伝説の忍び、異世界に忍ぶ

槻白倫

第一章 伝説の忍び

第1話 忍び、転生す

 その日の事を、一生忘れないだろう。


 いや、一生の最後の最後まで、忘れられない。


 燃ゆる城内で、男が一人立ち尽くす。


 男の視線は床に伏す少年へと向けられていた。


「……月、影……」


 少年は男の名を呼ぶ。


 男――月影つきかげはその場に膝を着き、自身の主に頭を垂れる。


「此処に」


「……近う、寄ってくれ……」


 主の言葉に従い、月影は主の傍に寄る。


「……すまぬ、な……。……私の、失態だ……」


 主は燃え行く城内に視線を巡らせ、悲しそうに笑う。


「……月影、最後の……最後の、命令だ……」


 主は力無く手を彷徨わせ、月影の手に重ねる。


「…………最後まで……私の……傍に、居てくれ……」


 燃え行く城。最早一刻の猶予も無い。


 最後まで主の元に居るという事はつまり、主と最後を共にするという事に他ならない。


 主の最後の命令。それは、自身と共に死ぬ事だった。


「御意に」


 自身の命に関わる命令に、月影は迷う事無く頷く。


 月影は、主を護る影にして刀。主の命令は絶対であり、命令に背くことは許されていない。


 死ねと言われれば、死ぬ。それが、月影だ。


 月影はその場から動かない。


 主の最後の命令を遂行するために、主の傍を離れない。


 そんな月影を見て、主は安心したように微笑む。


「……すまぬな、月影……」


 城が崩れる。


 炎に巻かれる。


 けれど、月影は動かない。


 こうして、一人の忍びと主が命を落とした。


 この後、この時代にどのような動乱があったのかは分からない。それを、月影は知るよしも無ければ、興味も無い。


 ただ、一つだけ心残りがあるとするならば……。


「次をいただけるのであれば、必ずや御守りいたします」


 それが、月影の最後の言葉。誰に語られるでも無く、誰に紡がれるでもない、伝説の忍びの最後の言葉だった。



 〇 〇 〇



 薄暗い路地で目を覚ます。


「……此処は……」


 立ち上がりながら、月影はさりげなく周囲に視線を向ける。


 目の前に広がっていたのは、月影には見た事の無い景色。


 自身の記憶の中に存在しない景色に動揺する心を抑え込む。


 焦燥は判断を鈍らせる。月影は己の感情の殺し方を熟知していた。


 石を積んで建てられた家屋。木造の扉に見覚えはあるものの、それは自分の知る木造の扉とは違った。


「おい! 大丈夫か!?」


 慌てたような声が頭上からかかる。


 見上げれば、屋根の上からこちらを覗き込む少年の姿があった。


 誰だ? 自分に少年の知り合いなどいない。


 少年は身軽な身体捌きで屋根の上から降り、月影の顔を覗き込む。


 待て。覗き込む?


 そこで、違和感に気付く。


 少年と自分の身長に大差が無い。おかしい。自分も大人だ。子供と視線を合わせる程に低くは無い。


「あー、頭切れてるな。めっちゃ血ぃ出てる……」


 いたそーと言いながら、少年は薄汚い服の袖でごしごしで月影の頭を摩る。


「……っ」


 痛みが走る。という事は、月影は生きているという事だ。


 おかしい。月影は死んだはずだ。


 自身の身体に視線をやれば、目の前の少年と同じように薄汚れた格好をしており、四肢は不健康な程に細かった。


「いつもピーピー泣くのに、今日はどうした? 頭打っておかしくなったか?」


「いや…………っ」


 声を出し、驚く。


 自分の声にしては、高過ぎる。


 月影は優秀な忍びだ。相手の声を真似る事も出来れば、音域を自由自在に操る事が出来る。しかし、地声はこんなに高くは無い。


「大丈夫か?」


「ああ」


 少年の言葉に、反射的に返答をする。


 その声音に動揺の色は無い。内心を隠す無機質な声音だ。


「? そうか……」


 多少訝し気に思いながらも少年は大丈夫そうなら良いと頷く。


「なら、ちゃっちゃと行こうぜ!」


「何処へ?」


「どこって、飯の調達だろ? 本当に大丈夫か? 無理そうなら、オレ一人で行くけど……」


「いや、大丈夫だ」


「……そうかー?」


「ああ」


「……なら、良いけどよ……」


 不審そうに月影を見る少年は、しかしそれ以上追及してくる事無く踵を返す。


 食糧の確保だと少年は言った。何処に、をしに行くのかは分からない。けれど、彼のような身なりの者が何をするのかを、月影は知っている。


 少年の後を追いながら、落ち着いて記憶を探る。


 その中に、月影としての人生には無い記憶が混じっていた。


 にわかには信じ難い事実。けれど、忍びは冷静に物事を見極める能力が必要不可欠だ。


 理由は分からないが、月影は子供になってしまった。それだけは、疑いようのない現実だ。


 幻術の類いかとも思ったけれど、術を掛けられている形跡も無い。


 死んで、また生まれ変わったのだろうか。


「……」


 思い起こされるのは、最後の記憶。


 炎に巻かれる、主の姿。


 任務失敗。主を護れなかった、自身の落ち度だ。


 任務も終わって、恐らく、忍びという枠組みからも外れた。


 誰も、自分に命令をしない。誰も、自分に任務をくれない。


 主もいない。目的も無い。


 思えば、自分から何かをしたことは無かった。与えられたモノを粛々と消費していただけだった。


 食事にしろ、任務にしろ、必要に迫られなければ自ら動く事はしなかった。


 自身が、まったく知らない世界に生まれなおしたのだとしたら、果たして自分は何をするべきなのだろうか。


 日々を漫然と生きる。ただ、それだけの日々になるのだろうか。


 主が居た日々は、主のお願い事や命令をよく聞いていた。しかし、それもどんな命令にもただ頷いていただけに過ぎない。


 漫然と生きていた事に、変わりは無いだろう。


 それが、ただ消費的な生活になるか否かの違いなだけであって。


 元々、月影は欲が薄かった。特にやりたい事も無ければ、人間的な欲に溺れる事も無い。


 任務も依頼も無くなれば、そこに残ったのはあまりにもちっぽけな自分と、主を護れなかった事に対する消失感。


 幾度となく主の元を渡り歩いた。


 任期の都合であったり、忍びの里に対する不貞を働いたりで、何度か主が代わった。


 その時は、こんな消失感に苛まれる事は無かった。


 次の任務が待っている。それくらいの気持ちだった。


 それが、今回はそんな気持ちで割り切れそうにも無い。


 どうやら、薄情な自分にもあの幼い主の死を悲しむくらいの情はあったらしく、情を移すほどに、主に心を許していたのだろう。


 初めての感情を冷静に分析しながらも、月影は心中で戸惑ってしまう。


「おい、本当に大丈夫か?」


「問題無い」


 前を走っていた少年が心配そうに声をかければ、月影は間髪入れずに言葉を返す。


 そこに動揺の色は無い。


 しかし、少年は脚を止めて月影を振り返る。


「なーんか、お前変だよなぁ。喋り方いつもと違うし」


「そうだろうか?」


「それだよ! なんでそんなかたっ苦しいんだよ! それに、いつもはおどおどなよなよしてるくせに!」


 言われ、月影は自身の知らない記憶を掘り返す。


 言われてみれば、確かに以前の自分はおどおどとしていたように思える。


 何があるか分からない。面倒事は避けるべきだろう。


「ご、ごめん……ちょっと、頭が痛くて……」


「ほんとかー?」


 自信なさそうに眉尻を下げ、視線を下に向ける。


 そんな月影を見て、先程までとは打って変わった印象に少年は訝し気な顔をするけれど、その所作は少年の見慣れたものだったために、それ以上追及する事はしなかった。


「……大丈夫か?」


「大丈夫、だと思う……」


「……はぁ。今日はあまりもんで我慢すっか。帰るぞ」


「え、ご飯は?」


「いーって。ほら、帰るぞ」


「う、うん……」


 記憶を探ったから分かる。


 自分達の置かれた境遇は、いわゆる孤児というものだ。


 この世界、少なくともこの国に孤児を支援する団体は無い。忍びの里のように、孤児を拾ってきては育てて忍びにする、なんて事もしない。


 つまり、孤児は自分でその日の食事にありつかなくてはいけない。


 今から行こうとしていた食料調達も、露店での窃盗だけれどそうでもしないと孤児は生きてはいけない。


 少年の言う残り物は、彼等の根城にある備蓄の事だ。備蓄を消費するのは彼等にとって良い事ではない。


「い、行こうよ! 僕は大丈夫だから!」


「あー? ほんとかー?」


「うん。ちょっと頭痛いけど、大丈夫だから」


「……お前が平気なら、オレはかまわねーけど」


 心配そうに月影を見る少年。


 今なら分かる。この少年は月影にとっての兄貴分であり、この少年は月影を護ろうと必死に頑張ってくれていたという事に。


 主従という訳ではない。恩を勘定しないのが忍びだけれど、仇で返さないのもまた忍びである。


 日々生きるのだ。協力関係にあっても良いだろう。


 身体は小さい。生前よりも出来る事の幅は狭いだろう。けれど、忍術を使う事はわけない事だ。


 それに、戦う事が忍びの真髄ではない。


 文字通り、忍んでみせよう。

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