第40話 逃亡戦

『チキチキ!』

『チキ、チキチキ!』

『チキチキチキチキッ!』


 ヴヴヴ、ヴヴヴヴヴと嫌な羽音を立てながら接近してくるアーミーホッパーの大群を背に、俺は桃葉さんをお姫様抱っこで抱えながらただひたすらに逃げ回っていた。


 アーミーホッパーはそこまで速く跳ぶわけではないが、それでも走っていないとあっという間に追いつかれてしまうくらいの速度で跳んできているため、一切の油断ができない。


 軽く後ろを振り向くと、1番俺の近くを跳んでいるアーミーホッパーまでの距離がおよそ10メートルであることが分かる。


 地上にあるお花畑だけでなく、快晴の青空すら真っ黒に塗りつぶしかねないその光景は、まさにこの世の終わりのようであった。


「リ、リスナーのみんな〜! 虫が苦手な人と、集合体恐怖症の人は視聴注意だからね!」


 俺の腕の中にすっぽりと収まっている桃葉さんが、カメラに向かって視聴者たちに注意喚起を呼びかけていた。


 確かにこの光景は、虫が苦手な人と集合体恐怖症の人からしたらただの恐怖映像にしか過ぎない。


 そんな人たちのことすらも考えることができるだなんて、桃葉さんはきっと、心の底から優しい人なのだろう。


 だが、今は桃葉さんに感心している暇などない。


「桃葉さん! 魔力の回復は!?」


「あっ! リスナーたちに呼びかけるのに必死で忘れてた!」


「お⋯⋯! お前なぁ⋯⋯!」


「ご、ごめんなさいごめんなさい!」


 両手を合わせながら謝ってくる桃葉さんを前に、俺はため息を吐くことしかできなかった。


 まずい。桃葉さんを相手にしていると、普段の自分というか、なにも取り繕っていないいつもの自分が出てきてしまう。


 配信上では変な発言をしたくないため、あまり人のことを"お前"だとか言いたくはないのだが、それでも状況が状況なために、つい口が滑ってしまった。


 でもそうなってしまうくらいには、さすがの俺もあまり余裕がないのである。


「あ、あとでなんでも言うこと聞くから許して〜! あっ、でもエッチなのはダメ──」


「いいからさっさと回復してくれぇ!!」


 と言うと、さすがの桃葉さんもこれ以上はまずいと思ったのか、ディーパッドを操作して拳大の魔石を取り出していた。


 その魔石を両手で掴むように握り、そして胸元に押し当てる桃葉さん。


 アーミーホッパーから逃げ始めて30秒が経過したところで、ようやく桃葉さんは魔力の回復を始めてくれた。


「てか、あんまり変なこと言わないでくれ。カメラに音を拾われて変な噂が立ったら面倒だろ」


「それは多分大丈夫だよ? 配信とか見たら分かるけど、意外と戦闘中ってあんまり配信者の言葉を拾わないんだよね。多分、勝負の全容を見せるためにカメラが離れるからだと思うけど」


「そ、そうなのか?」


「そうっ。あ、だからってモモのこと口説いちゃダメだよ? 可愛い女の子をお姫様抱っこしてるからって、その気になっちゃダメなんだからねっ」


「このままバッタの中に放り投げてやろうか」


「じょ、冗談じゃん!? アマツさんの鬼! 悪魔! 死神っ!」


 ⋯⋯まったく、ちょっと可愛いからって調子にばっか乗りやがって。


 ていうか、鬼と悪魔はなんとなく分かるけど、死神に至っては罵倒でもなんでもないような気がする。


 だが、そんな下らないやり取りを繰り返しているおかげか、肩に張っていた力がいつの間にか抜けていて、変な緊張もなくなっていた。


 もしかしたら、桃葉さんは俺の緊張をほぐすためにわざと変なことを言っていたのかもしれない。


「ありがとな、桃葉さん」


「え、えっ、な、なんのこと⋯⋯?」


「⋯⋯いや、なんでもない」


 無意識だったのか無自覚だったのか、桃葉さん本人にはそういった自覚がないらしい。


 このダンジョンに来て桃葉さんを救った俺だが、なんだかんだ言って俺も桃葉さんの明るさに救われている部分もある。


 それに、俺が知らないことを聞いたらなんでも教えてくれるし、嫌な顔せずなんでも答えてくれる。


 今後はもう少し、桃葉さんを1人の仲間として敬ってあげるのも悪くはないかもしれない。


「ア、アマツさん! このままだと、追いつかれるかも⋯⋯!」


「⋯⋯了解。それじゃあ、少しだけ本気を出すとするか」


「えっ、今までのは全然本気じゃなかったってこと⋯⋯?」


「あぁ。それと、今後はあまり喋るなよ。舌を噛む危険性があるからな」


 少し困惑した様子を見せる桃葉さんに向け、俺はふっと小さく笑みを向ける。


 そして脳内で"ステータスオープン"と唱えることで、俺以外には見えない自身のステータスが目の前に表示された。


 そのステータス欄の中の、スキルの項目へ俺は目を移す。


 そこには様々なスキルの文字が羅列しているのだが、どの文字も銀色の鎖のようなもので縛られていて、扱えないように封じ込められている。


 もちろん、このままでは封じ込められたスキルを扱うことはできない。


 だがその鎖は、俺の意思で自由に外すことができる。だから俺は、とあるスキルを封じるように縛られた銀色の鎖を解き放ち。


「さぁ、行くぞっ!」


 俺は桃葉さんを強く抱き締め、そして大地を思いっきり蹴り上げた。


 それにより地面が大きく抉れて捲れ上がり、たった一度の踏み込みで10メートル以上の移動が可能となった。


『チ、チキチキ⋯⋯!?』


 俺の背中の辺りまで迫ってきていたアーミーホッパーが、一瞬で遠ざかっていく。


 今さっき解放したスキルのおかげで、今の俺は移動距離だけでなく加速力も大幅に上昇している。


 そんなあまりの速度に、桃葉さんは分かりやすく驚きを露わにしていた。


「わっ、わわ、な、なにこれなにこれ!?」


「俺のスキル【豪脚】の力だ。これさえあれば、まず捕まることはないだろう」


「ご、豪脚!? なにそれ、モモの知らないスキルなんですけど!」


 そりゃあ、この世界にあるダンジョン内で得られるスキルではなく、異世界で取得してきたスキルだから知らないのも当然である。


 それにしても、このスキルを使うのは本当に久しぶりだ。


 だが一度解放してしまった以上、異世界での仲間である『封印の巫女』の力は消えてしまった。


 といっても、まだまだ『封印の巫女』の力によって封印されている俺のスキルや能力はたくさんあるのだが、今後は【豪脚】の暴発に気をつけなければならない。


 こんな力、街中で使ってしまったらそれだけで大事件になってしまうからな。


「少し余裕が出来たな。軽く間引いてみるか」


 アーミーホッパーと距離を取ることができたため、俺は思いっきり足元を強く踏みつけ、地面を隆起させる。


 それにより飛び散った地面の欠片や石礫等を蹴りつけ、後方にいるアーミーホッパーの大群に浴びせてやった。


『チ、チキチキ!?』

『ピギッ!?』

『ギ、ギィッ!?』

『ギャ──』


 蹴り飛ばすことで地面の欠片や石礫がまるで大砲の玉のように飛来し、そしてアーミーホッパーを粉砕していく。


 おかげで一気に十数匹ほどをミンチにすることができたが、全体で見ればまだ1パーセントにも満たない数であり。


 やはりこの状況、千どころか万近くはいそうなアーミーホッパーをなんとかするには、俺の力だけではどうしても時間がかかってしまう。


 耐久戦は得意だ。かつて、異世界にて魔王と三日三晩戦い続けてきたため、アーミーホッパーと数時間、数十時間戦うのだって別に苦ではない。


 だが今ここには、俺だけではなく桃葉さんがいる。


 桃葉さんの洗練された魔法の力があれば、アーミーホッパーを圧倒することだって難しくはないはずなのだ。


「す、すごいすごーい! これを続ければ、もしかしたら勝てちゃうかも!」


「バカ野郎。それじゃ時間がかかりすぎる。それに、桃葉さんを持ち上げ続けている俺の腕のことも考えてくれ」


「そ、それ遠回しに重いって言ってない!? た、確かにモモは他の女の子よりもちょっと重いかもしれないけど、これでもモモだって──」


「分かってる分かってる、桃葉さんは充分可愛いよ。だからあまり暴れるな」


「⋯⋯っ! ⋯⋯ぅ、⋯⋯うん」


 さて、桃葉さんが魔力を回復し始めてからおよそ2分が経過したくらいか。


 あと1分ほど時間を稼げば桃葉さんも戦闘に参加することが可能となり、一気に戦況が動くこととなる。


 これからの展開を考え過ぎているせいであまり桃葉さんとの会話に脳のリソースを割くことができないが、それでもようやく桃葉さんが大人しくなってくれたため、色々と考える暇ができた。


 まだまだ始まったばかりのアーミーホッパー戦。


 一瞬の油断が命取りとなる【蠱惑の花園】による最終決戦がようやく、始まりを迎えようとしていた──

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