第42話 忍び、入学……する? 10

 透き通るような金の髪を緩く一本の三つ編みにして胸元に垂らす。


 長い睫毛まつげ、吸い込まれそうな程大きいまなこ、桜色の唇。


 まるで少女のような顔立ちの少年は、正真正銘この国の第二王子である。


 何故彼がこんなところに居るのかは、この場に居る全員が思っている事だろう。


 第二王子は彼等と同じ新入生だ。しかし、試験会場に来る必要は無い。


 王侯貴族の入学は義務である。つまり試験を受ける必要も無い。


 そして、此処は兵士科の試験会場である。王族である第二王子の興味を惹くような事は無いはずだ。


 学院の説明は授業初日に行われる。よって、今日は軽い説明がある程度。また、貴族が暮らす寮の準備は全て業者が行い、入学式もまだ少し先の話だ。


 何か目的があるのかと勘ぐってしまうのは致し方の無い事だろう。


 第二王子――アイザック・パーファシールは目的がはっきりしているのか、真っ直ぐに迷うことなく歩く。


 アイザックはドッペルゲンガーの前で脚を止めた。


「お前、名は?」


「ツキカゲと申します」


 慇懃いんぎんにドッペルゲンガーは答える。


 アイザックが第二王子だという事は知っている。そうでなくとも、彼の衣服は上等な物だ。敬語で返すのが正解だという事は直ぐに分かる。


「ツキカゲ。お前、面白い戦い方をするな。なるほど、確かに試験でアステルを倒す必要はない。中級魔法を使えずとも試験官に好印象を与えるのであれば、動かす、または一撃当てるくらいで充分だ。その両方をやってみせたのだ。うむ、実に面白い」


「ありがとうございます」


 にこにこ。アイザックは楽しそうな笑みを浮かべる。


 何を考えているのか分からない笑みに、ドッペルゲンガーは柔らかい声音とは裏腹に最大限警戒をする。


「ああいう戦い方は私も好きだが……お前であれば一人でもどうにか出来たのではないか?」


「それは買い被りでございます、殿下。私一人ではあれが精々でございます」


「それは、本気で言っているのか?」


「はい」


「そうか」


 ドッペルゲンガーの言葉に、何やら思案するようにおとがいに手を当てるも直ぐにドッペルゲンガーに向き直る。


「うむ、であれば私と戦え」


「は?」


「聞こえなかった訳ではあるまい。私と戦え、ツキカゲ」


「えっと……理由をお聞きしてもよろしいですか?」


「簡単な事だ。お前と戦いたいからだ。私が殺す気でかかれば、お前も本気を出さざるをえまい」


 言いながら、アイザックは木剣を取りに行く。


「恐れながら殿下、今は試験中です。私用でしたら後にしていただきたい」


 アステルが苦言を呈するが、アイザックはなんのその。


「試験は続けよ。私はツキカゲと別のところで戦う。何、魔法は使わんよ」


「そういう事ではございません。それに、怪我でもしたら事です。御戯れもほどほどになさってください、殿下」


 アステルに宥められ、アイザックは不満げに木剣で手をぱしぱしと軽く打つ。


「万が一は無い。私が戦うのだぞ?」


「殺す気で行くと殿下は先程仰いましたな?」


「言葉の綾だ」


「そうは思えませぬ」


 睨み合う、までは行かないけれど、視線をぶつける両者。


 居心地の悪い空気が流れる中、折れたのはアイザックの方だった。


「ふんっ、つまらん」


 乱暴に木剣を戻すアイザック。


「確かに、試験中に邪魔をするべきではなかったな。それは私が悪い。うむ」


 言いながら、アイザックはじっとドッペルゲンガーを見る。


「お前は、入学したら何がしたい? 何か大義があるのか?」


「いえ、特には……」


 ドッペルゲンガーは報酬の無い仕事をこなすだけだ。そこに大義など何も無い。


 だが、正直に答える訳にはいかない。ミファエルの護衛で学院に通うというのは、ルーナとアリザしか知らない事だ。秘匿情報をぺらぺらと喋る訳が無い。


 しかし、何の目的も無いと答えれば、アイザックは嬉しそうににまっと笑みを浮かべる。


「では私の家来にしてやろう!」


「いえ、謹んでお断りさせていただきます」


「そうか、嬉しいか! うむ! 苦しゅうないぞ!」


「いえ、謹んでお断――」


「ではお前の入学を楽しみにしている。なーに。家来になれば三食おやつに昼寝付きだ。私のポケットマネーで良ければ給料も出そう。……まぁ、仕事内容は魔物の王の討伐と少し面倒だが、お前ならば何とかなるだろうよ」


 後半はぼそぼそと小さな声で言ったアイザックだけれど、ドッペルゲンガーにはきちんと聞こえていた。


 魔物の王。この世に四体存在している魔物の王の事。


 狂飆きょうひょうの王。


 樹海の王。


 斎火いみびの王。


 牟礼むれいの王。


 この四体が魔物の王とされている。


 名が付く事は即ち、それほどまでに知れ渡っているという事で、それほどまでに力を持つという事だ。


 それを倒すと、アイザックは言ったのだ。


 ルーナであればともかく、ドッペルゲンガーに魔物の王を倒すだけの力量は無い。謙遜や過小評価では無く純然たる事実だ。


 アイザックの小声はアステルには聞こえていたのか、微妙そうな顔をしている。


「いえ、謹んでお断りさせていただきます」


 きっぱりと、ドッペルゲンガーは断る。


 ドッペルゲンガーの任務はただ一つ。ミファエルの護衛。ミファエルが魔物の王と戦うというのであれば話は別だけれど、そうでないならわざわざ戦う必要はない。勝てない戦い程、意味の無いものはない。


 きっぱりと断るドッペルゲンガーに、アイザックは見るからに不服そうな顔をする。


「まぁ、その話はおいおい詰めるとしよう」


 が、諦めた様子は無い。


 アイザックはそれだけ最後に言うと、もう言い残す事は無いとばかりに試験場を後にした。


「お前さん、大変な方に目を付けられたな……」


「はあ……」


 アステルが同情したようにドッペルゲンガーに言う。


 正直、何を持ってドッペルゲンガーが本気でないと言ったのかも判断できない。予想は幾つかあるけれど、予想は予想。答えでは無い。


 ともあれ、第二王子の乱入はあったものの、試験はそのまま粛々と続けられる事となった。


 試験の全ての過程が終了すると、子供達はそのまま待機させられた。


 実技の時に筆記の採点は終了しており、後は実技の採点を合わせて集計を取るだけである。


「なんだか、どきどきしますね……」


 緊張した面持ちでアルカが言う。


「筆記はともかく、実技は大丈夫じゃねーか? 結局俺らのチームだけだったぜ、総兵団長動かして一撃食らわせたの」


「と言っても、それやったのツキカゲとお姉ちゃんだけどな」


「だよなぁ! そーだよなぁ! どーしよ! 俺頑張ったけど落ちてたらどーしよー!」


「急に弱気になるじゃーん! でも、うちもツキカゲに良いように動かされただけだからなぁ……」


「良いように動かされたって……ポルル、人聞きの悪い事言わないでよ」


「事実だろー?! なんだよ! 決定打は上げるって言ったくせに!」


「そう言うポルルだって。僕、二本同時に射ってくるなんて聞いてないけど?」


「そこは、ほら! うちの技? てきな。ね」


 ぱちりと愛らしくウインクしてくるポルル。


 が、ドッペルゲンガーはしらーっとした目を向ける。


「僕が反応できなかったら、背中射抜かれてた事になるよね?」


「反応出来たんだからいーじゃーん!」


「それ結果論だよね?」


 ドッペルゲンガーがじとーっと視線を向けていると、試験官たちが戻って来た。


 魔法で壁を作り、そこに結果の記された紙が貼り付けられる。


「この紙に載っている番号の者は合格だ。それ以外は、残念ながら不合格という事になる」


 試験官の言葉の後に、わらわらと子供達は集まる。


 喜ぶ者、悲しむ者の表れる中、ドッペルゲンガーは安堵したような表情を作る。


 当然ながら合格である。まぁ、そうなるように調整はしているのだから、当たり前ではあるけれど。


「お、お、お! 受かった! わーやったー!」


 シーザーは嬉しそうに声を上げ。


「う、うち受かってるー!」


「ウチもー!」


 ポルルとペルルは嬉しそうに互いを抱きしめる。


「あ、わ、わわわっ……」


 が、アルカだけは表情を青褪めさせている。


「そ、そんなぁ……」


 泣きそうな顔でルーナを見て、悲壮感漂う声音で告げる。


「お、落ちてましたぁ……」


「……アルカ、凄く言いづらいんだけど……」


「はいぃ……」


「それ、持ってる紙上下逆じゃない?」


「ほえ?」


 ルーナに言われ、手に持った紙を見れば、確かに逆であった。


「あ、ほ、本当です!」


 慌てた様子で番号を再度確認するアルカ。


 そして、数秒後には嬉しそうに表情を明るくする。


「や、やりました! 受かりましたー!」


「お、アルカも受かったか!?」


「はい、受かりました!」


「やっほーい! チームポルル全員合格じゃーい!!」


「うっほほーい!」


 四人は手を繋いでうっほほいうっほほいと謎の声を上げながら輪になって合格した喜びをかみしめ合う。


 彼等の存在は任務には関係無い。合否などドッペルゲンガーにとってはどうでも良い事だ。


「……ふっ」


 けれど、彼等の喜ぶ姿を見て少し嬉しく思う自分もいる。


 自分が心無い魔物であれば嬉しく思う事も無かっただろう。けれど残念ながら、ドッペルゲンガーには心がある。平常心を保つための訓練は積んでいるけれど、心が揺れ動く事が無い訳では無い。


 それに、今は昔とは違う・・・・・。表立ってミファエルを護る事がドッペルゲンガーの役割ではあるけれど、それ以上の事を求められている訳では無い。


 折角、百鬼夜行狭い所から出られたのだ。ある程度は自由にしても良いだろう。


「良かったよ、本当に」


「はい!」


 声をかければ、アルカは嬉しそうに微笑んだ。


 学院に入ったとて、学ぶ事など無いと思っていたけれど、存外に人として・・・・学ぶ事は多いかもしれないと、そう思った。

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