第89話 日常の変化

「⋯⋯⋯⋯最悪だ」


 教室へと向かう道中、俺は一人で廊下を歩きながらため息を吐き出した。


 あれからしばらく沙羅と会話をし、そして沙羅が作ってくれた朝食を食べてお腹を満たし、学校へと登校したのだが。


 ここに来て、とんでもない眠気が俺を襲っている。


 EXダンジョンの攻略。そしてユニークモンスターであるエリュシールを討伐したことで気分が高揚し、脳が異様に興奮していたおかげで眠気はなかったのだが、一度顔を洗ってシャワーを浴び終えてしまえば、気分がリセットされてしまい。


 そのせいで一気に眠気が襲ってきて、先ほどからあくびが止まらなかった。


 今目の前に布団があれば、きっと2秒で寝てしまう。そんな状態の中、俺はゆっくりと教室の扉を開けるのだが。


「おい、昨日の見たかよ!?」


 一番最初に耳に飛び込んでくるのは、なにやらやけに興奮している高橋の声であった。


 そこには高橋と仲のいい山下の姿もあり、いつも一緒にいる火野の姿はまだなかったものの、珍しく山下も高橋の言葉に強く頷いていた。


「見た見た。あれ、マジですごかったよな。高橋がすごいすごい言うから興味本位で見てみたけど、ありゃ見入っちゃうわな」


「だろ!? でもまさか、配信二回目でEXダンジョンに挑むとは思わなかったな⋯⋯!」


 デスリーパーを討伐した初配信の時と同じように、高橋は俺を──アマツのことを強く語っており。


「⋯⋯なぁ、ディーダイバー最強ランキング見たかよ。アマツ、もうランキング入りしてるぞ」


「そりゃあ、ユニークモンスターを倒せばそうなるよな。そもそも初配信でデスリーパーを倒した時点でランキング入りも秒読みだった気がするけどな」


 耳を傾ければ、また別の場所でも話題になっており。


「私、推しが変わっちゃったかも。アマツ様のご尊顔、拝んでみたい⋯⋯貢ぎたい⋯⋯」


「分かる分かる。あのクールでミステリアスな感じ、すごい好きなんだよね。眠くて途中で寝ちゃったけど、早く帰って続き見たいもん」


「最後とか、ほんとカッコよかった⋯⋯無理、死んじゃう⋯⋯私も首切られたい⋯⋯」


 そしてまた別の場所でも、話題が俺のことで持ち切りになっていた。


 前回デスリーパーを討伐した時は、主に高橋を中心とした男子グループが俺の話題を口にしていた。


 だが今回ユニークモンスターを討伐したことで一気に名が知れ渡り知名度が上がったのか、女子グループの中でも俺の話題で盛り上がっており。


「⋯⋯⋯⋯」


 なんだか、すごくむず痒い。


 素性を隠しているため仕方がないことではあるのだが、同級生たちが俺のことを話題にしているというだけで、なんだか気恥ずかしくなってくる。


 俺はちょっとした居心地の悪さを抱きながらも、特に誰とも挨拶を交わすこともなく、自分の席に座る。


 すると、そんな俺の元に一人の生徒が歩み寄ってきて。


「天宮くん、おはようございますっ」


 ニコッと、柔らかく微笑みながら俺に挨拶をしてくるのは、同級生の中でも一番関わりの深い高峯さんだ。


 隣の席のはずなのにわざわざ俺の机の前にやって来たのは少し謎ではあるが、面と向かって挨拶をするという、彼女なりのこだわりがあるのかもしれない。


「⋯⋯天宮くん?」


「あ、あぁごめんごめん。おはよう、高峯さん」


 ついぼーっとしてしまったのだが、それを高峯さんは挨拶を無視されたと感じたのか、少し不安そうに俺の顔を覗き込んできた。


 だから俺は少し慌てながらも高峯さんに挨拶を返したのだが、そこで高峯さんはほっと安心したのか、不安そうな表情から再び柔らかな微笑みへと変わっていた。


「天宮くんって、もしかして最近夜更かしでもしてますか? 昨日もそうでしたけど、今日もなんだかすごく眠そうですよ?」


「あー⋯⋯まぁ、そうだな。今も結構ギリギリだよ」


「もしかして⋯⋯他の皆さんも話している、アマツさんって人が関係してたり⋯⋯?」


「っ」


 高峯さんの口からまさか『アマツ』という単語か出てくるとは思わず、つい息を詰まらせてしまう。


 一瞬、正体がバレてしまったのかと不安に駆られてしまう。だが少し前に話した時、確か高峯さんは配信を見ていないと言っていた。


 だからアマツの正体が、俺であるとバレたわけではない。ただ単純に教室中でアマツという名の人物の話題で盛り上がっているから、聞いてきただけだろう。


「まぁ、関係してるっちゃしてるけど⋯⋯どうして?」


「あ、いえ、私はあまりよく分からないのですが、朝姉もアマツさんというお方の話をしていたので、天宮くんもそうなのかなーと思いまして」


「高峯さんのお姉さんが?」


「はいっ。朝に弱いはずの姉が、珍しく元気でして⋯⋯最推しの活躍を応援することが生き甲斐だって、姉は言ってました。あの感じ、多分恋してますね。間違いありません」


 腕を組み、一人でうんうんと頷く高峯さん。


 同級生たちが俺の話をしているだけでもむず痒いのに、ここにきて高峯さんのお姉さんも俺を応援していることを知って、余計むず痒くなってしまう。


 だが、あまり悪い気はしない。


 クラスの中で一番──いや、学年の中で一番綺麗な高峯さんのお姉さんだ。


 高峯さんに似たお淑やかな清楚系の美人なのか高峯さんとは真反対のギャル系美人なのかは未だ定かではないが、俺のことを応援してくれて、しかも最推しと言ってくれるだなんて嬉しい限りだ。


 だがそれはあくまで熱狂的なファンなだけであって、恋をしている──俗に言うところのガチ恋勢とやらではないような気がする。


 でも高峯さんは得意気に恋をしていると言って一人で納得しているため、妹目線からして見ればそう見えてしまうのかもしれない。


 それとも、俺が知らないだけで高峯さんが意外と恋愛脳な可能性もある。


 まぁ、人一倍真面目で誰に対しても気配りができる高峯さんも、れっきとした年頃の女子高生だ。


 だからそういった一面があったとしても、別になにも不思議なことではなかった。


「そういえば、今日はちゃんとアレを持ってきましたよっ」


「⋯⋯えーと、アレって⋯⋯」


「もう、忘れたんですか? 昨日私が天宮くんのお弁当を作ってくるって言ったじゃないですか」


 そう言われて、俺はそこでようやく思い出した。


 そうだった。昨日の昼休み、俺が菓子パンだけで昼食を済ませていることに心配してくれた高峯さんが、今日から俺の分のお弁当を作ってくるって約束してくれたのだった。


 一応遠慮はしたのだが、高峯さんの絶対に作ってくるという熱量と、あの思い出すだけでも腹が減ってくる美味しさに俺は負けてしまったのだ。


 それを思い出した瞬間、いつもなんとなく過ごしていた昼休みの時間がなんだか待ち遠しくなってきた。


「高峯さんのお弁当⋯⋯楽しみだな」


「ふふっ、期待しててくださいね。天宮くんのために、しっかりと栄養バランスも考えて作りましたので。あ、もちろん味の方も完璧ですよ?」


 高峯さんが作ったお弁当を食べられるだなんて、まさに夢のようだ。


 この学校に、高峯さんの手料理を食べてみたいって人はきっと俺が思っているよりもずっと多いはず。


 それなのに俺みたいな奴が高峯さんにお弁当を作ってもらっているなんて知れたら、周囲からすごい目で見られそうだ。


 いや、現時点で俺みたいな奴と高峯さんが楽しそうに話しているだけで、チラチラと周囲から視線が向けられているのだが。


 だがそれは妬みとかではなく、珍しいものを見るような視線であるため特に気にすることでもないだろう。


「⋯⋯うーす」


 高峯さんと話していると教室の扉がガララッと開かれ、一人の男子生徒がやって来る。


 その男子生徒は俺に限定型ダンジョンの場所を教えてくれた火野なのだが、なんだか不機嫌というか、少し苛立っているのがなんとなく見て取れた。


「火野! なぁ見たかよ。前話したアマツがさ、昨日の配信でユニークモンスターを──」


「知らねぇ」


「⋯⋯え? 火野見てないのか? 昨日の配信すごかったんだぜ。まさか、二度目の配信でEXダンジョンに挑戦してユニークモンスターまで倒しちゃうだなんてさ。やっぱりアマツって──」


「だから、知らねぇっつってんだろ」


 興奮が抑えきれない高橋を押し退け、火野は自分の机に鞄を置いてどかっと椅子に座っていた。


 若干、教室内の空気がピリつく。


 この教室の中心は火野であり、火野がディーダイバーとして活動をしていることから、その立場は揺るがないものとなっていた。


 以前までは高橋だけでなく、高橋の友人である山下や、学年カーストトップの女子グループが火野を囲んでいたりしていたのだが。


 今は──というより、少し前からクラスの中では火野よりも俺⋯⋯いや、アマツの配信を見る者が増え始め、火野の話題があまり上がらなくなっていた。


 前回俺が発狂したデスリーパーを一人で討伐した時、火野はアレはインチキであると言い、アマツは卑怯な手を使っているズル野郎だとこき下ろしていた。


 あの反応を見るに、火野はアマツを嫌っている。


 それなのに今教室の中はアマツの話題で持ち切りであり、高橋も高橋で前回の火野の反応を忘れているのか、なんとか絡もうとしている。


 周りで見ている者たちも、皆高橋にそれ以上はやめておけと視線を送っている。


 だが、高橋はどうも火野の反応が気に入らない様子であり。


「⋯⋯なぁ、もしかして火野ってさ──」


「へい高橋。ちょ〜っとディーダイバーのことで聞きたいことがあるから教えてくれよ」


「え? ま、まぁ、いいけど⋯⋯」


「火野も、朝練お疲れさま。また次配信する時、教えてくれよな」


「⋯⋯⋯⋯おう」


 高橋がなにかを言いかけた瞬間、火野と高橋の間に山下が割って入って上手く話を逸らしていた。


 それには周りで見ていた者たちもほっと胸を撫で下ろしており、山下は高橋を連れてトイレにでも向かうのか、二人で教室を後にしていた。


 一方の火野はスマホを手になにやら調べ事でもしている様子であったが、アマツのせいか高橋とのやり取りのせいかは知らないが、不機嫌そうにしているためか誰も火野の元に近づこうとはしなかった。


 そんなやり取りを眺めていると、俺の席の前に立っている高峯さんが机に手を置き、自身の口元にそっと手を添えたと思えば。


「⋯⋯天宮くん。私も、今噂のアマツさんって方の配信がなんだか気になってきました」


 と、小さな声で俺に耳打ちをしてきた。


「え、高峯さんも⋯⋯?」


「はい。あの姉があそこまで夢中になるなんて、結構珍しいことですから。天宮くんもアマツさんのことを知ってるんですよね? よければ、私にアマツさんのことや配信のことについてを色々と教えてくれませんか?」


 興味津々と言わんばかりに、目を輝かせながら俺の目を真っ直ぐに見つめてくる高峯さん。


 もしこれが、アマツではなくまた別の誰かならば俺は喜んで高峯さんに教えてあげていただろう。


 だが高峯さんが気になっているアマツの正体こそ、高峯さんが今会話をしている俺であり、俺からしてみれば、自分で自分のことを教えるというのはなんだか少し恥ずかしくて。


 火野みたいに配信をしてることを周りに教えているのならいいのだが、俺はあくまで素性を隠しているため、もしかしたらアマツの正体が俺であると高峯さんにバレてしまう可能性がある。


 クラスの皆が気づいていない時点で大丈夫だとは思うのだが、中には白銀のように鋭い人物だって存在する。


 仮に高峯さんがそちら側だった場合、これ以上アマツの正体が俺であることを知る者が増えるのは、あまり喜ばしいことではなかった。


 優しい高峯さんのことだ。もし正体がバレてしまったとしても、秘密にしてほしいとお願いすれば秘密にしてくれそうではあるが。


 それでも、自分からわざわざ危険な橋を渡る必要性は全くもって皆無だろう。


「あー⋯⋯その、高峯さんが思ってるよりも結構怖いシーンとか多いよ。昨日なんか全身火炙りにされてたし、なんなら左腕切り落とされてたし」


「えっ⋯⋯そ、それって、普通なら死んでしまうくらいの大怪我では⋯⋯?」


「ディーダイバーの配信って結構ショッキングなシーンとか多いから、そういうのが苦手だったらあまり見ない方がいいかもしれないぞ?」


「うーん⋯⋯確かに、無理して見る必要はないですよね⋯⋯でも、天宮くんが寝不足になるくらいハマっているのなら、やっぱり興味はあるんですよね⋯⋯」


 どうして、俺がハマっているものに高峯さんは興味が湧いているのだろうか。


 考えてもよく分からない。分からない、が。


 高峯さんは、俺のことを友達と言ってくれた。そう考えれば、友達が夢中になっているものに興味を示すというのも分からない話ではない。


 高峯さんなら俺以外にもたくさん友達はいそうだが、同じ作家の読書仲間という共通点があるため、もしかしたら友達として俺のことを知ろうとしてくれているのかもしれない。


「⋯⋯やっぱり、高峯さんは優しいんだな」


「え、えっ? えーと、その、私が優しいというのは、一体⋯⋯?」


「いや、俺のためにお弁当を作ってくれたり、俺がハマってるものを苦手なのに知ろうとしてくれたりとかさ。そういう優しさがあるから、先生からも、クラスの皆からも慕われてるんだなぁって思ってさ」


「⋯⋯っ」


 そう言うと、高峯さんはほんのりと頬を赤く染め、俺から目を逸らしていた。


 そして、どこか恥ずかしそうにお腹の前で人差し指と人差し指を合わせながらもじもじと動かしたかと思えば。


「⋯⋯と、友達は友達でも、天宮くんは⋯⋯その⋯⋯」


「⋯⋯俺は?」


「⋯⋯っ、な、なんでもありませんっ⋯⋯!」


 俺からすれば"友達は友達でも、天宮くんは"の後の言葉を知りたかったのだが、高峯さんは最後まで言い切ることはなく、言葉をはぐらかせて自分の席へと戻ってしまう。


 といっても、高峯さんの席は俺のすぐ隣なためそこまで距離が離れることはなく。


「〜〜〜っ」


 耳まで顔を赤く染め、俺と目が合わないようにそっぽを向く高峯さん。


 今まで俺は、高峯さんは真面目で優しくて、柔らかく微笑んだりする姿を綺麗だと感じていた。


 だが夏休み明けに高峯を仲良くなり距離が縮まったおかげか、前までは見ることのなかった高峯さんの一面を知ることができた。


 意外とお茶目で、感情豊かで、冗談を言って俺をからかったり、心に思ったことを真っ直ぐに伝えたりしてくれて。


 そして、友達のいない万年ぼっちの俺の友達になってくれて。


 そのせいなのだろうか。


 今日の高峯さんは、なんだかいつもよりも可愛らしいというか、いつもよりもつい目で追ってしまうというか、そんな気がした──

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