第102話 精霊弓士

 あれから、シエルによる白銀への試練という名の指導は続いていた。


 まず最初に魔力に触れることから始まり、それから魔力の流れを読む練習へと変わり、次に自身の魔力を放出する練習になったりと、次第に難易度が上がっていく。


 だがどれも白銀はそつなくこなしており、まるで昔から魔力に触れてきていたかのような習得っぷりに、俺だけでなくシエルも素直に驚いていた。


 一方の俺は魔力がないため、シエルの教えの元頑張っている白銀をただ黙って後ろから眺めていた。


『さて、そろそろ仕上げをしようか。今ボクは、シルヴァちゃんに魔力の扱い方の基本を全て教えた。だから最後は、シルヴァちゃん自身の力で魔矢を作るんだ。これが、【精霊弓士】になるための最後の試練だよ』


 【精霊弓士】は主に魔矢を扱いモンスターと戦うクラスだ。


 だからこそ、自分の魔力を使って魔矢を作り出すことが【精霊弓士】になるための最後の試練なのだろう。


‎『魔矢さえ作ることができれば、シルヴァちゃんにはボクから特別なアイテムをプレゼントをあげるよ。だから頑張ってね』


「⋯⋯もし、魔矢が作れなかったらどうなるんですか?」


『その時は【精霊弓士】になることを諦めて【精霊術士】としての道を進むか、風の精霊とお別れをして【弓士】として生きていくかを選んでもらうつもりさ』


 白銀の中には【精霊術士】になるという選択肢はない。


 だが白銀は風の精霊のことを気に入っているため、もし風の精霊と共にしたいのなら、ここで魔矢を作り出すしかないのである。


 もちろん、魔矢を作り出すことができなくてもシエルに【精霊術士】になると言えば、風の精霊と共に日々を過ごすことができるようになるだろう。


 だが一度【精霊術士】にはならないと言った手前、精霊が欲しいがために【精霊弓士】になれなかったからといって【精霊術士】になるなんてことは、白銀のプライドが許さないだろう。


『なーんて、ちょっとプレッシャーをかけちゃったけどシルヴァちゃんなら大丈夫だよ。今まで何千何万と微精霊たちに魔力の扱い方を教えてきたけど、魔力と共に生きる微精霊たちよりもシルヴァちゃんの方が飲み込みが早かった。自分のペースでいい。落ち着いて、魔矢を作り出すんだ』


「わ、分かりました」


 シエルからの激励を受けた白銀は一度大きく深呼吸をし、ゆっくりと目を閉じながら片腕を前に突き出し、手のひらを開く。


 そして白銀が息を吐き出すと同時に、白銀の手のひら──さらに詳しく言えば指先から緑色の魔力の奔流が微かながらも溢れ出てくる。


 溢れ出た魔力の奔流は煙が上がるように宙を舞うが、白銀が軽く指を動かすことで魔力の奔流は渦を巻くようになり、次第にひとつにまとまっていく。


 そしてそのまとまった魔力は形を変えていき、棒状の魔力の塊へと姿を変えていく。


 漂う空気が、微かな緊張に包まれる。


 眉間に皺を寄せながら集中する白銀。それを静か見守るシエル。そしてそれを眺めている俺。


 頑張れ。と声援を送りたかったが、今はそんな言葉すら邪魔になってしまうような気がするくらい、白銀の集中力は極限まで高まっていて。


「これで、なんとか⋯⋯!」


 頬に一筋の汗を垂らしながら、棒状になった魔力の塊を握る白銀。


 するとその握った部分は矢絣となり、その先の先端部には綺麗な形の鏃が出来上がっていた。


「はぁ、はぁ⋯⋯こ、これで、どうかな⋯⋯っ」


『お見事! まさかたった小一時間でマスターしちゃうなんて、さすがのボクも驚きだよ。おめでとう、シルヴァちゃん』


 見事に魔矢を作り出すことに成功した白銀に、シエルが懐からナニかを取り出す。


 そのナニかは銀色の指輪であり、シエルは白銀の右手を手に取り、そしてその指輪を中指にそっと通していた。


「こ、これは⋯⋯?」


『それは【精霊弓の指輪】さ。指につけることでどういう効果があるのかは⋯⋯ボクが説明するよりも、試した方が早いかもね。シルヴァちゃん、その指輪に魔力を流し込んでみるんだ』


「指輪に、魔力を──って、な、なにこれ!?」


 シエルの指示通り白銀が指輪に魔力を流すことで指輪が淡く光り、指輪の中から魔力が溢れ出していく。


 するとその溢れ出た魔力は形を変えていき、ひとつの弓となって白銀の目の前でふわふわと浮いていた。


 大きさは白銀が今背負っている弓と同じくらいのサイズなのだが、形作っているのが魔力だからかほんのりと緑色をしていながらも微かに透き通っていて、俺では触れなさそうな雰囲気が漂っている。


 だが魔力の扱いをマスターした白銀は、その魔力でできた弓を形を崩すことなく掴んでおり、そんな白銀を見つめていた風の精霊が嬉しそうに飛び回っていた。


『【精霊弓士】の武器は精霊弓といって、魔力でいつでもどこでも展開することができる弓なのさ。その指輪は、魔力を弓に変えるための媒介だよ』


「精霊弓⋯⋯すごい。まるで持ってないんじゃないかってくらい軽い⋯⋯というか、重さを感じない⋯⋯?」


『そりゃあ、精霊弓は魔力の塊だからね。使用者の魔力で形を得るのが精霊弓の特徴なんだけど、生み出すのにそこまでの魔力は必要じゃないし、一度生み出せばそれ以上使用者から魔力は吸い取らないんだ。でも魔力を掴めないと触れることすらできないから、試練という形で魔力の感覚を掴むトレーニングをシルヴァちゃんにはしてもらったってわけさ』


 つまるところ、精霊弓は魔力を制御できる者にしか扱えない代物であり、俺のように魔力に触れることができない者には扱うどころか触れることすらできない武器ということだ。


 それでいて重さは感じず、普通の弓のように常に持ち歩く必要もなく、指輪をつけていればいつでもどこでも弓を生み出すことができるため、その時点で弓の中でもかなり優れているといえるだろう。


『精霊弓は面白い弓なんだ。シルヴァちゃん、試しに弦を引いてみてくれるかな?』


「え、えーと⋯⋯うわっ、全然力を入れてないのに簡単に弦が引ける⋯⋯!」


『そう。精霊弓は、力を必要としない弓なのさ。軽く引いて矢を放つだけでも、普通の弓よりも遥かに力強く、そして鋭く矢を放つことができるんだ。でもそれは、あくまで魔矢の時だけ。普通の木とかでできた矢を放つ時は、ある程度の力が必要になるから注意してね』


 魔矢を放つことに特化した弓、精霊弓。


 力を入れずに矢を放てるという点は魅力的ではあるが、力を振り絞ることで狙いを定めることもできるため、力が必要ないからこそ取り扱いが難しそうな弓でもある。


 普通の弓を扱うのと精霊弓を扱うのでは話が大きく変わってくるし、今までの常識も通用しない場面も多く出てくるだろう。


 それをどう使いこなすかは、きっと白銀次第なのかもしれない。


『さぁ、最後に契約だ。精霊弓を持ち、精霊と契約を交わすことで晴れて【精霊弓士】へと成ることができる。まずは、風の精霊と心を通わせるんだ』


『フィー、フィー!』


 精霊弓を持つ白銀の元に、風の精霊が歩み寄る。


 そして風の精霊は白銀に向けて手を伸ばし、白銀は屈みながらもその小さな精霊の手を、そっと握っていた。


『精霊との契約。それは名を与えること。そしてその名に、精霊が応えること。それは魂に刻まれる盟約であり、切っても切れない心の楔。主は精霊を信頼し、精霊は主に絶対の忠誠を誓う。さぁ、シルヴァちゃん。頭に思い浮かんだ名前を、精霊につけてあげるんだ』


「⋯⋯はい」


 どこか緊張した様子で、シエルの言葉に対し返事をする白銀。


 魔矢を作り出すために極限まで集中力を高めていたため疲れているというのもありそうだが、精霊に名前を与えるということ自体になんだか不安を残しているようであった。


 だが、しかし。


『フィー、フィー』


 そんな白銀に対し、大丈夫だよと言うように風の精霊が優しく語りかけていた。


 それはまるで、信頼の現れ。まだ出会ったばかりのはずなのに、風の精霊は心の底から白銀を信頼しているようであった。


 それが何故だかは、分からない。だが白銀を呼んでいた声の正体が、この風の精霊だとしたら。


 きっとなにかが関係して、なにかが理由となって、風の精霊は白銀を選んだということになるだろう。


 緊張し、ほんの少しの不安に心を揺るがせていた白銀。


 だがニコニコと微笑む風の精霊を前にして気持ちが軽くなったのか、強ばっていた表情がいつの間にか柔らかいものに変わっていた。


「⋯⋯フィルエラ。それが、今思いついた名前。名前に意味とか、込められた想いとか、そういうのはなくて本当に思い浮かんだ名前なんだけど⋯⋯いいかな?」


『フィー! フィー、フィー!』


 白銀にフィルエラと命名された風の精霊は、自信なさげに笑う白銀とは裏腹に、その場でぴょんぴょんと嬉しそうに飛び跳ねていた。


 そんなフィルエラを、優しく抱きかかえる白銀。その表情はもちろん喜びに満ちていたが、それと同時にほっと安心しているというか、一緒に冒険することができるのが楽しみで仕方ないといった表情でもあった。


『うんうん、仲睦まじくて結構結構。それじゃあ、簡単に精霊についての説明をしようか』


「それって、フィルエラのことですか?」


『まぁそれもあるけど、どちらかといえば精霊という存在自体の説明の方が主だよ。いいかい? 精霊はね、主の感情や性格、それから言動とか色々なものを見て学び、成長する生き物なんだ。シルヴァちゃんが契約した子は小精霊なんだけど、人間でいうところの2歳3歳くらいなんだよね。だからまだ、ようやく言葉を理解してきた段階と言っても過言じゃないんだ』


 主の感情や性格、そして言動などを見て学び、成長する生き物──精霊。


 つまりそれは、良くも悪くも主の思想や行動原理を見て学び、それらを吸収して成長するということだ。


 白銀が契約したフィルエラがまだ人間でいうところの2歳3歳なら、言葉は理解しつつも善と悪の区別はまだついていないと見える。


 主に従うのだから、精霊は主の理想通りの成長を遂げる。それは素晴らしいことではあるが、それと同時に危なくもあるだろう。


『シルヴァちゃんが愛情を持って接して育てれば、フィルエラは心優しい精霊に育つだろうね。それこそ、最初は指示が必要だけどそのうち自分で判断して動けるようになってなるはずさ』


「だが、育て方を間違えれば⋯⋯例えば精霊の力をただ利用するためだけに使ったり、悪意を持って接したり悪事に手を染めさせたりすれば、精霊はそれを"主の決めた良い行い"と判断して真似するようになる⋯⋯そんな感じか?」


『その通り、アマツくんは鋭いね。言ってしまえば、微精霊や子精霊はまだ純白のパレットなんだ。そこに愛情を込めて赤や青、緑や黄といった絵の具を垂らせば色鮮やかなパレットになる。でもそこに黒い絵の具を垂らしたり、パレットを刃物で切り裂いたりするように精霊を育ててしまうと⋯⋯』


「⋯⋯精霊も、悪い子になっちゃうんだ」


『正確には、悪いことを悪と認識しなくなっちゃう⋯⋯が、正しいかな』


 主によって、精霊は様々な成長を遂げることができる。


 その可能性は無限大であり、どのように成長を遂げるのかも、主の一挙手一投足で全てが決まるというわけだ。


「まるで育児だな」


『その認識で間違いはないかもね。でも人間の育児と大きく違うのは、精霊の成長速度は早いというところかな』


「それは⋯⋯微精霊から子精霊になるように、大きくなるってことか?」


『うーん。そこまでいくと進化の話になるから変わってくるんだけど、イメージ的には合ってるかな。精霊は乾いたスポンジみたいなものだ。何事でも一瞬で吸収し、物にしようとする。成長を重ね、そしてやがて進化して。子精霊から中精霊、大精霊となっていけば⋯⋯そのうち、このボクみたいに人間の言葉を理解して会話をすることが可能になるかもね』


 俺たちがこうして話している間、話をしている者の顔をじーっと見つめているフィルエラ。


 こうやって何気なく会話をしている間にも、フィルエラは俺たちの言葉を学び、覚えようとしているということだろうか。


 精霊⋯⋯それは素晴らしき存在であり、俺たち人間の良き隣人となる存在になりそうだが。


 それと同時に、誤った選択を選んでしまえば人間に害を及ぼす存在にもなる。


 純粋が故の弊害、とでも言うのだろうか。可能性の塊である精霊を上手く育てられるかどうかは、全て主にかかっているというわけだ。


『とまぁ、精霊についてはこんな感じかな。あとは、【精霊弓士】としての戦い方なんだけど⋯⋯シルヴァちゃん、さっき魔矢を作り出すときにこんなことは考えなかった? 魔矢を一本作り出すためにこんなに時間がかかったら、マトモに戦えないんじゃないか──って』


「⋯⋯っ!」


 シエルの言葉に、強く頷く白銀。


 それは俺も少し感じていたことであり、白銀は一本の魔矢を作り出すために一分以上時間を使っていたが、そんなに時間がかかってしまうなら魔矢なんて使い物にならないのではないかと思ったのだ。


 それこそ、これから練習を重ねれば瞬時に魔矢を作り出すことができたり、一気に2本3本と作り出すことができるようになるかもしれない。


 だが逆に、それができなければモンスターの前で一分以上の時間をかけて魔矢を作り出すことになるため、そんなのもはや自殺行為に等しいだろう。


『でも安心して。魔矢を使って戦うだけなら別に【魔弓士】でもいいんだけど、シルヴァちゃんは【精霊弓士】だ。フィルエラ、さっき見てたこと覚えてるかい?』


『フィー? フィー!』


 シエルの問いに対し、片腕を上げて頷いてみせるフィルエラ。


 そしてフィルエラが手のひらを空に向けると、フィルエラの体から緑色の魔力の奔流が溢れ出し、ものの一瞬で一本の魔矢を作り出していた。


「え、えっ!? フィルエラ、魔矢作れるの!?」


『フィー!』


 驚き目を丸くする白銀に対し、ニコニコとした笑顔で頷くフィルエラ。


 フィルエラが作り出した魔矢は完璧そのものであり、歪な形をしているわけでも、サイズが極端に大きかったり小さかったりしているわけでもない。


 フィルエラの作り出した魔矢を受け取って困惑している様子の白銀を横目に、俺は満足そうに頷いているシエルに目を向けた。


「フィルエラの前で白銀に魔力の扱い方を教えたのは、このためか?」


『アマツくん、キミは相変わらず鋭いね。さっきも言った通り、精霊は学ぶ生き物だ。精霊は魔力を扱うのに長けた生き物だけど、魔力の扱い方しか知らない子精霊は精々魔力を練って遊ぶことしかできない。でもフィルエラは、シルヴァちゃんが魔矢を作り出すことを見ていた。だからフィルエラはそれを学んで独自に解釈し、"魔矢を作り出す魔法"を生み出したってことさ』


「す、すごい。そんなことが⋯⋯で、でも、それができるならわたしが魔矢を作り出す必要がなくなっちゃうような気が⋯⋯」


『シルヴァちゃん、精霊は生き物なんだよ。つまり命があり、魂がある。そりゃあ、下手なことをしなければ精霊はまず死ぬことはない。でも力を使い果たしちゃうと、しばらく精霊は力を蓄えるためにお休みしないといけない。精霊に頼るのはいいことだ。でも頼りすぎたせいで、精霊がいなくなったらなにもできませーんじゃ困っちゃうでしょ?』


 シエルの説明が腑に落ちたのか、納得したように頷く白銀。


 シエルが白銀に魔矢を作り出す方法を教えたのはフィルエラに学ばせてあげるためでもあり、フィルエラが力を使い果たして休んでいる間にも、白銀が一人で戦えるようにするためだったというわけだ。


『まだまだ色々と説明したいことは多いけど⋯⋯全部話しちゃうと日が暮れるどころか何日も経っちゃうから、この辺りでやめとこうか。全部ボクの口から話しちゃうのも、面白くないと思うしね。シルヴァちゃん。これから大変なこともあると思うし、辛くなって苦しくなることもあると思う。でもその時は、フィルエラと一緒に乗り越えるんだ。乗り越えた先には、きっと明るい未来が待ってるはずだからさ』

 

「はいっ。色々と、ありがとうございました⋯⋯!」


 深々と頭を下げる白銀と、頭なんて下げなくていいよと困ったように笑うシエル。


 ユニークモンスターであるシエルが、なぜここまで俺たちに協力的で、友好的なのかは未だ分からない。


 それでも、ユニークモンスターだからといって最初から敵対していれば、白銀はフィルエラと出会うことはなかっただろうし、【精霊弓士】にもなることはできなかった。


 エリュシールもそうだったが、ユニークモンスターという存在は本当に不思議な存在だ。


 会話ができて、対話ができて、モンスターではありながらも意思疎通が可能であり、心というものがある。


 もしかしたら。


 もしかしたらエリュシールも、俺の選択次第では敵対することはなく、こうして友好的な関係を築くことができたのではないだろうか。


 と、ふと俺はそう感じていた。


『そういえば、話は変わるんだけど⋯⋯アマツくん。キミもどうやら精霊を従える素質があるようだ』


「え、魔力がない俺にもか?」


『別に、精霊を従えるのに魔力の有無はそこまで関係ないんだ。ただ⋯⋯アマツくんの精霊は、少し⋯⋯いや、かなり特殊だね。正直、ボクでも今すぐに呼び出すことは不可能だ』


「⋯⋯フィルエラみたいに、この聖域に住む精霊とは少し違うってことか?」


『まぁ⋯⋯うん、そうだね。というか、そもそも精霊といっていいのかすらも怪しいんだけど⋯⋯でも、いつかはきっとアマツくんの力になってくれるはずだよ。うん、なってくれるはずだよ。きっとね、きっと』


 白銀のことは自信を持って背中を押してあげていたはずなのに、俺の時だけやけに"きっと"と希望的観測を押し付けてくるシエル。


 精霊王であるシエルが呼び出すことができないなんて、俺がいつか従えるであろう精霊は、そんなに厄介な存在なのだろうか。


 というか、呼び出すことができないということは、呼び出す術があれば今すぐにでも呼び出すことが可能という意味でもあり。


「⋯⋯なぁ、精霊王。もしかして、その精霊ってもう俺の近くにいたりするのか⋯⋯?」


『うーん⋯⋯えーと、うーん⋯⋯⋯⋯なんて言えばいいんだろ。近くにいるんだけど遠いというか、まだ眠ってはいるんだけど起きてもいるというか、なんというか⋯⋯』


「つまりは曖昧ということか。ちなみに、その精霊ってどんな精霊なんだ?」


『強いよ。あまりボクは精霊のことを強い弱いで判断しないんだけど、正直ボクでも戦いたくないくらい凄まじい力を持っている。だからこそ末恐ろしい。なんでここまでの力を持っているのか。なんでそんな力を持つ精霊がキミを選んだのか。実に興味深いよ』


 ジロジロと、舐め回すように俺のことを観察してくるシエル。


 だが俺に精霊を従える素質があったなんて知らなかったし、知ったのもたった今の出来事なため、正直まだ上手く受け入れることができなかった。


 俺は【招待状】なんてアイテムは見つけてないし、白銀のように精霊の声を聞いたわけではない。


 だからいくら精霊を従える素質があると言われても、その精霊をこの目で確かめることができない以上、シエルの言葉を全部素直に飲み込むことはできなかった。


「先輩。なんか心当たりとかないの?」


「心当たり⋯⋯いや、そんなもの──ん⋯⋯?」


 まさか。と、ある人物の顔と名前が脳裏を過ぎる。


 近くにいるけど遠い。眠っているけど起きている。そして、シエルですら戦いを避けるほど凄まじい力を持つ存在。


 エアイリス。封印の巫女と呼ばれ、共に魔王を討伐するため異世界を旅した、俺がこの世で一番嫌いで、憎んでいる相手である。


 エアイリス──いや、あいつはエリュシール戦で一度気絶した時、俺の精神世界に足を踏み入れてきた。


 だが当の本人は異世界にいるため、そういう意味では近くにいるけど遠いという言葉がなんだかしっくりくる。


 眠っているけど起きているというのも、俺の意識が覚醒している間はこちらに干渉することができず、意識がない時に限って干渉することができるため、それもなんだかんだ辻褄が合うような気もする。


 そして、エアイリスの持つ封印の権能は最強の力だ。


 封印の権能では、相手の命を奪うどころか相手を傷つけることができない。だが、その力のおかげでエアイリスは死という概念を超越した存在だ。


 あの権能は、魔王ですら忌み嫌っていた力だ。そう考えると、いくらユニークモンスターであり精霊王でもあるシエルが戦いを避けたくなるのも、納得がいくだろう。


『その顔は⋯⋯心当たりがあるようだね?』


「⋯⋯あぁ。だが、思い出したくない。話の場にも出したくないような存在だ。だから、俺は【精霊使い】や【精霊術士】とかになるつもりはないぞ」


『そっか。それならそれでいいんだけど⋯⋯でも、いつかその精霊とアマツくんが出会う時が来るはずだ。その時、キミはどうするんだい?』


「⋯⋯分からない。だが、関わりたくないってのは本音だ。もし出会うようなことがあったら⋯⋯その時は、俺なりの方法で解決させてもらうよ」


 俺の力であいつになにかができるとは思えないが、それでもだからといってなにもできないというわけではない。


 複雑な心境ではあるが、それを察してくれたのかシエルはそれ以上追求してくることはなかったし、白銀も特になにか質問してくるわけでもなかった。


『なんだかちょっぴりしんみりとしちゃったけど、これでもうボクの役目は終わりだ。暇だったらもうしばらくは話し相手になってもいいけど、どうする?』


「いや、大丈夫だ。色々と聞かせてくれて助かったよ。白銀ももう大丈夫だよな?」


「うん。あの、わたしを【精霊弓士】にしてくれて、丁寧に魔力の扱い方を教えてくれて、ありがとうございました⋯⋯!」


『いいってことさ。シルヴァちゃん。そしてアマツくん。キミたちの活躍を、心から期待しているよ。さぁ、出口はこっちだ。お忘れ物のないよう、足を踏み入れるんだ』


 シエルが腕を広げることで、シエルの後方大きな黒いゲートが出現する。


 それは【鈍虫の森】に戻るためのゲートであり、そのゲートに足を踏み入れたが最後、この【精霊王の聖域】に再び訪れるのはそう簡単なことではないだろう。


 だが白銀は、その場で立ち止まってゲートを眺めている俺とは違って我先にと動き出しており。


「先輩、行こっ!」


「あぁ、行くか」


 二つ返事で、白銀と共に歩み出してゲートの中に足を踏み入れていく。


 こうして、俺と白銀はEXダンジョンである【精霊王の聖域】をあとにし、再び【鈍虫の森】へと戻るのであった──

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