第2話 忍び、盗む

 月影の兄貴分の少年――フィアと共に露店通りへと辿り着く。


 露店通りは大勢の人が行き来しているが、その中に月影やフィアのように薄汚れた格好をしている者は一人もいない。


 この街は公爵領であり、街の規模は大きく商売も盛んにおこなわれているため、住人の多くの生活水準は平均よりも高い。


 そのため、衣服の質も良く、悪くなったら直ぐ買い替える事が出来るので、月影達のように薄汚れた格好はしていない。


 そんな露店通りを月影が通れば、まず間違いなく警戒されるだろう。それに、フィア達が幾度となく窃盗を繰り返しているため、商人達も警戒しているはずだ。


 こんな薄汚い孤児は、見つかれば最悪袋叩きにされて終いだろう。こんな細腕では、少し叩かれたくらいで骨が折れてしまう。


「フィアは此処に居て。僕が盗って来るから」


「は? 二人で行くに決まってんだろ。お前一人じゃ危なっかしいんだから」


「いや、此処で待ってて欲しいんだ。大丈夫! 僕、ちゃんと出来るから!」


「ダメだ。お前が一人で行くってんなら、今日はもう帰る」


 月影の提案にフィアは頷かず、自分の意見を頑として譲ろうとしない。


 フィアにとって月影は自分の弟分。


 可愛い弟分を、フィアは危険な目に合わせたくないのだろう。


「……分かった。じゃあ、いつも通りで……」


 落ち込んだ様子で、月影は言って見せる。


 先程の提案は以前の月影らしくなかった。こういったところでいつも通りの月影を見せた方が、フィアの警戒を緩める事が出来るだろう。


「よし、じゃあ二人で行くぞ。良いな?」


「うん。分かった。じゃあ、フィアは先を歩いてよ。僕が合図出したら、決行ね」


「分かった」


 先を歩くフィア。


 その少し後を、月影が歩く。


 いつもは片方が囮になって片方が物を盗ると言った手段を使っている。けれど、それも長くは使えないだろう。


 もっと、上手くやるべきだ。


 道行く人はフィアを見て顔を顰めている。


 この街は豊かだ。だからこそ、月影やフィアのような孤児は非常に珍しい。


 他にも孤児仲間は居るけれど、それでも十人程度だ。


 ともあれ、そんな訳でフィアは目立っている。けれど、誰も月影に視線をやらない。


 月影は小さな体躯を利用して、人々の死角を移動する。忍びとして生きていた彼にとって、この程度の事はわけない事だ。


 足音を立てず、自然な身体捌きで月影は人の群れを縫うように歩く。


 露店商人も、フィアを見て警戒をしている。けれど、誰も月影を見ていない。


 幾ら警戒していたとしても、所詮は素人。忍びである月影を前に、その小さな警戒は無警戒にも等しい。


 フィアに注目が行っている間に、月影は一つ、また一つと露店の商品を盗んでいく。


 暫く歩いて合図が無い事を訝しんだフィアは、ちらりと背後を振り返る。


 そこで、月影はフィアにだけ見えるように姿を現して、路地裏を指差す。


 フィアは月影にどういう意図があるのか分からなかったけれど、月影の言う通りにそのまま路地へと向かった。


 露店商人達は孤児であるフィアが何もしなかった事を訝しんだけれど、それ以上フィアに注意を払う事はしなかった。


 そして、一個二個消えた商品に気付く事も無かった。


 フィアの入って行った路地裏に月影も向かい、フィアと合流する。


「合図無かったけど、どーいう事だよ」


「それより、アジトに行こうよ」


 言いながら、月影は盗ったパンをフィアに見せる。


「は!? お前、いつの間に!」


「さ、行こ」


「え、おい待てよ!」


 フィアの質問に答える事はせず、月影は二人のアジトへと向かう。


 先を行く月影の後を、フィアは追いかける。


 あの場で月影の行動に気付けた者は一人もいない。素人に悟られるようなぬるい動きはしてない。


 誰にも見えなかったからこそ、フィアは月影が何故食料を持っているのかが気になって仕方が無い。


 アジトは街を囲む壁際に設けられた小さなテントだった。と言っても、ただのぼろ布を被せただけの代物だ。同じようなテントが此処には数個ある。


 街の景観を崩すぼろいテントだけれど、それを除去しようという動きは無い。


 それが彼等の住居である事は分かっている。だからこそ、それを崩すような事はしない。


 かと言って、孤児院などを建設して保護する事もしない。


 孤児数人を放置しておく方が、かかる経費コストが少ない。余計なコストと労力を割くぐらいなら、多少のおいた・・・汚れ・・は放置しておくに限る。


 ともあれ、月影とフィアはテントの内の一つに入っていく。


 テントの中に入り、人目が無くなったところで服の下から盗った食糧を出す。


「おまっ、こんなに!」


 月影の出した食糧は、今までの戦果を大きく上回る量だった。


 いつもだったら、パン二、三個が精々だったけれど、月影はパン以外にも果物や肉を盗んでいた。


「お前、どうしてこんなに……」


 驚いた様子でフィアは月影を見る。


「人目を盗んだだけだよ」


「いつもはパン盗るのも失敗するくせに! まさかお前、魔法が使えるのか!?」


「魔法? 使えないけど……」


 この世界の住人は、体内に魔力を宿している。その魔力を使って、通常では起こせない現象を起こす事が出来る。


 けれど、月影に魔法は使えない。それ以外の特殊技能ならば、幾つか使えるけれど。


「じゃあなんでこんなに持ってんだ! おかしーだろ!」


「だ、だから、人目を盗んだんだって」


「人目を盗むってなんだ! 盗んだのはパンとかだろ!」


「そういう意味じゃ無くて……」


 何故か頭に血が昇ってしまっているフィアは月影の言葉を素直に聞いてくれない。


「……ほら、食べよう? お腹空いたし……」


 月影の提案に、しかしフィアはぶすっと頬を膨らませる。


「いい! お前が盗ったんだからお前が食べれば良いだろ!」


 乱暴に言って、フィアは背中ごとそっぽを向いてしまう。


「食べないの?」


「いらない!」


 どうやら、完全に拗ねてしまったらしく、頑なに食べる事を固辞するフィア。


「分かった」


 頷き、月影はむしゃむしゃとパンを食べる。


 生きるために、食べるという行為は必須だ。フィアが食べなくとも、自分の分は食べる。いざと言うときに万全でいるために。


「……っ!? なんで食べるんだよ!」


「? フィアが食べろって……」


「~~っ! もーいい! オレも食べる!!」


 怒ったように言って、フィアは月影からパンを奪って食べる。


 わざわざ月影から奪わなくても、フィアの分を残しておいてあるのに、フィアはわざわざ月影から奪った。


 怒っている事は分かる。けれど、フィアが何故怒っているのかが分からない。


 食べろと言ったから、食べたのに……。


 ともあれ、食べるのであればそれで良い。二人分盗っておいたのはそのためなのだから。


 きっと、これから月影はまともな生活は送れない。しばらくは、盗人として生活をする他無いだろう。そのためには、身体を作っておかなければいけない。


 年齢もまだ若いので生前までの身体能力とは言わなくとも、今出来る限界まで身体を作り込む必要があるだろう。


 それは生きるために必要な事だし、忍びとして生きるためにも必要な事だ。


「……」


 そこまで考えて、月影は思う。


 最早忍びからは解き放たれた身。もう、主の事など考えなくても良いのだ。であれば、身体を鍛える必要だってない。普通に生きていく分には、この程度の盗みを繰り返せるくらいの能力さえあれば良い。


 いや、確かこの世界には魔物と呼ばれる害獣が居ると聞いた事がある。


 冒険者という者になって魔物と戦う生活の方が、危険度は高いが今よりも良い暮らしが出来るはずだ。


 そのためには、やはり身体を鍛える必要があるだろう。


 言い訳じみた思考。しかし、それもまた間違いではない。


 どうあれ、月影は生きて行かなくてはいけない。それが、生前と違う生活となっても、月影は新しい人生を生きて行かなくてはいけないのだ。


 やりたい事など無い。漫然とした日々。ただ、一緒に生きるべき仲間が居る。


 むしゃむしゃとパンや果物を食べるフィア。


 フィアと今は生きて行かなくてはいけない。しばらくは、それが目標でも良いだろう。

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