第71話 EX.残夜の影く滅国-⑤

「なぁ、エリュシール。さっき話してた塔って、もしかしてアレのことか?」


「はい。あそこに到着することが、私たちにとっての最終目標ですね」


 廃墟と化した街並みを歩き進め続けることで、夜の暗がりの中でも見えるくらい真っ直ぐにそびえ立つ塔を遠くに発見することができた。


 目測ではあるが、今俺とエリュシールがいる場所から塔までの距離は、およそ5キロくらいだろうか。


 ここからでは正確な塔の高さを割り出すことはできないが、少なくとも低めに漂っている雲よりも頂上が上にあることは確かであった。


「あんな高い塔の頂上で、処刑が行われたのか⋯⋯」


「あの塔は【天の塔】と呼ばれています。この世界で、最も天国に近い場所とも呼ばれていますね」


「⋯⋯? 天国に近いところで処刑されたってことか?」


「はい。本来なら、悪人や罪人などは死後地獄に送られると言われています。ですが天国には名前を捩って【天獄】と呼ばれる場所があるらしく、そここそ地獄よりも恐ろしい場所として人々から恐れられているのです」


 天国だから、天獄ということだろうか。


 つまりこの世界の人々にとって、死後の世界は天国と地獄、そして天獄なるものが存在していると信じられていて。


 世間や人々から疎まれ、忌み嫌われているからこそ魔女たちは最も天国に近い場所で処刑され、そのまま天国ではなく天獄へ送られるように見せしめられたということだ。


 なんとも胸糞悪い話である。エリュシールの話からして、魔女とは別に悪人でも罪人でもない、ただ魔力をその身に宿した普通の人間なはずなのに。


 少し人と違うだけで嫌われ、迫害されてしまうだなんて、あまりにも可哀想な話である。


「俺たちはこれから、あの塔の頂上を目指すってことだよな? そこに、闇の魔女リーウェルがいるってことか?」


「いえ、恐らくリーウェルはまだ現れません。月の儀式は、大満月が空の中央に到達することで行うことができるものです。なので、今の月の傾きから考えますと⋯⋯あと1時間は余裕がありそうですね。それまでには、天の塔の頂上にたどり着きたいところです」


「そこでリーウェルを迎え撃つってことか?」


「それもありますけど、リーウェルを倒すよりも簡単に月の魔女ルナの誕生を阻止する方法があるんですよ」


 そう言って、エリュシールが懐の中から一枚の紙を取り出し、人差し指でその紙の表面をなぞるように動かしていく。


 すると人差し指が通った場所に黒い線が浮かび上がり、エリュシールは紙に塔の絵と、そして帽子や杖、水晶などの絵を書き出していった。


「塔の頂上には、処刑された魔女たちの遺留品が残っているはずです。帽子、杖、水晶、髪飾り、ローブなど⋯⋯その遺留品に、魔女たちの魂が宿ってしまっているのです」


「⋯⋯それはどうしてだ?」


「原因は解明されていませんが、私は魔力のせいだと思っています。魔力とは、その者の魂から湧き出てくる力の源。魔女は莫大な量の魔力をその身に宿していますので、死と同時に肉体から飛び出し死後の世界へと向かうはずの魂が、魔力に引かれてしまい死後の世界へ旅立てなくなってしまっているのではないかというのが、私の推論です。そして、行き場を失い彷徨う魂は安定を求めます。その結果、魂は自身が大事にしていた思入れのある物に宿ってしまうのです」


「うーん⋯⋯なんか難しい話だな。魂が魔力に引かれたり、安定を求めるのなら元の肉体に戻ればいいだけじゃないのか?」


「⋯⋯はい。過去に、それを成功させて蘇ることができた魔女が一人だけ存在します。ですが今回の場合は火あぶりの刑で肉体が修復不可能なレベルまで損傷しているはずなので、私の仲間たちの魂はきっと物に宿ってるはずなのです」


 なんとも不思議な話だが、今思い返せば俺はそれに似たようなことを過去に目の当たりにしている。


 俺が異世界で戦ってきた魔王の配下の魔族たちは、殺しても魂を肉体からまた別の物に憑依させ、何度も何度も襲いかかってきた。


 ある時は剣に。ある時は大地に。そして、ある時は──いや、これは思い出したくない記憶だ。


 その対処法として、魔族は殺した後に封印、もしくは魂を浄化させる必要があった。


 そのためには封印の巫女の力が必要であり、そのおかげで助かった場面も何度かあるのだが。


 どうやら魔女の魂も、そんな魔族の魂と同じような性質をしているらしい。


「つまり、魂が物に宿る性質がこの場面において少しまずい状況を引き起こしているというわけか」


「はい。リーウェルは、物に宿った魔女たちの魂を利用して月の魔女ルナに成ろうとしています。だからリーウェルよりも先に天の塔の頂上へ到達し、魔女たちの魂を成仏させる必要があるんです。成仏に関しては、同じ魔女である私が方法を知っています」


「それなら急いだ方がよさそうだな。魂の成仏はエリュシールに任せて、俺は邪魔してくるであろうリーウェルと戦い時間を稼ぐ。それが理想だよな?」


「⋯⋯はい。アマツさんにばかり大変な仕事を押し付けてしまいますが、それしか月の魔女ルナの誕生を阻止する方法は存在しません。どうか、よろしくお願いします⋯⋯!」


 そう言って、エリュシールは俺に向けて深々とお辞儀をしてくる。


 そんな律儀なエリュシールに、俺は大丈夫であると声をかけようとするのだが。


 その時、周囲に漂う空気が不穏なものに変わっていることに、俺は気がついた。


 それはエリュシールも同じようであり、顔を上げて周囲を見渡すと、空気に混じって黒い霧のような瘴気が微かに立ち込めようとしていた。


「エリュシール」


「はい⋯⋯なにか、近くにいますね」


 だがどれだけ周囲を見渡しても、瘴気の原因が、モンスターの姿が見当たらない。


 すると、周囲に立ち込めつつある霧のような瘴気が一部だけ濃くなっていき、それと同時にカーン、カーン、と、鐘を鳴らすような音が聞こえてくる。


 最初は遠くから聞こえてくるような音だったが、次第にカーン、カーン、カーン、と、音が大きく、近づいてくるようになり。


『ブルル、ゥゥゥ⋯⋯!』


『コォー⋯⋯コォー⋯⋯』


 濃くなった瘴気の向こう側から、見たことのないモンスターが出現した。


 だがそのモンスターは、今まで出会ってきたモンスターとは一風違っており。


 二体で一体、とでも言えば分かりやすいだろうか。


 そのモンスターは、まさに一匹の馬に跨る騎士のようなモンスターであった。


 だがその雰囲気が、風貌が、そのモンスターの異常さをこれでもかと醸し出していて。


 背中に主を乗せて歩く馬は、全身に光沢のない黒い鎧を身に纏わせていて、そのあまりの重厚感に、歩く度にガシャ、ガシャ、と、金属が擦れ合うような音が鳴っている。


 皮膚が見えなくなるまでガチガチに固められた鎧は胴体だけでなく、その馬の顔面すらも全て鎧──いや、甲冑で覆っていて。


 唯一の隙間である口の部分からは、馬が鳴き声を上げる度に黒い瘴気が周囲一帯に撒き散らされていた。


 そしてそんな馬に跨るのは、馬と同じく全身に光沢のない黒い鎧を身に纏わせた、人型のモンスターである。


 体躯は普通で、特にこれといった身体的特徴は見受けられない。


 だが甲冑の隙間から覗かせる目は赤く光っており、その二つの赤い目が、しっかりと俺とエリュシールを捉えていた。


 構えるのは、重々しく、どんな獲物でも一刀両断し、破壊し、破砕する両手剣。


 その両手剣の刀身にはリカッソがあるのだが、黒鎧の騎士はそんな長さ二メートルは超えているであろう両手剣を、軽々と片手で持ち上げていた。


 そのモンスターの名前やレベルを確かめるべく、俺は胸ポケットにしまってあるディーパッドを取り出そうとするのだが──


「⋯⋯っ!」


「きゃっ⋯⋯!?」


 その瞬間、黒鎧の騎士からブワッと強烈な殺意が溢れ出し、あまりの威圧感にエリュシールが小さな悲鳴を上げていた。


 だから俺はディーパッドを取り出すのをやめ、エリュシールの盾になるように一歩前へ踏み出してから、すぐに大鎌を構えた。


「エリュシール、気をつけろ。コイツは、シャドウジャッカルとは次元が違う」


「は、はい⋯⋯っ、でも、アマツさんと私でなら、きっとどうにかすることだってできるはずです⋯⋯!」


「その通りだっ」


 大鎌を振り回しながら、俺は地を蹴って黒鎧の騎士へと目指して突貫していく。


 黒鎧の騎士は馬に跨っているせいか、俺が狙っている首は地上から二メートル以上高いところにある。


 だから俺は、早速【空歩】等のスキルを利用して黒鎧の騎士の首を刈り取るべく跳躍しようとするのだが。


『ブルルゥ! ヒヒィィイィィン!!』


 俺の動きを見て鎧馬が突然鳴き声を上げたと思えば、黒鎧の騎士を振り落とすくらいの勢いで両前足を上げ始めた。


 だが、黒鎧の騎士は平然といった様子で鎧馬に跨っており。


 そんな行動を前に、俺は一度その場で立ち止まって相手の行動を観察することにしたのだが。


『ヒヒィイィィィイィィンッ!!』


 鎧馬が、鳴き声を上げると同時に両前足を地面に叩きつけた瞬間、ダァンッ! という音と共に、爆風のような風圧が発生する。


 その風圧は突風となり、俺の体を殴りつけるように襲いかかってくる。


 少しでも油断すれば吹き飛ばされてしまうほどの風を前に、俺は耐えるべくその場で片膝をついてやり過ごそうとするのだが。


『コォー⋯⋯ッ』


「⋯⋯っ!?」


 俺が風をやり過ごすべく片膝をついた瞬間、俺の眼前に、闇色を纏った刃が迫っていた。


 まさに、目と鼻の先。その刃を振るった張本人は、いつの間にか鎧馬と共に俺の目の前にまでやって来ていて。


「っ、らぁっ!」


『⋯⋯ッ』


 あと0.5秒も経たないうちに俺の頭部を破壊していたであろう両手剣の刃を、俺は大鎌を振り上げることで迎え撃ち、弾き返した。


 ギ、ィインッ、という鈍く低い金属音を耳にしながらも、俺は黒鎧の騎士の後ろに回り込もうとするのだが。


『ブシュルルルゥゥッ!!』


 その瞬間鎧馬が暴れ出し、後ろ足をがむしゃらに動かしてくるため迂闊に近づくことができなくなる。


 なんてしていると鎧馬は駆け出しながらも体勢を立て直しており、黒鎧の騎士が、再び俺に立ちはだかるようにゆらりと両手剣を片手で構えていた。


「あぶねぇ、油断した」


 俺と鎧馬までの距離は10メートル以上離れていたため、少しくらい風圧をやり過ごしたくらいじゃ隙を晒すことにはならないだろうと思っていた。


 だがそんな俺の隙を、慢心を狙っていたかのように鎧馬は接近してきていて、あと少し遅ければ今頃黒鎧の騎士による一撃によって俺は死亡していただろう。


「すぅー⋯⋯はぁー⋯⋯」


 思い出せ。ここは、EXダンジョン──【残夜の影く滅国】の中だ。


 そして今目の前にいるモンスターは、危険度Aのバーングリズリーロアやシャドウジャッカルよりも、明らかに戦闘力が高く、凶暴な相手だ。


 きっと危険度はA+であり、レベルだって高いはず。そんな相手を前にして、一瞬でも気を弛めてしまったのは俺の落ち度に過ぎない。


「アマツさんっ、大丈夫ですか!?」


「あぁ、すまん。おかげで、目が覚めたよ」


 エリュシールが俺の元に駆け寄ってきて、心配そうにこちらを見上げてくる。


 だから俺はそんなエリュシールに対し、小さく頷きながらも笑みを浮かべて安心させた。


 エリュシールと出会い、話し続けていたことでどこか俺は安心し、安堵していたのだろう。


 だが今俺が立っている場所は、ただの戦場だ。いくら隣にエリュシールがいようがいまいが、それは変わらない。


「エリュシール、援護を頼む。もしなにかあったら、すぐに俺を呼んでくれ」


「わ、分かりました⋯⋯! アマツさんも、あまり無理しないでくださいね⋯⋯!」


 俺が大鎌を構え、エリュシールが広げた手のひらを黒鎧の騎士と鎧馬に向けることで、ようやく戦いの火蓋が切られた。


 一方、黒鎧の騎士は両手剣を肩に担ぐように構えながらも、ただ無言のままこちらを眺めており。


『コォー⋯⋯コォー⋯⋯』


 静かで、どこか怪しい呼吸音だけが、静寂に包まれた戦場に鳴り響いていた──

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