第79話 破滅の序章

『今のところ、順調といったところですか?』


『ああ』


 影の中、誰も自由に出入りの出来ない世界で、影女は呑気に煙管をふかす。


 対して、ルーナはミファエルの状況に目を向け耳を向け、最大限の注意を払っている。


 特に、目は絶対に離さないようにしている。


『主様のその目、便利というかせこい・・・というか……』


『精度は落ちる。それに、本物を超える事も出来まい』


『それでも、主様のスペックで扱えば本物に差し迫る能力でしょうに……』


 呆れたように影女は煙を吐く。


 ルーナの魔眼の正体は、複写の魔眼。魔眼を複写し、その効力を発揮するというものだ。


 本物よりも威力や精度は落ちるものの、ルーナのような達人であれば本物に差し迫る程の能力を発揮する事が出来る。それでも、本物と真っ向から戦えばルーナが負ける。ルーナの魔眼は器用貧乏なのだ。


 ただ、器用貧乏なりに汎用性は高い。特にこれといった制限も無く相手の魔眼を複写出来るのだ。


『……』


 そのはずなのだ。


 どんな魔眼も複写出来なかった事は無い。


 そのはずなのに、ミファエルの眼は複写する事が出来なかった。


 ミファエルの護衛という仕事を請け負った際、ミファエルの眼の性質を知るべく、複写の魔眼を発動した。が、ミファエルの魔眼を複写する事がまったくできなかったのだ。


 複写の魔眼では複写出来ない。複写の魔眼よりもより高位の魔眼か、そもそも魔眼ですら無いか、本当は魔眼など持ち合わせていないか。


 ルーナは最悪の場合を想定している。もしルーナの思う通りの眼をミファエルが持っているのであれば、確かに誰にも知られずにいる方が幸いだろう。


 だからこそ、ミファエルの眼を魔眼封じの魔眼を使って封じている。


 力の片鱗が見られる程度であれば、ルーナの複写の魔眼で再現した魔眼封じでも十分に封じる事が出来るからだ。複写は出来ずとも、封じる事は可能であったのは幸いだった。


 影女が言った通り、今のところは順調だ。


 世界樹信教の誰もミファエルが特別である可能性を見出してもいないはず。


 ルーナがこのまま魔眼封じを行えば、何事も無く終える事が出来るだろう。


 何事も、無ければの話だ。


『……』


 首筋に、ちりちりと強い日照りを浴びたような、そんな違和感がある。


 根拠は無い。推論も無い。第六感という不確かなものなのだろう。だが、ルーナがこう感じた時、大抵良くない事が起きる。


 生前の死の間際も、同じように首筋がひりついていた。


 嫌な事、もしくは、起きてほしくない事が起こる前兆とルーナは捉えている。


 気のせいであればそれで良い。ただ、最悪な事に、気のせいであった事は、一度たりとも無かったのだ。



 〇 〇 〇



「……?」


 目に、少しの違和感。


 けれど、それはほんの一瞬だった。


「? どうかなされたのですかぁ?」


「ああ、いえ。なんでもありません」


 小首を傾げるピュスティスに、ミファエルは笑みを浮かべて返す。


 少しだけ違和感を覚え、背筋が少し寒くなった。


 ミファエルは空を見やる。


 そこには、いつもと変わらない空が広がっているだけだ。


 雲が揺蕩い、澄んだ青が広がる空。


 それ以上の情報は無い。


 はずなのに、その空に違和感があるように思える。


 が、根拠のない違和感だ。特に何がある訳でも無いだろう。


 ミファエルは空から視線を外し、案内を続けた。


 その蠢きは、誰にも気付かれる事は無かった。



 〇 〇 〇



 少女は走る。森を、山を、平地を、時折休憩を挟みながらも、ずっとずっと走り続ける。


 サラマンダーの子供――プロクスは必死に少女の頭にしがみつく。


「プロクス、もう少し、辛抱」


 少女――ガヌゥラの声に、プロクスは小さく鳴いて答える。


 ガヌゥラの役目は、前例に無い動きをした斎火の王の進路を各国の主要都市に伝える事。


 斎火の王よりも速く走り、斎火の王が一直線に歩きだした事を伝えて回っている。


 伝言役が少女一人だけにも関わらず、各国の王はガヌゥラの発言を信じた。


 魔物、特に魔物の王の誤った情報を意図的に報告する事は重罪である。


 そんな情報をわざわざ目立ってまでする意味は無い上に、ガヌゥラは斎火の民だ。その情報の信憑性は高い。


 ガヌゥラは斎火の王のおおよその進行経路と現在地を伝えてから王都を離れる。


 それを繰り返し、斎火の王の現在地を各国に知らせて被害を最小限に抑えている。


 進路上にある街へはガヌゥラではなく他の者が向かっているけれど、途中で一度合流できた時には今のところ人的被害は出ていない事と斎火の王の進路は変わらず一直線である事を確認した。


 斎火の王は急いでいる訳では無いのか、その歩をゆっくりと進めている。


 走れないのか、それとも走る気が無いのかはガヌゥラには分からないけれど、ゆっくり進んでくれている事はありがたい。お陰で、ガヌゥラ達は先んじて動くことが出来ている。


 斎火の王が何故突然に動き出したのか分からないし、何処へ向かっているのかも分からないけれど、ガヌゥラに出来る事は止められない災害が通る事を斎火の王の進路に入っている国々に伝える事だけだ。


 ガヌゥラは休まずに走る。


「プロクス。もう少し、辛抱。次、もうすぐ」


 ガヌゥラの言葉にプロクスは可愛らしく鳴いて答える。


「次は、パーファシール王国。王都だから、急がないと」



 〇 〇 〇



 静謐な空間。


 優しい色合いで作られた部屋。一見質素ながらも、作られた家具はどれも上等な素材、最上級の造りになっている。


 質素な見た目ながらも、お金と手の込んだ部屋で、安楽椅子に座る上質な修道服に身を包む一人の青年。


 目を閉じ、ゆらゆらと揺れる安楽椅子に身を任せる。


 ぎいぎいと鳴る安楽椅子の音だけが、静謐な空間に響く。


 やがて、なんの前置きも無く安楽椅子は止まる。


 閉じられていた青年の目蓋が上がり、新緑色の瞳が露わになる。


「……刻限か」


 青年の呟きの後、部屋の扉が優しくノックされる。


「入りなさい」


「失礼いたします」


 入って来たのは一人の修道女。


「ノア様、斎火の王が動き出したようです」


「で、あろうな……」


 一つ吐息を零す。


 こめかみに指を当て、思案するように俯く。


 美しい面に、艶やかな髪を持つ青年は、それだけで一つの絵画のようだ。


「暫くは、大丈夫だとは思うが……此処もそう長くはもたないだろう。準備を進めておいてくれ」


「承知いたしました」


「一番の急務は眼の捜索だ。の準備は大方終わっている。多少足りなくとも、何とかなろう」


「では、変わらずに眼の捜索は続けさせます」


「ああ。だが、パーファシールの者は帰還させよ。あそこはもう駄目だろう」


「そのように。王都に祝樹祭の準備として滞在しているカインドとピュスティスにもそのように通達いたします」


「ああ、そう言えばパーファシールに向かわせていたな。ふむ……」


 思案するようにこめかみに指を当てる。


 少しの沈黙の後、青年は静かな声で告げる。


「良い、王都への通達は無しだ」


「よろしいので?」


「早馬では間に合わぬ。万が一助かるとすれば、王都の中の方が安全だ。まぁ、万が一、だがな」


 助からない可能性が極めて高い。だからこそ、そこに労力は割かない。


 青年に感情の揺らぎは見えない。そこに、知人を失う事への憂いの色は無い。仕方の無い事と切り捨てている。


「承知いたしました。準備を進めます」


「ああ」


 お辞儀をして、女は部屋を後にする。


 青年は一つ息を吐く。


「此処も、もう駄目か……」


 再び安楽椅子が動き出す。


 青年はゆっくりと目蓋を閉じる。


 ぎいぎいと安楽椅子の音だけが部屋に鳴る。


「忌々しい、蟲の王め……」

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