第42話 魔術詠唱

 俺は桃葉さんに、たった今思いついたばかりの考察を口頭で簡潔に伝えた。


 すると物分りのいい桃葉さんはすぐに俺の言いたいことを理解してくれて、俺の目を見つめながら強く頷いていた。


「もしアマツさんの言う通り指揮官がいるとしたら、多分そんなに遠くにはいないと思うな。きっと、モモたちのことをどこかでひっそりと監視してるんじゃないかな?」


「ということは、俺たちからも見える範囲にいる可能性が高いということだな」


「うんっ。もしすっごく目が良かったら遠くにいると思うから、見つけられないと思うけど⋯⋯」


「いや、それでも策を講じる価値はある。いっそのこと、一気に一網打尽にしてしまえば楽ではあるのだが⋯⋯」


 アーミーホッパーに指示を飛ばす指揮官的なモンスターは、きっと危険度が高くて耐久力だってアーミーホッパーよりも優れているはずだ。


 となると、アーミーホッパーが耐えられなくて指揮官だけが耐えられるような広範囲攻撃が効果的になってくる。


 しかし、そんな都合のいい攻撃方法なんてあるのだろうか⋯⋯?


「ふっふっふ、アマツさん。ここには、超絶天才美少女の桃葉モモがいるんだよ? モモの手にかかれば、一気にアーミーホッパーを全滅させることだって苦じゃないんだからっ」


「ほ、本当か?」


「うんっ! アマツさん、なんでモモが【魔道士】なのか分かる? 魔法を使うだけなら、別に【魔法使い】でもいいと思わない?」


 そう言われてみれば、確かにその通りだ。


 モモさんは自称【魔道士】だが、もし魔法だけを使うなら【魔道士】ではなく、【魔法使い】でもおかしくはない。


 まさか。と桃葉さんに目を向けると、桃葉さんはどこか自慢げに胸を張り、少しだけウザ可愛いドヤ顔を浮かべていた。


「モモはね、魔法だけじゃなくて魔術も使えるから【魔道士】なの。モモの魔術はね、ライトニング・リ・ボルトよりもずっと強力なんだから!」


 あの強力な広範囲殲滅魔法の『ライトニング・リ・ボルト』よりも更に強力な魔術ならば、確かに一気にアーミーホッパーを一網打尽にして、指揮官を炙り出すことだって可能かもしれない。


 だがもちろん、それだけ強力ならきっとリスクも伴うだろう。


「ちなみに、魔術を使う条件は?」


「⋯⋯お姫様抱っこされた状態じゃ、できないかな。地面に立ってる状態で、精神統一しながら術式を編まないとだから⋯⋯」


「なるほどな。つまり、桃葉さんがアーミーホッパーに襲われない環境を作らないと魔術の発動は不可能というわけだ」


 小さく頷く桃葉さん。


 その表情からは不安や申し訳なさが伝わってきて、いつも元気でニコニコとしている桃葉さんが、どこかしゅんとしていた。


 桃葉さんは理解しているのだ。


 仮に桃葉さんの魔術に頼った場合、これだけの数のアーミーホッパーを相手にするのは俺だけになるということを。


 それだけの負担を俺に、俺だけに背負わせるのは辛いと、嫌だと桃葉さんは感じている。


 だから俺は、そんなしおらしくなった桃葉さんのおでこに向けて、ぺちんと軽くデコピンをくらわせた。


「いたっ!? え、えっ、アマツ、さん⋯⋯?」


「桃葉さん。あんたの武器は周りを巻き込むくらい無邪気な笑顔だ。そんな顔をしてたら、視聴者たちも心配するぞ?」


「で、でも⋯⋯!」


「俺を誰だと思ってる? 俺はどんな生き物にも平等に死を与える"死神"だぞ? この俺に、不可能はない」


「ア、アマツさん⋯⋯!」


 桃葉さんを元気づけるためにカッコつけてみせると、桃葉さんは少しだけ涙ぐみながらも、小さく、だが力強く頷いてくれた。


 だから俺は【豪脚】と【空歩】を連続で使用し、全力で大地を駆けていく。


 そしてアーミーホッパーから充分に距離をとったところで、羽織っている【死神の黒纏衣】を脱いで桃葉さんに手渡した。


「このローブを桃葉さんに預ける。この数を捌くには正直邪魔だし、アーミーホッパーには無意味なスキルしかないからな」


「う、うん、分かった⋯⋯! でも、アマツさんは⋯⋯?」


「桃葉さんが魔術を発動するまで1人で時間を稼ぐ。簡単な仕事ではないが、不可能ではない。俺が合図したら、桃葉さんは俺から飛び降りてくれ。分かったか?」


 と言うと、桃葉さんは話を理解してくれたのか強く頷いてくれた。


 だから俺は片手でディーパッドを操作し、とあるアイテムを取り出す。


 そのアイテムは、以前【深緑の大森林】でホーンウルフがドロップした【黒狼の角笛】であり、俺はその角笛に口をつけ。


「桃葉さん、あとは頼むぞ!」


「う、うんっ!」


 俺がそう叫ぶことで桃葉さんが俺の腕の中から飛び降りて、そして危なっかしくもしっかりと着地してくれた。


 だがこのままでは、桃葉さんはアーミーホッパーの大群に呑み込まれてしまい、その時点でゲームオーバーになってしまうだろう。


 だから俺は大きく息を吸い込みながらも、口をつけた角笛の小さな穴に向けて、思いっきり息を吹き込み。


 ──ワォオォォォオォォンッ!!


 広大な花園に、狼の遠吠えのような野太い音色が響き渡る。


 その瞬間アーミーホッパーたちの視線が一気に俺へと注がれるようになり、俺よりも近い場所にいる桃葉さんを無視して、俺だけを追いかけるように跳んできた。


 そう。今俺が使った【黒狼の角笛】の効果は、吹き鳴らすことで周囲のモンスターの注意を自分に向けるというものである。


 一応音を聞いたモンスターしか反応しない効果ではあるのだが、この遮蔽物がなく音が限りなく広がり続けるこの環境ならば、今目に入るアーミーホッパーの全てを釣ることは可能であり。


『チキチキ!』

『チキチキチキチキ!』

『チキチキ! ギギィ!』


 意気揚々と、アーミーホッパーたちが鳴き声を上げて俺に襲いかかってくる。


 だから俺はディーパッドから【黒鉄の爪刃手甲】を取り出して装備し、少しだけ懐かしい格好になってその場で立ち止まり、アーミーホッパーの大群と対峙した。


「懐かしいなぁ、この感覚。前は確か、自爆する空魚の群れだったかな」


 その場で体を伸ばしたりしゃがんだりして、アーミーホッパーたちと戦い続けるべく準備運動を開始する。


 確かにこの数のアーミーホッパーはかなり脅威だが、異世界で遭遇した触れただけで爆発する空を飛ぶ魚の魔物と比べれば、可愛いものである。


「一振りで二殺。一秒四振りで八殺。両腕合わせて一秒八振りで十六殺。一分間でおよそ九百六十殺──あれ、案外余裕じゃないか?」


 なんて考えながらも、俺は迫り来るアーミーホッパーの大群に向けて爪刃手甲を構える。


 そして俺は自らの意思でアーミーホッパーたちの元へと飛び込んでいき、最高に楽しい時間稼ぎを始めるのであった。




──────




 ワタシ、なにやってるんだろ。


 たった1人で万近くのアーミーホッパーの軍勢に立ち向かうアマツさんを見て、ワタシ──ううん、モモはそう感じていた。


 今日のモモ、完全に戦犯だ。


 いつもモモがモンスターに負ける原因は、魔力管理を怠ったことによる魔力切れが大半を占めちゃってる。


 視聴者のために、リスナーのためにって頑張れば頑張るほど、魔法を無駄打ちしちゃって魔力を切らしちゃって、いつもどうでもいいところでモンスターに負けて終わっちゃう。


 だからさっきだって、魔力を回復することを忘れてアマツさんに迷惑をかけちゃった。


 アマツさんが強いからよかったけど、最悪あの時点でアマツさんを巻き込んで、全滅してた可能性だってあったはず。


「アマツさん⋯⋯っ」


 アマツさんは優しい人だ。


 モモがどれだけミスをしても、戦犯行為をしても、変な発言をしても、アマツさんはモモを必要以上に責めてくることはない。


 呆れられてしまってるのならそれまでだけど、アマツさんはモモを見捨てなかったし、むしろこの状況を打開するべく、モモの背中を押してくれた。


 ⋯⋯だめ、だめ。こんなところで、普段のモモを──普段のネガティブなワタシを出しちゃだめ。


 ディーダイバーでいる間は、モモは皆のアイドルじゃないとだめなの。いつも変なこと言ってリスナーたちにからかわれる、桃葉モモじゃないとだめなの。


「すぅー⋯⋯はぁー⋯⋯」


 今アマツさんは、モモのために体を張ってくれている。


 モモの魔術を信じて、たった1人で時間を稼ごうとしてくれている。


 それなら。そんな、アマツさんの期待に応えるためには。


「⋯⋯モモだって、アマツさんに負けてらんない」


 モモよりも、アマツさんの方がずっと強い。


 チャンネル登録者だってすぐに越されるだろうし、話題の多さや純粋なファンの数だって、モモよりも圧倒的に多い。


 でも、モモはこれでもアマツさんの先輩ディーダイバーだ。


 先輩ディーダイバーのモモが、いつまでもアマツさんにおんぶにだっこだなんて、そんなの絶対に嫌だ。


「これからがモモの、本気の本気だから」


 ディーパッドに【白蒼石の魔杖】をしまって、今度は別の杖を取り出す。


 黒い稲妻の模様が走る琥珀色の柄の先端に、黒い雲を漂わせる丸い黄色の水晶がついた、モモが持っている杖の中で一番性能のいい杖。


 【雷獣の牙杖】──これがこの杖の名前。


「ふぅ⋯⋯」


 瞼を閉じて、ゆっくりと精神を統一させていく。


 体内に巡る血液を感じながら、その血液に混じる魔力を加速させて、腕を通して杖に魔力を送り込む。


 【雷獣の牙杖】には魔力を捧げれば捧げるほど、放つ魔法や魔術の威力が倍以上に跳ね上がるという特性がある。


 普段使いするには向いてないけど、まさに今の状況──一撃でモンスターの大群を一網打尽にするには、この杖ほど頼もしい杖をモモは持ってない。


 今モモにできる、今モモが覚えている、最大の魔術。


 それで今度は、モモがアマツさんを助ける番だ。


「⋯⋯一雷。一点を見つめて双と成す。噛み砕くは王の指。その喉笛に鍵を差す」


 魔名を唱えれば放てる魔法と違って、魔術は詠唱を介して一から構築していく必要がある。


 詠唱は、イメージ。具体的なイメージも大事だけど、抽象的なイメージから固めるほうが、魔術はより強力に組み上がっていく。


 一つ目の詠唱が終わると、足元に一枠目の魔法陣が展開される。


 その図柄が複雑であればあるほど、発動は難しくなるけど威力が桁違いに跳ね上がっていく。それが、基本的な魔術の仕組み。


「⋯⋯二雷。面を捉えて迸る。決壊するは我が血の禊。呑め、啜れ、天より堕ちるは光の穢れ」


 一枠目の魔法陣の周りに、二枠目の魔法陣が展開される。


 詠唱には魔力が必要であり、魔法陣の展開にも魔力が必要となる。


 モモは今【雷獣の牙杖】に魔力を捧げながら詠唱しているから、モモの体内から魔力がどんどん薄れて消えていく。


 だからすぐにディーパッドから手のひらサイズの魔石を取り出して、その魔石を手で粉々に砕いた。


 そのせいで魔石に含まれた魔力の一部が霧散して無駄になるけど、おかげでモモの魔力は大幅に回復して、魔術の構築を再開することができる。


「⋯⋯三雷。黒々に染まる空。渦巻く彼方。偶像にて手を合わせば、純真なる真名怒りを落とす」


 三枠目の魔法陣が展開されると、モモの頭上に広がる快晴の青空の全てが闇雲に覆われていく。


 杖先にある黄色の水晶が震えて、周囲を漂う黒雲が唸り、蠢き、瞬くように稲妻を走らせる。


 そして、最後の仕上げ。


 足元に展開した三つの魔法陣は、それぞれが独立している。このままだと、せっかく編んだ魔術が無駄になっちゃう。


 だから最後の詠唱で、バラバラの魔法陣を一つにしないといけない。


 汗が垂れる。喉が渇く。体の力が抜けていく。それは、急激に魔力を消費したことによる代償で、だんだん目眩が強くなってくる。


 でも、モモは倒れない。倒れたくない。今こうしている間にも、アーミーホッパーを1人で倒し続けているアマツさんの、力になりたいから。


「⋯⋯終雷。結び、繋ぎ、合わせ、絡まれ。天の喝采に震えろ。彼の闇に一筋の光を与えろ。裂け、弾け、唸れ。我こそが、雷の代行者なる者──」


 三つの魔法陣が合わさり、モモの足元で金色に光り輝く。


 力の奔流。魔力の奔流。迸る雷の奔流が合わさり、杖先の水晶に集結する。


 これがモモの、モモ最大の雷魔術。


 【雷咬大天雨雨】の準備完了だ──

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