第91話 高峯お手製弁当

 兎リリさんからの不穏な注意喚起を聞いて、少しだけ心の中に小さなモヤモヤを残しながらも。


「はいっ。これ、天宮くんのお弁当ですっ」


「ありがとう、高峯さん」


 高峯さんが差し出すお弁当を受け取った俺は、まず最初にその重さに驚いた。


 前回は高峯さんのお弁当から少しおかずをもらっただけだったのだが、今回は違う。


 まさに男用というか。今俺が手にしているお弁当箱は昨日高峯さんが使っていたお弁当箱よりも大きく、それでいてなんと二段弁当であった。


 二段弁当といっても、重箱のようなものではない。横長の長方形のお弁当箱が二段重なっているタイプのお弁当箱であり、手にした重さだけでかなりの量が入っていることが分かった。


「結構大きいんだな」


「はいっ。そのお弁当箱は元々父が使っていたものだったのですが、天宮くんならちょうどいいサイズかと思いまして。一段目はご飯、二段目はおかずが入ってますので、食べ盛りな男の子でもお腹いっぱい食べることができますよっ」


 確かにこれだけ大きければ、部活で早朝から練習をしている男子生徒でも満足に腹を満たすことができるだろう。


 正直、想像以上だ。てっきり昨日高峯さんが持ってきていた小さいサイズのお弁当箱が用意されていると思っていたから、良い意味で期待を裏切られた気分である。


 あれだけ美味しい高峯さんの手料理が、昼休みの時間に腹いっぱいになるまで食べることができる。こんな幸せは中々ないだろう。


「⋯⋯開けてもいいか?」


「はいっ、もちろんです」


 お弁当箱を包む風呂敷を解いて、ソレを敷物にして俺はお弁当を置く。


 そしてまず、一段目のお弁当箱の蓋をそっと開けてみることにした。


 高峯さんの説明なら、一段目にはご飯が入っているはずだが。


「おぉ⋯⋯これ、わかめご飯か?」


「はいっ。おかずはちゃんと多くしたんですけど、もしかしたら天宮くんからしたら味が少し薄いと感じるかもしれないので、ご飯にも少し味付けをしてみました」


 一段目の中身はただの白米ではなく、わかめが混ぜられたご飯がたっぷりと入っていた。


 冷えているはずなのに混ぜご飯だからか見た感じふっくらとしていて、均一に散りばめられた小さなわかめが、ご飯だけで埋め尽くされたお弁当箱の中を鮮やかに彩っている。


 わかめご飯なんて、中学生の頃の給食以来食べてないためなんだか新鮮だ。


 ただのわかめご飯のはずなのに、なんだか見ているだけでお腹が減ってくるというか、異様に食欲が駆り立てられる。


 だから俺は次に、二段目のお弁当箱の蓋を開けてみることにしたのだが。


「す、すげぇ⋯⋯」


 そこには昨日俺が食べた玉子焼きや小さなハンバーグが入っていて、その他にも蓮根と椎茸の天ぷらやほうれん草の和え物など、よりどりみどりであり。


 どの料理もヨダレが出てしまいそうなほど美味しそうで、それでいて彩りとしてプチトマトや赤パプリカの炒め物なども入っているため、見ているだけでも楽しいような、そんな見栄えのあるお弁当であった。


「これ、全部高峯さんが⋯⋯?」


「はいっ。天ぷらは昨日のあまりですが、その他は今朝作りました。普段はもう少しおかずは少なめなのですが、天宮くんのお弁当を作るにあたって作れるおかずのレパートリーも増えたので、私と姉のお弁当もいつもよりも少し豪華になったんですよ」


「そうなのか⋯⋯」


 こんなお弁当、無償でいただいていいのだろうか。


 食べなくても絶対に美味しいことが見た目だけで分かるし、なにより量は多いものの、ちゃんと栄養が偏らないように詰められた料理の数々に、つい息を飲み込んでしまう。


 早く食べたい。そんな一心で、俺はお弁当箱と一緒に包んであった箸ケースから黒い箸を取り出した。


「いただきます⋯⋯!」


 まず最初に、昨日食べた中で一番感動したハンバーグを箸でつまみ、口の中へと運んでいく。


 ほのかに酸味の効いたソースがかかったハンバーグは冷めているのに柔らかく、噛めば噛むほど肉の旨みが口の中に広がっていく。


 そして口の中にハンバーグが残っている状態でわかめご飯を口にすると、塩味のあるお米がハンバーグのソースと絡み合い、より一層味わいを楽しむことができた。


 それから赤パプリカの炒め物やほうれん草の和え物を口に運んでいると、夢中でお弁当を食べている俺の肩を高峯さんがつついてきて。


「ふふっ、そんなに急いで食べなくても逃げたりしませんよ。天宮くん、これもどうぞっ」


 そう言って、高峯さんが俺にコップを渡してくる。


 そのコップには豆腐となめこが浮かぶ味噌汁が注がれていて、その湯気立つ味噌汁の注がれたコップを受け取った俺は、その味噌汁で口の中をそっと胃へと流し込んだ。


「ふはぁ⋯⋯まさか、温かい味噌汁までついてるとは⋯⋯」


「天宮くんが喜ぶかなと思いまして用意させていただきました。それで、お味の方はいかがですか?」


「いや、それはもう⋯⋯えーと、その⋯⋯申し訳ないけど、美味しいって感想以外出てこないな」


「ふふっ、最高の褒め言葉じゃないですか」


 個人的にはもっといい感じの感想というか、テレビのアナウンサーや芸能人の食レポのような感想を伝えたかったのだが。


 本当に美味しい物を食べると、美味しいという感想以外なにも出てこなくなってしまう。


 というより、それ以外の言葉がむしろ邪魔になるような気がして、俺は素直に美味しいとしか言うことができなかった。


 だが、そんなありきたりな感想を言う俺に対し、高峯さんは嬉しそうに微笑んでいた。


 そんな高峯さんを横目見ながら、俺は次に天ぷらへと箸を伸ばして口へと運んでいくのだが。


 そんなお弁当を食べ続けている俺の姿を、高峯さんが隣で静かにじーっと見つめてきていた。


「⋯⋯っ、高峯さん?」


「あ、あっ、すみません。見ていて気持ちのいい食べ方をしてくださるので、なんだか嬉しくなっちゃって、つい⋯⋯」


 どこか恥ずかしそうに、頬をほんのりと赤らめながら目を泳がせる高峯さん。


 どうやら、味わいながらも早いペースでお弁当を食べていく俺の食いっぷりに、高峯さんは見入ってしまっていたらしい。


 別にそんなにがっついているつもりはなかったのだが、料理を作った手前、美味しそうに食べてくれることが高峯さん的に嬉しいことなのかもしれない。


「あっ、その、天宮くんっ。今後の参考に聞きたいのですが、なにか苦手な食べ物とかってあったりしますか?」


「苦手な食べ物? うーん、思い当たるのは特にないけどなぁ⋯⋯」


 元々、俺は山菜やら魚介やら、苦手なものは人より割と多い方であった。


 処理が悪かったのかもしれないが、山菜は若干香る土臭さとえぐみが、魚介は磯臭さと食感が苦手で、家族で回転寿司に行ってもマグロやサーモンくらいしか食べるものがなかった。


 だが異世界に行って、色々と考えが変わった。


 異世界の食は日本の食ほど美味しくはなく、それでいてレパートリーも少なく、調味料も貴重で素材そのものの味わいで楽しむ料理が多かった。


 いや、そもそも料理を楽しむということ自体珍しく、異世界を旅して冒険している以上、食は楽しむものではなく腹を満たすだけのものに変わっていた。


 食べるものの大半は現地調達であり、食べ物がなくて飢えに苦しむこともあった。


 異世界の人間は二日や三日程度の絶食くらい平気そうにしていたが、一日三食のご飯を満足に食べて生活してきていた俺にとって、一日の絶食でもかなり精神的にキツいものであり。


 そこで俺は、食への感謝を知った。


 知らないわけではなかった。だが裕福ではないものの貧乏でもない家で過ごしていた俺は、好きなご飯を美味しく食べられることを普通のことと思っていた。


 だが異世界に行き、俺はソレが普通ではないと、当たり前のことではないと痛感した。


 それからだ。俺が山菜──もとい、雑草に近い野草を食べられるようになったのも、磯臭い魚介を素材の味のまま食べられるようになったのも。


 前までの俺だったら、多分高峯さんの質問に対し苦手な食べ物はアレだとかコレだとか、色々と言っていただろう。


 だが今の俺にとって、異世界で生活をして来た俺にとって、泥水を啜って腐りかけの肉や魚を喰らってきた俺にとっては、苦手な食べ物などほぼないに等しかった。


「まぁ、強いて言えば⋯⋯美味しくないもの、とかかな。でも高峯さんの料理はどれも美味しいから、全然気にしなくてもいいよ」


「本当ですか? それならすごく助かります。でも、遠慮はしなくていいんですよ? もしこれだけは食べられないなって物がありましたら、ちゃんと言ってくださいね?」


「分かった。ありがとう、高峯さん」


 なんて、話しているうちにも箸は止まることなく動き続けていて。


 一度なめこの味噌汁をおかわりしつつも、俺は高峯さんお手製のお弁当を10分も経たずに平らげてしまっていた。


「ごちそうさまでした⋯⋯いやぁ、本当に美味しかったなぁ⋯⋯」


「はいっ、お粗末さまでした。その、量の方は大丈夫でしたか? 少なかったりしたら、遠慮なく言ってくださいね?」


「量はちょうどいいよ。これ以上は苦しくなりそうだし、今後も作ってくれるのなら今日と同じ量がいいな」


「分かりました。もちろん、今後も作りますよ。あれだけ美味しそうに食べてくださると、作り甲斐もありますしねっ」


 まだ半分近く残っているお弁当に箸を伸ばしながらも、高峯さんはご飯粒一つも残らずに平らげられたお弁当箱を見て、嬉しそうに微笑んでいた。


 一方、俺は満腹+昨日の配信が長引いたことによる睡眠不足のせいで、今とんでもない睡魔が俺を襲ってきていた。


 眠気がすごくて、ついつい大きなあくびをしてしまう。だがいくらあくびをしても、眠気が覚めることはなかった。


「ごめん、高峯さん。その⋯⋯今日寝不足でさ。申し訳ないけど、寝てもいいかな?」


「あっ、大丈夫ですよ。でも、ここだと地面が硬くて寝転がったら頭とか体が痛くなりそうですよね⋯⋯」


 確かに高峯さんの言う通り硬い地面ではあるが、地面といっても草は生えているし、太陽の光を木が遮ってくれているため、環境的にはちょうどいい場所だ。


 異世界にいた頃はこれよりも劣悪な環境で睡眠を取っていたため、それと比べればむしろ非常に寝やすい環境であると言えるだろう。


「あ、あのっ、天宮くん⋯⋯?」


「⋯⋯ん?」


「え、えと、あの、そのぅ⋯⋯」


 目を左右に泳がせながら、どこか緊張した様子で話しかけてくる高峯さん。


 スカートをギュッと握ったり、自分の太ももを撫でたりなど、なんだか見てて面白い慌て方をしているが。


「や、やっぱり、なんでもありません⋯⋯っ」


 そう言って、高峯さんは頬を赤らめて顔を俯かせていた。


 なにか、俺に伝えたいことでもあったのだろうか。それとも、なにか提案でもしたかったのだろうか。


 それは分からないが、ここで変に掘り下げるのもなんだか悪いような気がして。


「と、とりあえずっ! 予鈴が鳴る5分前くらいに、起こしますからね⋯⋯?」


「えっ、あ、うん。分かった。じゃあ⋯⋯一旦、おやすみ」


「は、はいっ。お、おやすみなさい⋯⋯!」


 なにやら少し慌てている高峯さんを横目に、俺はゆっくりと瞼を閉ざした。


 優しく体を撫でる風。その風によって揺れる木々の葉が擦れる音。遠くから聞こえてくる、生徒たちの騒ぎ声。


 そんな、自然の音に包まれながら。


 俺は瞼を閉ざしてから一分も経たずして、意識を落とし深い眠りへと落ちていくのであった──




──────




「──天宮くんっ、起きてください。もうすぐ時間になっちゃいますよ?」


 意識が深い水底に沈んでいる中、体が揺さぶられると共に優しい声が聞こえてくる。


「⋯⋯ん? んぅ⋯⋯」


 未だ眠気が残っている中、そこで俺は目を覚ました。


 体を起こし、あくびをしながら背筋を伸ばす。


 顔を横に向けるとそこには高峯さんがいて、茶色のブックカバーに包まれた一冊の本を手に持っていた。


 どうやら、俺が寝ている隣で読書をしていたらしい。


「ふわぁ⋯⋯もうそんな時間なのか⋯⋯起こしてくれてありがとう、高峯さん」


「いえいえ、でも、起こしてしまうのが少し申し訳ないような気がするくらい気持ちよさそうに寝ていたので、起こすかどうか迷っちゃいました」


 くすくすと笑いながら、読んでいたであろうページに栞を挟む高峯さん。


 スマホで時計を確認すると、時刻は13時10分。


 5時間目の授業が始まるのが13時20分からだから、高峯さんは俺が寝る前に言っていた通り、予鈴が鳴る5分前に俺を起こしてくれたようだ。


 正直言って、眠気はまだある。だが少しでも眠ることができたことで、今はもう大分楽になっていた。


「それにしても、天宮くんってなんだか可愛らしい寝方をするんですね」


「か、可愛らしい寝方⋯⋯?」


「はい。寝息が聞こえてきたと思ったら、体を横にして丸まってましたよ。天宮くんも、意外と子供らしい一面があるんですね」


「あー⋯⋯それ、多分癖だな。小さい頃はよく布団とか抱いて寝てたから、無意識のうちに体が動いてるんだと思う」


 高峯さんの前だから布団と言ったが、小さい頃はそれこそ枕やぬいぐるみなど、抱いてないと眠れない時期があった。


 それこそ、今でも朝起きたら布団か枕のどっちかを抱いてる時があるため、こればかりは自分でもどうすることもできないのである。


「でも、気持ちは分かりますよ。なにかを抱いて寝ると、なんだか安心しますよね」


「ということは、もしかして高峯さんも?」


「昔は私もそうでしたよ? でも今は違いますね。ただ、その⋯⋯私、あまり寝相がよくないので朝起きたらなぜか枕がベッドから落ちてる時があるんですよねぇ」


「へぇ、なんか意外だな」


 高峯さんのことだ。


 てっきり寝返りすら打たずに夜寝た体勢のまま目が覚めるくらい寝相がいいようなイメージがあるが、意外とそうでもないらしい。


 頭の下に置いてある枕がベッドの下に落ちているということは、もしかしたら夜寝ている間に結構体が動いているのかもしれない。


 高峯さんはなんでもできる完璧な人という認識があったが、ちょっとだけ親近感が湧くというか、そんな意外な一面がなんだか微笑ましかった。


「あっ、そういえばさっき天宮くんにお客さんが来てましたよ?」


「え、俺に?」


「はい。なんだか用がある感じでしたけど、天宮くんが寝ていたので私にコレだけ渡して帰っちゃったんです」


 そう言って、高峯さんが俺に四つ折りにされた一枚のメモ用紙を手渡してくる。


 早速中身を確認しようとするのだが、そのタイミングでちょうど昼休みの終了を告げる予鈴が鳴り響いたため、俺は一旦メモ用紙を胸ポケットにしまって教室へと戻ることにした。


 もちろん、教室へ向かって歩いていく俺の隣には高峯さんもいて。


「ちなみに、誰だったんだ? 名前とかは?」


「名前を聞く前に帰っちゃったので、分からないんです。でも、すごく可愛らしい方でしたよ? 珍しい白っぽい銀色の髪に、こんな暖かい季節なのに長袖の服を着ていてフードまで被ってました。靴の色的に、一年生だと思うんですが⋯⋯」


 そこまで聞いて、俺はすぐにその人物が誰かを察することができた。


 俺に関わりのある一年生はこの学校で一人しかおらず、そもそも銀色の髪というだけで、もはや誰なのかを考えるまでもないだろう。


 その人物の名は、白銀 玲。


 俺の正体を知る唯一の人物であり、ちょっとめんどくさくてややこしい性格をしているものの、可愛い俺の後輩ディーダイバーである。


 そんな白銀が、わざわざ昼休みに俺を探してまでなにかを書き記したメモ用紙を渡そうとしていた。


 もしかしたら、なにか至急の用があるのかもしれない。


「あんな可愛い子からお手紙を貰うだなんて、天宮くんはモテ男ですねぇ」


「い、いやいや。別にそういうわけじゃないと思うけどな⋯⋯それに、俺のことを好きになる奴なんていないだろ。もし本当にいたとしても、そいつはよっぽどの物好きだろうな」


「そうですか? もしかしたら、天宮くんを好きになるような物好きが案外近くにいるかもしれませんよ?」


 ニコッと微笑みながらそんなことを言う高峯さんだが、やはり想像がつかないというか、どうもしっくりこない。


 でももし、俺みたいな陰キャで根暗で、素性を隠さないとネット上で素の自分を出せないような男が好きな人が現れるのなら──


「⋯⋯ま、いないだろうなぁ」


 色々と考えたが、結局のところ結論は変わらなかった。


 それに今は恋愛よりも、妹の沙羅の面倒やディーダイバーとしての活動の方が最優先だ。


 だからこれ以上、俺には関係のない恋愛について頭を悩ませても意味がないだろう──






「⋯⋯⋯⋯鈍感」


 天宮と肩を並べて歩く高峯の口からは、ぽつりとそんな言葉が零れていた。

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