第84話 EX.残夜の影く滅国-⑰
「はぁ、はぁ⋯⋯! あれも、これも、全部⋯⋯全部、通用しないっ⋯⋯!」
常に余裕な笑みを浮かべ、舞うように宙に浮かびながら魔法を降らせ続けていたエリュシールは、もういない。
今では俺から逃げるように空を飛び回りながらも、あーでもないこうでもないと口にしながら、俺に向かって必死に魔法を放ち続けていた。
「だんだん雑になってきたな」
エリュシールから放たれる魔法の数々を魔剣ダラクで叩き切りながら、俺はエリュシールへと接近していく。
時間を逆行させる大魔術を打ち破ったあの瞬間から、エリュシールは分かりやすく動揺を露わにすることが多くなった。
今はなんとか俺に一撃を与えるべく、エリュシールは工夫しながら色々な方法で魔法を飛ばしてくるのだが。
それらの魔法の威力は凄まじいものの、その精度が以前と比べたら悪くなっていることに俺は気がついた。
良くも悪くも、エリュシールはメンタルの具合で魔法の調子が大きく変わる。
ノっている時はそれはもう最高のパフォーマンスを発揮することができるが、少しでも崩されてしまえば、そこからグズグズと調子が悪くなっていく。
いくら紅月の魔女と成って魔法の質や腕を上げることができたとしても、根本的な部分。心の強さに関しては、変えることができないのである。
だからそういう意味で言えば、エリュシールはまだ完全に月の魔女ルナには成れていない。
あくまで彼女は、紅月の魔女の肩書きと力を持っただけの、エリュシールに過ぎないのである。
「はっ!」
「──ッ!」
魔剣ダラクを振るい、エリュシールに向けて不可視の斬撃を飛ばす。
それによりエリュシールは反射的に魔力障壁を展開するが、すぐにその行為が無駄であることに気づき、その場で体を捻りながら後退して不可視の斬撃をやり過ごしていた。
音もなく、形もなく、ただ静かに相手の息の根を止めるべく襲いかかる不可視の斬撃。
それを躱すことは容易ではないのだが、直感とはいえしっかりと回避することができる辺り、やはりエリュシールは只者ではない。
だが回避を誘発させることで、エリュシールの動きを止めることができた。
その瞬間、俺は【豪脚】と【瞬脚】を合わせて全力でエリュシールへと接近していき、そのまま滑り込むように、エリュシールの懐に潜り込んだ。
「気、抜くなよ」
「ッ!
俺の急接近に気づいたエリュシールが、俺ではなく自身の足元に向けて、魔法を展開する。
それにより爆発したかのような風圧が発生し、その風圧に身を任せてエリュシールは空へと舞い、一瞬にして俺から距離を取った。
その判断は、咄嗟ながらも最適解であり。
俺に向けて魔法を放っても無効化されると理解しているからこそ、エリュシールは機転を利かせ、攻撃するためでなく逃げのために魔法を使用したのだ。
それも、魔剣ダラクに魔力を吸収されないように発生の早い魔法を選んでおり、この場面で瞬時にその選択をとることができるのは、敵ながらもあっぱれであった。
だが、距離をとったところで魔剣ダラクの間合いから逃れられるわけではない。
俺は空に逃げるエリュシールへ向かって魔剣ダラクを振るい、不可視の斬撃を飛ばす。
完璧なタイミング。エリュシールに魔法を展開する隙を与えず、回避行動すら遅れさせる的確な位置への攻撃。
しかし、エリュシールは決して諦めておらず。
「⋯⋯っ!」
エリュシールはすぐに自身の前方に魔力障壁を展開するのだが、その展開の仕方はいつもとは少し違ったものであった。
違うところ。それは、薄い紫色をしていた魔力障壁の色が、エリュシールが見えなくなるほど濃い紫色になっており。
「これで、どうよっ!」
エリュシールの展開する何重にも重なった魔力障壁が砕けたと思えば、エリュシールはその場で体を捻り、不可視の斬撃を頬に掠らせながらも回避することに成功していた。
不可視の斬撃は、その名の通り目では見えない攻撃だ。
だからいくら俺が魔剣ダラクを振るっているところを目の当たりにしても、正確にその位置を割り出すことは難しい。
しかしエリュシールは、それを理解していた。そして、不可視の斬撃の特性さえも理解し、回避してみせたのだ。
不可視の斬撃の特性。それは目で見えないことと、魔力を吸収し魔法を切り裂くこと。
だからエリュシールはあえて色の濃い魔力障壁を展開し、魔力障壁が砕けることで不可視の斬撃の位置を割り出し、回避することに成功したのだ。
その判断は、0.1秒でも遅れれば命取りとなる。
だがエリュシールは、面白い機転と自身の反応速度のみで、不可視の斬撃に対抗してみせた。
エリュシールもまた、紅月の魔女に成ったことで現在進行形で成長しているということだろう。
「⋯⋯やっと分かったわ。あなたを倒す方法が。この方法でなら、私はあなたを超えることができる」
ゆったりと地面に着地しながらも、頬にできた傷を手で撫でるエリュシールが俺にそう宣言してくる。
だが、もう不必要に耳を傾ける必要はない。だから俺は地を蹴り、エリュシールへと目掛けて駆け出した。
「今から時間を逆行させる魔術をも超える魔術の詠唱を始めるわ。だから、邪魔はしないでほしいのだけれど」
「それは無理なお願いだな」
「そう。なら⋯⋯私も、少しだけ危険な橋を渡らないといけないわね」
エリュシールが俺に向けて指をさした瞬間、エリュシールの足元から光の鎖が飛び出し、俺を拘束するべく襲いかかってくる。
それは、かつて俺がエリュシールを仲間であると信じていた時に使われた、俺とリーウェルを捕縛した鎖の魔法である。
一応それ以前にも何度か見たことがあるため、驚く魔法ではない。
だがエリュシールはその魔法の詠唱を口にすることなく、展開してみせたのだ。
「⋯⋯っ、無詠唱か⋯⋯!」
「えぇ。正直、魔力の消耗が激しいからあまり使いたくはないのだけれど⋯⋯あなたの動きを阻害するには、私にはもうこの手しか残ってないの」
俺に向かって真っ直ぐに飛んでくる鎖を魔剣ダラクで弾くことで、その鎖は完全に消滅する。
だが消滅するのはあくまでその一本だけであり、エリュシールのその魔法は、一気に複数の鎖を展開する魔法だ。
つまり、否が応でも俺は全ての鎖に対応しないといけないというわけだ。
しかも、それだけではない。
先ほど氷の武器を降らせる魔法を魔剣ダラクに吸収され、無効化されたことをしっかりと覚えているのか、自動的に魔剣ダラクが魔力を吸収できないほどの魔力を、エリュシールは鎖に込めている。
だから、俺はその鎖をいちいち叩き落とし、破壊するしか無効化する方法がない。
ここまで来て、ここまで追い詰めたのにこれほどまでのポテンシャルを引き出してくるだなんて、正直に言って今のエリュシールはかなり脅威的であった。
「──星よ。夜空を彩る星よ。煌めき、瞬き、悠久の時を見守る星よ。幾千幾万の時代を翔ける星よ。其の輝きは、何故に世界を照らすのだろうか」
エリュシールによる、魔術の詠唱が始まる。
先ほどの時間を逆行させる魔術を展開した時の詠唱よりも、その詠唱はあまりにも静かで、落ち着いていて、ゆっくりとしたもの。
まるでなにかに語りかけるように。そして、小さな一つの物語を読み上げるように、エリュシールは声を紡いでいく。
その直後、天の塔の頂上に広がる空間よりも大きな魔法陣が、エリュシールの足元ではなく空にて浮かび上がる。
白い線によって描かれた、複雑ながらも綿密な形を描く魔法陣。
そのあまりの完成度に、一瞬だけ目が奪われてしまう。それほどまでの、美しさがあった。
「──体現者よ。汝、其の輝きを以て空を捨てる。羽根もなく、翼もなく、ただ黒き空に虚空の夢を見て漂う星よ。始まりを知り、終わりを眺め、数多を見送り、全を揺るがす脅威となりて、その身を砕く」
一番最初に展開した魔法陣よりも僅かに小さな魔法陣が、重なるように、天に向かって続いていくように展開される。
一体、エリュシールはなにをしようとしているのか。その魔術の魔法陣は、明らかに俺ではなく空に向けられている。
一つの魔術の詠唱にしては、あまりにも盛大な魔法陣の展開だ。
それこそ、本当にそこまで大きな魔法陣である必要があるのかと疑問を抱くくらいには、たった今展開された二つの魔法陣はあまりにも大きくて。
「──焦燥・模倣・混沌・失墜・天変。三道通って七を見よ。六壁の咎。五鎖の雨。四対の傘。三天の王。二を知る蟻。一の牢獄。零の柱に堕ちるは彗星。描け、描け、流れゆけ流星の波紋。今、刹那の時に終わりを告げる」
「⋯⋯っ!」
三度目の詠唱が終わり、三つ目の魔法陣が展開される。
だから俺はすぐにその場で足を止め、発動するであろう魔術に備えて魔剣ダラクを構えるのだが。
エリュシールは、今もなお魔力を練り上げ続けている。そして、高め続けている。
そこで、俺は瞬時に悟った。
まだ、魔術の詠唱は終わっていないと。
「──あぁ、私の声が聞こえてますか? この声は、アナタに届いていますか? 今、夢を見たの。遠い遠い、星の夢を見たの。でもその夢はあまりにも鮮明で、夢物語にしては悲しくて。それでも、私は歌い続ける。この唄は星の調べ。奏でるは星月夜の詩」
その歌のような詠唱にて、四つ目の魔法陣が展開される。
俺は駆け出していた。
俺はエリュシールに思い知らせた。どれだけの魔法を展開しようと、どれだけの魔術を使用しようと、魔剣ダラクの前では無力であると頭に叩き込んだ。
そんなエリュシールが、魔法も魔術も無駄であると悟ったはずのエリュシールが、今目の前で魔術の詠唱を繰り返している。
時間を逆行させる大魔術ですら、詠唱は三回であった。
だが今目の前──いや、頭上にて展開している魔法陣の数は、計四つ。
きっと、まだ終わりではない。これから、5節目の詠唱が始まるはずだ。
エリュシールの性格から考えて、無駄なことや無謀なことはしないはず。
そんなエリュシールが俺を超える方法を見つけたと宣言し、とある魔術を使用するべく、長々と、だが静かに魔術の詠唱を繰り返している。
それが、あまりにも不気味で。
すぐさま魔術の詠唱を止めるべく駆け出したが、そんな俺を妨害するべく、エリュシールの足元から光の鎖が無数にもなって飛び出してくる。
その数は一瞬で数え切れないほどであり、かつ、魔術の詠唱をしながら無詠唱で魔法を展開するエリュシールの技術に、感心よりも驚きが勝っていた。
「くそっ⋯⋯!」
なにが起きるか分からない。分からないからこそ、なんとかしてでもエリュシールの詠唱を止めなくてはならない。
魔法や魔術相手ならば、魔剣ダラクは無敵だ。それこそ、絶対と言っていいほど負けることはない。
だが、この世にはイレギュラーという言葉がある。
もしそのイレギュラーが起きるのなら。エリュシールが魔剣ダラクの弱点を発見し、その弱点を突く術があるとするのなら。
僅かな可能性が。100パーセント勝つことができるこの戦況が、99.9パーセントに下がってしまうことがあるのなら。
万が一、エリュシールが0.1パーセントの確率を引く星の下に生まれていたとしたら。
止めなければならない。だが、止められない。どれだけ光の鎖を壊しても、次から次へと光の鎖が俺の邪魔をしてくる。
不可視の斬撃を飛ばしても、エリュシールはここに来て不可視の斬撃の特性を理解したのか、数十枚に渡る魔力障壁を展開し、不可視の斬撃を無力化させてくる。
一定の魔力を吸収した時点で、不可視の斬撃は効力を失い消滅する。
それを、あの戦いの中で見極め実際に実践で無効化してくるなんて、ありえない。
だが、今そんな勝率の薄い賭けですら、エリュシールは選択し勝ち続けている。
勝利の天秤が、微かにエリュシールへと傾く音が聞こえた。
「──天地揺るがす覇光よ。空裂き遍く彗星の光よ。其の身を焦がし、赤熱する想いよ。終を告げ、零からの始まりに歓喜する者よ。やり直そう。初めから、一から、全てを、共に歩み直そう。それこそが、我が想い。星の輝きが、世界を覆い尽くすまで」
五節。
五つ目の魔法陣が展開されたと同時に、全ての魔法陣が反時計回りに動き出す。
祈るように手を合わせながら詠唱を繰り返していたエリュシールが手と手を離すと、淡い光を放つ小さな球体がエリュシールの胸の中から飛び出してくる。
その球体を撫でるように触れながらも、エリュシールが空に浮かぶ魔法陣に向かって球体を導くように送り──
「──
球体は線となり。一つ目の魔法陣を通り二つ目へ。そのまま三つ四つと魔法陣の中心を通り抜けていき。
最後に五つ目の魔法陣を通った瞬間、目にも留まらぬ速度で光の線は空へと突き進み、天へと向かって静かに消えていった。
「⋯⋯これが、今の私にできる限界。紅月の魔女と成って可能となった、世界を揺るがす大魔術」
「はぁ、はぁ⋯⋯一体、なにをした⋯⋯?」
「直に分かるわ。空を見上げれば、そのうちね」
俺ではなく、ただ一心に空を見上げるエリュシール。
そんなエリュシールに釣られ、俺もおもむろに空を見上げて見るのだが。
そこには、驚くべき光景が広がっていた。
今世界が紅色に染まっているのは、空の大部分を埋め尽くす大満月が、紅色に染まっているからだ。
その大満月の中央。正確には、中央の少し上。
そこに謎の小さな黒い点があるのだが、その黒い点が、見る見るうちに大きくなっていっていることに俺は気がついた。
「エリュシール、お前⋯⋯!」
「えぇ。私の全魔力を捧げて、空よりも高い場所にある黒い空から星を呼び寄せたわ」
黒い空、それは宇宙のことだろう。
つまり、エリュシールは宇宙空間に漂う一つの星を操り、隕石としてこの地に降らせようとしているのだ。
そんなの、もはや人間ができる芸当ではない。
いや、紅月の魔女と成った時点で既に人間を卒業しているようなものだが、それでも隕石を落とす魔術だなんて、規格外もいいところだ。
異世界にも、隕石を落とす魔人がいた。だがあれは隕石を生み出す魔術であり、宇宙から引き寄せるものではなかった。
だからこそ、今地上に向かって真っ直ぐに落ちてきている隕石の大きさは、かつて異世界で見た【メテオフォール】よりも遥かに大きいものであった。
「私が全魔力を消費してまで黒い空から星を引き寄せたのには、明確な理由があるわ」
「なんだと⋯⋯?」
「私の力でなら、わざわざ黒い空から引き寄せなくとも岩属性の魔術の応用で同じようなものを創り出すことができるわ。でもそれは、所詮魔力で形作ったモノに過ぎない。それだと、あなたのその剣で容易く破壊されてしまうでしょう?」
「⋯⋯なるほど。だから、あくまで魔力は星を引き寄せるためだけに使ったというわけだな。コイツに魔力を吸われてせっかくの魔術が無効化されないよう、本物の星を引き寄せたってわけか」
「ご名答。その通りよ」
それが、エリュシールの導き出した"答え"。
ただ一心に空を見上げながら、落ちてくる星を眺め続けるエリュシール。
敵意も、殺意も、なにもエリュシールから感じられない。
今魔剣ダラクを振るって不可視の斬撃を飛ばせば、確実にエリュシールを葬ることができる。
だがそれをしたところで、重力によって引かれ続けている星を消すことはできない。
エリュシールを殺せば、このダンジョンはきっと攻略完了となるだろう。
殺した後に星に押し潰されて死んでも、ここがダンジョンの中である限り俺は生きて出ることができるため、ここで殺さないという選択肢はあってないようなものだ。
だが。
この世界で、リーウェルは生きていた。そんなリーウェルを、俺は見殺しにした。
そしてそんな世界で、エリュシールもまた生きている。一つの命が、そこに立っている。
俺は別に、死んでもいい。死んだって無事に生き返って脱出することができる。
それが、このダンジョンの利点だ。
だがそれは、まるでこの世界に生きるエリュシールや、リーウェルに対する冒涜のような気がして──
「このままあの星が落ちたら、お前は死ぬのか?」
「えぇ、死ぬでしょうね。私にはもう、魔力は残っていないもの。死んでも生き返る術はあるけれど、そのためにはなにかを依代にして魂を遺さなければならない。でもあれだけの質量を持つ星が落ちれば、この地はここを中心として半径50キロメートルは余裕で消し飛ぶわ。依代なんて、一つも残らない。遺体すら残さずに、私は消滅するの」
「⋯⋯なぜ、そこまでするんだ?」
「⋯⋯分からないわ。でも、こうするしかなかった。同士討ちでも、私はあなたを超えたかった。紅月の魔女を上回るあなたを超えることが、私の、紅月の魔女である私の存在証明になる気がするから」
自暴自棄になっているわけではない。
だが、エリュシールは生き延びようとも思っていない。
ただ俺を超えるために。この俺を殺し、自分の存在証明を、存在価値を見出すためだけにこの滅んだ地を無に返そうとしている。
損得勘定とか、関係ない。
これはもう、プライドの話なのだ。紅月の魔女と成った、エリュシールの矜恃なのである。
それなら。それならば、俺は──
「⋯⋯分かったよ、エリュシール」
魔剣ダラクの柄を握り締めながら、俺は大きく息を吐き出す。
エリュシールがその気なら。プライドや矜恃を賭けてまで、俺を越えようとするのなら。
そんなプライドを、矜恃を、エリュシールの想いから何まで全てを打ち砕き、正真正銘、本当の勝利を手に入れてみせよう。
それが、かつて異世界を救った元英雄である、俺のちっぽけなプライドだから。
「さて、ここで問題だ。エリュシール」
「⋯⋯問題?」
「あぁ。魔剣ダラクは、魔力を吸収する剣だ。なら、その吸収した魔力はどうなる?」
難しそうに、エリュシールが小首を傾げている。
一方の俺は、そんなエリュシールに見せつけるように、魔剣ダラクを空に掲げるように振り上げていた。
「魔剣ダラクは生きている。そうは言ったが、所詮コイツは無機物だ。俺たち人間は食料を食べて胃の中で消化することができるが、コイツは喰らった魔力を消化することはできない」
「⋯⋯それが、なんだって──っ、ま、まさか⋯⋯」
俺がなにを言いたいのかを理解したのか、エリュシールは大きく目を見開いた。
そこでようやく、エリュシールは気づいたのだ。魔剣ダラクの穴を。魔剣ダラクの、唯一の弱点を。
少し考えれば分かる、魔剣ダラクの欠点を。
「不可視の斬撃。そして、時間を逆行させる大魔術すら打ち砕いたあの技。全ては、魔力がないと発動することができないものだ」
「ということは⋯⋯その剣は、もしかして魔力がなければなにもすることができないとでも言うの⋯⋯?」
「あぁ。コイツの能力はどれも強力で凶悪だが、魔力がなければただの剣だ。その切れ味だって、上の下⋯⋯いや、中の上がいいところだろう。ただの剣としての価値で見るのなら、コイツはちょっと切れ味がいいだけの細い剣に過ぎない」
優れた名剣ならば、どれだけ使用者の腕が悪くとも簡単に岩を切り裂くことができる。
だがこの魔剣ダラクは、どれだけ腕の優れた剣豪が握ったとしても、精々を岩を砕くのが精一杯だろう。
ただの剣として見れば、魔剣ダラクはそこらにある剣よりも多少切れ味のいい剣なだけであり、それ以上でもそれ以下でもない。
だがそれを補うのが、魔剣ダラクの能力だ。
魔剣ダラクは不可視の斬撃を飛ばすことができる能力を持つと言ったが、あれは正確には間違いだ。
魔剣ダラクの真髄。
それは、魔力の吸収と放出である。
吸った魔力の量、質によって、魔剣ダラクの性能は二倍にも三倍にも──いや、百倍にも二百倍にも跳ね上がる。
そして今、魔剣ダラクには紅月の魔女と成ったエリュシールの超上質な魔力がこれでもかと蓄えられている。
この状態なら。この状態でなら──
「エリュシール。俺はお前に敬意を表する。お前が全てを賭けたのなら、俺も全てを賭けてお前の悉くを打ち砕いてやる」
「⋯⋯無理よ。あなたの力も、その剣の力も、私は認めているわ。だから分かる。さすがのあなたでも、無理に決まってるわ。いくら私の魔力を吸収しているとはいえ、所詮私の全魔力の内一割程度よ。そんなんじゃ、いくらあなたでも⋯⋯っ」
「いいや、充分だ。エリュシール、コイツを見ろ」
エリュシールに向け、魔剣ダラクを見せつける。
正確には、魔剣ダラクの鍔に埋め込まれている四つの赤い宝石を、俺はエリュシールに見せつけた。
「これは【純煌紅魔石】という特別な魔石だ。この魔石は魔力を大幅に増幅させるだけでなく、魔力の消費を大幅に削減させる力を持っている。それがしかも、計四つも埋め込まれている」
「⋯⋯つまり、1の魔力が10にも20にもなるということ? 相変わらず、規格外過ぎて笑ってしまうわ⋯⋯」
乾いた笑みを浮かべながらも、再び空を見上げるエリュシール。
空の大部分を覆う紅色の大満月。
そして、その大満月の三分の一を埋める赤褐色をした一つの星。
ゴゴォォォ⋯⋯と、空気を震わせ、雲を押し潰し、この地を無へと返さんとする破壊の塊を見上げながら、俺は大きく魔剣ダラクを構えた。
「⋯⋯本当に、アレの破壊が可能なの?」
「可能なはずだ。まぁ、あれだけ大きな塊にあの技を使うのは初めてだから、どうなるかはまだ分からないがな」
「それでも⋯⋯あなたは、立ち向かうのね」
「当たり前だろ。元より、紅月の魔女に成ったお前と戦うと決めた時点で後戻りをするという選択肢はとっくに消えている。俺は、ただがむしゃらに進み続けるだけだ」
魔剣ダラクを振り上げ、空に向かって円を描くように剣先を回す。
それから剣を振り下ろすことで、今まで魔剣ダラクが喰らい自分の色に染め上げたエリュシールの魔力が、刀身から滲み出るように溢れ出した。
漆黒色をした魔力。それは闇ではなく、何色にも染まらない虚の魔力だ。
何色にも染まらない。そのくせに、どんな色でも自分色に染め上げる黒色すらも呑み込む、虚のエネルギー。
魔剣ダラクがエリュシールから吸収し、自分色に染め上げたこの力を、全てあの星にぶつける。
「何百トンだか何千トンだか知らないが、その程度の質量。コイツの全力で押し返してやるよ」
軽く握っていた柄を握り潰すように強く握り締め、魔剣ダラクを構える。
刀身から溢れ、どこかへと流れていきそうな魔力を逃がさないように刀身へと纏わせ、鋒を地に。
星の接近により、地響きが発生する。
俺とエリュシールの激闘によってボロボロになった天の塔が崩れ始め、足元に大きな亀裂が走る。
だが俺は、ただ一心にこの地を無へ返さんとする星を強く睨みつけ、ゆっくりと大きく息を吸い込んだ。
片腕の状態で、あの技を完璧に発動させることができるかどうかは分からない。
それでも、やるしかないのだ。あの星を砕くことが、今の俺にできることならば。
俺はそれだけを考え、全力を出しきる。
ただ、それだけだ。
「⋯⋯出力解放、100パーセント」
この一撃により、魔剣ダラクは役目を終えて砕け散る。
星を破壊した後、エリュシールがどう動くか分からない。
だが、近くで俺を見守るように眺めているエリュシールからは、戦いを続けようとする意思が見えない。
もしかしたら、魔剣ダラクを失ったことで勝機を見出し、エリュシールが背後から不意打ちしてくる可能性も──
⋯⋯いや、今はそんなことどうでもいいか。
そんなこと、二の次だ。今は、ただあの星を砕くことだけを考えろ。その後のことなんて、今をどうにかしなければ無駄になってしまうのだから。
これが、今の俺にできる最後の全力だ。
魔剣ダラクが誇る最高火力。かつて、王国を呑み込み滅ぼそうとした魔獣を一撃で消し飛ばした、魔剣ダラク最強奥義。
その名も──
「
痛む体に鞭を打ちながらも、剣先で弧を描くように俺は魔剣ダラクを振り上げる。
刀身に纏った漆黒の魔力がその軌跡をなぞるように刃の形を作り出し、地上へと迫り来る星に目掛け天を駆け上がっていく。
最初は一メートル程度の大きさしかなかった刃が、空を裂きながら進むごとに五メートル、十メートルと刃を大きく、鋭く変形していく。
ソレは不可視の斬撃よりも疾く。不可視の斬撃よりも大きく。そして、ただ鋭く星を破壊するべく突き進んでいくその刃は、やがて。
「⋯⋯っ!」
空裂く漆黒の刃が天を穿つ。
一瞬の静寂。世界から音が消え、震えていた空気がピタリとその動きを止める。
刹那、頭上から耳を劈く音が轟いた。
ヒビが走り、亀裂となる。驚くほど綺麗な球体の形をしていた星が、歪な形となり崩壊していく。
漆黒の刃は星を両断した後、その中心、星の核とも呼べる場所で停止し、魔力を拡散させるように爆発した。
いや、爆発と呼ぶには少し違う。正確には、無差別に全てを切り裂く小さな刃を、四方八方に渡って弾くように撒き散らしたのだ。
半径1000メートル、2000メートルは余裕でありそうな星が、たった一つの刃によって形を保てないほどに破壊され、未だ轟音を撒き散らしながら崩壊し続けている。
その光景を前に、俺の横に立つエリュシールは。
「綺麗⋯⋯」
そう、口にしていた。
砕かれた一つの星は小さな無数の星を作り、その小さな無数の星も、崩れることで更に小さな星と成る。
それはまるで、夜空に散りばめられた本当の星屑のように。
紅色に染まった夜空の中で、その数を数えることすら馬鹿馬鹿しくなるくらいの流れ星となって、この地に降り注いできた。
俺とエリュシールのいる天の塔を躱すように、この地へと降り注ぐ流れ星の雨。
空気が揺れ、大地が揺れ、世界が揺れる中。
俺は手の中で朽ちて塵となり、風に流されて消えていく魔剣ダラクを横目で見送りながら。
手にした【首断ツ死神ノ大鎌】を、エリュシールの首にかけていた。
「⋯⋯エリュシール」
「えぇ、そうね⋯⋯もう、終わりにしましょうか」
長く続いたエリュシールとの死闘が今。
幕を、下ろそうとしていた。
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