第68話 斎火の民、緊急事態

 燦々と猛り輝く巨人が屹立きつりつする。


 その炎は闇夜を照らし、その巨人の周りだけは夜の帳も降りる事は無い。


 斎火いみびの王。人々が魔物の王と呼ぶ炎の巨人は、数多の炎の魔物を引き寄せる。


 が、王に寄せられた魔物はどれもこれも人畜無害。巨人の傍らで眠るか、魔物同士で戯れるだけである。


 斎火の王ですら、屹立するだけで無害。誰を攻撃する訳でも無く、誰から攻撃される訳でも無い。


 攻撃をしない理由は分からないけれど、攻撃をされない理由は分かる。


 単純明快。強すぎるのだ。


 かつて斎火の王を討伐せしめようとした国があった。


 国王は最大戦力で斎火の王の討伐に向かった。世界最強の一角と名高い戦士も中には居て、最高峰の魔法師に、上位の魔物を従える魔物使い。高名な鍛冶師が精魂込めて作り上げたともすれば伝説に名を連ねる程の武具の数々。


 誰もが勝利を確信していた。誰もが英雄の生還を確信していた。


 けれど、誰一人として帰ってはこれなかった。


 王国は十万を超える戦力を失った。その後の王国の末路など、語るべくも無いだろう。


 王と呼ばれる所以ゆえんはその強さ。それは、他の三体の王も同じ事。


 だから誰も手を出さない。歴史を繰り返さないために。命を無駄にしないために。


「ガヌゥラ。羊達の様子はどうだった?」


「大丈夫。皆、健康」


 薄着に小麦肌の少女は、羊の体調を診ながら答える。


 斎火の王から離れた位置。そこには集落があり、平和に暮らしている。


 小麦肌の少女――ガヌゥラもその集落に暮らしている一人だ。


 彼等は遊牧民。斎火の王は周期的に移動をする。その移動に合わせて、彼等も移動をする。


 斎火の王の周囲には敵意を持つ魔物は寄り付かない。その特性を利用して、魔物の来ない限り限りの位置に集落を構えて生活をする。


 ただ、限り限りの位置となると、斎火の王の熱が届く。そのため、彼等の肌は小麦色に焼けている。


 ガヌゥラは羊を放つと、今度は大きな水瓶を持って川へと向かう。


 その後ろを、ちょろちょろと追い回すのは小さな小さな炎の蜥蜴。火の精霊サラマンダーの子供である。


 火葉ひようの森を訪れた際に偶然出会って、遊んでいる内に懐かれてしまったのだ。


 名前はプロクス。今ではすっかりガヌゥラの家族だ。


 夜を迎えず、火に囲まれた集落。


 人は彼等を不夜の民、または、斎火の民と呼ぶ。


 彼等は三百年以上も斎火の王と行動を共にしており、その観察、監視を任されている民でもある。


 とはいえ、観察を任されていたのは最初の代くらいで、今ではただの遊牧民族だ。なにせ、監視を命じた国はとうの昔に滅んでしまっているのだから。


 監視の命は無くなったものの、彼等は今の生活を捨てる事もせず、何のしがらみも無く生活をしている。


 斎火の王は、三百年間決まった時期、決まった速度、決まった道を通って歩いている。


 その周期に合わせて、斎火の民は移動をし、斎火の王の恩恵にあずかっている。


 世界にとっては斎火の王はいつ動き出すとも知れない脅威だけれど、彼等にとっては斎火の王は守護者であり守り神だ。怖いと思った事も無ければ、特段危険視している訳でも無い。


 川に到着したガヌゥラはプロクスに指示を出す。


「プロクス、止まる」


 ガヌゥラの言葉に、プロクスはグァと高い声で鳴く。


 プロクスは水に弱い。誤って落ちてしまっては一大事だ。


 水瓶に水を汲み、両手で持ち上げる。


 非常に重い水瓶だけれど、ガヌゥラにとっては赤子を抱くような重さ。特に問題は無い。


 毎朝羊の体調を診て、水瓶に水を入れてくる。それが彼女の日課。


 変わらない毎日。


 が、それは今日、終わりを迎えた。


「――?」


 振り返った先、いつもと変わらない立ち姿を見せていた斎火の王は、しかし、いつもと様子が違っていた。


 片足を上げている。


 その姿はまるで、今から歩き出そうとするかのようだった。


 よう、ではない。巨大な足が地面を踏み均す。


 地面が揺れ、空気が揺れる。


「――っ!? 何事っ」


「ガァ……」


 プロクスは不安そうにしながら、ガヌゥラの頭に登る。


 肌を焼く程の熱波が吹きすさぶ。


 ガヌゥラは水瓶をその場に置き、プロクスを抱き抱えて全速力で走る。


 放っていた羊達は何事かと慌てふためき、混乱のままに走り回っている。


「ガヌゥラ!!」


「父!!」


 外に出て斎火の王の様子を見ていた父親は、ガヌゥラの姿を見て安堵する。


「ガヌゥラ、長のところへ行くぞ!」


「分かった」


 羊達は、運が良ければ助かるだろう。


 今は、自分達の命を優先するべきだ。


 急いで長の元へと向かう親子。その間にも、斎火の王はゆっくりと歩を進めている。


 他の者達も斎火の王の異常に気付き、旅長たびおさの元へと集っている。


 幸いにして進路は集落から外れている。が、全員が今まで生きてきた中で起こった事の無い異常事態に困惑している。


「長! どういう事なんだ!? 斎火の王が動くにはまだ時期じゃ無いはずだ!」


「それに、進路もおかしい! いつもの順路から外れてる!」


「三百年間こんな事は無かったはずだ!」


 皆が皆不安そうに声を上げる。


「静まれッ!!」


 年老いた男が声を張り上げる。彼がこの集落の長であり、この集落で一番の年長者だ。


 歳に似合わぬ声量を受けて、不安げな声はなりを潜める。しかし、だからと言って不安が解消された訳では無い。


 今までにない一大事。これから何が起こるのかは誰も予想が出来ない。


「ひとまず落ち着け。幸い進路は集落から外れておる。誰ぞ、地図を持って来てくれ」


「あ、はい!」


 家が近い者が地図を引っ張り出して来る。


 地図には斎火の王の順路が記されており、斎火の王の停止位置も記されている。


「やはり、順路から外れておるな……」


 長は斎火の王が進んでいる方向を指でなぞる。その先には、村もあれば国もある。


「十人程、早急に斎火の王の進路に先回りをして近隣の村や街に避難勧告を行ってくれ。もう十人は更に先の村や街に行って警告を」


「分かりました」


「他の者は移動の準備を始めてくれ。体力に自信のある者は斎火の王と付かず離れずで様子を見てくれ。以上、さぁ動け!!」


 長の号令で各々動き出す。


「父、ガヌゥラも、向かおう」


 ガヌゥラが父親にそう提案する。


「ガヌゥラなら、馬いらず。馬より、速い。馬より、長く走る」


「だが……」


「集落、否、世界の一大事。ガヌゥラ、きっと出番。産まれてきたの・・・・・・・、きっと、このため」


「ガヌゥラ……」


 ガヌゥラの真剣な眼差しを、父親はまっすぐ見つめ返す。


可愛い愛娘を自らの手元に置かず、危険に晒すような事はしたくは無い。それが親心だ。


 だが、ガヌゥラの気持ちも分るのだ。彼女のも理解できるのだ。


 彼女の全て・・を知っている。彼女を父親として見てきたのだから。


 だからこそ迷ってしまう。


「父、ガヌゥラ、頑丈。大丈夫」


 ふんっと力こぶを作ってみせるガヌゥラ。しかし、多少肉付の良い少女の腕だ。屈強な戦士のそれでは無い。


 父親はガヌゥラの頭を撫でる。


「大丈夫か?」


「大丈夫。ガヌゥラ、頑張る」


「そうか……」


 父親はガヌゥラの両肩に手を置く。


「無茶はするなよ」


「承知した。ガヌゥラ、無茶はしない」


 素直にこくりと頷くガヌゥラ。


「頼んだぞ、ガヌゥラ」


「承知」


 頷いて、即座にプロクスを抱き抱えて走り出すガヌゥラ。


 彼女はきっと大丈夫。問題なのは、斎火の王の進路にある街や村だ。


 気持ちを切り替えて、父親も動き出す。一分一秒も無駄には出来ない。


 世界を揺るがすほどの、大事件が起こるかもしれないのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る