第25話 約束

「ただいま〜、あれ? お兄ちゃんいるのー?」


 丁度晩御飯を作り終わったタイミングで、沙羅が帰ってくる。


 俺は一度手を洗い、そして沙羅を出迎えるために玄関へと向かうと、そこには2つの大きなスーツケースを持ち上げる沙羅の姿があった。


「おかえり。えーと⋯⋯それは?」


「荷物。家にあった私物とか、勉強道具とか、服とか全部持ってきたの」


 一体どこに遊びに行っているのかと思えば、どうやら沙羅は一度家に帰っていたようであった。


 そうか。沙羅は絶賛夏休み中だが、世間一般ではただの平日なため、家に帰っても親は仕事でいないのか。


 それにしても、よくそんな大荷物を持ってここまでやって来れたなと思う。バスとか電車とか、色々と大変だったろうに。


「それよりもお兄ちゃん、なんで家にいるの?」


「えっ、家にいちゃまずかったか?」


「いやいや、そういう意味じゃなくて。お兄ちゃん、今日配信するんでしょ? それともまた前みたいに夜遅くに家を出るってこと?」


「いや? ていうか、配信ならもうとっくのとうに終わってるぞ?」


「えっ」


 スーツケースを抱きかかえた沙羅が素っ頓狂な声を上げ、そのせいで腕から力が抜けたのかスーツケースを落としてしまいそうになる。


 だが寸前のところで俺がスーツケースをキャッチしたおかげで、なんとかスーツケースの中身と、沙羅の足を守ることができた。


「えーと⋯⋯もしかして、失敗しちゃった感じ?」


「なんでだよ。それはもう、成功も成功だったぞ」


「でも、配信って大体短くても3時間くらいあるよね? お兄ちゃん、今日学校行ったんでしょ? それなのにもうこの時間で家にいるなんて、全然配信できてないってことじゃん」


 時計を見ると、時刻はまだ19時半を回ったばかりだ。


 沙羅の言う通り、他の配信を見ると大体の配信時間は3時間とか4時間が多く、配信者によっては平気で半日以上配信している人もいる。


 そう考えると、沙羅の中では"配信は大体3.4時間くらい"というのが常識になっているため、こんな時間に配信終わりの俺がいることが信じられないのだろう。


「確かに、時間で見れば他の配信よりも短いな。それでも、割といい結果残せたんだぞ?」


「へぇ〜⋯⋯お兄ちゃんが?」


「さては疑ってるな?」


「だってお兄ちゃんチャンネル名教えてくれないじゃん! 私もお兄ちゃんの配信見たいのに!」


「それは恥ずかしいから教えませーん」


 沙羅が持ってきた2つのスーツケースをひょいっと担ぎながら、俺はリビングへと向かって歩いていく。


 その間、沙羅が後ろからぶーぶー文句を言ってきたが、どれだけ文句を言われようと俺は俺のチャンネルを沙羅に教える気はなかった。


 恥ずかしい。という理由も、もちろんある。


 だがそれよりも、沙羅には俺が楽しそうにモンスターと殺り合っている姿を見せたくなかったのだ。


 俺は沙羅のお兄ちゃんだ。だらしなくて、なにをするにしても平凡で、特にこれといった特色がなく、可もなく不可もなくなお兄ちゃんでいたいのだ。


 いつか、いつかはバレてしまう日が来てしまうだろう。


 だがその日が来るまで、俺は沙羅にとって"どうしようもないけど、ちょっと頼りになるお兄ちゃん"のままでいたいのだ。


 沙羅には、沙羅だけには。


 異世界を救った元英雄の"俺"はあまり見せたくないのである──




──────




「えっ、これお兄ちゃんが作ったの?」


 机の前に座って一息つく沙羅の前に、俺はカルボナーラとコーンスープを運んだ。


 だがそんな俺に対する沙羅の反応はまるでツチノコでも見つけたかのような、驚きつつと呆気にとられているような、そんな反応であった。


「おう、そうだぞ。俺はパスタとそれに合う料理だけは自信あるんだ」


「このコーンスープは?」


「インスタントのコーンスープをお湯に溶かして、そこに牛乳と少量の生クリームを入れて伸ばして、軽く胡椒とか入れて味を整えただけだぞ」


「⋯⋯お兄ちゃんって、なんかいつも変なところでこだわるよね」


 沙羅からの最大の褒め言葉をもらったところで、俺は沙羅に用意したスプーンとフォークを手渡す。


 すると、沙羅は早速俺の作った自信作のカルボナーラを1口食べてくれるのだが。


「⋯⋯⋯⋯」


「どうだ?」


「⋯⋯普通にめっちゃ美味しい」


 なぜか少しだけ不服そうに、沙羅が俺の作った料理を美味しいと言ってくれた。


 何気に、こうして沙羅に料理を作ってあげたのは今回が初めてな気がする。


 食べてもらえるか不安だったが、沙羅の口に合ってくれたのならなによりである。


「私、こんなに美味しいパスタ作れないんだけど」


「まぁ、一人暮らししてから安くて美味いって理由でパスタばっかり食ってたんだよ。だがそのせいでだんだんこだわりが出てきて、結局金がかかるようになったんだけどな。今回使ったパスタも、普通のやつよりちょっと高いやつだし」


 俺がそう長々と語っている間も、沙羅は黙々とカルボナーラを食べ進めていた。


 なんだかんだ言って、認めたくないけど美味しいから食べ進めちゃうってところだろうか。まったく、素直じゃない奴め。


「⋯⋯お兄ちゃんの家に来てからずっと私がご飯作ってたけど、お兄ちゃんが作った方が美味しいんじゃないの?」


「沙羅、お兄ちゃんを舐めるなよ。こう見えてもな、パスタとパスタに合うスープ以外の料理はまじでなにも作れないんだぜ?」


「それ、胸張って言うことじゃないと思う」


 これは沙羅を励ましたいから言っているとかではなく、本当の話なのである。


 パスタは上手く作れる。これは本当だ。色んな動画やサイトを見て、練習に練習を重ねたからだ。


 だがパスタ以外となると、話が変わってくる。


「前ハンバーグを作ろうとしたら、なんか炭ができたし」


「なんで?」


「カレーを作ろうとしたら、なんかよく分からん固形物ができたときもあったな」


「だからなんでそうなるの?」


 信じられないと言わんばかりの表情でこちらを見つめてくる沙羅だが、今言ったのは全部紛うことなき事実だ。


 魚も捌くと気づいたらつみれになってるし、チャーハンを作ろうとするといつの間にかダークマターができているため、本当によく分からないのである。


「別に俺がご飯を作る係でもいいぞ。その代わり、365日朝晩のメニューがパスタになるだけだけどな」


「⋯⋯はぁ。やっぱり私がご飯作るよ」


 と言う沙羅は、既にカルボナーラを食べ終わっていて今では熱々のコーンスープをちびちびスプーンですくって飲んでいた。


 パスタに関しては負けない自信があるが、それ以外の料理となると沙羅にはいくら逆立ちしたって勝つことはない。


 それに、沙羅のご飯はお世辞抜きで美味しいのだ。それを毎日食べられるだなんて、俺は世界一幸せなお兄ちゃんである。


「沙羅、話は変わるんだけどさ」


「うん」


「これから本格的に沙羅もここに住むだろ? だから沙羅には、リビングの隣にある部屋を使ってもらいたいんだけど⋯⋯大丈夫か?」


 今俺が住んでいるアパートはちょっといいアパートなため、リビングの隣にもフローリングの部屋が1つだけ用意されている。


 あまり広くはなく、今は洗濯物を乾かすだけの部屋になっているが、ちゃんとクローゼットもあるため生活するには充分な部屋ではあるだろう。


 問題は、お風呂やトイレに行くためには一度リビングに出ないといけない点だろうか。


 そこに関しては、沙羅にも少し我慢してもらうことになりそうだ。


「うん、いいよ。ていうか、元々ここはお兄ちゃんの家だし。お邪魔させてもらってる立場で、あーだこーだ言うわけにはいかないでしょ」


「いや、別にわがままの1つや2つくらいは言っていいんだぞ?」


「んー⋯⋯特にないかな。ていうか、ご飯の準備とかお風呂掃除とか洗濯とか、全部私がしてもいいよね?」


「え、いいのか?」


「うん。少なくとも、その⋯⋯お兄ちゃんに感謝してるのは、事実だし。それにお兄ちゃん、これから配信で忙しくなるでしょ? だったら、そんなお兄ちゃんの手助けくらい私したいよ」


「さ、沙羅⋯⋯!」


 感動だ。あれだけ小さくて、泣き虫で、怒られたらすぐに不貞腐れるあの沙羅が。


 まだ俺に友達がいた小学生の頃、俺が遊びに行こうとすると一緒に行くと言ってどこまでもついてきた、あの沙羅が。


 俺のために、自ら家事をするなんて言ってくれるなんて⋯⋯ちょっと見ない間に、沙羅は大きく成長したらしい。


 こんな優しくて、ちょっと素直じゃないけど可愛げのある妹を持って、お兄ちゃん本当に幸せ者である。


「だからね、お兄ちゃん。1つだけお願いがあるの」


「なんだなんだ、なんでも言ってくれ。このお兄ちゃんを存分に頼るがいい」


「うん、あのね? お兄ちゃんのチャンネルの名前、教えてほしいなっ」


「それとこれとは話が別です残念でしたまた来週」


「なんでよ〜!!」


 ⋯⋯まぁ、理想的な妹ムーブというか、ちょっと声を高くして幼げな表情を作り始めた辺りから、なんとなくこうなる気はしていた。


 昔から、沙羅は俺に物をお願いする時はそうやって猫をかぶるというか、言ってしまえばかわいこぶって接してくることが多かった。


 もうね、沙羅のことは何年も見てきてるわけですよ。そんな俺に、何十回も見てきた手法は通じません。


「⋯⋯分かった! じゃあ、せめて条件くらいつけさせてよ!」


「じょ、条件?」


「そっ、条件。今から私が言う条件を達成できなかったら、お兄ちゃんは私にチャンネルの名前を教えること! それじゃダメ?」


 なるほど、そう来たか。


 ここで無理難題を言われたらさすがに意義を申し立てるが、内容によっては条件を呑んであげてもいいかもしれない。


 沙羅だって、茶化したいがために俺の配信を見たいわけじゃないはずだしな。これくらい、妥協してあげるのがお兄ちゃんの務めだ。


「内容次第だが、別にいいぞ。で? その条件ってのは?」


「あのねお兄ちゃん、よく聞いて。ディーダイバーの伸び方ってね、ちょっと不思議なんだよ」


「不思議?」


「そう。ディーダイバーで伸びる人は、ほんの数日で何十万人とか、百何十万人とかチャンネル登録者が増えるんだって! でね、伸びない人はどれだけ配信しても、どれだけ宣伝しても全っ然伸びないんだって」


 そう説明をする沙羅を前にして、俺は心の中で『なるほど、確かに』と呟いていた。


 今日の俺の配信は、オーガを討伐したあたりから一気に視聴者が増え始めていた。


 それからデスリーパーを討伐したことで、気づけば同接数や登録者数も驚くほど増えていて、コメント欄は初配信とは思えない盛り上がり方をしていた。


 ディーダイバーがたくさんいるこの時代において、伸びるディーダイバーとはまさに視聴者を楽しませるエンターテイナーでないといけないのだ。


 だから俺の配信は、あれだけ人が集まったのだろう。初配信でデスリーパーに挑むという"異常性"が"面白さ"へと繋がり、そしてチャンネル登録へと実を結んだのである。


 逆に、俺があの配信でモンスターからただ逃げ回って、ボスモンスターと戦う時も怯えて遠くから石ばかり投げていたとしたら。


 視聴者側からしたら「なんだコイツ、なにも面白くないぞ」ってなるし、他の配信者と同じことをしても「見慣れた光景だなー」で済まされてしまう。


 そしてまた別日に配信したとしても、視聴者からはもう「コイツ面白くないしなー」と見限られてしまい、話題にもならないし配信に来てくれることもなくなってしまうのだ。


 だから俺のように他の配信者がしなさそうなことをして、色んなことに積極的に挑戦していく配信者にこそ、視聴者が集まるというわけである。


「⋯⋯お兄ちゃん、聞いてる?」


「あぁ、ごめんごめん。ちゃんと聞いてるぞ。で、それで?」


「お兄ちゃん、さっき割といい結果を残せたって言ったよね? だから、私はそんなお兄ちゃんの言葉をとりあえず信じてみることにしたの」


 そういって、沙羅は俺の目の前に卓上カレンダーを持ってくる。


 そして赤いペンのキャップを取り、来週の木曜日を赤い丸で囲んでいた。


「今日を入れて、7日間。7日間でチャンネル登録者が10万人を超えなかったら、チャンネルの名前を私に教えるっていうのはどう?」


「じゅ、10万人⋯⋯!?」


 10万人って、そんなの普通に中堅ディーダイバークラスの登録者数じゃないか。


 なるほど、そうまでして俺のチャンネルの名前が知りたいわけか。沙羅め、中々の強硬手段に出てきたな。


「仮に俺がその条件で呑んだとする。で、7日間で登録者が10万人行ってないのに10万人達成したって嘘ついたらどうなるんだ? 沙羅に確認の術はないだろ?」


「ないよ。でもお兄ちゃん嘘つくとき分かりやすいし、それにもし万が一にでも嘘とかついたら⋯⋯」


「⋯⋯嘘とかついたら?」


「私、お兄ちゃんのこと嫌いになるから」


 ふむ、なるほど。それは死活問題だな。沙羅に嫌われるのは大問題である。


 シスコン? いや、違うね。家族だから好きだし大事にしたいだけだ。


 それに、家族に嫌われるって普通に嫌じゃないか?


 ここまで来たら、この条件で呑むしかもう俺に道はないだろう。


「分かった。それでいいよ。だから俺も、嘘はつかない。もし仮に10万人達成したって言っても、疑わないでくれよ」


「うん、分かった。じゃあ、約束だからね?」


 そう言って、沙羅は自分の食器を持ってキッチンの方へ向かって歩いていく。


「うーん、まいったなぁ」


 正直言って、7日間でチャンネル登録者10万人なんてほぼほぼ無理ゲーだ。


 それこそ、どこかでバズらない限りは絶対に無理だろう。


「まぁ、なんとかするしかないよなぁ」


 俺はそう1人呟きながら、少し冷めてしまったカルボナーラを食べる。


 今日の出来も、相変わらず100点満点の美味しさであった──

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