第75話 EX.残夜の影く滅国-⑧
「ア、アマツさんっ、大丈夫ですか!? 私、重くないですかっ!?」
「大丈夫だ。だから、エリュシールは後方のシャドウジャッカルを頼むぞ!」
『ガァ! ガゥアッ!』
いつかの桃葉さんの時のように、俺は今エリュシールをお姫様抱っこしながら廃墟と化した街並みを駆け抜けていた。
後ろからは、影の分身を召喚するシャドウジャッカルが迫って来ている。
普段なら倒しているのだが、今の俺たちにはあまり時間がなかった。
あと少しで、夜空の半分を覆い尽くす巨大な満月が、夜空の中央に到達しそうになっている。
魔女が月の魔女になるためには、月の儀式というものが必要になるとエリュシールが言っていた。
その月の儀式の条件は、七人の魔女の命を生贄にすること。そして、大満月の夜に月が夜空の中央にある時間帯であることだ。
ダークナイト・テラーを討伐し、体を休めるために休憩していたのだが、そのせいであと少しで夜空の中央に月が──いや、もうほぼ中央に到達しつつある。
だからシャドウジャッカルとの戦闘を避け、真っ直ぐに国の中央にある天の塔を目指して走り抜けているのだが。
「はぁ、はぁ、はぁ⋯⋯っ」
体が重く、上手く足が上がらない。
なんとか【豪脚】と【瞬脚】で誤魔化すことはできているものの、それでもいつもよりも遅く、そして体に疲労が蓄積するのも早くなっていた。
その原因は、対ダークナイト・テラーの時にエリュシールが俺に付与してくれた身体強化魔法の、代償である。
エリュシールの身体強化魔法はかなり優秀ではあるのだが、その代わりに魔法が切れると付与された者の身体能力が一定時間低下するというデメリットがある。
そのせいで、今俺はかなり必死な思いでシャドウジャッカルから逃げる羽目になっていた。
「
『ガゥアッ!?』
エリュシールが追いかけてくるシャドウジャッカルに向けて眩い光を放つことで、シャドウジャッカルを怯ませることに成功する。
その隙に俺は崩れた建造物や複雑に入り組んだ裏路地へと飛び込んでいき、なんとかシャドウジャッカルの追跡から逃れることができた。
「ふぅー⋯⋯これ、中々キツイな」
「や、やっぱり、私重いですよね。ごめんなさい⋯⋯」
「いや、そういうキツイじゃなくてだな。身体能力の低下が割とかなり足を引っ張っていてな」
身体能力の低下は、体感だと全身に重りがいくつもぶら下がっていて、それを常に引きずっているような感覚だ。
それに加えて、ゲーム的なイメージを足すならスタミナの消費が普段の倍近くになっている、と説明すれば分かりやすいだろうか。
つまるところ、常時デバフにかかっているような状態になっているということである。
「天の塔とは、目と鼻の先。だが、これをどう登るかだよな⋯⋯」
「塔の中には、頂上へと繋がる螺旋階段があるはずです。ですが⋯⋯」
「時間的に危ういってことだよな」
小さく頷くエリュシール。
時間的に、早く頂上へ向かわないと闇の魔女リーウェルに先を越されてしまい、月の魔女が誕生してしまう可能性があるということだ。
「なぁ、エリュシール。今から全力で頂上に登ったとして、リーウェルはどれくらいでやって来る?」
「⋯⋯分かりません。ですが、仮に今から20分以内に頂上へ到達すれば⋯⋯10分ほどは、余裕ができるかもしれません」
つまり、大満月が夜の中央に到達するまで、タイムリミットがあと30分しかないということだ。
だが逆に言ってしまえば、あと30分も時間があるということであり。
「なぁ、この身体能力低下はあとどれくらい続くんだ?」
「そうですね⋯⋯あと10分もすれば、だんだん楽になってくるかと」
「分かった。これから、全力で塔を駆け上がっていく。頂上に着いたら、少しだけ休ませてくれ。その間、周囲の警戒を任せてもいいか?」
「わ、分かりました⋯⋯! ですが、無理はしないでくださいね⋯⋯?」
「もちろんだ。それじゃあ⋯⋯行くぞ!」
エリュシールを抱え直してから、俺は大きく息を吸い込んだ後、全力で地を蹴って荒廃した街の中を駆け抜けていく。
塔に近づけば近づくほど、周囲から"嫌な予感"が絶え間なくこちらへと向けられている。
だが俺はそれらを全て無視して、ただ真っ直ぐに空へと向かってそびえ立つ天の塔を目指し走り続けた。
『ガァァッ!』
『シュルルルッ!』
シャドウジャッカルや、額に第三の目を持つ赤い大蛇。そして全身に真っ黒な泥を纏う猿に、腕が四本生えたオーガに似たモンスター。
塔に近づくほど見たことのない新たなモンスターが出現し、戦ってみたいという好奇心が湧いてくるものの、今は我を押し殺して先へ先へと進んでいく。
そして塔の根元。錆び付いた大きな扉が待ち構える塔の入り口にたどり着いた俺は、その入り口を開け──ることはなく、そのまま跳躍して【空歩】を使用し、塔の側面を駆け上がった。
「ア、アマツさん!?」
「しばらく我慢してくれ。塔の中から、なんだか嫌な予感がしたんだ。もしかしたら、モンスターが住処にしている可能性が高い。だから、急ぐならこうした方が早い」
【空歩】と【豪脚】を駆使し、【空歩】の連続使用回数である5回の跳躍を終えた俺は、塔の側面にある窓の縁に立つ。
そして【空歩】の回数をリセットしてから、再び俺は塔の頂上を目指し、何メートルも、何十メートルも上へ上へと駆け上がっていった。
身体能力の低下に加え、エリュシールを抱えた状態での垂直移動は、体力的にも肉体的にもかなり負担が大きい。
だがこうでもしないと、間に合わない。一度でも足を踏み外せば、エリュシールと二人で落下死してしまう状況。
そんな状況でも、当然脅威はやって来て。
『ギャア! ギャァアァァアァッ!』
全長四メートルは超えるであろう怪鳥が、突然どこかから現れて俺たちに襲いかかってくる。
「
『ギャァッ!?』
だがそんな怪鳥を、エリュシールが迎撃してくれる。
エリュシールが魔法を唱えることで光り輝くナイフのような小さい剣がいくつも展開され、怪鳥の翼を貫いていく。
致命傷こそ与えることはできないものの、翼にいくつもの大穴を空けられた怪鳥は飛ぶことができずに空中でバランスを崩し、そのまま地上へと落ちて見えなくなっていった。
「ナイスだ、エリュシール!」
「は、はいっ! 私、頑張ってアマツさんの援護をしますから!」
体を寄せるように、俺にぎゅっと抱きつくようにしがみついてきながら、俺の胸元に顔を押し付けてくるエリュシール。
そんな、エリュシールの無意識なあざとい行動に少しだけドキッとしながらも、俺はただひたすらに塔の側面を全力で進み続けた。
エリュシールをお姫様抱っこして運んでいる時から、俺は邪魔になる大鎌をディーパッドの中にしまっている。
だから今の俺には、モンスターを迎撃する手段がない。
いつものように蹴りを浴びせることはできるが、エリュシールを抱えている以上それは難しく、かなり危険が伴う行為だ。
だから俺はモンスターの迎撃を全てエリュシールに任せ、ただ塔の頂上を目指すことだけを頭に入れることにした。
「はぁ、はぁ⋯⋯っ」
息が切れる。
呼吸が乱れてきて、口の中が乾いていく。
やけに粘ついた唾が口の中に溜まり、飲み込もうとすると喉にへばりついて不快感だけが残る。
ふくらはぎもパンパンになってきて、太ももがつりそうになる。
『ギャァッ!』
『ギャウ! ギャァァアッ!』
「
塔を登れば登るほど怪鳥の数が多くなっていき、進むことが困難になっていく。
だが俺はエリュシールを信じている。エリュシールも、俺のことを信じてくれている。
エリュシールの魔法によって墜落していく怪鳥を横目で見ながらも、俺は壁を蹴り、空を蹴り、ひたすらに真っ直ぐに上へ目指していき。
途中で、エリュシールを落としてしまいそうになってしまう。
だから俺はエリュシールを強く抱き締め、エリュシールにも抱き締められながら、悲鳴を上げる体を無理やり動かし、速度を緩めずに駆け上がり続け。
「──う、らぁっ!!」
塔の側面をただひたすら駆け上がること約10分。
俺は、やっとの思いでエリュシールと共に塔の頂上へとたどり着くことができていた。
「はぁ⋯⋯! はぁ⋯⋯!」
エリュシールをそっと地面に立たせてから、俺はひんやりと冷たい石の床に大の字になって寝転がる。
見上げた空には、視界を埋め尽くすほど巨大な白い満月があって、その周囲をキラキラと小さな星々が鮮やかに煌めいている。
まるで塔を登りきった俺へのご褒美のような光景に、そして俺を祝福するかのような景色に、俺は一人静かに息を呑んでいた。
「アマツさんっ! 大丈夫ですかっ!?」
「あ、あぁ⋯⋯大丈夫、とは言えないな⋯⋯」
今この状況でリーウェルが現れたら、正直言ってマトモに戦うことができないかもしれない。
それくらい俺は疲労していて、体も足が悲鳴を上げるほどに疲れ切っている。
なんて、ただ静かに呼吸を整えながらボーッと夜空を眺めていると。
「アマツさん、本当にありがとうございます」
俺の隣にエリュシールが座ったと思えば、その華奢で色白い綺麗な手で、俺の手を包み込むように優しく握ってきた。
「アマツさんがいなければ、きっと私はここまでたどり着くことはできなかったはずです。本当に、感謝してもしきれません⋯⋯!」
潤んだ瞳で俺を見つめながらも、優しく微笑みながら感謝の言葉を告げてくるエリュシール。
だから俺は、そんなエリュシールの手をそっと握り返した。
「お礼を言うなら、俺の方だ。エリュシールのおかげで、ここまで楽に進むことができた。俺一人だったら、もっと時間がかかってたはずだからな」
もしあの裏路地でエリュシールと出会わなくても、多分俺はこの塔の頂上を目指していたはずだ。
王国といっても滅んでいるため城っぽいものは見当たらなかったため、必然的にいかにもラスボスが出現しそうなこの塔の頂上に、俺はいつかたどり着いていただろう。
だがその道中、ここまで楽に、そして楽しく進むことが出来たのは、優しくて、明るいエリュシールがいてくれたからだ。
ダークナイト・テラーだって、エリュシールがいなければもっと苦戦していたに違いない。
そう思うと、俺は今回の探索で色々な場面でエリュシールに助けてもらってばかりだ。
だからその恩返しができたのなら、それはそれでなによりである。
「ようやく、ようやくたどり着くことができました⋯⋯三年前、ここで私の仲間たちが⋯⋯」
エリュシールが顔を向ける方に目を向けると、そこには煤まみれとなった七つの磔があった。
その磔の足元には、魔女の象徴とも呼べる魔女帽子や杖などが置かれている。
だがその中の一つ、右側から二番目の磔には、杖どころか魔女帽子すら置かれていなかった。
「⋯⋯エリュシール。魂の成仏は、できそうか?」
「⋯⋯はい。とても悲しく、切ない思いにはなりますが⋯⋯月の魔女ルナの誕生を阻止するためにも、早く成仏させてあげないといけません」
そう言って、エリュシールが目元に浮かぶ涙を指ですくいながら、俺の元から離れようとした瞬間──
「──待ちなさい!」
突如として、どこかから聞き覚えのない声が聞こえてくる。
その声の正体を探るべく周囲を見渡すと、視界を埋め尽くすほどの巨大な満月に重なるように、一つの人影が宙を浮いている。
するとその影はそのままゆっくりと降りてきて、俺とエリュシールの正面に降り立っていた。
「⋯⋯まったく。こんなところにいたのね」
闇のように深い黒をした魔女帽子に、同じく闇のような色をしたローブ。
ほんのりと赤みがかった長髪を風に靡かせながら、黒い瞳を浮かべる人物──いや、謎の女性は、俺たちのことをキッと睨みつけてきた。
「ようやく見つけたわ、エリュシール。ここで、あなたとの因縁に決着をつけてあげる」
「⋯⋯っ! アマツさんっ⋯⋯!」
体を震わせるエリュシールが俺の胸元に飛び込んでくるため、俺はそんなエリュシールを抱き寄せながら、すぐさま立ち上がって黒い魔女と対峙する。
俺の胸元に顔を埋めるエリュシールの目からは大粒の涙が溢れ出していて、それだけで、目の前にいる人物が闇の魔女──リーウェルであることを俺は瞬時に理解することができた。
「なによその男。あなた、まさかその女の仲間だとでもいうの⋯⋯?」
「⋯⋯そうだと言ったら?」
「⋯⋯そうね。見る目がない。悪趣味とでも、言ってあげましょうか」
「勝手に言ってろ。闇の魔女、リーウェルさんよ」
そう言うと、黒い魔女は驚いたように目を見開きながらも、ローブの内側から一冊の黒い本を取り出していた。
そして黒い魔女がペラペラとページをめくっていくと、その本から黒い魔力の奔流が溢れ出し、次第に周囲の空気がドッと重いものに変わっていく。
「一応、自己紹介をしてあげる。ワタシの名前はリーウェル。闇の魔女、そして【魔女ノ夜会】の創設者である【魔導の十傑】の一人、リーウェル・イータレイラーよ」
黒い魔女──いや、リーウェルが自身の名前を名乗った瞬間、リーウェルから殺意のように鋭い魔力が放たれる。
その魔力によって傷を負ったり死ぬことはないものの、浴びているだけで気分が悪くなるような、全身に鳥肌が立つような、そんな気がした。
「⋯⋯エリュシール。戦うぞ」
「で、ですが、今のアマツさんじゃ⋯⋯!」
「大丈夫だ。確かに辛い状況ではあるが、俺たちは一人じゃない。俺たちは、二人でリーウェルに立ち向かうんだ。そうだろ?」
「⋯⋯っ!」
エリュシールの目が、大きく見開かれる。
すると、エリュシールは一度大きく頷いた後、俺の胸元から離れてリーウェルの方へと一歩前へ進み。
「アマツさん⋯⋯一緒に、闇の魔女リーウェルを倒しましょう!」
「っ! あぁ!」
大きく胸を張り、手のひらをリーウェルに向けてかざすエリュシール。
そんなエリュシールの隣に俺は立ち、ディーパッドの中から大鎌を取り出し、肩に担ぐように大きく構えた。
ようやく、EXダンジョン【残夜の影く滅国】でのラストバトルが始まる。
俺は大きく息を吸い込みながらも、魔力を高め続けるリーウェルを討伐するべく、エリュシールと一度顔を見合せながら、二人で大きく頷くのであった──
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