第83話 ソニア・ワルキューレ

 蟲による襲撃の少し後、学院では緊急避難が行われた。


 異例の学院の部分開放を行い、鍛錬場に住民を避難させた。第一次防衛線を外壁とし、その内側にも簡易的に防壁を作り上げる。外壁と簡易防壁の付近の住民を避難させ、戦闘に備える。


 そこが第一次避難対象区域。第一次避難対象区域の避難を終えた後、第二次、第三次と避難をさせる。


 街では騎士が避難誘導を行い、冒険者達もそれに協力をしている。


「はぁ……今日オフの日なのにぃ……」


「ギルマス、文句言わない! 下の子達が頑張ってるでしょ!」


「だってぇ……」


 不満たらたらの表情を浮かべるのは『ソニア・ワルキューレ』の組合長ギルドマスター、ソニア・ワルキューレ。なんと、自分の名前を組合名にしているのである。


 因みに、高級銘柄ブランド店では、社名が創設者の名前である事が多いのでそう珍しい事でも無い。他の組合でも同じような事をしている者は多い。


「今日はかぁいい女の子達とデートする予定だったのにぃ……あぁ……パフィちゃん、ミントちゃん、アリアンちゃん……」


 しくしくと悲しそうに泣くソニア。


 けれど、避難誘導の手は止めていない。女の子が通るたびにお尻を触るのも忘れない。


「ギルマス! さり気にセクハラしない!!」


「同性ならセクハラじゃ無いもん! お触りだもん!」


「同性でもセクハラはセクハラです!! 許可無く触る事がセクハラなんですよ!!」


「許可を取れば良いって事?」


「時と場所を弁えてくれればね!!」


 額に青筋を浮かべながらソニアを叱るのは、ソニア・ワルキューレの副組合長サブギルドマスターである、ペレリス・ノルディックである。


「うぇぇぇん、ペレちゃんが怒るぅ……」


「当り前です!! ギルマスが変態だなんて、皆に示しがつかないでしょう!!」


「ぶぅぇぇぇぇん!! 変態って言ったぁぁぁぁ!!」


 外聞も無く泣きじゃくるソニア。


「鬱陶しい!! 良い歳こいて泣くんじゃありません!!」


 泣きじゃくるソニアは、その美しい見た目も相まってか非常に庇護欲をそそる。


 騎士の一人も手を差し伸べようとしたけれど、それよりも速くペレリスがソニアの頭を乱暴に叩く。


「びぇぇぇぇぇぇぇぇん!! ペレちゃんが殴ったぁぁぁぁぁ!!」


「殴ってません!! 叩いただけです!!」


「同じですぅ!! 痛かったのには変わりないですぅ!!」


「その威厳の欠片も無い子供じみた語尾を止めなさい!!」


 非常事態だというのに喧嘩をする二人。


 ギルドメンバーにとってはいつもの光景であるために、二人を無視して自身の仕事に集中する。


 今はまだ結界が機能しているから大丈夫だけれど、いつ突破されるかも分からない。


 手早く避難誘導を終わらせて、自分達も迎撃態勢を整える必要がある。


「まったく!! 長引く事を覚悟して救援要請まで送ってるんですよ? 各地に散った仲間メンバーが今のギルマスを見たらどう思いますか!!」


「ぶうぅ……ギルマスになればハーレムを築けるって思ってたのにぃ……とんだ貧乏くじだぁ……」


 途轍もなく不純な動機でギルマスになったソニアに、聞いていた者達は思わず呆れた表情を浮かべている。


「はぁ……新人子も来るのですよ? 最初くらい、ビシッと格好いいところを見せてあげたらどうですか? 貴女は、戦ってる姿だけは恰好良いんですから」


「え、新人ちゃん来るの? リーシアが勧誘したっていう、期待の新人ちゃん?」


「ええ。強さはリーシアのお墨付きです。近くに居たので、駆け付けてくれるそうですよ」


「嘘! 本当!? やったぁ! 新たなハーレム要員と初対面だぁ!!」


「ギルドメンバーと言いなさい!!」


「いたっ!? うぅぅぅ、またペレちゃんが殴ったぁぁぁ」


 びええんと泣き喚くソニア。


 こんな頼りなさそうに見える彼女だけれど、その実力は折り紙付き。王国から直接依頼が来る程の実力を持つギルドのマスターである。


 彼女が見せるいつもの茶番を見て、逃げる住民達は少しだけ安堵している。


 何せ、彼女が慌てていないのだ。そこまで慌てる必要が無い。ゆっくり移動しても問題無い。


 そう思わせてくれる。


 彼女が自然体なのはいつもの事で、狙ってやった事では無いけれど、ペレリスとしては狙い通りの状況ではある。


 ただ、ペレリスとしても気がかりではある。


 一度状況を確認しに行ったけれど、今までにない異常事態。魔物の氾濫が可愛く見えるくらいの魔物の数。


 現在地からは穴は見えないけれど、少し場所を移して少し高い所に登れば簡単に見えてしまう。


 自分達は大丈夫だ。けれど、心の弱い者が見たら耐えられない可能性がある。それは、騎士でも兵士でも同じ事だ。


 穴から延々流れ落ちる蟲の滝。朝起きてから夜眠るまで、その蟲が流れ落ちるという事実に、果たして耐えられるだろうか。終わりの無い恐怖に耐えられる者が何人いるだろうか。


 勿論、底を尽きる可能性も在る。が、あまり楽観視してはいけないようにも思う。


「ペレちゃーん、表情堅ーい。わたしぃ、笑顔のペレちゃんの方が好きぃ~」


 甘い声音で言いながら、ソニアはペレリスにぺっとりと抱き着く。


「暑苦しい!!」


「へぶっ!?」


 そんなソニアをペレリスは投げ飛ばす。


「しどいぃ……っ!!」


「私に抱き着く暇があれば、仕事をしてください!」


「ひぃぃん……ペレちゃんの馬鹿ぁ……」


 ソニアは起き上がって泣きながら避難誘導を進める。


「……まったく、情けないですね、私は」


 ぱんぱんっと自身の頬を叩いて気合を入れなおすペレリス。


 どうやら、先を見越して表情が堅くなってしまっていたらしい。


 それを気付かれる前に、ソニアが和らげてくれたのだ。


 普段の言動こそ頼りなさが滲み出るけれど、ソニアは決して馬鹿では無い。むしろ、人の機微には敏感な方だ。女性限定ではあるけれど。


 自分が弱音を吐いても仕方がない。今出来る事をする。それが自分の務めだ。


「さぁ、急がず焦らず! 時間は在ります! ゆっくり移動してください! って、ギルマス!! 女の子のお尻を触らない!!」


「ぶぇぇぇぇん!! ペレちゃんがお尻蹴ったぁぁぁ!!」



 〇 〇 〇



 住民が避難誘導をしている最中、ルーナは影女に偵察に向かわせていた。


『戻りましたよー。いやぁ、やばいですねぇ……』


 帰還した影女は、どう説明したものかと言った表情をする。


『状況は?』


『空に穴が開いてるのは見えてますでしょう? それで、蟲がわんさか落ちてきているのも』


『ああ』


『それが一直線に王都に進軍。迎撃してますけど、圧倒的に数で負けてます。多勢に無勢とはまさにこの事かと』


『そうか』


『そうかって……それだけですか?』


『ああ』


 頷いたルーナに、影女は眉を潜める。


『…………倒しに行かないので?』


『何故だ?』


『主様なら朝飯前かと思いまして』


『騎士や兵士が出ているのだろう? であれば、私が出る幕は無いだろう』


『多勢に無勢なのですよ?』


『総兵団長も出るだろう。他にも、パーファシールは粒揃いと聞いた』


『楽観視ですか? それとも、そこまで計算に入ってます?』


『まずは静観だ』


『……静観してる間に、何人死んでもですか?』


『ああ。私の護衛対象は彼女ただ一人だ。騎士や兵士と違って、他を護る義務も無い』


『……』


 ルーナの答えに、影女はもの言いたげな表情を浮かべる。


『……助けられる命があっても、主様は助けないのですか?』


 影女の言葉に、ルーナは少しの間を置いてから答える。


『私は、決めたのだ。主を護り抜くと』


 そのためであれば、何処まででも卑怯になれる。


 それが忍びだ。それがルーナだ。


『ああ、そうですか』


 ルーナの答えに、影女は不機嫌そうに返す。


 影女にどう言葉を返されようとも、ルーナの答えは変わらない。


 ルーナの護衛対象は、ミファエル・アリアステルただ一人だけなのだから。

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