第79話 EX.残夜の影く滅国-⑫

 なにもできなかった。


 ただ黙って、リーウェルが殺されるのを見ていることしかできなかった。


 助けないと。という気持ちよりも、エリュシールに裏切られたという感情の方が強くて、マトモな判断を下すことができなかった。


 だが、あの場で俺になにができた?


 立ち上がれないほど強く鎖に縛られている以上、首を絞められているリーウェルをただ見ていることしかできなかった。


 魔法が扱えれば邪魔をすることができたかもしれないが、生憎俺には魔力がなく、魔法のセンスも皆無だ。


 スキルを解除して、リーウェルを助け出すという方法もあった。


 だがあの場で仮になにかスキルを解放したとして、エリュシールを止めることができただろうか。


 答えは否だ。俺には、魔法で出来たこの鎖をどうにかするスキルを持ち合わせていない。


 一応とある方法を使えば魔法製の鎖すらも無理やり破壊し脱出することは可能なのだが、それをするには、かなりの時間と代償を払う必要がある。


 つまり、鎖によって拘束されてしまった時点で、俺にはリーウェルをどうにかすることなんてできなかったのだ。


「くそ⋯⋯っ」


 不甲斐ない。


 リーウェルは、俺のせいで命を落としてしまった。


 俺の勘違いで。エリュシールを妄信してしまったせいで、本当に清く美しい心を持つ一人の女性を、見殺しにしてしまった。


 それが、悔しくて悔しくて仕方がなかった。


「あぁ⋯⋯素晴らしいわ。なるほど、そういうことだったのね。魔法の原理、仕組みが、手に取るように理解出来る⋯⋯!」


 顔を俯かせる俺の前では、エリュシールが嬉々とした声を上げながら楽しそうに自問自答している。


 すると、突然俺の体を拘束する光の鎖が、パリィンっと音を立てて砕け散るように消滅した。


「⋯⋯なんのつもりだ、エリュシール」


「私はただ、リーウェルの魂を頂戴する瞬間をあなたに邪魔されたくなかっただけ。月の魔女⋯⋯いいえ、紅月の魔女に成った以上、もう拘束は必要ないわ」


 柔らかく丁寧な口調だったエリュシールが、いつの間にか砕けた、まるでリーウェルのような口調に変わっている。


 いや、変わったのではない。きっと、今俺が目にしている姿こそが本来のエリュシールの姿なのだ。


「それで、あなたはどうするの? 手伝ってくれたお礼に、今ここで背中を向けて逃げ出しても私は見逃してあげるわよ?」


「⋯⋯そんなの、決まってんだろ」


 ふらつく体を足を踏ん張って支えながら、俺はゆっくりと立ち上がる。


 そして俺は全力で地を蹴り、エリュシールに向けて爪刃手甲による渾身の突きを放った。


 しかし、その一撃は見覚えのある障壁によって完全に防がれてしまった。


「魔力障壁。これ、本当に便利よねぇ」


「なっ⋯⋯!?」


 エリュシールが、あのリーウェルが得意としていた魔力障壁を使用している。


 しかもその強度はリーウェルのものよりも遥かに跳ね上がっていて、どれだけ腕に力を込めても、全くといっていいほどビクともしなかった。


「月の魔女はね、取り込んだ魂の質でより強く、より気高くなるの。今の私には、元の私の力を含めた八つの魔女の叡智が備わっているのよ」


「取り込んだ魔女の力を使えるということか⋯⋯!」


「えぇ。素晴らしいでしょう? 魔女はね、基本的に生涯をかけて一つの属性の魔法だけを極めるの。何年も、何十年もかけて、ただひたすらに研鑽を積むの。その全ての力を、知恵を、全部独り占めできるのよ? あははっ、笑いが堪えられないわ!」


 一旦体勢を立て直すためにエリュシールから距離をとるが、そんな俺に対し、エリュシールは一切追撃しようとしてこない。


 というより、攻撃の意思が見えなかった。


「ねぇ。私、ずっと気になっていたことがあるのだけれど」


「気になっていたこと? 一体──」


「あなた、なにか力を隠してるでしょ」


「⋯⋯っ!」


 5メートル以上離れたところにいたはずのエリュシールが、一瞬で俺の後ろに回り込んできてこそっと耳元で囁いてくる。


 そんなエリュシールの異常すぎる速さに反応することができず、俺は驚きのあまり声すら上げることができなかった。


 だがなんとか平静を取り繕い、俺はその場から駆け出してひとまずエリュシールと距離をとることができた。


「ねぇ、どうしてあの場でリーウェルを助けなかったの? あの時のあなたには、少し迷いが見えたわ」


「迷い、だと⋯⋯?」


「えぇ。まるで、力を使いたくないような。力を解放したくないような、そんな迷い。人を見殺しにしてでも秘めたい力に、私興味があるわ」


 ⋯⋯違う、違う。


 俺は、リーウェルを見殺しにしたわけではない。


 助けたかった。助け出したかった。いつもの俺なら、あそこでリーウェルを助け出すことができたはずなのだ。


 だが、危険度Aのモンスターとの連戦に次ぐ連戦で体力を消耗し、身体能力低下中に無理して天の塔を駆け上がり、完全に疲れきった状態でリーウェルとの激闘を繰り広げた。


 それから、衝撃的なエリュシールの裏切り。頭も、体もマトモに動かない中での、エリュシールによるリーウェルの殺害。


 考えれば、時間さえあれば、なにかのスキルを解放し、工夫してリーウェルを助け出す手段を見つけることができたはず。


 だがそんな風に頭が回らないくらい、俺は肉体的にも精神的にも辟易し、疲れきっていた。


 そんな中、俺は一瞬だけ思ってしまった。


 スキルを解放することによる、自分自身へのデメリットを。次のレベルアップまでに必要な経験値が、増えてしまうことを。


「⋯⋯最低だ」


 俺は、俺は⋯⋯。


 一瞬だけとはいえ、たった一つの儚い命よりも自分のレベルのことを優先してしまったのだ。


 必要経験値がいくら増えたって、それだけモンスターを狩ればいつかはレベルアップの日がやって来る。


 だが、失われた命は戻らない。奪われた魂は、二度と元には戻らないのだ。


 そんなこと、知っているのに。異世界で、嫌というほど味わってきたのに。


 "死んでも復活する"という生ぬるい設定のダンジョンのせいで、俺はいつの間にか、人の命を見捨てるという選択をとってしまったのだ。


 違くない。なにも違くない。


 俺は、リーウェルを見殺しにしたのである。


「あなたの力、私すっごく見てみたいわ。本当は、もっともっと強いのでしょう? だったら──」


「⋯⋯見せねぇよ」


「⋯⋯はい?」


「絶対に見せねぇよ。これは、自分自身への戒めだ。例えお前に負けて死んだとしても、俺は今の俺のままでお前を倒す。もし俺の力が見たいのなら、お前が、その手で引き出させてみやがれ」


 例えここでいくつかスキルを解放し、エリュシールを倒したところでなんの意味がある?


 そんなの、もっと早くスキルを解放していれば──という、結果が残るだけだ。


 ここでいくら俺がなにかしても、リーウェルを見殺しにしたという事実は変わらない。


 だから、俺は今回の対エリュシール戦では、絶対に新たなスキルを解放しないと心に誓った。


 もちろん、こんなことがリーウェルへの弔いになるとは微塵も思ってはいない。


 だがそれでも、仲間の仇を討つためにたった一人でエリュシールの野望を止めに来たリーウェルの意志を、俺が継ぐことで少しでも償いになるのなら。


「⋯⋯ごめん、リーウェル。俺は、謝っても到底許されないことをしてしまった。許してくれとは言わない。恨んでくれて構わない。だから⋯⋯」


 拳を強く握り締め、爪刃の鋒をエリュシールへ向ける。


 そして、ゆっくりと息を吐き出し。


「⋯⋯あの世で仲間たちと待っていてくれ。すぐに、エリュシールをそっちへ送ってやる」


 腰を低く下げ、すぐにでもエリュシールと戦えるように俺は戦闘態勢を整えた。


「⋯⋯まさか、この私を倒すとでも? 月の魔女⋯⋯いいえ、紅月の魔女と成った、この私を? あなたが?」


「そのつもりだが」


「⋯⋯ぷっ、あはははっ! まだ状況を理解出来ていないの? 紅月の魔女と成った時点で、この勝負は既に私の勝ちが決まっているのも同然なのよ? ですがあなたに恩があるのも事実なので、せっかく心優しい私が逃がしてあげようと思ったのに⋯⋯まさか、リーウェルの仇を討つとか、そんな下らないこと言いませんよね?」


 煽るように長々と話しながら、人を小馬鹿にする笑みを浮かべるエリュシール。


 そんなエリュシールに対し、俺はゆっくりと歩き始め。


「リーウェルは俺が殺した。だから俺は、ただケジメをつけるだけだ」


「ケジメ?」


「あぁ。俺のせいで、リーウェルは死んだ。俺なら、リーウェルを助け出すことができたかもしれないのに。俺はただ動揺し、騙されたことに呆気を取られていた。俺は、そんな俺が許せないだけだ」


 今更悩んだって、後悔したって、俺のした過ちが許されるわけではない。


 だからといって、過去を振り返らずすぐに前を向いて歩けるほど、俺は強くない。


 俺は今後、今回の出来事を一生引きずりながら生きていくだろう。


 それが俺自身への枷であり、呪いであり、戒めとなる。


 二度と、同じ轍は踏まないように。


「律儀なのね。でも、あなたに勝算はあるの? 既に体力はギリギリ、走るのだって辛いはず。それに、あなたの攻撃じゃ私の魔力障壁は破れない。そして、私には無尽蔵と言っていいほどの魔力がある。加えて八種の属性の魔法を私は使いこなすことができる。どう考えても絶望的だと思うのだけれど?」


「この程度の絶望、俺はもう嫌ほど味わってんだよ。そんなんで俺の心が折れると思うか?」


「⋯⋯呆れた。あなたはもう少し賢い人だと思っていたのだけれど⋯⋯残念ね」


 宙にふわふわと浮きながら余裕の笑みを浮かべるエリュシールの雰囲気が、一変する。


 明らかな敵意。明確な殺意。空気に充満するエリュシールの魔力が、突き刺さすように俺の肌を刺激してくる。


 大きく息を吸い込む。ゆっくりと呼吸を整える。今にもつりそうな足に力を入れ、強く地面を踏み締める。


 すると、急激に周囲の気温が上昇していき。


「まずは、前菜。メインディッシュまで、生き残ることができるかしら?」


 クスリと笑うエリュシールが人差し指を立てると、突如として渦巻く炎の塊がエリュシールの目の前に展開される。


 そして、エリュシールがその炎の塊に向けてふっと息を吹き込み。


荒れ狂え、紅蓮竜ラス・ディアーブル


 身を焦がすほどの熱風と共に、竜の頭の形をした炎が束になって俺へと襲いかかってくる。


 すぐに俺はその場から飛び退いて炎の竜をやり過ごすのだが、先ほどまで俺が立っていた場所の地面が、あまりの熱量に石造りのはずの地面が赤く融解していた。


「あっつ⋯⋯!」


 触れていない。掠ってもいないはずなのに、熱量が高すぎるせいか手甲を装着している腕が蒸し焼きされているかのように熱くなっていく。


 そして、地面を溶かした炎の竜が正面から俺を焼き尽くすべく突っ込んでくるのだが。


「お、らぁっ!」


 【豪脚】を乗せた足で空を蹴り払うことで、発生した風圧で僅かに炎の竜の火力を下げることに成功する。


 だが消えるまでには至らないため、俺はその場で【空歩】を使用して前方へ転がり込み、エリュシールへ肉薄を仕掛けようとするのだが。


 顔を上げると、そこには空を埋め尽くすほどの数がある氷の剣が俺を出迎えていた。


舞い踊れ、千華冰剣リズ・アイデュオ


 視界から煌めく美しい夜空が見えなくなるほどの密度で、全長30センチを超える氷の剣が一斉に降り注いでくる。


 だから俺は爪刃手甲を振りかぶり、雨のように降り注ぐ氷の剣を迎え撃った。


「はぁ、はぁ⋯⋯! こんなもの⋯⋯!」


 材質が氷のためそこまで硬いわけではないが、それでも爪刃手甲で破壊し続けるのは至難の業であり。


 一撃で殺せるアーミーホッパーとは、訳が違う。


 砕けた氷の塊が体にめり込むし、一振りで氷の剣を二、三本巻き込むとあまりの威力にこちらが負けてしまいそうになるし、なにより数が多すぎてエリュシールへと接近することができない。


 回避するほど余裕がなく、仮に回避できたとしても密度が高すぎて完璧に回避することは非常に困難だ。


 俺は奥歯をぐっと噛みながら、重くなっていく腕を無理やり動かして爪刃手甲を振るうのだが──


「──っ!?」


 何十本目かの氷の剣を叩き割った瞬間、右腕に装着している爪刃手甲の刃が、二本同時に砕け散ってしまった。


 だからなんとか、残った左の爪刃手甲で氷の剣を迎撃するのだが。


「──なっ!? くそっ⋯⋯!」


 十本近くの氷の剣を叩き割ったところで、左腕に装着した爪刃手甲までもがお釈迦になってしまう。


 刃のなくなった手甲は、もう使い物にならない。


 だから俺はすぐに手甲を腕から外して放り投げ、ディーパッドから別の武器を取り出そうとするのだが。


弾けなさいファルステイン


 エリュシールが指をパチンと鳴らした瞬間、降り注ぐように迫ってきていた氷の剣が、炸裂するように弾け飛ぶ。


 それにより、氷の粒や破片が広範囲かつ超高密度で襲いかかってきて、俺は為す術なく全身で氷の雨を受け止めてしまった。


「が、はっ⋯⋯ごほっ、ごほっ⋯⋯!?」


 全身が痛む。体が悲鳴を上げている。


 まだ戦闘中なのに、上手く体が動かせない。すぐに、起き上がることができない。


 それでも、エリュシールに立ち向かうべく俺は自分の体にムチを打ってなんとか立ち上がるのだが。


切り裂け、一刀空断ジル・スアローゼイク


 ヒュオウッ、という隙間風に似た音と共に、突如として突風が巻き起こる。


 目に見えない、風の急襲。不可視の一撃が空を切りながら俺に襲いかかる。


 だが俺は、その場から動くことができなかった。なにが起きているのか、起きようとしているのか、理解することができなかった。


 体が怯えるほどのが、異常なほど警鐘を鳴らしている。


 しかし、それに気づくのに俺は一瞬だけ遅れをとってしまい。


「──ッ」


 鋭い風の流れが、俺の身を包みながら通り抜けていく。


 チクッとした微かな痛みが、左肩辺りに走ったと思えば。


 気づけば、俺の左腕が宙を舞っていた──

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