第99話 聖域
【鈍虫の森】8階層目にて、俺たちの目の前に突如として出現したゲート。
ダンジョンの中に出現するゲートは、EXダンジョンへの入口である。という、白銀がネットで得た情報が確かなら、俺たちはこれからEXダンジョンに挑むこととなる。
白銀は見るからに心を躍らせているが、EXダンジョンではなにが起きても不思議ではないため、微かな緊張が走る。
もし仮にエリュシール級のユニークモンスターが出現したら、俺は自分の身を守ることはできるものの、白銀のことを守ることはおそらく不可能だ。
以前と比べて明らかに強くなった白銀だが、だからといってその力がEXダンジョンで通用するのかと聞かれれば、俺は首を横に振るだろう。
自分の身は自分で守ってほしいが、だからといって白銀を見殺しにしたいわけではない。
などと、色々と考えながら俺は白銀と肩を並べてゲートを潜ったのだが──
「うわぁ⋯⋯っ」
目の前に広がる景色を見て、小さく声を漏らす白銀。
だがそれは、恐ろしいものを見ただとか不気味なものを目にしたから漏れた声ではない。
どちらかといえば、美しい景色を前に感動を覚えたことによってつい口から出てしまった声であった。
「⋯⋯空気が澄み渡っている。いや、澄み渡り過ぎていると言ってもいいかもな」
「ね。よく山を登った人とかが空気が美味しいとか言ってるけど、その意味が今分かったかも。息を吸うだけで心が安らぐというか、すごいリラックスできる感じがするもん」
俺たちの目の前には【鈍虫の森】と同じように自然豊かな森が広がっているのだが、その森はただの森ではなかった。
生えている木々の幹や枝は白く、そして太陽の光を浴びる葉は鮮やかな青色をしていた。
青色というのは青々としているだとかそういった意味ではなく、言葉の通り空や海のような、普通の草木には見られないような青色をしているのである。
そして空を見上げると太陽が昇っているためまだ昼間なはずなのに、綺麗な色の星や面白い形をした惑星が見えたりと、不思議な世界が広がっている。
どこかから聞こえてくる小鳥の囀りもまるで木管楽器のような耳心地のいい音色であり、ゲートを潜る前に少し緊張していたことが馬鹿らしくなるほど、ここはまるで楽園のようなダンジョンであった。
「ねぇ、見てよ先輩。ここ【精霊王の聖域】っていうダンジョンなんだって。なんか、名前からして凄そうじゃない?」
「確かに、雰囲気も普通のダンジョンとはまた違った感じがするもんな。だが、聖域⋯⋯聖域か」
"聖域"という言葉に、嫌な思い出が蘇る。
聖域と言えば神聖な場所であり、普通ならお目にかかることのできない希少な植物が沢山生えていたり、妖精等の伝説上の生物が生息しているような神秘的な場所であるのだが。
異世界にいた頃、俺はとある聖域に一度足を踏み入れたことがあった。
異世界での聖域は神を信仰する者たちが集まる教会が管理している場所なため、部外者は当然のこと関係者ですら位が高くないと足を踏み入れることが許されていないのだが。
俺や俺の仲間たちが魔王軍との戦いで負傷しているというのと、聖女として神のように崇められているエアイリスがいたおかげで、今回ばかりは特別にと聖域に入ることが許されたのだ。
神聖な魔力の満ちた聖域に実る果実を食べれば肉体の損傷を修復することができ、聖域にて湧き出る水を飲めばどんな病をも浄化する力があると言われている。
魔王軍との戦いで大きな怪我を負い、心も体も疲弊しきった俺でも、果実を食べて水を飲むだけで体を癒し、空気を吸うだけで心を癒すことができた。
それでいて自然豊かで、天候にも恵まれ、希少な小動物が生息していたりと、身も心も安らぐ聖域はまさに天国のような場所なのである。
そう。それが、普通の聖域ならば。
実は俺たちを魔王軍から匿ってくれた教会は、ノエラという名の邪神を崇拝している邪教徒と狂信者たちの集まりだったのだ。
それが判明した時には既に遅し。魔族は邪神が生み出したと言われている世界で、魔族と敵対している俺たちがどうなるかなんて説明するまでもないだろう。
俺や俺の仲間たちは聖域の中に閉じ込めらてしまい、地獄のような二日間を過ごすこととなった。
生にしがみつくのは醜い。死こそが万物のあるべき姿。死後にこそ、己が理想の世界へと到達する。という教えが、ノエラ教の基本だ。
死を恐れずに特攻してくる者たちを常に警戒し続ける必要があるせいで精神的苦痛が蓄積し、幻惑魔法や幻覚魔法による精神汚染が絶え間なく続き、頭がおかしくなりそうであった。
最終的にノエラ教の教祖を倒し聖域から脱出することができたため命に別状はなかったのだが、あの場所にあともう一日でも過ごしていたら、きっと今頃俺の精神はおかしくなっていただろう。
という過去の経験から、俺は"聖域"という存在自体にトラウマを抱くようになってしまった。
あのような経験をすることは二度とないとは思うのだが、それでも自然と苦笑いを浮かべてしまうのは、俺でもどうすることのできないことであった。
「⋯⋯先輩、なんで腐った牛乳飲んだ人みたいな顔してるの?」
「そんな顔してるか? ていうか、腐った牛乳飲んだ奴見たことあるのかよ」
「いやないけど。ないけど、なんかそんな感じの顔してるからさ」
どうやら、白銀に指摘されるくらい顔に出てしまっていたらしい。
だから俺は一度自分の頬を叩き、揉み、撫で、苦笑いを浮かべる表情筋をなんとか元通りにすることができた。
「とりあえず、先へ進んでみるか。敵の気配も感じられないし、そこまで警戒はしなくても大丈夫そうだ」
「気配とか敵意とか、そういうのはまだ分からないけど⋯⋯なんか、視線は感じない?」
「⋯⋯視線だと?」
「うん。なんか見られてるというか、観察されてるというか⋯⋯先輩は視線、感じないの?」
白銀はなんらかの視線を感じているらしいが、俺には視線どころか、近くに潜んでいる生き物の気配すら感じ取れない。
遠くから聞こえてくる小鳥の囀りの方向は理解できるが、だがその小鳥がこちらに視線を向けてきているかと聞かれれば、答えは否だ。
異世界で幾度となく死線を潜り抜けてきたおかげで、俺は生き物の気配やこちらに向けてくる敵意、そして視線などにはかなり敏感になったのだが。
そんな俺でも、視線を感じることはできない。つまり、俺には感じ取れないナニカを、白銀は感じ取っているというわけである。
「方向は? 数は? 正確な距離は分かるか?」
「うーん⋯⋯なんて言えばいいんだろ。あまり正確に判断できるわけじゃないんだけど、四方八方から無数の視線を向けられてる気がするんだよね」
そう言いながら、周囲を見渡す白銀。
だがその目には視線を送る正体が見えていないのか、白銀は不思議そうに小首を傾げていた。
「ゴースト系モンスターやアンデット系モンスターの類か? いやでも、こんな空気が澄んでるところにそっち系のモンスターが生息してるとは思えないしな⋯⋯」
「あっ、待って。まただ。また、声が聞こえてきた。でも今度は耳鳴りとかそういう感じのじゃなくて、しっかりとした声だ」
「⋯⋯その声は、なんて言ってるんだ?」
「こっち。こっちだよ。こっちに来て。って言ってる。多分、こっちの方向に進めばいいんだと思う」
俺には聞こえない声を聞く白銀が、その謎の声を頼りに色鮮やかな森の中を歩き出す。
だから俺もそんな白銀の後を追うように森の中を進んでいくのだが、どれだけ注意深く周囲を観察しても、視線らしきものは全く感じられない。
だが不思議なことも起きていて、先ほどから白銀の体を包むように、暖かく緩やかな風が絶え間なく吹いているのである。
その証拠に白銀の髪が揺れており、服の袖や裾も微かに動いている。しかし、その風は白銀の体を撫でるだけで俺の体を撫でることはないのである。
だが決して、その風はどこかから流れてきているわけではない。
それはまるで、白銀の周囲なら風が発生しているようであり。
「っ、先輩っ、見て見て! あそこ、なんか大きな湖があるよ!」
「ほんとだな──って、お、おい! あんまり一人で突っ走るな! 危険だぞ!」
森を抜け、正面に見える湖に向かって一人駆け足で離れていく白銀。
こんな神秘的な森の中に湖があるだなんて、十中八九そこにはなにかが潜んでいるに違いない。
気配や敵意は感じられないが、だからといって絶対に安全というわけではない。
だから俺はすぐに白銀を止めるべく、白銀の元へと駆け寄ろうとする。
だが、その瞬間──
──ビービー! ビービー!
突然、俺と白銀のディーパッドからけたたましい警告音が鳴り響き、のどかな空気が一変、一瞬にして緊張感に包まれていく。
「えっ!? な、なになに!?」
あまりにも突然の出来事に白銀はあたふたとしていたが、俺はディーパッドから聞こえるその警告音に、聞き覚えがあった。
そう。この警告音は、かつて【残夜の影く滅国】にて出会ったエリュシールが、同胞であるリーウェルを殺害し、紅月の魔女と成った時に鳴り響いた警告音と同じものであり。
ゴゴゴ、ゴゴゴゴゴ。と、地面が揺れる。
目の前に広がる広大な湖の水底から無数の小さな泡が浮かび上がり、水面に顔を出してぶくぶくと音を立てている。
俺は力強く地を蹴り、白銀の元へと駆けつける。すると白銀は少し怯えた様子で、俺の腕にぎゅっとしがみついてきた。
「せ、せせ、先輩っ⋯⋯こ、これって、まさか⋯⋯!」
「⋯⋯あぁ、そのまさかかもな⋯⋯!」
あえてユニークモンスターだとは言わなかったが、それでも白銀は理解しているようで、湖を見つめながら大きく息を呑んでいた。
そんな白銀を横目に、俺は大鎌を構える。いつ、どこから、どのタイミングでユニークモンスターが現れてもいいように、真っ直ぐ湖を睨みつける。
未だに揺れ続ける大地。波立つ湖。不気味なほどの無風に、まるでユニークモンスターの出現を祝うように鳴き声を上げる小鳥たち。
これほどまで大きな反応があるのにも拘わらず、まだ敵意どころか気配すら感じ取ることができない。
エリュシールから放たれていた敵意と殺意は、常人なら向けられるだけで気絶してもおかしくないほどの圧力があった。
だが湖の中にいるであろうユニークモンスターからは、それらが感じられない。それが、俺にとってはあまりにも不気味で、気味が悪いことであった。
「──っ! 来るぞっ!」
突然大地の揺れが細かくなったため、ユニークモンスターが湖から飛び出してくると俺は瞬時に察することができた。
すると読み通り、俺の叫び声と共に湖から謎の黒い影が激しく水飛沫を撒き散らしながら飛び出してくる。
天高く舞う水柱。撒き散らされた水飛沫はそのまま霧雨のように森中に降り注いでいく。
それにより無数の虹が出現し、霧雨に太陽の光が乱反射してなんだか幻想的な美しい光景が広がるが、今はそんな光景を見て楽しむほどの余裕なんてあるはずもなく。
「⋯⋯白銀、覚悟決めろよ」
「わ、分かった⋯⋯!」
弓を構える白銀と肩を並べ、共に一歩前へと足を踏み出す。
そしてついに、湖から上がった水柱と水飛沫が落ち着き、飛び出してきた謎の黒い影の正体がようやく明らかになるのだが──
『やぁやぁやぁ、待っていたよ人間諸君! キミたちがここまでやって来るのを、ボクは心待ちにしていたよ!』
「「⋯⋯⋯⋯え?」」
目の前に現れた人物を前にして、俺たちは同じタイミングで素っ頓狂な声を出していた。
それもそのはず。なぜなら、湖から飛び出してきたのは魚系のモンスターでも、はたまた龍のように巨大なモンスターでもなかったからだ。
少年か少女か分からない中性的で綺麗な顔立ちのその人物は、大きさでいえば全長30センチもなく、それでいて背中にある透き通った八枚の羽で優雅に空を舞っていた。
頭の上に乗っている青い宝石が埋め込まれた銀色の王冠に、赤を基調とした金色の豪華な刺繍が施されたマントのような服。
その格好は、まさしく王様そのものであり。
宝石のような瞳は虹色の輝きを放っていて、どこか異質な雰囲気と存在感を放っている。
そんな、想像していたよりも遥かに小さく、それでいて気さくかつ友好的に話しかけてきたユニークモンスターを前に、俺は戸惑いを隠せなかった。
『ボクはシエル・レゥ・アルカン二世。精霊王の一人であり、キミたち人間に精霊の加護を与える導き手の一柱。ようこそボクの聖域へ。精霊を従える素質があるキミたちを、盛大に歓迎しようじゃないか!』
自身の周囲に大小様々な虹を展開しながら、ニコニコとした笑顔で俺たちを歓迎してくれる精霊王シエル。
フレンドリーに接してきてはいるが、相手がユニークモンスターである以上まだ味方かどうかは分からない。
だが向こうが対話をしようとしてくれているのなら、それに応えずに武器を構え続けるというのは、失礼にあたる。
だから俺は構えていた大鎌を地面に下ろし、白銀にも弓を下ろすようにアイコンタクトで伝えながらも。
俺はとりあえず精霊王シエルが敵か味方かを判断するべく、まずは話を聞いてみることにした──
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