第53話 騎士、影の国へ入る

 死ぬ覚悟はあるか。と、問うたけれど、実際に死んでもらう訳では無い。


 死ぬかどうかはオーウェン次第だ。


「それで。私に何をさせようと言うのだ?」


 作戦会議が終わったその日の夜の内に、ルーナはオーウェンの部屋へと向かった。


 オーウェンには事前に部屋で起きて待っていろと言っていた。準備はと聞かれ、剣一本あれば十分とルーナは答えた。


 ルーナの言葉通り、オーウェンは腰に一本の剣を下げている。


「よし、では行くぞ」


「行くって、何処にだ? この時間では、何処にも出られないだろう?」


「影の国だ」


「ああ、影の国か……って、影の国!?」


 事も無げに言ってのけるルーナに、オーウェンは驚愕したように声を上げる。


 影の国とは、世界の裏側とも呼ばれている。


 世界の裏側には容易に行く事は出来ない。


 とある学者はこう言った。


『一度影の国に行くには一縷の奇跡が、再び影の国に行くには相応の力が必要となる』


 影の国に行くのは容易ではなく、一度目は奇跡的に行けたとしても何度も行く事は事実上不可能に近い。


 それは、その言葉を言った学者の体験談である。


 まず、影の国には影の門を通らなくてはいけない。


 この影の門は常時閉じており、何らかの不手際で開いていない限りは基本的には開く事は無い。


 ルーナは偶然その開いた影の門に入り込み、そこで影の国というものを知った。


 ルーナでさえたまたま影の国に入る事が出来た――元々興味も無かったけれど――のだ。影の国に行くのは容易な事では無い。


 そして、もう一度入るには自力で影の門をこじ開ける必要がある。


 それは簡単なようでとても難しい事だ。


 影の国とは言うけれど、この世界とはまた別の世界とも言える場所。つまり、影の国に行くには世界を超える必要がある。


 世界を超えるのは簡単ではない。本当に一縷の偶然のみがもたらす奇跡だ。


 その奇跡を何度も起こせる実力を持ち合わせている者などそうはいない。


 だからこそ、影の国に行ける者はおらず、半ば神話に近い扱いになっている。


 そんな影の国に行くと言うのだ。オーウェンにして見れば神話の世界に足を踏み入れるぞと言われているようなものである。


「か、影の国だぞ!? お前分かってて言っているのか!?」


「……? 影の国だろう? 世界の裏側の事だ」


「そうだが! 影の国なんて殆ど伝説上のものだ! そんなところに行ける訳が無いだろう!」


「……そうか。そうなのか」


 この世界で影の国の書物に触れていないので、影の国がどのような扱いになっているか知らなかった。まさか神話のような扱いになっているとは思わなんだ。


「まあいい。お前の強化が優先だ」


「まあいいって……影の国だぞ? 行けると分かれば多くの研究者が大金を積んで連れて行ってくれと願う幻の国だぞ? それをまあいい? 私の方が優先? ……呆れて物も言えない……」


「私の至上命題は主の守護だ。それ以外など全て些事だ」


「些事にしては大事過ぎるだろう!」


「良いから、行くぞ。時間が惜しい。今は一秒でも多く時間が欲しいのだ」


 ルーナはオーウェンの肩に手を置く。


 その瞬間から、二人の脚は影に飲み込まれる。


「……!? なんだこれは?!」


「煩いぞ。影の国に行くだけだ。少しは静かにしろ」


「静かにって……神話に足を踏み入れる事の意味をだな……」


 言いかけ、先程の言葉を思い出して溜息を吐く。


「文字通り、私とお前ではスケールが違うのだろうな……」


 納得をしながら、オーウェンはずぶずぶと影に落ちていく。


 最後まで影に落ちれば、目の前に広がるのは暗闇。


 しかし、ルーナの姿は確認する事が出来る。黒い服装をしているので、見辛いけれど視認する事が出来る。


「着いたのか……?」


「いや、まだ門扉の前だ」


 今はまだ、世界と世界の中間地点。そこから、更に影へと落ちていく。


 暫く落ちていくと、薄っすらと視界に何かが入り込む。


「こ、これは……」


 それは、巨大な扉。


 あまりにも巨大な扉は、その全長を把握するには首が痛くなるほど見上げ、首が痛くなるほど見下げるしかない。


「こんな大きな扉、開けられるのか……?」


「問題無い」


 言って、ルーナは影の門に手を当てる。


 少し力んだと思えば、門は鈍い音を上げながらゆっくりと開いた。


「先に入れ」


「あ、ああ……本当にこいつは人間なのか……?」


 あまりの光景に、思わず本音が漏れてしまうけれど、ルーナに急かされるままにオーウェンは門を潜る。


 直後、勢いよく落下していく。


「は?」


 身体全体で風を感じる。間違いなく、落ちている。


「はああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


 突然の出来事に、思わず驚愕の声を上げてしまうオーウェン。


 生涯でこれほどまで驚いた事があっただろうか? いや、きっと無いだろう。


 先程まで不思議な空間ながらも落ちる事が無かったのに、門扉を潜った途端に落ちたのだ。そんなの、誰が想像できよう。いや出来まい。


「なるほど、空に繋がっていたか」


 落ちていくオーウェンの隣を、ルーナが一緒に落ちていく。


「ちょ、お前!! 落ちるなんて聞いてないぞ!?」


「私も落ちるとは思わなかった。いつもは陸に繋がっているのだがな……。なるほど、お前が居るからか・・・・・・・・


「私のせいだとでも!?」


「いいや、私の落ち度だ」


 落ちていると言うのに、ルーナは慌てた様子は無い。


 冷静に見渡し、くすんだ色の地面を黙視する。


 ルーナであれば問題無く着地出来る。けれど、オーウェンは別だろう。


「仕方ない」


 ルーナはいつの間にか腰に差していた百鬼夜行を抜く。


「悪魔招来」


 唱えた直後、百鬼夜行から悪魔が滲み出る。


「オーウェンを頼む」


「りょ」


 ルーナ御主人様の命令に軽い感じで悪魔は答え、オーウェンを抱えて飛ぶ。


「なっ、悪魔!? お前、これは!」


「妖刀の能力だ」


 言葉の直後、ルーナは地面に着地する。


 あれだけの距離を落ちてきたにもかかわらず、ルーナの着地は静かで柔らかいものだった。


 オーウェンは悪魔に抱きかかえられ、ゆっくりと地面に降り立った。


「はぁ、運搬だけとかマジテン下げ……。もっとおっきい仕事プリーズぅ……」


「……お前の言っている事はいまいち分からない」


 悪魔の言葉にそう返しながら、ルーナは百鬼夜行を振るう。


 音も無く襲い掛かって来た魔物が一刀両断に斬り捨てられる。


「なっ?! 何処から……!!」


 魔物の出現により、オーウェンは即座に意識を戦闘に切り替える。


 周囲に油断なく視線を送り、抜剣して構える。


 視界が悪い。少し先は靄がかかっていて十メートル程で何も見えなくなる。


 どういう訳か、魔力による感知も機能していない。これでは、何処に魔物が潜んでいるのか分からない。


「此処の魔物は強い。そして、表ではなかなか味わえない特殊な状況だ。お前を鍛えるには丁度良いだろう」


 またもや音も無く魔物が迫る。


 オーウェンは咄嗟の反応が出来ずに魔物の攻撃を受けてしまう。


「ぐっ……!!」


 爪が深くオーウェンの腕を裂く。


「悪魔、回復」


「りょ。回復ビーム!」


 悪魔が回復魔法を使い、オーウェンの傷を癒す。


「お前は準備期間である七日間を此処で過ごせ。回復役として悪魔、お供として鬼を置いて行く」


 百鬼夜行の刀身から大太刀を持った女鬼が滲み出る。


 不服そうにルーナを見やるけれど、主の命令は絶対。女鬼は大太刀を構える。


「ま、待て! 今ので分かった! 私にこの場はまだ早い!!」


 魔物の速度が速すぎる。それに、音も魔力の反応も無い。今の自分では対応が出来ないのは目に見えている。


 諦めが早いようだけれど、先程から第六感が自身の死を告げ続けている。


 こんな場所に居ては命が幾つあっても足りない。


「いや、出発地点としては順当だ。何せ、此処の魔物が一番弱い」


「は……? 一番、弱い……?」


「ああ。では、死ぬなよ」


 言って、ルーナは姿を消す。


 呆然と立ち尽くすオーウェンに魔物が襲い掛かる。


 拝啓、御嬢様。もしかしたら帰れないかもしれません。

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