第100話 御嬢様、予感する

 ルーナに助けを懇願して数分が経過する。けれど、ルーナは姿を現わさない。


 このまま此処に居るだけでは時間の無駄だろう。


 少しは妹の意を汲もうとしたけれど、あまり長居をして逃げ遅れても事だろう。


 ミファエルを連れて王宮に避難しようとしたその時、まるで気を見計らったようにミファエルの影が蠢いた。


 影から黒い靄のような塊が浮かび上がる。


「――っ!!」


「なっ!?」


「ミファエル、下がりなさい!」


 直ぐにガルシアがミファエルの前に出て、影から滲み出る靄を警戒するが、ミファエルはこれといった危機感を見せる事も無く、その影を見つめる。


 影は形を作り、おおよそ人と分かる程の形を形成する。


「待たせた」


 影が、男とも女ともつかない声を発する。


 影の声を聞けば、ミファエルの表情が一気に明るくなり、影から滲み出るようにして現れた影――ルーナに笑みを向ける。


「遅いですよ、ルーナ」


「騎士を呼び戻していた。ふむ……まぁ、及第点と言ったところか」


「御嬢様!!」


 上空からかけられる声。


 声の直後、ミファエル達より少し離れたところにオーウェンが降り立つ。


「遅い。三分もかけるな」


「これでも全速力だ!」


 文句を言いながら、オーウェンは即座にミファエルの元へ駆け寄る。


「御嬢様、御怪我はございませんでしたか?」


「ええ。ありがとう、オーウェン」


 ルーナが居て万が一もありはしないと分かっているけれど、それでも我が主の事は心配にはなる。


「では、私は行く」


「待て、ルーナ。愚問かもしれないが、お前が護らないで良いのか?」


 今まで動く事の無かったルーナが動いたとあれば、事態の鎮火に打って出る事は自明の理だ。だが、その動機が分からない。


「お前なら、ずっと御嬢様の御側に居るものと思っていたが……。私なんぞに任せて打って出るとは、どういう風の吹き回しだ?」


 オーウェンの言葉に、ルーナはいつも通りの静かな口調で答える。


「主を作る全てを護れと、そう言われた。私にはいまいち分からない感覚だが……分かる事も少なからずあった」


 言いながら、ルーナはミファエルを見る。が、誰もルーナの視線など分からないので、ルーナが何処を向いて喋ってるのかすら把握できていない。


「私と主では、大切と思う物が違うのだな」


 ルーナにとっては大切なのはミファエルとその周囲だけであり、それ以外の全てはルーナにとっては感知するところでは無い。


 けれど、ミファエルが大切にしているものは、人であり、集団であり、土地であり、歴史であり、繋がりであり……とにかく、ルーナよりも多くのものを見ている。


 立場故であり、思想の違い故でもある。


 多くを護りたいという事はつまり、それだけ大きな力が必要になるという事になる。


 護りきると言うのは、簡単な事では無い。


 利権が絡み、権謀術数が渦巻く事もある。ルーナだって、その者の一生を護り切った事は無い。途中で手を引く事になるか、主の無能によって主自身が死んでしまうかだ。


 ルーナは強い。けれど、それは殴り合いに限った話だ。駆け引きなどは苦手だ。


 だから、ルーナはもう二度と主人から離れないと決めた。駆け引きの必要はない。一生、傍に居れば良いのだ。


 そうすれば、護りきる事が出来る。それを、ミファエルだって承知している。


 これがもし何らかの意図が在り、あの時と同じようにルーナを引き剥がすための行動であったのなら、ミファエルの生存確率は著しく低下する。オーウェンだって、誰にでも勝てる訳では無い。


 だが、ミファエルの眼は酷く穏やかで、恐怖など欠片も抱いていなかった。


「私は強いが、無敵という訳では無い。実際、私は何度か負けた事がある」


「そう、なのですか?」


「ああ。だからこそ、負けないために主の傍を離れるつもりは無かった。主の死亡が、私にとっての敗北だからだ」


 ルーナの言葉に、ミファエルは真剣な面差しで答える。


「……それは、皆同じ事です。誰かが亡くなれば悲しい。何も出来なかった自分を恨んで、何もしなかった事を後悔して……取り返しのつかない事実に打ち負かされます」


 ぎゅっと手を握り締める。


 思い出すのは、母親が死んだ日の事だ。


 そして、アリザが死んでしまいそうだったあの日の事。


 そのどちらも、ミファエルは何一つだって選んでいない。流されるままに、運命に翻弄されていた。


 ミファエルは拳を握り締めながらも、気丈に笑みを浮かべて見せる。


「打ち負かされ続けるのは、もう飽いたのです。ルーナ。負けないために戦わないでください。勝つために、戦ってください」


「ああ。そうだな。最上の成果を、献上するとしよう」


 ルーナの言葉に、ミファエルは嬉しそうに頷く。


 その言葉に根拠は無い。けれど、信じられる。何故なら、相手がルーナだから。それだけでも、信じるに値する言葉になる。


「それで、具体的にはどうするつもりだ? あの穴を塞げるのか?」


 今まで空気に徹していたアイザックが、額に青筋を浮かべながら訊ねる。


 自分があれだけ言っても言う事を聞かなかったルーナが、主とは言えミファエルの癇癪にも似た命令で出て来たのが少しだけ気に食わない様子。


「無論だ。策は在る」


「ほう。ではその策を聞こうか? こちらもサポートが出来るかもしれないからな」


「不要だ。手の内を明かすつもりは無い」


「なっ……貴様は、ほんっとうに……情緒とか無いのか……!?」


 明らかに協力をする流れをばっさりと斬って捨てるルーナ。


 手の内をおいそれと明かす訳には行かない。百鬼夜行は既に知られているからこそ、万全に使う決心をしたのだ。


「任務に置いてそんなものは必要無い」


 必要なのは、任務完遂のための冷静な判断。それ以外を持ち込むつもりは無い。


 歯ぎしりをして王族がしてはいけない表情でルーナを睨みつけるアイザックを無視し、ルーナはオーウェンを見やる。


「オーウェン、主の守護はお前に任せる」


「元よりそのつもりで呼び戻したのだろう? 私では役者不足かもしれないが、全力で御嬢様を御守する」


「……」


 オーウェンの言葉に、ルーナは考えるように少しだけ間を空けてから口を開く。


「過小評価は必要無い。お前は、役者不足では無い」


「は?」


 思いもよらぬルーナの言葉に、オーウェンは思わず呆けた声で返す。


「役者不足であれば、お前を呼びはしない」


「あ、ああ……そうか……」


 なんだか背中がむず痒くなるオーウェン。


 ルーナは嘘を吐かない。それが分かっているだけに、余計気恥ずかしくなってしまう。


「では、私は行く。後の事は頼んだぞ」


「ああ。……っと、待ってくれ。一応、報告したい事がある」


「なんだ?」


 オーウェンは周囲に目を向けた後、ルーナに耳打ちを――


「お前の耳は何処だ?」


「この辺だ」


「分かりにくい……」


 靄のせいで正確な位置は分からないけれど、オーウェンはルーナに耳打ちをする。


「斎火の王が近付いてきている。現状の私では、理由も猶予も不明だ。気にする事でも無いかもしれないが……後の危機になるかもしれない」


 それだけ伝えると、オーウェンはルーナから離れる。


「一応、伝えた方が良いかと思った。殿下にも、後で此処では無いところで報告をさせてください」


「なんのことだかさっぱりだが……嫌な予感しかしないな……」


 はぁと溜息を吐きながら、アイザックは頷く。


 恐らくは背中を向けたルーナに、ミファエルは言葉を送る。


「ルーナ。御武運を」


「ああ」


 短く返事をして、ルーナの姿が掻き消える。


 その後姿をミファエルは見送る。きっと平気だと分かっては居る。けれど、己の命令で戦場に送り込むことが、こんなにも恐ろしいとは思いもしていなかった。


「大丈夫ですよ、御嬢様」


 そんなミファエルに、オーウェンは柔らかな声をかける。


「ルーナは、御嬢様を悲しませるような事はしませんよ」


「……そう、ですね」


 ゆっくり、ミファエルは頷く。


 しかし、何故だか一つも安心できない。確証は無いけれど、このままでは終わらない。


 そんな予感を、ミファエルは感じていた。

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