第70話 忍び、重ねる
オーウェンが遠征に向かい、学院にミファエルの騎士は居ない。けれど、何処に居るかは分からないけれど何処かしらにルーナは居て、肩の上にはフランが居る。
少しも不安は無いし、寂しいとも思わない。
これを聞いたらオーウェンは微妙な顔をするだろうけれど、事実なのだから仕方が無い。それに、いなくて良い訳では無い。今やオーウェンは無くてはならない存在だし、心を許せる相手だ。
オーウェンが強くなるための遠征であれば、ミファエルが寂しがっていてはいけないのだ。
だが、心配事はある。
毎年行われる世界樹を称える祭事、祝樹祭が近付いてきているのだ。
祝樹祭の開催期間、またはその準備期間を含め、ミファエルは気を付けるように言われている。そして、それは千年祭の時もだ。
理由は今更説明するまでも無く、ミファエルの特別な目の事だ。
アリザや父親はどちらがどう危険かは言わなかった。とにかく、明るみに出てはいけないと言っていた。けれど、祝樹祭の時の方が言葉に熱がこもっていたように
ミファエルは父やアリザに言われた通り、祭りの開催期間中は学院で大人しくしている事にする。
一応、学院で開かれるパーティーには参加するつもりだけれど、街に繰り出して出店巡りをする事はない。興味は有るけれど、危険を回避する方が重要だ。
何が起きるか分からない。どんな事が露呈の引き金になるか分からないのだ。
それが分かっているけれど、つまらないと思ってしまうのは仕方の無い事だろう。
出店で買い食いをするつもりは無い。はしたないから止めなさいとナナリーに言われているから。ただ、地方から装飾具を売りに来る者も居る。その中には、貴族の子女が一目置く職人も居るのだ。そういった物をあまり持ち合わせていないアリザに似合う装飾品を買ってあげたいと思ってしまう。
皆が祝樹祭に色めき立つ中、ミファエルの表情は少しだけ暗い。
そんなミファエルを影の中から監視する影女は、同じく影の中に潜むルーナに言う。
『主様、御嬢様が可哀想じゃございませんこと?』
『仕方あるまい。危険を遠ざけるためだ』
世界樹信教の信徒程度であれば問題無いとアリザは言っていた。ただし、司教よりも上となると話は別だという。
彼等は少なからず世界樹が存在するという確信を得ている。影の国と同じく、世界樹は御伽噺として語られるが、彼等にとって世界樹は存在しているし、
アリザは断言はしなかった。けれど、ルーナにはミファエルの目の正体が分かっている。そして、世界樹信教が最重要警戒対象である事も理解している。
だからこそ、迂闊な行動はさせられない。ミファエルを護るためにも。
『護るためには御嬢様の御機嫌も関係無し、ですかぁ?』
『致し方あるまい』
『それ、本当に護ってるって言えるんですかねぇ~』
『何?』
ぷはぁっと
影女が報酬に寄こせと言ったので、ルーナが秘密裏に作った。葉っぱは影の国に落ちていたのを渡した。
嫌そうにしていたけれど、贅沢も言えないので我慢して吸っているらしい。
『主様は状況に重きを置きますけど、状態にはあまり関心無いですよねぇ』
『どういう意味だ?』
『少しは御自身でお考えになられたらどうですか? だから野暮天って言われるんですよ』
『……』
野暮天。以前の主にも言われた事がある言葉。
『主様は機転も利きますし、腕も立ちますし、状況把握も得意ですけど、もっと人の心とか、乙女心とか勉強した方が良いんじゃないですか?』
『勉強してどうなる?』
『だーかーらーやーぼーてーんー!!』
独特な音程で歌うように言い放つ影女。
『主様は女の子とでーとした事無いんですか?』
『でーと?』
『逢引きです!』
『無い。そんな事をしてる暇は無かったからな』
『かーっ! これだから世捨て人は! 女の子にも興味無かったんですか?』
『…………無いな』
美しい女性には多く会って来た。けれど、惹かれるという事は無かった。
任務に次ぐ任務。終わればまた任務。色気にかまけている暇など無かった。
それに、生まれてこのかた特別心を奪われる女性も居なかった。
『主様ってやっぱり人の心を持ってないんじゃ……』
『心は在る。それに、そう言う感情がある事も否定はしない。色に狂って堕ちた国や、色で人を惑わす姫も居た。人間が、そう言う感情に弱いという事も知っている』
『それはちょっと違うような……はぁ……やっぱり主様は野暮天ですねぇ。ドッペルゲンガーみたいに、恋愛小説でも読んだ方が良いんじゃないですか? 少しは乙女心が分かりますよー』
言いながら、もう知ーらないと言った様子で影女は煙管を吸う。
ルーナは影の中からミファエルの表情を窺う。
確かに、ミファエルはつまらなそうな顔をしている。それはそうだろう。皆が祝樹祭に興味津々な中、彼女だけ祝樹祭には関われないのだから。
ミファエルの身の安全こそ、ルーナの任務の全て。与えられた仕事の全てのはずだ。
護りきることが正しい事であり、護りきれなければルーナは間違いを犯したという事に他ならない。
ルーナは間違いを犯した。その結果主を失い、自分も死ぬことになった。
だから、二度と間違いを犯さないようにより慎重にならなければいけない。
それは間違いではない。この策は、間違えてはいない。
だが、ミファエルの表情を見ていると、どうにもそうは思えない。
「……つまらない」
ぽつりと、ミファエルは呟いた。
それが、以前の主と酷く重なった。
天守閣に登り、小さな主は城下町の喧騒を眺める。
今日は祭日。城下町は出店や余興などで賑わっている。
「……退屈だ」
それを、小さな主は眺めるだけだ。
主は城下に降りる訳には行かない。いつ何時敵襲に遭うか分からないのだから。
月影は影の中で主を見守る。
「のう、月影」
「はい」
呼ばれ、月影は影の中から姿を現わす。
「退屈だ」
「はい」
「……」
相槌しか打たない月影に、小さな主はむっと苛立ったように眉を寄せる。
「この、私が、退屈だと、言っているのだが?」
「左様で」
「むぅ……!!」
小さな主は手に持った杯を月影に投げ付ける。
月影は避ける事もせずその場に膝を着いたままだ。
杯が月影の頭に当たるが、月影には大した痛みは無い。
だが、当ててしまった事に対する罪悪感があるのか、小さな主は「あっ……」と小さく声を漏らした後、所在なさげに視線を彷徨わせた。
「……すまぬ」
「はい」
それでも、月影は頷くだけ。
主の心の機微など気にしない。月影の任務は、主の命令に従う事。今の命令は主を護る事であり、それ以外の事を気にする必要は無い。
「……はぁ……」
溜息を吐いて、小さな主は濡れた月影の顔を拭く。
「其方に当たっても仕方の無い事だったな……」
されるがままの月影に、小さな主はまたも溜息を吐く。
「城下は騒がしいというのに、此処は嫌に静かだな……」
遠くから聞こえてくる喧騒は小さく、ただ楽しそうだという事しか分からない。
自分の住む国なのに、自分は今仲間外れになっている。
城内も宴会が行われ騒がしいけれど、天守閣まで登れば騒がしさも遠く聞こえる喧騒程度にはなってしまう。
天守閣には小さな主と月影の二人だけ。
小さな主は何を喋っても殆ど独り言のようになってしまうし、月影は簡単な返答しかしない。
音は無い。ただ、寂しい沈黙だけが広がる。
「祭……良いなぁ……」
小さな呟きは、静寂の中でははっきりと聞き取る事が出来た。
月影には何が良いのか分からなかった。ただ騒ぐだけの行為に、価値があるとも思えない。小さな主の身の上を考えれば、行くだけ危険なだけだ。
その呟きが、小さな主の主張である事を、月影は気付かない。気付いたのは、ずっとずっと後の事。それこそ、もう取り返しのつかない、ずっと先の事だった。
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