第96話 忍び、恐怖を知る

「いや、そこは心動かされて行動に移す場面では?」


 ミファエルの本音を聞いてもなお動こうとはしないルーナに、影女は呆れたように言う。


「感情に流されて行動はしない」


「感情に流されろとは言ってねぇんですわ」


 ルーナの言葉に、影女が苛立ったように返す。


「主様って人の気持ち考えた事あります?」


「人の、気持ち……」


「うわっ! その反応で丸わかりですわ! はーあっ! なーんかおかしいと思ったんですよ!」


 呆れたような怒ったような調子で荒ぶる影女。


 ルーナは人の気持ちなど考えた事は無い。目に見えて分かる感情に対しては対応できるけれど、こう言えば相手はこう思うだろうという気持ちが幾分か欠落している。


 ツキカゲという人物も、過去に会った人間を猿真似しているだけである。こう言われたらこうする。こういう態度を取った者に対してこう返す。それを徹底しているだけだ。


 相手が何を思って、何を考えているかまでは深く考えていない。


 そもそも、人前に出る事の方が少なかったルーナは、対人への経験が少ない。そして、徹底して人との関りを絶っていたので、人の気持ちなどを考えた事は無かった。


 人の気持ちを考える事は、任務の範疇外だったから。


「道理で野暮天な訳ですよ! ああもう面倒臭い主人ですこと!!」


 散々に言う影女。けれど、此処にルーナを知る者が居れば影女に同調した事だろう。


「主様くらい強かったら、あの空の穴も如何様にでもできますでしょう?! それに、護衛が必要なら女鬼やら悪魔やらを置いて行けばいいじゃ無いですか!!」


「百鬼夜行を持っている事は知られたくは無い。あまり手の内を晒すと――」


「手の内とか!! 主様が晒したところで誰も敵いやしませんよ!! ていうか、百鬼夜行なんて主様にとってはちょっと使い勝手の良い駒程度でしょうに!」


 実際、百鬼夜行の面々が全力で戦ってもルーナには勝てない。それは、彼等自身が一番良く理解している。


「それに、百鬼夜行は前の持ち主を主様が倒した時点で紛失したっていう情報くらい出回ってますし、公爵家を襲ったんですから公爵家の手の内に在るって事くらい裏ではとっっっくに知られてますから! 今更出し惜しんだところで意味無いんですよ!」


「……」


 影女の言葉に、ルーナは特に言い返す事はしない。


 その事実に気付いていない訳では無かった。しかし、あえてその事実を口にはしなかった。


 この場を離れる理由になってしまうから。


 何も言わないルーナに、影女は訝し気な表情で訊ねる。


「……もしやとは思いますけど、主様ビビってます?」


「びびる……?」


「怖がってるかって事ですよ。いや、主様にしては妙に大人しいなとは思ってたんですよ。一番良いのは、彼女をこの空間に匿って、主様が一人で特攻する事じゃ無いですか? 事態の早期解決が出来れば、その分だけ彼女が危険である時間が減る訳じゃ無いですか?」


「……」


 影女の言葉に、ルーナは考え込む。


「私が、怖がる……」


 言葉を反芻してみて、その言葉の意味を実感する。


 そんなルーナを差し置いて、影女は訊ねる。


「あの数を相手にした事が無いからビビってるんですか?」


「数はどうとでもなる。それに、私が直接相手をする必要は無いだろう」


「じゃあ、あの穴を閉じる自信が無いんですか?」


「手立てはある。似たようなものを開いた・・・事が在る。同じ要領で閉じる事も出来よう」


「じゃあ何をビビってるんですか! 主様が行ってちゃちゃっと片付けるだけで問題解決じゃ無いですか!!」


「……」


 影女の言葉に、流暢だったルーナが閉口する。


「怖がる……私が……」


 素直にその言葉を飲み込み、ルーナは思案する。


 前の主の二の舞のようにならないように、徹底してミファエルの傍に居ようとした。


 それは、きっと忍びとして間違いのない行動なのだろう。影ながらミファエルを護るのがルーナの仕事なのだから。


 ただ、そこに任務以外の感情が無かったかと言われれば、恐らくは否だろう。何せ、前の主の二の舞にならないように行動をしている。つまりは、もう二度と主を失いたくは無いと思っているのだ。


そこに感情が無いと言うのは、あまりにも無理がある話だ。


 状況と行動を整理して、ルーナはようやく気付く。


「……そうか。私は、主を失うのを恐れていたのか……」


 もう二度と失いたくないという思い。それは、主を亡くす事を恐れる・・・気持ちだ。


「ああ、そういう恐れですか……なんか、主様らしいというかなんというか……」


 ルーナの言葉に、影女は疲れたように溜息を吐く。


「恐れながら主様。失うのが嫌なのであれば、静観する時期は過ぎたのでは?」


 影女の言葉に、しかし、ルーナは答えない。いや、答えられない。


 此処に来て、判断が出来なくなっているのだ。


 生前の主を失った時と同じ事が起きる可能性も無きにしも非ずだ。


 だが、このままでは王都に壊滅的な被害が及ぶ可能性もまた事実であり、この状況が長期的に続くのもよろしくない。


 影女の言う通りだ。一番自由に動く事の出来るルーナが出て行った方が速いのだ。


 それが分かっていながら、ルーナは動けない。


 初めてだった。明確にやるべき事が分かっているのに、行動に移せないのは。


 いや、思えば初めてでも無いだろう。忍びの鍛錬の時も、明確に動けなかった時が一度だけ在った。


 そうか、あれが戸惑いと恐怖だったのかと、今になって理解する。


「……ちんたらしてないで、とっとと――」


 一向に動く気配が無いルーナに喝を入れようとした影女だけれど、急に口を閉じる。


 暫く制止した後、影女が手をかざす。


「主様には、彼奴の喝を聞いてもらいましょう。きっと、私が言うより堪えるでしょうし」


 影女は影と影を繋ぐ。


 見えたのは、蟲と戦う遠征組の姿だった。


 その中で、ドッペルゲンガーは一人の少女に対して声を荒げていた。





 ルーナが葛藤をしているその最中でも、戦闘は継続している。


 穴から湧き出る蟲を一体でも多く潰そうと、大人も子供も関係無く戦っている。


 そんな中、誰よりも栄える活躍をしている者が居た。


「ふっ!!」


 素早い動きで蟲を両断し、自分が多くの蟲を請け負う事で仲間の対応を最小限にしている人物。


 ミファエルの騎士オーウェンは、大人の騎士顔負けの働きをしていた。


「風よッ!!」


 突風で蟲達を後方へ吹き飛ばし、相手の勢いに飲まれないように戦場を作る。


 それでも、限り限りの戦いだ。


 オーウェンの魔力だって無限ではない。一生このまま戦い続けられる体力がある訳でも無い。影の国よりはマシだけれど、状況が酷い事には変わりない。


 この状況がいつまでも続けば生徒の方が先に限界が来てしまう。肉体的にも、精神的にも。


 オーウェンは横で一緒に戦う騎士に訊ねる。


「いつまでこの状況を維持すればよいのですか? 私はともかく、他の者が持たないですよ」


「結界の再展開までの時間を稼ぐだけで良い! 恐らくそう時間もかからないはずだ!」


「その時間を明確にしてもらいたい!」


「正確には分からないが、短くとも三十分はかかる!」


「はぁ!? 再展開は五分のはずだろ!!」


 騎士の声が聞こえて来たのか、近くで戦っていたシーザーが割って入る。


「手順を踏んで解除した時の場合だ! 今回は壊されてる! 結界を構成する陣の損傷の確認と修復が必要なのだ! あと、言葉を慎め!! 後で地獄の訓練コースだからな!!」


「今がまさに地獄ですっての!!」


 騎士の言葉に軽口で返すも、シーザーの声に余裕は無い。


 遊撃だけでも、現状の戦力では対応しきれない程の数が押し寄せている。


 このまま上手く戦っても三十分は耐えられても、それ以上はどうなるか分からない。


 最悪、中に居るルーナに女鬼と悪魔を派遣して貰えれば何とかしのげるかもしれないと考えていたまさにその時。


「おぉらぁッ!!」


 気合の声。


 直後に、高密度に放たれた炎が範囲内の蟲を燃やし尽くす。


 シオン、では無い。シオンにしては、攻撃が荒っぽい。それに、声もシオンより高かった。


「チッ! んでオレがこんな事!!」


 悪態を吐きながら、鎧を見に纏った一人の少女が大剣を振り回す。


 乱暴。しかし、恐ろしく正確無比に放たれる斬撃。


「こらフィアちゃん!! 独断専行禁止!!」


「うるせぇ! お前らがちんたらしてんのが悪ぃんだろうが!」


「もーっ! ちっとはリーシアの言う事聞きなっての!」


 喧嘩をしながら、少女に加勢する女性達。


 助太刀した者の中、リーダーらしき女性が声を上げる。


「ソニア・ワルキューレの者です! 援軍要請に従って加勢しに来ました!」


「加勢じゃねぇ、蹂躙だ!!」


「あ、こら!!」


 一人突っ走る鎧の少女――フィアは、身の丈もある大剣を軽々と振り回し、蟲達を豪快に倒していく。


 その後に続くように、他の面々も攻撃に参加する。


 そして、援軍に来たのは彼女達だけでは無かった。


「こっちも援軍要請に従って加勢する!! 給料期待してるぜ!!」


「暴れな、野郎共!! 国庫が空になるまで働くよ!!」


「俺達は後方支援だ!! 怪我人の治療を最優先にしろ!!」


「がきんちょ共に後れを取るんじゃねぇぞ!!」


 様々なギルドのメンバー達が戦線に加わる。


 援軍が来た事によって、戦線に勢いつく。


「これなら!」


 希望が見えて来たのか、オーウェンの表情も多少は明るくなる。


 そんな中、虎視眈々と機会を窺っている者が居た。


「――ッ!!」


 妹を亡くした兵士科の少女――セリエは、後方支援を任されていながらも突然に前線へと駆ける。それが、無謀な行動であると知りながら。

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