第39話 軍隊

 白い光によって埋め尽くされた視界が晴れ、俺と桃葉さんは【蠱惑の花園】最終階層である、20階層目に足を踏み入れていた。


 ここが最後の階層。このフロアにいるボスモンスターさえ討伐してしまえば、俺たちは見事【蠱惑の花園】踏破を達成することができる。


 だから20階層目に来た瞬間俺は桃葉さんと一緒に武器を構えたのだが、そこにはかつて戦ったキラーマンティスやフラワースパイダーのような、一目で見て分かるようなボスモンスターがどこにもいなかった。


「あれ〜? てっきり、オニゴロシムカデみたいな大型のモンスターが待ち構えてるって思ってたんだけど⋯⋯」


「⋯⋯なにもいないな」


 一安心したのか、俺の隣でホッと胸を撫で下ろす桃葉さん。


 だが俺は、この異常な現象を前に1ミリ足りとも緊張の糸を切らすことができなかった。


 ボスモンスターがいるはずのフロアに、目的であるボスモンスターがいない。


 それは決して安心できる要素ではなく、むしろその逆で、なにが起きるか分からないため恐ろしいったらありゃしなかった。


「地面の中にいるパターンか、それとも空にいるパターンか⋯⋯」


「もしくは、今モモたちが立ってる場所がモンスターの背中だったりして?」


「⋯⋯それは最悪のパターンだな」


 まぁ、桃葉さんの発言が冗談であるのは理解しているのだが、それでも可能性として考慮する価値はあるものだろう。


 試しに周囲を見渡すと、相変わらずどこまでも綺麗な花園が広がっていて、果てしなく続く地平線がなんだか不気味に感じてしまう。


 天を仰いでも空は雲ひとつない快晴の青空であり、まさにピクニック日和の楽園のよう。


 だがそんな長閑で静かな雰囲気が、逆に気持ち悪いほど不気味であり。


『チキチキ、チキチキッ』


「っ!」


 突如後方からモンスターの声が聞こえてきたため、俺は大鎌を構えながら桃葉さんの前に立つ。


 だがそこには全長30センチほどの、少し茶色がかった1匹のバッタがいるだけであり、こちらに対する敵意や殺意などは一切感じられなかった。


 だが目が赤く染まっていて、触覚の先端に変な丸い球体がついている時点で、そのバッタがモンスターであることが分かる。


 だから俺は桃葉さんとアイコンタクトをとってその場で屈み、バッタにバレないようにとりあえず身を潜めることにした。


「⋯⋯桃葉さん、あいつの詳細は分かるか?」


「モモは分からないな〜⋯⋯それに、最終階層のボスモンスターをディーパッドで撮影しても、情報を確認することができないんだよねぇ」


「⋯⋯なるほどな」


 つまり名前や危険度、そしてレベル等を知ることができないということだ。


 まぁ、今まではなにも知らずに戦ってきたため、別に情報がないっていうだけで不利になるということはない。


 むしろ今まで通りに戻ったと思えば、この状況で特別慌てる必要なんてないだろう。


「⋯⋯とりあえず、モモの魔法で倒しちゃう?」


「うーん⋯⋯なにも分からない以上、あまり手出しはしたくないが⋯⋯でも、このままだとなにも始まらないよな。桃葉さん、お願いしてもいいか?」


「任せて、これくらいの距離なら絶対に外すことないからっ」


 屈みながら杖先をバッタに向け、そして空中に小さな円を描いていく。


 それによりバチバチッと紫色の稲妻が走り、ものの一瞬で攻撃準備が整っていた。


「せーの──スパークショット!」


 呑気に花の茎を齧っているバッタに向けて、桃葉さんが紫電の弾丸を射出する。


 スパークショットは一点集中型の魔法であり、広範囲にダメージを与えることはできないものの、的確に、かつ迅速にダメージを与えることができる優秀な魔法だ。


 遠距離からの不意打ち。もしこれが回避されてしまえば、あのバッタの脅威度がかなり跳ね上がってしまうのだが──


『──ピギッ!?』


 情けない断末魔が上がる。


 桃葉さんの放ったスパークショットによりバッタは丸焦げになっており、その時点でもう息も絶え絶えになっていた。


 あまりにも呆気ないというか、肩透かしを食らった気分だ。


 だが丸焦げになったバッタがおもむろに起き上がり、急に空高く跳び上がったと思えば。


『ピギィイィイィイイィィィイィッ!!』


「っ!?」


 かつて耳にしたデスリーパーの絶叫よりも不快で、やけに耳に残るような鳴き声を上げるバッタ。


 だがそれが最後の力だったようで、そのままバッタは白い光に包まれていき、そのまま光の粒となって音もなく消えてしまっていた。


「な、なに、今の⋯⋯?」


 手で耳を押さえていた桃葉さんが、苦しそうな表情を浮かべながらこちらの顔を覗き込んでくる。


 そんな中、俺はすぐに胸元からディーパッドを取り出し、今倒したモンスターの詳細を確認することにした。


【個体名:アーミーホッパー】

【危険度:F】


【体が大きくなっただけのバッタ。顎の力と跳躍力こそ強いものの、その生態は自然界にいる普通のバッタと変わりない。しかし、自分が弱いという自覚があるからか大きな群れを作って生活する。そしてその群れは別の群れを吸収し、やがてその群れは軍隊のような規模となる。アーミーホッパーは仲間意識が異常なほど強いため、ハグれた個体には決して手を出してはいけない。


 かつて、何百何千年と周辺国との戦争に勝ち続けてきた最強無敗の帝国が存在した。だがその帝国は、数百万を超える飛蝗の軍隊によって滅びの一途を辿ることとなる】


 その説明文を読んで、俺の全身にゾワッと鳥肌が立っていく。


 今までよりも明らかに平坦で花園。


 死の瀬戸際に、断末魔ではなくまるで自分の身に起きた危機を知らせるように甲高い鳴き声を上げたバッタ。


 そして、アーミー──軍隊という名がついたモンスターという時点で、これから起こるであろう出来事がいかに最悪なものかなんて考えるまでもなかった。


「アマツさん? なにか分かった?」


「あぁ⋯⋯まさか、最後の最後でこんな厄介なモンスターと戦う羽目になるとはな⋯⋯」


「えっ、それって──」


「来るぞ⋯⋯!」


 静寂に包まれた花園。だが耳を澄ますことで、微かにヴヴヴと、低く鈍い羽音が聞こえてくる。


 その音の聞こえる方に顔を向けると、はるか遠く地平線の彼方にて、小さな無数の黒い点が蠢いていた。


 その点は次第に大きくなっていき、耳を澄まさなくてもヴヴヴヴと音が鮮明に聞こえてくる。


 その音はどうやら桃葉さんにも聞こえているようであり、桃葉さんは俺の背中に隠れてその黒い点を見つめていた。


「ア、アア、アマツさん!? あ、あれって⋯⋯!?」


「さっき桃葉さんが倒したバッタの仲間だ。

まぁ⋯⋯仲間と呼ぶには、あまりにも多すぎるがな」


 空を埋め尽くさんとする黒い点が、ひたすら真っ直ぐこちらに向かって波のように迫ってくる。


 そうこうしている内に、その黒い点の正体が明らかとなった。


『チキチキ⋯⋯!』

『チキ、チキチキチキ⋯⋯!』

『チキチキチキチキ!』

『チキキ、チキッ!』


 そう。先ほど桃葉さんが倒したアーミーホッパーが、夥しい数の大群を作って俺たちの元へ向かってきているのである。


 その数、目測だが優に千を超えている。


 アーミーホッパーは危険度Fの最弱モンスターだが、それが千を超える群れを作って襲いかかってくるとなれば、話が変わってくる。


 かつ、今の俺にとってはゴブリンシャーマンやキラーマンティス、そしてデスリーパーよりも面倒で、相性の悪いモンスターであった。


「桃葉さん、一旦引くぞ!」


 そう言って迫り来るアーミーホッパーの大群から一時距離を取ろうとするが、その瞬間桃葉さんに服を掴まれてしまう。


 どうかしたのかと振り返ると、桃葉さんは足を震わせており、その場で膝を着いて動けなくなってしまっていた。


「ど、どうした。もしかして、ビビって足が動かないのか?」


「い、いやっ、そうじゃなくて、えーと、そのぅ⋯⋯」


 ここに来て、なぜか恥ずかしそうにもじもじとしだす桃葉さん。


 だが今は、本当にそんなことをしている暇がない。とりあえず距離を取って、どうやって倒すか作戦会議をしたいのである。


「なんだ、早く答えてくれ。なにを言っても怒らないから、ちゃんと言ってくれ」


「⋯⋯うん。えっと、あのね? オニゴロシムカデを倒す時にね、調子に乗って遠慮なく魔法を使ったせいで実は魔力が枯渇寸前で⋯⋯」


「⋯⋯はい?」


「それで、さっきのスパークショットで完全に魔力がスッカラカンになっちゃったから、その代償で動けないんだよね〜⋯⋯あはは」


「こんのバカ野郎!?」


 スパン! と、俺は有無を言わさずに桃葉さんの頭に鋭いチョップを食らわせた。


 それにより、桃葉さんはその場で尻もちをついており。


「うわ〜ん! やっぱり怒った〜!!」


 大袈裟に泣くフリをしながら、桃葉さんが俺にチョップされた場所を両手で撫で、こちらを上目遣い気味に見つめてきた。


「うぅ〜⋯⋯アマツさんの嘘つき」


「いや、まさかそんな理由とは思わないだろ⋯⋯! あー、くそ。どうしたらいいんだ⋯⋯!」


 考えろ、考えろ。


 今ここで俺だけが距離を取って、1人で黙々とただひたすらに戦い続けても、疲れるだけでいつかは倒し終えることができるだろう。


 だがそれだと、桃葉さんを見捨てることになってしまう。


 今回の件に関しては完全に桃葉さんの自業自得ではあるが、だからと言って簡単に見捨てられるほど、俺は人として終わってはいない。


 むしろ、なんとかしてでも助けたい。


 なんだかんだ言ってここまで一緒にやって来たのだから、そりゃ情だって湧くし罪悪感だって湧く。


 今俺に出来る、最善の手。この最悪な状況を打破するために、俺がやるべきこと。


「⋯⋯桃葉さん。今から魔石を使って魔力を回復するとして、どれくらいの時間で充分戦えるようになる?」


「えっ? えーと、うーん⋯⋯それだと、3分くらいかかるかな⋯⋯?」


「3分か。了解した」


 今からここで3分も立ち尽くしてしまえば、迫り来るアーミーホッパーの大群に呑み込まれてしまう。


 危険度Fのモンスターならそこまで攻撃力が高いわけではないはずだが、この世の中には塵も積もれば山となるという言葉がある。


 俺だけならなんとか耐えれるかもしれないが、魔力が枯渇して魔法が使えない桃葉さんがあの大群に呑み込まれてしまえば、待ってるのは一方的な蹂躙と、死のみ。


 ダンジョンの中で死んだとしても、何事もなかったかのように無傷で蘇ることができる。


 だが、死んでもいいからって最初から戦うことを諦めるなんて。


 そんなの、俺の矜恃に反する行為である。


「⋯⋯いいじゃないか。ようやく、楽しくなってきたところだな」


 俺は【首断ツ死神ノ大鎌】を地面に突き立て、そしてディーパッドを操作し別の武器をいつでも取り出せる準備を済ませておく。


 そうこうしている間にもアーミーホッパーの大群はこちらに向かって接近してきており、あと1分もすれば俺たちの元へ到達してしまうだろう。


 だから俺はこの状況を打破するべく、尻もちをついている桃葉さんに手を差し伸べた。


「今から俺は桃葉さんを担いで全力で逃げ回る。その間、桃葉さんには魔力を回復してもらう。それでいいか?」


「お、おっけー! あっ、でも、変に担がれるとスカートがめくれて下着が丸見えになっちゃう可能性があるかも!」


「⋯⋯その場合、俺はどうすればいい?」


「モモはお姫様抱っこを所望します!」


「⋯⋯⋯⋯」


 こんな大事な場面でなんの冗談だと思ったが、桃葉さんがこちらに向かって両手を伸ばしてきている辺り、冗談ではなく本心なのだろう。


 だから俺は一度その場で膝をついて桃葉さんを抱きかかえ、それから腕を肩の後ろと膝の裏に通して、要望通りのお姫様抱っこをする。


 そうすることで、桃葉さんは落ちないように俺の胸元にぎゅ〜っとしがみついてきて、ふいにこちらの顔を見上げてきたと思えば、ニコッと可愛らしい笑みを浮かべていた。


「え、えへへ⋯⋯モモ、重くない?」


「思っていたよりかは重くないな。気にならないくらいだぞ」


「いや、そこは重くないって言うべきでしょーが! それか"羽のように軽いから気づきませんでした、お姫様"とかさ〜!」


「はいはい、オモクナイオモクナイ」


 俺の素っ気ない態度によって、怒った桃葉さんが胸元をぽこぽこと叩いてくる。


 まぁ、先ほどの言葉は俺なりの照れ隠しではあったのだが、それが本人にバレていないようでなによりである。


「桃葉さん、しっかり掴まってろよ。魔力の回復の方も、忘れずに頼むからな」


「う、うんっ⋯⋯! アマツさん、頑張ってね⋯⋯!」


 一度桃葉さんを持ち直してから、俺は後方から迫り来るアーミーホッパーの大群に一度目を向ける。


 一か八か。追いつかれたら俺だけでなく桃葉さんまで大惨事になってしまう、非常に危険な3分間が始まる。


 俺は一度大きく深呼吸をしつつも、桃葉さんが魔力を回復するまでの間、全力で守護するべくアーミーホッパーから逃げるように、地を蹴って花園を駆けるのであった。

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