第32話 忍び、授かる

「私は、今も学院に行きたくないわ。それは、変わらない」


 後ろ向きなミファエルの言葉に、アリザは気落ちしたように眉を下げる。


「でも、あの子に言われたの。被害者意識で人は導けないって」


「ほう……」


 ミファエルの言葉を聞いて数段低くなるアリザの声。


 アリザは月影の隠れた場所に視線を向けるも、残念ながら既にそこに月影はいない。別のところに姿を隠している。


「その通りだなって、思ったわ。私は、私を愛してくれる人がお母さんしかいなかった。そのお母さんが死んで、私は誰にも愛されなくなった。そうなったのは全部御父様のせいで、魔物のせいで……」


 そして、言葉には出さないけれど、自分を認めてくれない家族のせいでもあると、思ってしまっている。


「誰かに愛されたから、誰かのために頑張ろうって、そう思ってた。誰かのために動けば、その誰かは私を見てくれる。私を好きでいてくれる。そう思ってたの」


 それはきっと間違いではない。


 人は、誰かに愛されるために、その誰かのために何かをする。その考え自体は間違いではない。


 あの子の喜ぶ顔が見たくてお菓子を作る。


大好きな人を護りたくて魔物と戦う。


 程度に差は在れど、きっと皆、誰かのために何かをしている。そうして、世の中は回っている。


 その世の中から漏れている者は極少数だ。孤児ですら、月影やフィアのように互いのためを思って生きている。


 ミファエルは、その輪の中に入れてほしかった。けれど、彼女はそれでは駄目なのだ。


 ミファエルは、その輪を作る側の言葉を放った。であれば、被害者意識で行ってはいけない。それは世の中を変えるための行動ではなく、自分を慰めるための行動になってしまうから。


 それはただの被害者の会だ。


「……でも、でもね。アリザは、私のために戦ってくれた。それが、凄く嬉しかった。それで分かったの。誰かに愛されたかったんじゃない。私は、アリザや御父様、私の大好きな人に愛されたかっただけなんだって」


「御嬢様……」


「私がしたのは、偉ぶった施し。そりゃ、要らないって言われるわよね。私だって、御父様に拾われる時には同じように思ったもの」


 自虐的にくすりと笑う。


「……アリザ。私、学院に行くわ。そこで一杯勉強をして、大事な人を作る事すらままならない人達を手助け・・・できるようになるわ。哀れみでも、被害者意識でもない。私が心の底からやりたいって思った事をやるために」


 力強い視線。それを、真っ直ぐアリザにぶつける。


 手助けというのは、バンシーの事も含まれているのだろう。彼女のような境遇の者を作らない。


 それを、彼女は自分の使命とした。


「私、もう逃げないわ」


 力強い目。新緑色の目が、きらりと宝石のように光る。


 その答えを聞いて、月影は少しだけ口角を上げる。


 これなら、安心して護れると分かったから。


「それでこそです。御嬢様」


 アリザが嬉しそうに頷けば、ミファエルも満面の笑みで返す。


「御嬢様。そろそろ稽古のお時間です」


 タイミングを読んで、オーウェンがミファエルに声をかける。


「もう、分かってるわ。アリザ、ゆっくり休んでね」


「はい。ありがとうございます、御嬢様」


 うんしょっと椅子を移動させ、部屋を後にしようとするミファエル。


「あ、申し訳ございません、御嬢様。最後に少々よろしいでしょうか?」


「なにかしら?」


「あの者……御嬢様をお助けした者の事です」


「あの子の事? あの子がどうしたの?」


「あの者は、御嬢様の陰にございます。御嬢様を御守する、私の知る限り最強の守護者です。今後は、いついかなる時でもあの者が御嬢様を御守します」


「そう……そうなのね」


 安心するような、少し恐ろしいような。そんな声音。


「つきましては、あの者に名前を授けてはくれませんか? 名など捨てたと言って、あの者は名乗らないのです」


「名前、私が付けて良いのかしら?」


「好きにしろと、あの者は言いました。ですので、御嬢様のお好きなように」


 こくりと頷き、ミファエルは悩むように自身の可愛らしいおとがいに人差し指を当てる。


「名前……名前……うーん……」


「今日中でなくとも大丈夫ですよ。ゆっくりお考えになられてください」


「ううん。今付けるわ。何処に居るのかは分からないけれど、何処かにはいるのでしょ? なら、聞いてる今が良いわ」


 何処かに居る事は知られている。その事実を知ったとて、月影は微動だにしない。嘘を吐いている可能性も在るからだ。


 ただ、アリザはそうもいかない。驚いたように目を見開いてしまっている。


 オーウェンは先程アリザが視線を向けてしまった先を見る。


「うーん……」


 そんな二人を置いて、ミファエルは月影の名前を考える。


 思い出すのは、月影の事。灰色の髪。少年とは思えない強さと冷静さ。落ち着きはらった、宵闇のような雰囲気。そして、満月を思わせる黄色い瞳。


「うん、決めたわ! ルーナ! あの子の名前はルーナよ!」


「ルーナ……。良い響きですね」


「ちょっと可愛らしすぎではないですか?」


「良いのよ! ルーナで決定! 良い、ルーナ?」


 何処にいるのか分からない月影に確認を取るミファエル。


 そうすると、何処からともなく紙片が落ちてくる。


 そこには『了承』と無機質な筆跡で記されていた。


 主が代われば名前も変わる。そう言う生活をしていれば、自然と名前への頓着は無くなる。


 呼び名が変わるだけ。自分は、何も変わらないのだから。


「決まり! よろしくお願いするわ、ルーナ!」


 返答はしない。性格も、癖も、あまり知られて良い物ではない。影は、答えない。


 しかし、先程の紙片での返答だけでミファエルには十分だったのだろう。


「それじゃあ、もう行くわ。アリザ、ゆっくり休んでね!」


「はい。ありがとうございます」


 ぺこりとお辞儀をするアリザに、ミファエルは元気に手を振る。


「やっぱり、可愛らしすぎると思うんだけどな……」


 オーウェンは月影の強大な力を知っているため、ルーナという名前に違和感を覚えている様子でミファエルの後に続く。


 二人が部屋を出て行った後、影から滲み出るように月影――改め、ルーナが姿を現わす。


 消える時も同じように姿を隠していたので、アリザに驚きは無い。


「ルーナ。良い名前ですね。ですが、よろしかったのですか?」


「何がだ?」


「貴方にはちゃんと名前が在るでしょう?」


「頓着は無い。名前は、私を示すただの記号に過ぎない。それに……」


「それに?」


「私は、もう死んだ身だ・・・・・。死人が動き回るのも、不自然だろう?」



 〇 〇 〇



 安い宿屋の一室で、フィアは毛布にくるまって身体を丸める。


 目には生気が無く、あまり眠れていないのか目の下には隈が出来ている。


 部屋の扉がノックされ、返事も待たずにリーシアが入室する。


「フィアちゃん、入るわよ」


「……」


 ベッドに横になるフィアを見て、リーシアはまだ駄目かと溜息を吐く。


「フィアちゃん。起こってしまった事は仕方が無いわ。あの子は貴女より弱かったもの。いずれ、こうなっていたと思うわ」


 リーシアの言葉に、フィアは返答をしない。


 先日の魔物の氾濫が終結した後、戦闘を終えたフィアは月影を探した。


 しかし、何処をどう探しても月影は出てこず、月影の方からフィアを見付ける事も無かった


 嫌な予感がした。途轍もなく、嫌な予感。


「あの子が死んだのは、貴女のせいでは無いわ」


「あいつは死んでねぇ!!」


 毛布をはねのけ、フィアは起き上がる。


 戦闘の事後処理で、月影の死体が発見された。


 頭部は食い荒らされ、身体はところどころ欠損していたけれど、冒険者としての認識票を所持していたのと、その日の月影と同じ服装と所持品を持っていた事から、この死体は月影であると判断された。


 事実上、月影は死亡した事になった。


 勿論それは偽装工作であり、本人はぴんぴんしている。


 けれど、それを見破るだけの技術を持った者も居なければ、下位の冒険者相手にそこまでの労力を使おうとも思わないのが冒険者組合だ。


 月影の実力を知らないリーシアも、月影が死んだものだと思っている。


 しかし、フィアだけは月影が死んでいない事を確信している。


 何せ、魔物の氾濫に現れた魔物達は全てフィアにも殺せる程度の魔物だった。その程度の相手に後れを取るようであれば、今頃フィアは月影をぼこぼこにしている。


 死んだと思ったから落ち込んでいた訳ではない。


 フィアは、月影に見捨てられたのだ。


 何某かの理由があったに違いない。何も言わずに自分の元を離れるような奴ではない事をフィアは知っている。


 その理由をずっと考えたのだけれど、答えは出ない。


 ただ一つの手がかりは、認識票の裏に刻まれた『すまない』の文字だけ。


 何故自分の元を離れたのか。何があったのか。自分は連れてはいけなかったのか。


 思考がぐるぐると巡るだけで、答えは出ない。


「……なぁ、お前んとこのギルドは有名なんだろ?」


「え? ええ……」


「入ってやるよ、お前んとこのギルドに」


「……私は嬉しいけれど……やけくそになってない?」


「なってねぇよ。都合が良いから、利用してやろうってだけだ」


 何も分からないのであれば、聞き出せば良い。


 何年かかっても、何十年かかっても。


 見付けて、捕まえて、吐きたくなるまでぼこぼこにしてやれば、理由を知る事が出来るだろう。


「お前は、オレのだ。ラフィ・・・


 ラフィ。それは、フィアが付けたこの世界での月影の名前。自身の文字を分け与えた、大事な大事な名前。


 認識票を握り締め、フィアは決意をする。


 絶対に月影を見つけ出す。誰よりも強くなって、月影を自身の元に留めておく。例え、手足を捥ごうとも。


「……フィアちゃん……」


 仄暗い感情を見せつけるフィアに、リーシアは思わず息をのむ。





 こうして、月影は死に、ラフィは死に、ルーナとしての新たな人生を歩み始める。


 ルーナは知らない。ミファエルにどのような秘密が隠されているのかを。この先、どのような強敵が現れるのかを。


 けれど、ルーナには関係無い。何が来ても、誰が来ても、ミファエルを護り通す。


 今一度、忍びは主を護るために忍ぶ。今度こそ、護り抜くために。

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