様、ご無礼を!!」


「え、きゃっ」


 ナイフが地面を差した瞬間、侍女はお嬢様を抱えて馬車へと走る。


 その背中を見守りながら、月影は即座に動き出す。


 邪魔をされた事を、ナイフを投げた暗殺者三人も気付いているだろう。けれど、相手も決死の覚悟のはずだ。先日の二人が死んでも、誰か一人でもお嬢様の殺害を遂行すれば依頼金が入る。もし彼等が組織の場合は、依頼失敗の不名誉を組織が被らなくて済む。


 だからこそ、投げナイフが弾かれたにも関わらず、彼等は逃げるお嬢様への追撃を選んだのだろう。


 投げナイフには恐らく、掠り傷でも付ければ体が麻痺する即効性の毒が塗られているはずだ。初手で投げナイフを選んだのは相手の機動力の阻害。相手が動けなくなったところを狙う算段。


 公爵令嬢の死因は、孤児である少年達による強盗殺人。意地でも、彼等の描いた物語通りに進行させようとしている。


 決死であるのならば、毒に頼らずに自身の力量で挑むべきだったのだ。


 それでも、万に一つの勝機など、彼の前には在りはしないのだけれど。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る