第57話 七日目
七日目。
ついに決闘の日。しかし、ルーナはまだやって来なければ、時間の感覚が狂っているために、オーウェン達も今日が七日目だとは気付いていない。
もっと過ごしたような気もするし、まだそんなに経っていないような気もする。
面白いくらいに魔物の波は止んでおり、三人は座りながらぼーっと休んでいる。
「どうだった。この六日間」
三人の背後から、声が聞こえて来た。
振り向けば、そこには黒一色の服に仮面を被った何者か――ルーナが立っていた。
ルーナを目視したその瞬間、オーウェンは駆けだして鋭く肉薄する。
「ほう」
感嘆したような声を漏らすルーナ。しかし、そこに驚愕の色は無い。
剣を捨てて、オーウェンは拳を振るう。
速く、鋭い拳。
「予想以上だな。良い仕上がりだ」
オーウェンの攻撃を軽くいなしながら、ルーナは満足げに頷く。
「お陰様でな!!」
流れるように繰り出される打撃を、ルーナは左手のみでいなす。
「くそっ!! 大人しく殴られろ!!」
「私を殴りたいのであればもっと腕を磨け」
「なっ!? うぉっ!?」
蹴りを片手で難なく掴まれ、そのまま押されて尻餅をついてしまうオーウェン。
尻餅をついたオーウェンにルーナは鞘に収まった剣を投げ渡す。
尻餅をつきながらもオーウェンは剣を危なげなく掴む。
「……なんだこれは?」
「お前の剣だ。決闘だからな。真剣での戦――――」
「そうか、これでぶった切って良いって事だな」
即座に抜剣し、オーウェンはルーナに斬りかかる。
「待て、何故そうなる」
「自分の胸に聞いてみろ!!」
鋭い踏み込み。
これには流石のルーナもたまらない――と、思いきや、左腕一本でオーウェンの剣撃を全ていなす。
「やれぇタコ助!! 腕の一本くれぇもってけぇ!!」
「行け! そこだ! 主舐めプしてんぞ! まずは指いっぽーん!!!」
女鬼と悪魔はオーウェンを応援する。
「……」
やる気があるのは良いけれど、もうすぐ決闘の時間だ。
「ふむ……」
一つ頷いて、ルーナは百鬼夜行を少しだけ抜く。
「女鬼、悪魔、戻れ」
「はっ!? 今良いとこ――」
「短ぇシャバだったぁ――」
女鬼と悪魔を妖刀に戻し、ルーナは左手でオーウェンの剣を持った腕を掴む。
「よし、行くぞ」
「ああ逝くが良いさ存分になぁッ!!」
「だいぶ
まぁ、気勢が荒い方が良いだろう。
これだけ好戦的であれば、騎士を相手に臆する事も無いだろう。
ルーナはオーウェンの腕を引っ張って影の国を走った。目指すは、学院の第一闘技場だ。
〇 〇 〇
学院に在る第一闘技場。
此処では、学院の生徒による模擬戦や、他国の学生との交流試合で使われる他、今回のように決闘の舞台としても利用される。
他国の学生との交流試合を行うにあたって、その試合を見る事は大変有意義な時間になる。
よって、第一闘技場には観客席が設けられており、学院の生徒が全て入り、また観客を招いてもまだ足りる程の規模を有している。
新学期始まって早々の決闘という事と、その対戦カードが公爵家と侯爵家という事もあって、多くの者が観戦に訪れていた。
騎士科の者は現役の騎士から学べる事を学ぶため、というのも勿論ある。後は、期待の新人であるオーウェンがどれほどまでの実力を持っているのかを確かめるためというのも目的の一つだ。
「楽しみですね、ツキカゲさん」
「そうだね」
「つっても、相手は現役の騎士だろ? 幾ら期待の新人って言っても、相手が悪ぃんじゃねぇのか?」
「確かに、あのベイングローリー家の騎士でしょー? 見て、筋肉すごすごー!」
「顔も悪くない。けど、タイプじゃなーい」
「お前達は一体何に注目しているのだ……」
ポルルとペルルの言葉に、アイザックは呆れたような顔をする。
「というか、殿下は貴族席に行かなくてよろしいのですか?」
「構わん。執政科の面々に囲まれて見たところで、何も楽しくは無い。彼等には、騎士同士の戦いの凄みなど分からないからな」
ドッペルゲンガーの言葉に、アイザックは溜息交じりに応える。
しかし、直ぐに期待するような目に戻り、試合舞台に視線をやる。
「それにしても、ベイングローリーめ、本気で負かしに来たな……」
「あの騎士の方を御存じなのですか?」
アイザックの言葉に、アルカが小首を傾げながら訊ねる。
「ああ。マルコス・グルシアス。各学科ごとに総合的な個人の順位を毎年発表されるのだが、彼はトップファイブから落ちた事が一度も無い。非常に優秀な騎士だ。魔物退治の経験も在れば、対人経験も豊富だ。学生が勝てる相手では無いだろうよ」
「それは、期待の新人と呼ばれているブルクハルトさんでもですか?」
「ああ。実戦経験の差は歴然だ。場数を踏んだ数の差は大きい」
「なるほどです」
「つまりは、負け戦って事か? なんか胸糞悪ぃなぁ……」
シーザーが眉間に皺を寄せる。
つまるところ、タルケンは勝てる戦いを仕掛けたのだ。それを、大勢に見せつけようと言うのだ。趣味が良いとは言えないだろう。
各陣営を見やれば、ミファエルは表情が暗く、タルケンは既に勝ち誇った表情で取り巻き達とお喋りをしている。
「さて、どうするミファエル嬢……」
状況は、誰が見ても圧倒的不利。この場に居る大多数がそれを分かっている。
騎士科や兵士科は本物の騎士の実力を見に、執政科の何人かは幅を利かせている公爵家の失態を見に、魔法科や技術科は実戦の魔法レベルの確認と、触れる事の無い実戦を見てどんな物が必要かを見に、従事科は主の付き添いが多い。
その大勢が、ミファエルの負けを覚っている。確信していると言っても良いだろう。
その中、ただ
「おいおい。ブルクハルトはまだ来ないのか?」
「恥をかきたくなくて逃げ出したか……?」
「それも仕方ないさ。相手はあのマルコス・グルシアスだ。俺だって相手をするのは御免だよ」
「ふんっ、ブルクハルト家も落ちたものだな。誉れある決闘を放棄するなど」
「ちぇっ、良い対戦カードだと思ったんだけどなぁ」
決闘の時間が近付いてなお、オーウェンが来ない事に観客達は苛立ちと落胆を交えながら口々に好き勝手に言葉を放つ。
「オーウェン……」
心配そうに、ミファエルは騎士の名を呟く。
そんなミファエルの姿を見て、スゥはいい気味だと心中で笑う。
定刻まで残り一分。もう、オーウェンは来ない。
そんな時、一人の少女がミファエルに声をかけた。
「アリアステルさん」
声をかけたのは、執政科の先輩であるナナリー・コナリーだった。
「貴女の騎士は……」
「ええ、まだ……」
「そう……」
一瞬躊躇したような素振りを見せた後、ナナリーは意を決したように言う。
「代替え案にはなりますわ。それに、ベイングローリーが許してくれるかの問題になります」
「? どういう……」
ミファエルの疑問を呈する言葉に、ナナリーは横に退く事で背後に立っていた人物を横に並ばせる。
「彼を、騎士ブルクハルトの代わり……決闘の代行者に私は推薦しますわ」
「……え?」
突然の申し出に、ミファエルはおろか、周囲の者は驚きを露わにする。
ナナリーが推薦をしたのは、兵士科期待の星であるシオンだった。
「あの、俺に変わりが務まるかどうかわかりませんが、精一杯やらせていただきます」
覚悟を決めた表情でシオンが言う。
ナナリーの行動、シオンの言葉で、ミファエルはナナリーの好意を全て理解した。
その上で、ミファエルは穏やかに笑った。
「ありがとうございます、ナナリー様。私のために、動いてくださって」
相手は騎士だ。もしかしたらオーウェンが逃げるかもしれない。そうでなくとも、オーウェンでは実力が足りないかもしれない。
その時のために、決闘の代行者としてシオンを勧誘していたのだ。
中級魔法を使えるシオンであれば、あるいはと思って。
シオンを代行者にして勝っても、ミファエルは腕の立つ騎士を有していないという事になる。けれど、学院に残る事は出来る。
「そんな! どうしてですの?! だって、こんなのおかしいですわ! 勝手に噂を流されて、勝手に問い詰められて、勝手に決闘をする事になって……」
ナナリーの言葉に、ミファエルは穏やかに笑って返す。
「……決闘をする事を選んだのは私です。最終的に決めたのは私なのです。それに、オーウェンは来ます」
「でも、もう時間が無いですわ! 後一分で騎士ブルクハルトが現れなかったら、貴女は……!」
「不戦敗により退学ですね。……ですが、もしそうなれば、それでもかまいません」
「どうして! こんな理不尽な事ありませんわ!」
「理不尽でも、これは私が選んだ事です。そうです……そうなのです……私は、自分で選んだのです」
言い聞かせるように、思い起こすように、ミファエルは言う。
「あの子を信じて、私は選んだのです。選ばされたものでも、与えられたものでも無い。自分で選んだ答え。あの子を信じたのは、私の答えなのです」
一つ目を瞑る。
思い起こされるのは、屋敷での事件。
もう駄目だと思った。あの時も、そう思っていた。でも、来てくれた。
自分を叱責してくれた。自分を護ってくれた。アリザを護ってくれた。
だからこそ分かる。ルーナは、自分に出来ない事は言わない。
「オーウェンは来ます。絶対に」
しかし、残り数秒。
不戦勝を確信したタルケンがいやらしい笑みを浮かべる。
その直後、太陽を雲が隠し、会場に影が差す。
影が差した瞬間、一部の影が濃くなる。
その異変に、誰もが気付いた。誰もがそれを見ていた。
その、有り得ない光景を。
濃くなった影から何かが勢いよく飛び出してきた。
影から飛び出て来たのは、学院の制服に身を包んだ少年。今日の決闘の決闘者である少年――オーウェン・ブルクハルトその人だった。
制服はぼろぼろになっており、ところどころに血が滲んでいる。
満身創痍を体現したような恰好をしているオーウェンは片手に抜身の剣を持っており、その目は自身が出て来た影の方をしっかりと捉えていた。
騎士科や兵士科の幾人かはその視線の先を正確に捉えていた。
オーウェンの視線の先。そこには腕があった。
影から伸びる黒い靄のかかった腕。
その腕目掛け、オーウェンは宙を蹴って肉薄する。
「纏え風」
剣が風を纏う。
恐ろしく素早い斬撃が、影から生えた腕を捉える。
暴風と同時に砂埃が舞う。
あまりの暴風に悲鳴が上がる。
が、幾人かは正確に視界に捉えていた。
明らかに必殺の一撃。その一撃を、影の腕は止めていた。
まるで、指でつまむようにして。
その光景を、オーウェンは額に青筋を浮かべながら見る。
「化物が……ッ!!」
「褒め言葉だ。後は、お前の責務を果たせ」
剣を掴んでいた腕が影の中に引っ込む。
「……ッ!! こいつ……ッ!!」
言いたい事も在れば、何百回でもぶん殴りたかったけれど、オーウェンは深呼吸をして気持ちを落ち着けさせる。
「……風」
風魔法で砂埃をゆっくりと落ち着かせ、ミファエルの姿を探す。
先程の一瞬で此処が闘技場である事は分かっていた。であれば、ミファエルが居ないという事は無いだろう。
オーウェンはミファエルを見付けると、騎士の礼をとる。
「このような恰好で申し訳ありません、御嬢様。騎士オーウェン、ただいま参上いたしました」
礼をとるオーウェンを見て、ミファエルは安堵したように笑みを浮かべた。
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