第84話 忍び、頑なになる
パーファシール王国建国以来の緊急事態。流石に、学院の方も授業を止めざるを得ず、産まれや育ちも関係無く何らかの雑務に追われていた。
魔法科の生徒は前線に引っ張り出されて、少しでも蟲の勢いを削ごうと魔力切れ寸前まで魔法を行使している。
騎士科や兵士科は騎士団と兵団の指揮下に着いて避難誘導や、第二防衛線の建設に駆り出されている。
従事科は一度主の元を離れて炊き出しなどの準備を行い、執政科は避難住民の照合や避難の進捗状況をまとめている。
そして、それはミファエルもまた例外ではない。
とはいえ、ミファエルに出来る事はそんなに多くは無い。精々が、不安げな子供の相手をしてあげるくらいだ。
今もせっせと働いているのは上級生達であり、下級生は避難住民の対応をしている。
ピュスティスも、ミファエルと同じように子供達の相手をしており、絶えず笑みを浮かべて子供達を安心させている。
フランは子供達に撫でられ抱っこされ、もみくちゃにされている。
けれど、嫌な顔一つせずに柔らかい肉球で子供達のほっぺをむにむにしたり、ぴょんぴょんと一緒になって跳ねまわったりしている。
堅い声で絵本の読み聞かせをしている自分とは大違いだと思う。
何かしようとしても、自分に出来る事なんて高が知れていて、大きな事は何一つだって出来やしない。
「ああ、いた! ミファエル嬢」
読み聞かせをしていると、アイザックが急ぎ足でミファエルの元へとやってくる。
「アイザック殿下……私に、何か御用でしょうか?」
「御用も御用だ。少し、時間を取れるか?」
「ええ。御免さない、皆さん。少し席を外しますね」
ミファエルの言葉に、子供達ははーいと元気の無い声で答えるだけ。それが、心に痛い。
「フラン。子供達と遊んであげてください」
「了解ですにゃあ!!」
「行きましょう、殿下」
「ああ」
二人は教室棟にある談話室へと向かった。
談話室には誰もおらず、アイザックとミファエルの二人きりだ。
対面に座り、即座にアイザックが切り出す。
「単刀直入に言おう。君の隠し玉と話がしたい」
「隠し玉……私の護衛の事ですか?」
「ああ」
「私は、構いませんけど……」
果たして、ルーナが表に出てくるかどうかが分からない。
「ルーナ、出てきてくれますか?」
ミファエルがそう言うと、テーブルの上に一枚の紙片が落ちる。
紙片には無機質な文字で『断る』と書いてあった。
しかし、一度断られたくらいでめげるアイザックではない。
「では、声だけでもどうだ? 食堂での時のように、声だけでも良いのだ」
一度だけ食堂で声を発した。しかし、その声はルーナのものでは無く影女のものだ。
しばしの沈黙の後、男とも女ともつかない無機質な声が部屋の何処からともなく響きわたる。
『声の次はどうするつもりだ? まさか、力を貸せという訳ではあるまいな?』
何処からともなく発せられる声に、アイザックは即座に真偽眼を使って居場所を判別しようとするも、あえなく失敗に終わる。
部屋の何処を見ても存在を確認できてしまう。何処にでも存在するなんて事は有り得ない。何処かに潜んでいるのであれば、そこ以外には居ないという事のはずだ。
なのに、何処にでも存在が在る。
自分が出会ってきた中で、明らかに異次元の存在。
アステルやマギアス、アルカイトはまだ強さの理由が見える。が、ルーナには強さの理由が見えない。何故強いのか、何故そんな事が出来るのかが分からない。
知らない事が、
アイザックには珍しく、緊張した面持ちでルーナに言葉を返す。
「その通りだ。現在、王都は未曽有の危機に瀕している。貴殿の力をお借りしたい」
『断る』
アイザックの言葉を、ルーナは即座に切り捨てる。
断られる事は分かっていたのか、アイザックに動揺は無い。けれど、目尻は険しく吊り上がる。
「何故だ? このままでは貴殿の主も危険に晒されるのだぞ?」
『どんな事が在ろうとも、主だけは護りきる。それ以外は、私の知った事ではない』
「大勢が死ぬかもしれないのだぞ? そこには、彼女の親しい友人も含まれるかもしれないのだ!!」
『関係無い。私は、主だけを護る。それが私の受けた命令であり、請け負った任務だ』
無機質な、けれど、譲らないという意志を感じる。
「ルーナ。私からもお願いします。どうか、アイザック殿下に力添えを」
見かねたミファエルがルーナに言う。
まさかミファエルが助け船を出すとは思っていなかったアイザックは、少しだけ面食らう。
ミファエルにとってルーナは切り札。絶対に手放す事の出来ない隠し玉だ。
それを、
学院に在籍する貴族の大半は、必ず一人は騎士を付けている。それは、自らの身を護ってもらうためだ。
今のミファエルには
ルーナが居るというのは大きく精神的な支えになっているはずだ。それを、自ら手放そうと言うのだ。
主の言葉であれば、ルーナも――
『断る』
「何……?」
まさかの回答に、アイザックは思わず言葉を返す。
ミファエルも少しだけ驚いている様子だ。
「……貴殿の、主の言葉なのだぞ?」
『主だが、
確かにミファエルは主だ。しかし、ルーナを雇ったのはあくまでアリザであり、アリザの最初の命令以外に従うつもりは無い。その場その場で命令系統を二分するのは悪手だ。それで、ルーナは痛い目を見た。
アリザのミファエルを護ってくれという
それが些細な命令であればルーナも言う事を聞こう。けれど、例え主であろうと、主を護れという命令を阻害する命令を聞くわけにはいかない。
あの時と同じ失敗は、もう二度と繰り返さない。
「では貴殿の雇い主とやらに口添えをしてもらえば、貴殿は動いてくれるのか?」
『それは無い。私の請け負った任務は主の護衛だけだ。王都を護るのであれば、いささか報酬が見合わない』
「ではその見合わない報酬を国が払おう!! それであれば貴殿は力添えをしてくれるのだな!?」
『断る。護衛任務以外を請けるつもりは無い』
「――ッ!! ああ言えばこう言う……!!」
腹立たしそうに眉間に皺を寄せるアイザック。
此処まで感情をむき出しにしているアイザックを初めて見る。
同時に、此処まで頑なになるルーナも見た事が無い。
「大勢が死んでも、貴殿はどうでも良いと言うのか!!」
『それをどうにかするための騎士や兵士だ』
「もしもの時がある!! 私は生まれてこの方、空に穴が開いたところなど見た事が無い!! 明らかに異常事態だ!! 何が起こるか分からない以上、最高戦力で挑みたいのだ!!」
『私は個人の力だ。王国の戦力では無い』
「だからこうして頼み込んでいるのだろう!!」
『であれば無駄な労力だ。主の身に危険が及ばぬ以上、私は動くつもりは無い』
話はそれで終わりだとでも言わんばかりに、先程まであちこちで感じ取れた気配が一瞬で霧散する。
「あ、おい!! 話はまだ終わってないぞ!!」
何処へともなく声をかけるも、虚しく壁に反響するのみ。それ以上の返事は無かった。
「……はぁ。まったく、とんでもない奴だ」
力が抜けたのか、アイザックは椅子に深く腰を掛ける。
「申し訳ありません、アイザック殿下」
溜息を吐くアイザックに、ミファエルは申し訳なさそうにして頭を下げる。
「君は悪く無いだろう?」
「いいえ。私の言葉を聞き入れてくれなかったのは、私の不徳の致すところです。私が、もっと主としてらしく在れれば……」
「どうだかな。あの頑固っぷりでは、私が主だったとしても同じように言っただろうさ。……それにしても、これで私の当ては潰えた訳だが……どうしたものか」
考え込むアイザック。
自分から説得してみようと言いだそうと口を開いて、言葉にならずに口を閉じる。
一体、自分に何が出来る。
主らしくも無く、この事態に何が出来る訳でも無い小娘が、どうやってルーナを動かす事が出来る。
幾ら言ったところで、ルーナが頷く訳も無い。
何も出来ないのであれば、黙っていよう。口を
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