第7話 忍び、瞬殺する
月影は滑るように地面を駆ける。
お嬢様に迫る三人の暗殺者。タイミングはほぼ同時。
タイミングを合わせる事で、対応する順番を絞らせないようにしている。
侍女は両手でお嬢様を抱えている。武器も持っていないのは立ち居振る舞いから分かっていた。これでは、暗殺者に対応できない。
つまり、月影が迫る三人の暗殺者の対処をしなければいけない。
「頭、借ります」
「――っ!?」
跳躍し、侍女の頭に手を置く。
そのまま流れるような動作で開脚し、踵で左右から迫る暗殺者の下顎を蹴り付ける。
月影の細身な身体からは想像できない程の重い蹴りで、暗殺者の下顎は砕かれ、大きく脳が揺さぶられる。
意識を失いながら吹き飛ばされた暗殺者が壁にぶち当たる。
最後、斜め前から進路をふさぎながら迫った暗殺者。
その視線はお嬢様ではなく月影に向いている。
「戯け者」
足を曲げ、突き出されているナイフを
足の指で挟まれたナイフはびくともせず、それ以上動かす事が出来なくなっていた。
月影が足を捻ればナイフの刀身が硬質な音を立てて半ばから折れる。
「なっ!?」
侍女の頭を軸にして回転し、驚愕している暗殺者の顔面に蹴りを叩きこむ。
顔を陥没させ、暗殺者は吹き飛ばされる。
一瞬の出来事。たったの一瞬で、月影は暗殺者の三人を倒してしまった。
思わず、侍女はその脚を止めて自身の背後に降り立った月影を見る。
「貴方は、いったい……」
「ただの孤児です」
侍女の言葉に、月影は軽く答える。
「そんな訳無いでしょう……」
警戒したように、侍女は月影から距離を取る。
別に取って食いやしない。そも、取って食う程旨味も無い。
侍女に注意を割きながらも、月影は自身が倒した暗殺者の三人に視線を送る。
最初に下顎を砕いた二人は壁に頭を強く打ち付けた衝撃で死亡している。最後に顔面が陥没する程に蹴り抜いた暗殺者は衝撃を抑えたのでまだ息がある。
本当であれば、三人とも殺してしまう方が良かった。
けれど、彼女達としても誰に命を狙われているのか知りたいところだろう。連行して、拷問でもしてくれればいい。
「あの人、生かしておきました。尋問でもなんでも、お好きにどうぞ」
それだけ言って、月影は侍女から背を向ける。
忍びの頃の月影であれば、
それは自身の正体の露出に繋がり、忍びとして見えない脅威から、対策の出来る見える脅威になってしまう恐れがあるからだ。
生前、月影は忍びとしての認知度はかなり低かった。しかし、月影の付いた主の陰には正体不明の影が潜んでいると敵勢力にまことしやかに囁かれる事が多かった。
暗殺者を送っても誰一人として帰って来ない。しかし、誰かが忍びを打ち倒したという報告も無い。秘密裏に送り込まれた忍びが、秘密裏に処理されているという事になる。
月影は正体不明の脅威として、相手を脅かしていたのだ。
目に見える脅威となるのは武将だけで良い。月影は忍び。目に見えない脅威となり、主を影の刃から守るのが仕事だ。
そのため、本来であればこのお嬢様と侍女を始末していただろう。そもそも、護りもしなかった。
けれど、今は忍びの月影ではなく孤児の少年だ。深く考える必要も無いだろうが、騒がれるのも面倒だ。口止めは必要だろう。
「あ、今見た事は御内密にお願いします」
「……それは、出来かねます。私は旦那様に事のあらましを報告する義務があります。貴方の事も、勿論お話しします」
足を止め、月影は振り返る。
「では、舌を切り落とします。筆談が出来るなら指を切り落としましょう。目で訴えかけるなら目を潰します。五体満足に生きるのと、人として真っ当に生きられなくなる道、どちらが良いですか?」
「――っ」
冷めた月影の目を見て、思わず背筋が凍る。
ただの子供がする目ではない。死地を潜り抜け、幾つもの死を見て、幾つもの死を作った者の目だ。
「い、痛いわ、アリザ……」
「っ。も、申し訳ございません、お嬢様」
我知らず、お嬢様を抱く手に力が籠ってしまっていたようだ。
お嬢様の痛がる声で我に返る。
ずっと目を瞑っていたのだろう。お嬢様の方は月影を見る目に恐怖の色は無い。
薄っすらと、月影が助けてくれたのだろうとう事を理解している程度だ。
お嬢様が見ていなかった事に心底安堵する。もし見ていたら、今の目と言葉を浴びたのは自分だけでは済まなかっただろうから。
侍女が自分の事を脅威だと判断したのを確認すると、月影はふっと表情を緩める。
「冗談ですよ。そんな酷い事しません」
「いえ……分かりました……。貴方の事は伏せさせていただきます」
「それは、どうもありがとうございます」
お礼を言う月影に、侍女は内心で「いけしゃあしゃあと……」と毒を吐く。
「お礼は、また後日させていた――」
「必要ありません。そこの暗殺者が僕達を利用しようとしていたから殺しただけです。自衛のために貴方達を護ったにすぎませんので」
月影の言葉に考えを巡らせる様子の侍女。
しかし、侍女の言葉を待たずに月影は再度背を向けて歩き出す。
そろそろフィアが起きる。フィアは昨日の出来事があってから俄然冒険者になる事に前向きになっている。
準備を進めようと息巻いていたので、今日は準備に駆り出される事だろう。
公爵家も、実際に自身の子供が狙われたとあれば護衛や警戒を強化するはずだ。本来であれば、暗殺者の死体が見つかった時点で護衛を付ける。それが無い事に何やらきな臭さを覚えるけれど、月影には関係の無い事だ。
何かあれば、フィアを連れてこの街を出れば良い。あらゆる手段を用いて、月影にはそれが出来るのだから。
歩き去る月影の後姿を、公爵令嬢――ミファエル・アリアステルはじっと見つめる。
何があったのか、ミファエルには分からない。孤児である彼が自分を助けてくれた事だけは、二人の会話の内容で理解している。
「アリザ」
「はい、お嬢様」
震える声で、ミファエルは自身の侍女を呼ぶ。
それは恐怖による震えではない。興奮による震えだ。
「私、騎士が欲しいです」
「はい。手配いたします」
「ダメよ。他の誰かが選んだ人じゃ嫌だわ」
その瞳は熱烈に月影を捉える。
怖くて目を瞑っていた。その中で聞こえたのは、落ち着いた少年の言葉。
続いて、聞こえて来た人体を破壊する音。
大の大人を孤児の子供がいとも簡単に返り討ちにしてしまう。
何より、彼の目だ。
何も恐れていない、冷静で、力強い瞳。
公爵令嬢という立場柄、ミファエルは数々の傑物と会う機会があった。
騎士団長。王国筆頭魔法師。特級冒険者。その誰もが傑物であり、歴戦を窺わせる風格があった。
彼の
強い者の持つ瞳。
「アリザ、私は彼が良いです」
「――っ! お嬢様、それは……」
「彼でなければ嫌です。彼を、私の騎士にしましょう」
「それはなりません! あれは危険です。それに、騎士たる資格が在りません」
「資格がなんだというのです。どうせ私は腫れ物です。なら、資格も、常識も、慣習も、気にする必要なんてありません」
「その考えには賛同いたします。ですが、あれを騎士にするのは反対です。ただ……」
「ただ?」
「……いえ。一度、屋敷に戻りましょう。それから、ゆっくりこの話をしましょう。良いですね?」
「分かりました。ですが、私の意思は変わりませんよ?」
「ええ」
頷き、アリザはミファエルの背を優しく押す。
あの少年は騎士になどなれない。なれるとすれば、外敵を脅かす化物だ。
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