第90話 懸念

 ──キーンコーンカーンコーン。


 四時間目の授業を終えるチャイムの音が鳴り響き、待ちに待った昼休みの時間を迎える。


 チャイムが鳴り、授業が終わった瞬間から机に突っ伏す者。友達の席に駆け寄る者。スマホを取り出しゲームを起動する者など、各々が好きに時間を過ごそうとする中。


「では⋯⋯天宮くん。また、いつもの場所でっ」


 俺にそう言い残し、一人教卓へと向かう高峯さん。


 クラスの級長でもある高峯さんは、よく率先して先生のお手伝いをしたり、先生にお願いされて教卓に集めたノートとかを運んだりする仕事がある。


 そんな高峯さんを、俺はいつも傍から眺めているだけであったが。


「俺も手伝うよ」


 教卓に積まれたノートを運ぼうと手を伸ばす高峯さんよりも先に、俺が高峯さんの横からノートを手に取った。


 それには、高峯さんも少し驚いたような表情を浮かべており。


「えっ、ですが⋯⋯」


「いつも一人でやってるだろ? だからたまには

頼ってくれよ。俺たち、友達じゃないか」


 お弁当を作ってくれたお礼。というのもあるが、それはあえて口に出さない。


 それを言ってしまうと、お弁当を作った対価として仕事を手伝ってもらったと、高峯さんが感じ取ってしまう可能性があるからだ。


 心優しい高峯さんのことだ。今ここでお弁当のお礼だからと直接言ってしまえば、申し訳ない気持ちに苛まれてしまうような、そんな気がして。


 まぁ、俺も俺で別にお弁当を作ってもらったからというのが100%の動機ではない。


 高峯さんと仲良くなる前から大変そうだなとは思っていたし、頑張ってるなとは感じていた。


 だが当時の俺は、そこで動く勇気がなかった。関わりのない人と、自分から関わる術を知らなかった。


 しかし、今は違う。有難いことに、高峯さんも俺のことを友達だと言ってくれた。そして俺も、高峯さんと友達になれたことを光栄に思っている。


 それなら、友達として友達のことを手伝うのは別になにも不思議なことでもないだろう。


「でも⋯⋯本当にいいんですか?」


「いいんだって。あ、でも運ぶ場所が分からないから教えてくれると助かるな」


 自分からノートを持った手前情けないが、俺はこのノートをどこに運ぶかが分からない。


 すると、高峯さんは一瞬きょとんとした後に、ぷっと小さく笑って。


「ふふっ。それなら、一緒に行きましょうか」


 と、柔らかく微笑む高峯さんが俺の持つノートの山を半分手に取り、一緒に運ぼうとしてくれた。


「これくらい軽いから、全部俺が運ぶぞ?」


「いえ、お気持ちは嬉しいですがそれでは級長として示しがつかないので。それに、天宮くんだけに持たせていたらまるで私がパシリにしてるみたいに見えちゃうじゃないですか」


「⋯⋯そういうもんか?」


「はい、そういうもんですっ」


 そういうことなら、仕方がない。


 だから俺は一度頷きながらも、高峯さんと一緒に教室を後にし、肩を並べて廊下を歩いていくのであった──




──────




 高峯さんと一緒に、ノートを教員室へと運んだ後。


 俺は一足先にいつもの場所──グラウンドが見える中庭にある日陰の下に座っていた。


 高峯さんはまだ少しだけ用があるらしく、今はまだ俺一人だ。


 せっかくだから最後まで手伝おうとしたのだが、その用は生徒会の仕事らしく、生徒会の仕事を生徒会役員でもない生徒に任せるわけにはいかないらしく、お気持ちだけもらっておきますねと丁重に断られてしまった。


 だから俺はとりあえず、高峯さんがやって来るまでの間時間を潰すべく適当にスマホを取り出してみたのだが。


「え」


 スマホの画面に表示された数字を見て、俺は驚愕のあまりその場で固まってしまった。


 それもそのはず。なぜなら、つい先日までチャンネル登録者が50万人ほどだった俺のチャンネルが、いつの間にかチャンネル登録者80万人を突破していたからだ。


 正確な数字は、82万と4685。たった一夜の配信にて、俺はチャンネル登録者をとんでもない勢いで増やしていたようであった。


「まぁ、でも⋯⋯」


 驚愕こそしたものの、正直納得はしていた。


 配信二回目でEXダンジョンに挑み、そして初見でユニークモンスターを討伐した。


 それによりSNSではトレンドに挙がるほどバズりまくっていて、見たことはないのだが掲示板でも俺の話題で盛り上がっているらしく、その勢いは配信を終えて半日経った今でも衰えていない。


 SNSのフォロワー数も朝見た時はまだ4万人に到達する前だったはずなのに、今ではなんと13万人と3倍近く増えている。


 その中には一番最初に魔石のやり取りをした兎リリさんや、以前突発コラボをした桃葉さんの名前もあって、他にも多くのディーダイバー活動者が俺のことをフォローしてくれていた。


 中にはチャンネル登録者50万人越えディーダイバーもチラホラといて、俺が配信で成し遂げたことの異常さを今再認識することができた。


 DMもいつの間にか50件近く送られていて、コラボを依頼するものだったり、視聴者からの長文ファンレターだったり、女性視聴者からのかなり際どい自撮り写真など、様々であり。


「い、いやいや⋯⋯さすがに、これは⋯⋯」


 とは言いつつも、つい見てしまうのが男の性であり。


 そうやってDMの確認をしていると、丁度いいタイミングでまた一件、新たなメッセージが届いた。


 そのメッセージを送ってくれた人は、俺と魔石の取り引きをしてくれている兎リリさんであり。


『アマツさん、突然のメッセージすみません! 一つお伝えしたいことがあるので、もしよかったら返信してくださるとありがたいです〜』


 それは文面から見て至急の用ではないものの、なにかありそうなメッセージであった。


 しかし、以前兎リリさんとはディーパッドの方でメッセージを交わしているため、わざわざこっちの方でメッセージを送る必要はないはずだ。


 だがあえてこちらの方にメッセージを送ってきたということは、なにか意味がある行動なのかもしれない。


 そう思い、とりあえず俺は兎リリさんにメッセージを返してみることにした。


『兎リリさんですね。以前は取り引きありがとうございました。それで、要件の方はなんでしょうか?』


 少し他人行儀な気もするが、SNS上のやり取りなのだからこれくらいで充分なはず。


 そう思っていると、すぐに既読がついて兎リリさんのアイコンが画面上に表示され。


 そこからしばらく待っていると、再びメッセージが送られてきた。


『返信ありがとうございます! ディーパッドの方では中々連絡がつかなかったので、反応してくれて嬉しいです〜!』


 その文章を読んで、俺はハッとした。


 そういえば最近、俺はディーパッドでアイテムやモンスターの詳細を確認するだけで、メッセージの確認を一切していなかったのだ。


 試しにディーパッドを取り出してメッセージ欄を見てみると、そこには何件、何十件ものメッセージが送られていて。


 しかもそのメッセージの中には、プレゼント箱のマークのついたメッセージも10件近く眠っていた。


 どういったメッセージなのか確認してみたくはあるが、今はとりあえず兎リリさんとのやり取りの方が先だ。


 だから俺はディーパッドの電源を落として胸ポケットにしまい、再びスマホの方に目を向けることにした。


『すみません、こちらの確認不足でした。今見たらメッセージがかなり溢れてました』


『やっぱりそうですよね笑 アマツさん、最近大活躍ですからコラボ依頼とかも結構来てるんじゃないですか?』


『そうですね。SNSのDMの方もチラッと見ただけで10件以上コラボ依頼が来てましたよ』


『ひゃ〜やっぱり人気になると一気になだれ込んで来ますよねぇ』


『まぁ、嬉しくもあり少し困りつつもありますね。もしかして、兎リリさんの要件もコラボ依頼だったりしますか?』


『い、いえいえ! そんな、畏れ多いですよ! まぁ欲を言えばお願いしたくはありますが、今回はちょっとした確認といいますか、一つ注意喚起を』


『注意喚起、ですか?』


 そこで、一旦兎リリさんからのメッセージが止まる。


 それにしても、注意喚起とは一体なにがあるのだろうか。


 今はもう俺の方がチャンネル登録者が多くなっているが、それでも兎リリさんの方がディーダイバーとしての活動期間は長いため、一応俺からしてみれば先輩という立ち位置だ。


 なにか、悪いことでもしてしまっただろうか。知らずのうちに、配信でなにかまずいことをしてしまったという可能性もある。


 いや、もしかしたら『チャンネル登録者が多いからって、あまり調子に乗るなよ?』的な注意喚起の可能性もあるが、兎リリさんに限ってそんなことは言わないだろう。言わないと、信じたい。


 なんて考え事をしていると、兎リリさんからメッセージが送られてきて。


『最近ダンジョンに潜っているディーダイバーを襲う、悪質なPKを生業としている人たちが現れ始めている⋯⋯という、お話です』


『え、そんなことする奴らが出てきたんですか?』


『はい。仮にダンジョン内で死んだとしても、生きて脱出することができるというのはもちろん知っていますよね? その仕組みを悪用し、合法的に殺人をする者たちがチラホラと現れてるらしいんです。実際、被害に遭った人も一人や二人じゃ収まらないらしくて⋯⋯』


 PK──プレイヤーキル。


 よくPKの話題が挙がるのはMMORPG等のゲームであり、プレイヤーがプレイヤーを殺し、物資を奪ったり攻略の邪魔をしたりする、迷惑行為の一つだ。


 それが、ダンジョン内で起きているというのが兎リリさんの話だ。


 いくら死んでも生きたままダンジョンから脱出することができるとはいえ、ダンジョン内での痛みは現実で味わう痛みよりも易しくはあるか、それでも痛みには変わらない。


 エリュシールの魔法で腕を切断された時。切断された腕の断面を焼く時。炎の渦に巻かれた時、その痛みは割と現実に近い痛みであった。


 俺は異世界で嫌というほど痛い思いをしてきたため慣れてはいたが、それでも、痛みに慣れていない現代人にとってダンジョン内で骨が折れるだけでもかなりの激痛であるのは間違いない。


 ゲームでは迷惑行為で済むPKではあるが、それを現実で行うだなんて、それはもはや迷惑行為ではなく外道そのものだろう。


『それって、どうにかすることはできないんですか?』


『それが⋯⋯どうもできないんですよ。国もダンジョン内での出来事は自己責任と表明していますし、実際にダンジョン内で殺されたとしても生きて帰ることができますから、問題視することが難しいというのが現状ですね』


 仮に現実世界で殺人が起きた場合は、現場検証等を済ませるために警察やら刑事やらが事件現場へと調査に向かうだろう。


 しかし、ダンジョン内はまた別だ。ダンジョン内では血が流れず、どれだけ大きな怪我を負ったとしても傷口から溢れるのは血ではなく、白い光の粒だけだ。


 血痕は残らず。死体も残らず。そして人が殺されたという確固たる証拠が現場に残らない以上、警察も手の出しようがない。


 そもそも、国がダンジョン内での出来事は各個人の自己責任であると表明している以上、ダンジョン内でなにがあったとしてもそれは自分の責任であって誰にも文句を言うことはできない。


 ダンジョン内でモンスターに惨殺され心の病を負ってしまったとしても、それは自分の意思で危険な場所へと足を踏み入れたことが悪いのだからと、保険金等が下りることもない。


 それが例えモンスターではなく、同じ人間による犯行だとしても⋯⋯ダンジョンにさえ入らなければ起きることのない出来事なのだから、誰もPK行為を咎めることができないのだろう。


 しかし、ダンジョン内だからといって人の命を奪うという行為は、非人道的行為だ。到底許されるはずがないし、看過できるものでもない。


 だがそれを止める術も、防ぐ法律もない以上、こちらがいくら騒いだって無駄であるのもまた事実であり。


「⋯⋯まさか」


 俺の中で浮かび上がった、小さな可能性。


 その可能性を確固たるものにするため、俺は兎リリさんに再度メッセージを送った。


『兎リリさん。確認なのですが、ダンジョン内での殺人行為って、全国各地で起きてるんですか?』


『はい。そして、被害者の数も日を追う事に増え続けているらしいです』


『と考えると、やはり⋯⋯』


『⋯⋯なにか分かったんですか?』


 もし、とある県でのみダンジョン内での殺人事件が多発しているのなら、一人の愉快犯による悪質な犯行で話は済んだだろう。


 だが全国各地となると、話が変わってくる。しかも最近起き始めたダンジョン内での殺人事件による被害者が、日に日に増え続けているのもまたきな臭い話だ。


 しかしこの世界には、こんな言葉がある。


 "赤信号、みんなで渡れば怖くない。"


 赤信号を渡ることは悪いことであると知っているが、一緒に赤信号を渡ろうとする仲間がいれば、人はどれだけ臆病でも勇敢になることができる。


 それが例え赤信号ではなく、人の命を奪う悪質な殺人行為だとしても──結果は同じようになるだろう。


『ダンジョン内での殺人行為"のみ"を目的としている犯罪集団⋯⋯いや、犯罪組織ができてしまった。自分はそう感じましたね』


『なるほど⋯⋯確かに、そういった組織がもし本当にあるのなら全国各地で被害者が増え続けているのも納得がいきますね⋯⋯』


『はい。しかも、ダンジョン内での出来事だから犯人の特定が難しいというのもタチが悪いです。装備をすれば顔はいくらでも隠せますし、なんなら弓矢や魔法による遠距離攻撃ならばまずバレることなく人を殺めることができます。そして仮にもし犯人を特定できたとしても、現状法で裁くことはできない。つまり、どう足掻いても相手の方が圧倒的に有利な状況下にいる⋯⋯ということです』


 一体誰がなんのためにPKをしているのかは分からないが、どんな理由があろうと、ろくでもない理由であるのは確実だろう。


 それこそ、いつも歩いている道ですれ違うサラリーマンや、同じクラスで時間を共にしている同級生の中に、そういった輩が潜んでいる可能性だってある。


 ダンジョン内での殺人事件は全国各地で起きている。だからもし本当に組織が実在しているのなら、その規模はかなりのものになるだろう。


『ユニークモンスターを倒したアマツさんなら心配は不要かと思いますけど、気をつけてくださいね。被害者の中には、危険度B+のモンスターをソロで討伐できる実力者もいたとの話なので』


『はい、ありがとうございます。兎リリさんも気をつけてくださいね』


『ありがとうございます! あ、それと魔石の取り引きもお待ちしておりますので! もしなにかいい感じの魔石がありましたら、是非よろしくお願いします!』


 そのメッセージを最後に、俺は兎リリさんとのやり取りを終えた。


 それにしても、厄介な話である。


 SNSで調べてみてもPKの話題が挙がっていないのを見るに、犯人は大胆に人を殺めているわけではなく、慎重に動いているということが分かる。


 目的や動機は一切不明だが、もし俺がダンジョンで誰かに襲われるようなことがあったら、身動きを封じてから色々と聞き出してみるのも悪くはないだろう。


「天宮くん、お待たせしましたっ」


 俺が頭を悩ませていると、俺の元にお弁当の入った鞄を持った高峯さんがやって来る。


 そしてそのまま俺の隣に座る高峯さんだが、俺の顔をまじまじと見てきたと思えばこてんと小首を傾げており。


「⋯⋯なにか、悩みでもあるんですか?」


 と、さり気なくそんなことを聞いてきた。


 どうやら、悩んでいることが表情として出ていたらしく、高峯さんから見て俺が難しそうな顔をしているように見えるのか、なんだか高峯さんから"私で良ければ相談してください"的な雰囲気が漂っている。


 だが俺の悩みは、高峯さんに話す内容ではない。だから俺は、高峯さんの目を見つめ返しながら首を横に振った。


「心配してくれてありがとう。でもこれは俺の問題──ってわけでもないんだけど、高峯さんが不安になるような悩みとかじゃないから別に大丈夫だよ」


「そうなんですか? それならいいんですけど⋯⋯もし、本当に悩んでもどうしようもないって時は、いつでも相談してくださいね?」


「ありがとう。その時は、相談させてもらうよ」


 そう応えると、高峯さんは優しく微笑みながらも強く頷いてくれる。


 高峯さんって天使なのかな。なんて、ふとそんなことを思いながらも。


 拭いきれない小さな不安が、俺の心の中にいつまでも残り続けていた──

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