第77話 EX.残夜の影く滅国-⑩

 天の塔頂上による、闇の魔女リーウェルとの最終決戦が始まってから、時は既に10分近くが経過していて。


 俺は両腕に装着した【黒鉄の爪刃手甲】を武器に、延々と魔法を放ち続けるリーウェルに肉薄を続けていた。


震え千切る闇の牙咬よア・ゲダ・デイル!」


 リーウェルが魔法を唱えることで足元の影から闇色に包まれた大顎が飛び出し、俺を喰らおうとしてくる。


 ガチン! と、音が鳴るほど勢いよく閉ざされる大口に、俺は跳躍による回避を余儀なくされてしまう。


魔の弾丸よ、彼の者を撃ちなさいエ・ウーラ・ゾールラーハ!」


 空中で無防備となった俺に目掛けて、リーウェルが手に持つ魔導書から黒い魔力の塊が何発も、何十発も放たれていく。


 それはまさに雨のような数、密度であり、今から俺が【空歩】を使用して方向転換しても、間に合うかが分からない。


 だがその瞬間、俺の目の前に突然暖かな光の魔力が壁を生成していき。


守護する光の障壁よティア・ガーデイル!」


 リーウェルの放った闇の魔弾が、エリュシールが展開した光の障壁によって無効化される。


 エリュシールを信じていた俺は怯むこともなく、そのまま【空歩】と【豪脚】を合わせて再度跳躍、そしてリーウェルの懐へと潜り込み手甲を振るう。


「っ!」


 俺の手甲による一撃はリーウェルが常時展開している魔力障壁によって防がれてしまうが、俺はそこで引かず、連撃を浴びせ続ける。


 金属を殴っているような感覚に手指が痺れるものの、俺はそのまま魔力障壁を殴り続け、そして隙をついてリーウェルが手に持つ魔導書を狙った爪刃を突き放った。


「あなた、ワタシの魔導書に恨みでもあるわけ!?」


「恨みなんてものはないが、その魔導書が一番厄介そうだからな」


「人の大事な物を狙うだなんて、性悪なのね!」


 ここに来てようやく焦りが見えてきたリーウェルに対し、俺はただ攻撃を仕掛け続ける。


 どれだけ攻撃しても、魔力障壁を破壊することができない。だが、それでいい。


 きっと魔力障壁を破壊したところで、リーウェルはすぐに第二第三の魔力障壁を展開し、俺の攻撃を全力で防いでくるだろう。


 それなら、俺はひたすら時間を稼ぐだけでいい。エリュシールによる魔女の魂の成仏さえ終わってしまえば、それでもう充分なのだ。


 あとは、どうやってリーウェルを倒すかだけなのだが。


「常時魔力障壁を展開し続けていたら、さすがの魔女でも魔力の消耗が激しいんじゃないか?」


「あなたこそ、ただでさえヘロヘロなのにそんなに動き続けていたらバテちゃうんじゃないかしら!?」


 声を荒らげながらも、連続して闇の魔法を展開するリーウェル。


 黒い無数の矢が影から飛び出してくる魔法。地面を削り取りながら進む闇の球体を展開する魔法。黒に煌めく鎖を魔導書の中から呼び出す魔法。


 どれも少しでも喰らってしまえばひとたまりもない威力の魔法であり、見ただけで全身に悪寒が走るほど、凶悪な魔法。


 だが俺はどれもなんとか潜り抜け、ただひたすらリーウェルに攻撃を浴びせ続けた。


 影から飛び出す矢を回避し、闇の球体の追尾を振り切り、黒い鎖の束を紙一重で躱し、爪刃手甲を振るう。


「はぁ、はぁ⋯⋯!」


 正直、体力の限界が近かった。


 足はもうずっと悲鳴を上げているし、手甲を振るう腕にも力が入らなくなり、魔力障壁を殴り続けているせいで手が痺れて感覚が分からなくなっている。


 全身から流れ出る汗が止まらない。呼吸だってマトモにできてきないからか、上手く頭が回らない。


 それでも、俺は絶対にリーウェルから目を逸らさない。


 リーウェルの一挙手一投足を見逃さない。リーウェルが見せる、ほんの僅かな隙を見落とさない。


 足を滑らせ膝を着いても、降り注ぐ闇の魔法の中で転がり、全て躱してからリーウェルへと接近する。


 その時、リーウェルの頬に一筋の汗が流れていることに、俺は気づくことができた。


「一体⋯⋯一体なにが! あなたを、そこまで駆り立てるのよ!」


「俺は戦いを望んでいる、それだけだっ!」


「⋯⋯っ! それなら、どうして!」


 必死に語りかけてくるリーウェルだが、俺はその言葉を耳にせず、ただ力を振り絞って全力でリーウェルに手甲を抜き放つ。


 ガキィンッ! と、魔力障壁に阻まれた爪刃手甲が音を立てて弾かれてしまう。


 だが、俺の【豪腕】を乗せた全力の突きによって、あの難攻不落と思われたリーウェルの魔力障壁に、小さなヒビが走っていた。


 それを目の当たりにして、一瞬だけ気が緩んでしまう。


 だがその瞬間──


「──ッ!?」


 突然、腹部に鈍く重い衝撃が走る。


 俺は体勢を立て直すことができずそのまま吹き飛ばされ、気づけば地面の上を転がっていた。


「ぐっ⋯⋯ごほっ、ごほっ⋯⋯!」


 やってしまった。


 俺としたことが、油断してしまった。


 なにが起きたかは分からないが、きっとリーウェルが魔法を使用して自身の影からなにかしらの魔法を飛ばしたに違いない。


「はぁー⋯⋯はぁー⋯⋯っ」


 呼吸するだけで腹が苦しい。


 ゆっくり呼吸しないと、腹部に鋭い痛みが走って一気に吐き気が込み上げてくる。


 久しぶりの感覚。久しぶりに味わった、この"痛い"という苦しみ。


 血は出ていない。骨も折れていない。だがそれでも、肉体に大きなダメージを負ってしまったのは確実であり。


 下手をすれば、どこかの臓器が傷ついている。


 そんな状況の中、俺は──


「──はっ、ははは⋯⋯っ」


 自然と、笑いが込み上げてきていた。


「⋯⋯なに、なんなの。この状況で、なんで笑っていられるのよ⋯⋯っ」


「いやぁ⋯⋯俺は、嬉しいんだよ」


「⋯⋯なんですって?」


「リーウェル、お前は強い。だから、俺は今この状況が楽しくて楽しくて仕方がないんだ」


 膝に手をつきながら立ち上がり、足元が覚束ない中、リーウェルの元へと歩み寄っていく。


「さぁ、続けようぜ⋯⋯リーウェル、お前なら⋯⋯俺を楽しませてくれるんだろ?」


「⋯⋯っ、イカれてるわ⋯⋯!」


 ピコーン、ピコーン、と、俺の周囲を漂うカメラからスーパーチャットが飛んでくる音が何度も何度も聞こえてくる。


 だがその音が、今の俺には煩くて。


 だから俺はディーパッドを取り出して通知音をOFFに設定してから、地を蹴ってゆっくり、ゆっくりと加速していき。


「俺を倒してみろ、リーウェルっ!」


「っ!?」


 力任せな渾身の突きをリーウェルに向かって抜き放つが、当然のように魔力障壁によって防がれてしまう。


 だが、だからなんだ。防がれてしまうのなら、当たるまで攻撃を続ければいい。


「ははっ⋯⋯ははははっ!」


「くぅ⋯⋯! な、なんなのよっ!?」


 振るう。弾かれる。突き放つ。弾かれる。振り払う。弾かれる。切り上げる。弾かれる。


 弾かれる。弾かれる。弾かれる。弾かれる。弾かれる。弾かれる。


 弾かれ──ず、受け止められる。押し返されず、ギリギリと、爪刃と魔力障壁が擦れる鈍い音が静寂に包まれた夜に響き渡る。


「⋯⋯どうした。魔法、使わないのか?」


「言われなくてもっ!」


 リーウェルが手に持つ魔導書から凄まじい魔力の奔流が溢れ出し、俺の体が持ち上げられ吹き飛ばされてしまう。


 吹き飛ばされてもなお、俺は【空歩】を使用しながら体勢を立て直し、ふわっと着地する。


 そして顔を上げると、そこには両腕を大きく広げながら、宙に浮く魔導書に魔力を込めるリーウェルの姿があった。


「嗚呼、深淵の王よ。闇に嗤う狂華よ。夜の宴に酒を枯らせば、此度の縁も禊と化す」


 リーウェルの艶やかな黒い髪が、魔力の奔流によってふわりと浮いていく。


 魔導書に魔力が集まり、一枚一枚ゆっくりとページが捲られ、その捲られたページが塵のように消えていく。


 凄まじい魔力の圧に、体が竦む。全身に鳥肌が立ち、背筋にぞわぞわっと寒気が走る。


 洗練された魔術の詠唱。魔法と違い、詠唱文を唱えることで展開が可能となる魔術は、その威力も、規模も、魔法を遥かに凌いでいる。


 リーウェルも、本気を出すのだ。俺という相手を一人の敵と認め、全力で葬ろうとしている。


 空気が震え、塔が震える。本物の魔女が見せる詠唱は、ただ唱えているだけで迫力があるものであった。


「泣かないで、哭かないで。血の運命は嘆きにあらず、その身の祝福に身を投じるならば、嬉々として、杯に涙雫を落とす」


 リーウェルの足元に、二つの魔法陣が浮かび上がる。


 その詠唱はまるで歌のようで、聞いていると、まるで心が綺麗に洗われていくような感覚に陥っていく。


 静寂に包まれた、大満月の夜に響くリーウェルの声。


 俺はただ、その姿を黙って見ていることしかできなかった。


 不思議と、詠唱を邪魔しようとは思えなかった。


「災禍の時よ。さぁ、罪も罰も全て平らげ、飲み干し、嚥下して。孤独にさようなら。今、凄惨なる闇の裁きを以て消えなさい」


 リーウェルの足元に三つ目の魔法陣が浮かんだ瞬間。


 世界が、黒に包まれた。


 闇とか、影ではない。まるで、墨で塗りつぶしたかのような黒。月明かりが届かないような、深淵の世界。


 音が聞こえない。空気の流れる音も、地面を踏み締める音も。自分の、呼吸さえも。


 目が見えているかすらも分からない。世界が黒くて、黒すぎて、今見ているものが目に映っているものなのか、違うのかが分からない。


 まるで、虚空の穴に取り残されたような感覚。もしくは、死の世界に堕とされたような感覚。


 人間として生まれた以上逃れられない、根源的恐怖が襲いかかる。


「可哀想に。もう、あなたにはなにもすることができない」


 リーウェルの声が、聞こえてくる。


 だが、喋ることができない。口を開くことも、音を発することさえも。


「藻掻くことも、足掻くこともできない。あなたは闇に落ちた。行き場のない、深淵の中に足を踏み入れた」


「詠唱を聞いた時点で、あなたはもうおしまい。最後まで聞いてしまったのなら、それはそれで幸せなのかもしれないわね」


 リーウェルの声だけが、頭に響く。


 だんだん眠くなっていく。睡魔と違って、心地の良い眠気が眠りを誘ってくる。


「おやすみ。もう、眠ってしまいなさい」


「疲れたでしょう? ゆっくりと眠りなさい」


「静かに。静かに、呼吸を整えて」


「おやすみ──」


 このまま眠りについた方が、きっと楽になる。


 楽になる。それは理解している。


 だが──


「⋯⋯なるほど、幻術の類か」


 ──俺の本能が、それを否定した。


「喋れる⋯⋯ということは、幻術であると自覚すれば解けるタイプの魔術か」


「あ、ありえない⋯⋯なんで、どうして⋯⋯!?」


 動揺するリーウェルの声が響く中、次第に黒に染まった世界に色が戻ってくる。


 俺は塔の真ん中に立っていて、そんな俺の胸元にリーウェルが手を添えていた。


 だから俺は、そんなリーウェルの手首を握るように掴んだ。


「俺はてっきり、お前の魔術に体ごと全部呑み込まれてしまったと思っていた。だが、それは違うとすぐに分かった」


「ど、どうして⋯⋯」


「体を包み込む心地良さが、あまりにも馴染んで気持ち悪かったんだよ」


 手に持つ魔導書を開こうとするリーウェルの手首を掴み、俺はリーウェルの両手首を掴んだ状態でリーウェルを押し倒す。


 そして跨ぐようにリーウェルを見下ろし、リーウェルが逃げないよう、魔法が使えないように拘束した。


「エリュシールが言っていた。お前は、呪術を得意としているんだろ。それなら、あの場面で使う魔術はお得意の呪術なはずだ」


「それを理解しても、普通なら破ることなど不可能よ⋯⋯! 肉体と精神を乗っ取り、相手を確実に衰弱させて死へと至らせる魔術なのよ⋯⋯!?」


「あぁ、だからだよ。お前には、俺の精神を崩壊させることはできない」


 リーウェルの魔術は、地味ではあるが相手を確実に殺すことができる強力な魔術だ。


 普通の人間なら、あの心地良さに身を任せて眠りにつき、きっとそのまま永遠の眠りについてしまうのだろう。


 だがそれはあくまで、リーウェルが魔術によって対象の肉体や精神をいじっているだけに過ぎない。


 だから、だからこそ俺はリーウェルの魔術を自らの意思で破ることができたのだ。


「俺はもう、何度も心を壊してきた。精神が崩壊する瞬間を、何度も何度も味わった。絶望だって、数え切れないほど体験した。いくらお前の魔術でも、壊せないくらいに壊れ尽くしたんだよ」


「⋯⋯っ!」


「リーウェル、お前は強い。だが、相手が悪かった。ただそれだけだ」


 リーウェルにとって俺は、まさに天敵とも呼べる存在だろう。


 俺に精神攻撃は効かない。それどころか、俺には相手に幻惑を見せるような幻術も効かない。


 スキルによる耐性ではなく、異世界で味わいすぎて体が慣れてしまったのだ。


 リーウェルの戦い方は、相手にデバフを与えまくってその隙に攻撃魔法でダメージを与えるような、かなり面倒なタイプだ。


 だが俺に、生半可なデバフは効かない。一度リーウェルの魔法によるデバフを味わったからこそ、通用こそするが衰弱死するほどのものではないと瞬時に理解することができた。


 とは言っても、エリュシールの魔法による身体能力の低下や天の塔を垂直に駆け上がったことによる肉体の疲労のせいで、割とギリギリの戦いであった。


 両手首を掴んで拘束し、リーウェルを押し倒している。この時点で、俺の勝利は濃厚であった。


「⋯⋯っ、最後に聞かせて。どうして、あなたはエリュシールなんかの味方になってるのよ⋯⋯!」


「決まってるだろ。月の魔女ルナに成ろうとしている、お前の悪事を止めるためだ」


「えっ、なにを言ってるの⋯⋯? 月の魔女に成ろうとしているのは、ワタシじゃなくて──」


 リーウェルが困惑するようにそう口にした瞬間。


 突然足元から光り輝く鎖が何本も飛び出してきて、俺とリーウェルの体に巻きついてくる。


 突然の出来事に、反応することができなかった。


 だがこの鎖の正体を、俺は知っている。


「⋯⋯エリュシール」


「はい、なんでしょう?」


「⋯⋯これは、どういうことだ」


「アマツさんのご想像にお任せしますよ?」


 鎖に繋がれながらも、俺は大きく体を動かし後方に目を向ける。


 そこには、当然のようにエリュシールの姿があるのだが。


「役者は揃いました。これから、楽しい楽しいパーティーを始めましょうか」


 ふんわりと、柔らかく微笑むエリュシール。


 だがその微笑みは、優しく暖かいものではなく。


 どこか妖しい艶やかな微笑みであった──

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