第98話 影を追うな
馬鹿だなと口にしてから、無理も無いかと思い直す。何せ、セリエはまだ子供だ。強制的にとは言え、百年以上を生きるドッペルゲンガーとは生きた年月が違うのだ。まぁ、大半の時間は自由など無く、外界との繋がりさえも無かったけれど。
それでも、自分の気持ちに整理を付ける事は出来た。諦めにも、似ていたように思うけれど。
セリエはまだ子供で、その気持ちに整理なん付いていない。そんな当たり前の事に、ドッペルゲンガーは気付けなかった。
「はぁ……対人スキル鈍ったな、マジで……」
セリエに聞こえない程度の声音で、ドッペルゲンガーは呟く。
だが、冷静になったところで、ドッペルゲンガーの気持ちは変わらない。
ドッペルゲンガーはしっかりとセリエを見て言う。
「ば、馬鹿……? そりゃ、頭なんてよく無いけど……」
「そういう意味じゃない。もっと当たり前の事に目を向けろって言ってるんだ」
「当り前の事……?」
「死んだ人間は帰って来ない。何をしても、絶対に帰って来ない。これ、当たり前の事でしょ?」
冷静に、冷徹に、ドッペルゲンガーは言う。
「君が生きようが死のうが頑張ろうが何しようが帰って来ない。その人が死んだら心に穴が開いて、その人が居ない今日を生きていくしかない。明日も、明後日も、その先の未来永劫、ずっとその毎日を過ごすしかない」
静かな声音。けれど、その言葉には言い表せない重みがあって、その眼には深い深い悲しみの色が在る。
「あんたに、何が分かるのよ……」
「僕も何人か看取った。勿論、大切な人も」
そう言って、自然と忘れられない人との初対面を思い出した。
『あんた、アタシを殺しに来たの? はっ、随分と小さい仕事請けたね、あんた。相当な下っ端と見た』
退屈そうに、馬鹿にしたように言った彼女。
それを思い出すだけで悲しくなり、けれど、自然と笑みがこぼれる。
ドッペルゲンガーにとって、それは覆したい過去でありながら、大切にしたい過去でもある。
「姉の代わりになるって言ったっけ? 無理だよそんなの。君は君のお姉さんにはなれない」
「――っ」
オーウェンと同じ事を言うドッペルゲンガー。
またか。また、その言葉を私にぶつけるのか。
「――ッ」
音が鳴るほどに、セリエは奥歯を噛みしめる。
「なら、それなら私は、ずっと
セリエは、吐き出すように嘆く。
その言葉だけでは何があったのかを察する事は出来ない。それほど、ドッペルゲンガーは優秀ではない。
けれど、セリエの中で消化できない何かが在るのは分かっている。それが分からない程ではない。
そして、その消化できない何かが、今この場で決壊をした事を覚った。
地面に落ちる雫。
「私は……私は、
泣きながら、懺悔するように言葉をこぼす。
「……あの時死んだのは、
要領を得ないセリエの言葉。
此処に事情を知るオーウェンが居れば、話の辻褄を合わせる事が出来ただろう。
けれど、オーウェンがセリエの事情を知っているという事実をドッペルゲンガーは知らない。
「強くならなくちゃ、誰も
嘆くように思いを叫ぶセリエ。
ドッペルゲンガーは全てを察する事は出来ないけれど、どうやらセリエがセリエでは無い事は理解できた。
つまりは、死んでいたのは姉ではなく妹の方であり、彼女は『死んだ姉のふりをする妹』をしていたのではなく、『死んだ姉のふりをする妹のふり』をしていたという事だ。ややこしい事この上ない。
なんとかその情報だけは理解し、ややこしさに顔を顰めるも、現状はどうでも良いことだと割り切る。
「……認めて欲しいからって、妹の顔に泥を塗り続けるのか?」
「…………え?」
「だってそうでしょ? 君が演じてるのは姉を見殺しにした妹の姿だ。本当は逆なのに、ずっと君は妹の醜態を演じ続けてる。違う?」
「……ぁ……」
か細く、声を漏らす。
「妹が妹として生きたように、君も君として生きるべきだ。誰かの姿なんて重ねるな。取り繕ったまま生き続ければ、絶対に元に戻れなくなる」
自分がそうだったように。
「なりきる事は出来ても、成り代わる事は出来ない。その人は世界でたった一人だけで、その人が消えたら胸にぽっかり穴が開くだけなんだ。今戦ってる、僕の友達だってそうだ」
視線を戦場に戻す。随分と長い間ポルルに任せっきりにしてしまっている。そろそろ戻らなくてはいけないだろう。
年長者としての責任感なんて持ち合わせていない。元来、そういった面倒事は嫌いなのだ。
けれど、大きく年の離れた友達のために身体を張るのは悪い事では無いだろう。
「いつまでも
視線をセリエに戻す。
セリエは、涙に潤んだ瞳をドッペルゲンガーに向ける。
「もう妹の影を追うな。それは影であって、妹じゃない。影は、過ぎた事しか教えてくれないよ。今を生きるなら、今を生きてる人達をちゃんと見ろ」
それだけ言って、ドッペルゲンガーは戦場へと走る。
卑怯かもしれないが、自分の伝えたい事は伝えられた。
自分の言っている事が全て正しいとは思っていない。けれど、彼女からしてみれば自分は先駆者だ。であれば、一つの経験談を語ってみせるのも悪い事では無いだろう。
「ポルル、交代! 後は任せて!」
「おおー! お手々がくぶるでめっちゃ怖かったー! 後は頼んだ我らがリーダー!」
「リーダーかどうかはともかく、任された!」
踏み込み、迫る蟲を六尺棒で突いて吹き飛ばす。
戦線は持ち直している。この分であれば、結界の再展開まではもつだろう。
まぁ、何事も起きなければ、話ではあるけれど。
ドッペルゲンガーの言葉は、影を伝ってルーナまで届いていた。
最初の幾つかの言葉は聞き逃したけれど、おおむね、影女が伝えたい部分は全て伝わった。
影女はドッペルゲンガーの事を、少なからずルーナよりも知っている。
だから、あの場面でドッペルゲンガーがお節介を焼く事は分かっていた。非情に徹しきれない、根が優しいドッペルゲンガーらしさを知っていたからこそである。
「言われてますよ、主様」
腕を組み、何か言ったらどうだと態度で示す影女。
「影を追うな、か……」
ぽつりと、ルーナは言葉をこぼす。
影を追うな。その言葉が、ルーナには一番心に響いていた。それはもう、痛いくらいに。
自分は、以前の主とミファエルを重ねていた。同じ夢を持つ子供だからと、同一視してしまっていたのだ。
その志は同じでも、性別も、性格も違う。以前の主は、もっとがさつだった。
そうだ。違うのだ。彼女は、ミファエル・アリアステル。
あの時、主が死ぬ直前に、主の元を離れたのは失策だと今でも思う。その考えに変わりはないし、自分が主の傍を離れないのが一番だとも思っている。
ただ、あの時とは違う。
自分以外の味方のいなかった主とは違う。以前の主は、表向きな味方しかいなかった。
以前の主とは違う。ミファエルには、心を許せる味方が居る。
ミファエルも、ルーナも、一人では無いのだ。
忍びとして、主を絶対に護ると決めた。自分の力で、絶対に護り抜くと。
その気持ちを持っているのは、自分だけでは無い。
少なくとも、アリザとオーウェンが居る。
恐れていたのは、同じ事を繰り返す事。
そして、恐れをなして二の足を踏むのは愚策だ。
「影女」
「なんでしょう?」
「騎士を呼び戻せ」
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