第92話 忙しない
眠気に耐えて耐えて耐え続け、5時間目から7時間目までの授業を無事に終えた俺は、何度もあくびを繰り返しながらもやっとの思いで家にたどり着いていた。
玄関にはまだローファーが見当たらないため、まだ沙羅が帰ってきていないことが分かる。
時間的にそろそろ帰ってきてもおかしくはないはずだが、きっと部活やら友達の付き合いやらで忙しいのだろう。
だから俺は靴下を洗濯機に放り投げてからリビングへと向かい、学生服をハンガーにかけて、ベッドの上に腰を下ろした。
「⋯⋯あ、そういえば⋯⋯」
今になって、昼休みが終わる直前に高峯さんから受け取ったメモ用紙のことを思い出す。
高峯さんから受け取ったものではあるが、その差出人は俺の考えが正しければ白銀である可能性が高い。
だから俺は学生服の胸ポケットにしまっておいたメモ用紙を取り出し、四つ折りを開いて中を確認してみることにしたのだが。
「これは⋯⋯IDか?」
そのメモ用紙には【@Silva_Sirogane】という、どこからどう見てもなんらかのIDにしか見えない文字だけが書かれていた。
もしかしてと思い、俺はスマホを取り出してメッセージトークアプリを開き、友達検索の欄にそのIDを打ち込んでみることにした。
すると見事に一件だけ候補が見つかり、狐の形をした銀色の紋章のようなアイコンで、Reiという名前のユーザーがそこには表示されていた。
「⋯⋯これ、やっぱり白銀だよな」
IDの前半にあるSilvaは、好きなアニメや漫画のキャラクター名か、ゲーム配信者である白銀の活動名かのどちらかだろう。
そしてアイコンに設定されてある画像もゲームの大会の番宣とかでなんとなく見たことあるような気がするし、名前のReiも白銀の名前と一致している。
だから俺は、とりあえず【友達に登録する】という項目をタップし、白銀をメッセージトークアプリの友達として追加することにした。
「えーと⋯⋯一旦、適当になんか送るか⋯⋯」
白銀とのトーク画面を開き、そこにどこで使えばいいか分からない微妙に絶妙なスタンプを送信する。
すると、トーク画面を閉じようとした瞬間に俺が送ったスタンプに既読マークがついて。
『あ』
『先輩ですか』
『先輩ですよね』
と、一気に連続でメッセージが送られてきた。
あまりにも早い反応と返信に驚きながらも、俺はとりあえず白銀にメッセージを返すことにした。
『白銀で、合ってるんだよな?』
そうメッセージを返すと、またもやすぐに既読マークがついて。
『はい、白銀です』
『追加してくれてありがとうございます』
と、再び連続でメッセージが送られてきた。
「入力早くね⋯⋯?」
スマホかパソコンかは知らないが、それにしても既読からの入力、返信が早すぎる。
なんてことを考えている間にも、白銀から新たなメッセージが送られてきている。
だから俺はひとまず、白銀とのやり取りを進めるべくスマホの画面に集中することにした。
『先輩って、昼休みいつもあそこで過ごしてるんですか?』
『まぁな。雨が降ったらさすがに別の場所に行くぞ』
『あの、綺麗な先輩もいつも一緒なんですか?』
『今日はたまたまだ。いつもは俺一人だけだぞ?』
『そうなんですね』
なんだか、白銀の文章にすごい違和感がある。
白銀は色んな性格がある──と言うとなんだか変な感じになるが、普段は少しおどおどとしているような人見知りタイプなのだが、スイッチが入ると一気に性格やら口調やらが急変する。
白銀と一緒にダンジョンに潜り、脱出した後で俺はようやく白銀の本当の素顔を知ることができたのだが。
個人的には丁寧な口調の後輩らしい白銀よりも、少し生意気というか、ちょっと調子に乗ってるような口調の白銀の方が接しやすい。
一応白銀は俺を先輩として慕ってくれていて、アマツである俺に憧れを抱いてくれているようなのだが。
敬ってくれていることが嬉しいと思う半面、なんだか少し寂しいと思ってしまう自分もいた。
『ところで、なにか用があるんじゃないか? だから高峯さんにIDを書いた紙を渡したんだろ?』
『あ、その件なんですけど⋯⋯先輩って、明日の放課後とか時間ありますか?』
『明日って金曜日だよな。まぁ、特に用はないな』
『じゃあ、また一緒にダンジョンに潜ってくれませんか? 弓の練習とレベリングに使ってるダンジョンがあるんですけど、ちょっと最終階層までチャレンジしてみたいんです』
『なるほどな。ちなみに、そのダンジョンは全何階のダンジョンなんだ?』
『全10階層ですね。ネットで【鈍虫の森】って調べたら、すぐに出てくると思います』
全10階層なら割と手軽に挑めるダンジョンだし、最終階層のボスの討伐を目標にしても、そこまで時間がかかるわけではないだろう。
それこそ、別に俺の力がなくても弓の練習やレベリングに使っているのなら、その内白銀でも一人で楽々と突破できるような気がする。
だが一応念には念を入れて、俺はネットの検索サイトに『ダンジョン 鈍虫の森』と入力し、そのダンジョンについて軽く調べてみることにした。
【ダンジョン名:鈍虫の森】
【推奨人数:1人以上】
【推奨レベル:15以上】
【出現モンスター平均危険度:E】
【乱入モンスター:有】
【全プレイヤー合計死亡回数:56】
【最終階層到達者:32人】
名は白銀が言っていた通り【鈍虫の森】であり、推奨人数が1人以上で推奨レベルが15以上という情報を見るに、まさに初心者向けのダンジョンであるといえるだろう。
前回、白銀は【深緑の大森林】にてレベルが4まで上がっていた。
あれから数日。たった数日とはいえ、弓の練習も兼ねてレベリングをしているのならばレベルだって推奨レベルを超えているか、届いてないにしても後1か2程度だと思われるため、レベル的にも丁度いいダンジョンだろう。
今思えば、ディーダイバーの厳しさを知ってもらうためとはいえ推奨レベル20以上の【深緑の大森林】に初心者の白銀を連れていった過去の俺って、結構酷いことしてるな。
まぁ、あの時はアマツの正体が俺であるとバラされてしまう可能性があったため、お灸を据えるつもりでもあったのだ。
その結果、白銀にディーダイバーとしての才能を見出すことができたため、最終的には良い方向に落ち着きはしたのだが。
「うーん⋯⋯難易度にしては、死亡回数が多いような⋯⋯」
出現モンスターの平均危険度がEということは、このダンジョンに出現するボスモンスターの危険度もE、高くてもD程度だろう。
Dなら初心者には少し手強いモンスターではあるものの、E程度ならよほどのことがない限りはまず負けることはないはず。
これはあくまで俺目線の話なため、世間一般論とはかけ離れている可能性もあるが、このダンジョンには少し厄介な点がある。
それは【乱入モンスター:有】という項目だ。
以前俺はこのダンジョンよりも推奨レベルが5低い【光苔の洞窟】に挑んだことがあるのだが、そこで俺はデスリーパーと遭遇した。
そのおかげで俺は配信者として最高の一歩を踏み出せたわけだが、俺みたいに戦い慣れてない人からすれば、いきなり危険度Aクラスのモンスターとの遭遇なんて、たまったもんじゃないだろう。
そう考えると、死亡回数が56と割と多めなのも納得がいく。
それに最終階層到達者も32人もいるため、乱入モンスターにさえ遭遇しなければ、初心者用のダンジョンとして実に有用なダンジョンではあるだろう。
『今確認したが、問題はなさそうだ。乱入モンスターと遭遇する可能性があることだけが、唯一の懸念点ではあるがな』
『それはそうですけど、万が一遭遇しても先輩なら大丈夫なんじゃないですか? 昨日の配信で、ユニークモンスター倒してましたし』
『⋯⋯見てたのか?』
『はい。おかげで今日は授業中ずっと寝てましたよ』
つまり、昨日の配信を見ていた95000人の内の一人が、白銀だったというわけだ。
別に白銀が特別というわけではないのだが、一応面倒を見ているディーダイバーの後輩が俺の配信を見てくれていたという事実が、なんだか嬉しく感じられた。
嬉しく感じる分、やはり少し距離を感じるのが気になってしまう。
『なぁ、白銀。そんなかしこまらないで、もっと気楽に話してくれてもいいんだぞ?』
『え、いや、でも⋯⋯』
『白銀は気にしてるのかもしれないが、笑う時にちょっと煽ってるような表情になるのも、人を茶化すような口調も、俺は別になにも気にしてないからな? むしろ、そっちの方が⋯⋯なんなら、一緒にダンジョンに潜ってた時の白銀の方が、俺は好きだぞ』
実際、俺も敬語を使うのは苦手だ。
兎リリさんや桃葉さんと話す時は礼儀として敬語を使うが、俺は敬語を使うのが上手くないため、きっと言葉が変になってる部分だって多いはずだ。
白銀からは、そんな俺と似たなにかを感じるのである。
まぁ、それに俺自身敬語を使われるような人間ではないし、誰かに敬われるような生き方をしているわけでもない。
それこそ、見ず知らずの奴にいきなり初対面で馴れ馴れしく話しかけられるのはイラッとするし、最初白銀と出会った時も少しモヤッとしたが、今はもう違う。
関わった時間は短いものの、俺と白銀は同じ学校の先輩後輩の間柄であり、ディーダイバーとしても先輩と後輩の関係だ。
先輩だから、年上だから敬語を使うという白銀の考えは正しいと思うし、素晴らしいものだと思う。
だがこれから接していく以上、白銀に苦手な敬語を使わせ続けるというのもなんだか申し訳なく感じるのである。
『⋯⋯先輩は、生意気な後輩の方が好きなんですか?』
『生意気過ぎるのはちょっとアレだが、白銀はまだ可愛いもんだ。だから気にしなくていい。今が白銀の素だとしても、人と接して楽なのはどっちなんだ?』
『それは⋯⋯ゲームをしてる時のわたしですけど⋯⋯』
『じゃあ、それでいいんじゃないか? 俺的には今の白銀よりも、ダンジョンに潜ってた時の白銀の方が白銀らしくていいと思うけどな』
そう送ると、既読マークはついたものの白銀にしては珍しく返信が中々返ってこない。
もしかしたら余計なことを言ったかもしれない。そう思い、追加でメッセージを送ろうとした瞬間。
『⋯⋯失礼なこと、言うかもしれないですよ』
と、遅れて白銀からメッセージが送られてきた。
だからそれに対し、俺は。
『俺にならいくらでも言え。先輩として、なんでも受け入れてやるからさ』
そう、答えた。
すると今度はまたすぐに、白銀からメッセージが送られてきて。
『もう、遠慮とかしないっすから』
『先輩が言ったわけだし』
『そこんとこ、よろしくオナシャス』
という、白銀らしい文章と共になんらかのアニメのキャラクタースタンプが送られてくる。
そこから更に何個も何個も別々のスタンプが送られてきて、なんだか白銀の調子や気分やらが先ほどよりも上がっているような、そんな気がした。
「ただいまー⋯⋯って、お兄ちゃんなにスマホ見てニヤニヤしてるの⋯⋯?」
白銀とやり取りをしている最中に沙羅が帰ってきたようで、リビングに入ってくるや否やいきなりそんなことを言ってきた。
引いている。わけではないのだが、その目はただ不思議そうにこちらをじーっと見つめていた。
「なぁに、ちょっと微笑ましいなと思っただけだよ」
「⋯⋯動物の赤ちゃんの動画でも見てるの? 意外じゃん」
もう俺への興味を無くしたのか、沙羅はどうでもよさそうに相槌を打ちながら、キッチンの方へと歩いて向かっていく。
俺は別に動物の赤ちゃんの動画なんて見てはいないのだが、ここで変なことを言ってもめんどくさくなるだけなので、そういうことにしておこう。
「あれ? お兄ちゃん、お昼ご飯食べなかったの?」
「いや、食べたけど」
「え? でも、朝お兄ちゃんが持ってったパンがまた箱の中に入ってるじゃん」
「あー、パンは食べなかったんだよ。同じクラスの高峯さんって人が、俺のためにお弁当を作ってくれてな。実は昨日そういう話になったんだけどそのことを俺が忘れててな。だからパンは持ってったけど、食べずに持って帰ってきたってわけだ」
いつも俺は冷蔵庫の横にある棚の箱の中に買い溜めしてあるパンを持ってから、学校へと登校している。
今日も今日とていつもと同じように動いていたのだが、朝の俺は高峯さんがお弁当を作ってきてくれることをすっかり忘れていたのだ。
そして昼休みを迎え、俺は高峯さんお手製のお弁当を食べ、腹が満足に満たされたから昼食として持ってきたパンは食べずに、家に持ち帰ったというわけである。
ただそれだけの話なのだが、なぜかキッチンにいたはずの沙羅が俺が座っているベッドの近くまで歩み寄ってきて。
「⋯⋯お弁当が必要なら、私作るけど」
と、いきなりそんなことを言ってきた。
俺とは目を合わせず、軽く頬を膨らませている沙羅は、怒っているわけではないのだがなんだか少しだけ不機嫌そうに見えて。
でも俺には、どうして沙羅が不機嫌になるのかがよく分からなかった。
「いや、高峯さんが作ってくれるから別にいらないぞ? それに、沙羅には家事をほぼ全て任せてるからな。ただでさえ朝食を作るために俺より早く起きてるのに、お弁当なんか作ったらもっと早く起きる羽目になるじゃないか」
「私が、お兄ちゃんのお弁当作りたいの」
「だから、大丈夫だって。それに沙羅までお弁当を作ったら、俺は一日に二つもお弁当を食べないといけなくなるじゃないか」
「その、高峯さんって人のお弁当断ればいいじゃん」
「それは無理だ。あんな美味しいお弁当を断るだなんて、俺にはできないね」
もちろん、沙羅の料理だって最高に美味しいし、まさに俺好みの味付けだ。
だが、だからといって高峯さんのお弁当を断れるかどうかと聞かれれば、それは否だ。
沙羅の料理には沙羅の料理なりの美味しさがあるし、高峯さんの料理にも高峯さんの料理なりの美味しさがある。
どっちが美味いとか、そういう話ではない。もちろん高峯さんのお弁当は美味しいが、俺の意見としては沙羅に負担をかけたくないっていうのが一番の理由であった。
「⋯⋯ねぇ、お兄ちゃん。その高峯さんって、もしかして女の人?」
「あぁ、そうだぞ」
「ふーん、そうなんだ──って、えっ!? ホントに!? ていうことは⋯⋯お兄ちゃん、遂に彼女できちゃったの!?」
高峯さんが女性であると知った瞬間、突然沙羅が目をキラキラと輝かせながら俺に詰め寄ってくる。
興味津々と言わんばかりではあるが、残念ながら俺と高峯さんの関係は、沙羅が思っているような関係ではない。
だから俺は真顔のまま首を横に振り。
「いや、別に付き合ってないが」
そう、キッパリと言い切った。
だがそんな言葉で沙羅が簡単に納得するはずもなく。
「い、いやいやいや、だって、だってだよ? お弁当だよ? そんなの、恋人にしかやらないじゃん!」
「高峯さんは優しいからな。俺は昼飯にパンしか食べてないことを知ったから、俺の体の健康に気を遣ってお弁当を作ってくれてるだけだからな?」
「はい? あのね、いくら優しくても普通は女の人が男の人に優しさだけでお弁当なんか作らないから。高峯さん、絶対にお兄ちゃんのことが好きなんだよ!」
一人だけテンションが上がってる沙羅だが、沙羅は高峯さんの優しさを知らないからこそ、そうやって言えるのである。
高峯さんは友達が無くしたアクセサリーを探すために泥だらけになったり、学校を休んだ人のために自主的にノートをとったりするような、まさに慈愛と善意の塊のような人なのだ。
俺のお弁当を作ってくれるのだって、俺が不健康な食事をとっていることを知ったからである。
俺と高峯さんは友達だから、友達だからこそ心配してくれている面もあるだろう。
だからこそ、そこに恋愛感情なんてものがあるはずがないのである。
「なぁ、もし仮にだぞ? 沙羅と趣味が合う男友達がつい最近できたとして、偶然登下校が一緒になり、たまに話したりするような関係になったとして、そいつのことすぐ好きになるのか?」
「え? いや、うーん⋯⋯そう言われたら、好きにはならないような気もするけど⋯⋯」
「それと一緒だ。高峯さんと仲良くなったのは夏休み明けからだし、好きな作家が同じで、クラスの席が隣で、たまに一緒に登校するただの友達だ。高峯さんは人一倍優しいから、俺のためにお弁当を作ってくれただけ。はい、おーけー?」
「えー⋯⋯いや、なーんか違う気がするけど⋯⋯私だったら、好きでもない人にお弁当なんて作らないし、作ろうとも思わないよ?」
「そりゃ、人間誰しも皆同じじゃないんだからな? 沙羅には沙羅の考えが。高峯さんには、高峯さんの考えがあるってわけだ」
そう説明しても、沙羅はどこか納得がいかないのか小首を傾げながらうーんと頭を悩ませていた。
そりゃ、もし万が一にも高峯さんが俺に好意を抱いてくれているのならそれは嬉しいことだし、喜ばしいことでもあるだろう。
だがそれで一人舞い上がって勘違いをし、高峯さんに"そんなつもりじゃなかった"と苦笑いを浮かべながら言われてしまったら、そこで俺たちの関係は終わってしまう。
それこそ、俺と高峯さんが小学校から一緒で昔からの関係値があるのなら別だが、高峯さんと出会ったのは高校生になってからであり、話すようになったのも夏休み明けからなため、関係値でいえばかなり浅いのだ。
高峯さんは、高校生になって初めてできた友達だ。
例えこの関係が高峯さんの善意による関係だとしても、俺は優しい高峯さんの気持ちを踏み躙ることだけはしたくなかった。
「はぁ⋯⋯お兄ちゃんって、万年ぼっちだったせいで大分拗らせちゃってるよね」
「拗らせてねぇ。恋愛脳じゃないだけだ」
「ふーん⋯⋯ま、それならいいんだけどさ。お兄ちゃんも罪な男になっちゃったね」
それだけ言い残して、またキッチンへと戻っていく沙羅。
そんな沙羅の後ろ姿を眺めながらも、俺は再びスマホに目を戻して白銀としばらくの間他愛のない雑談を続けるのであった──
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