第9話 深緑の大森林-①

 深緑の大森林──このダンジョンは、その名の通り風に吹かれて揺れる青々と生い茂った木々がどこまでも続く森であった。


 ひたすら真っ直ぐ歩いても、決して木々のない空間に出ることも、水の流れる小川にたどり着くこともない。


 ただひたすらに森、森、森が続くダンジョンであり、足元も小石が軽く転がっている程度で探索しやすく、過ごしやすい環境であった。


「火野を信じてよかった。最初っから砂漠とか雪山だったら、最悪だもんな」


 砂漠は気温が高いため水分が必須になるし、足元が砂で悪いため体力だって持っていかれる。


 雪山なら今度は寒すぎて防寒対策が必要だし、道具がなければ最悪に雪に埋もれて死んでしまう可能性だってある。


 そう考えると、なにも道具が必要なく気温もちょっと涼しいくらいのこの場所は、ダンジョン初心者にとっても優しい場所であった。


「あとは、出てくるモンスターがどんなものかだが──」


 そう呟いた瞬間、俺はある違和感に気づくことができた。


 先ほどまで聞こえていた小鳥のさえずりが、聞こえなくなっている。体を撫でていた気持ちのいい風が、なんだか嫌なものに変わっている。


 普通の人ならば、到底気づくことのできない些細な変化。


 だが異世界で何百、何千と魔物──こちらでいうモンスターと戦ってきた俺には、あまりにも分かりやすい変化であった。


「一旦、隠れて様子を伺うか⋯⋯」


 このまま呑気に歩いていると、恐らくモンスターと接敵することになる。


 初心者ダンジョンに出てくるモンスターなんて。と思うところもあるが、それでも油断は禁物だ。相手を確かめてからの方が、色々と都合がいい。


 俺は一回りほど大きな木の影に隠れ、息を殺して静かに待ち続ける。


 すると突然俺が元いた場所の正面にあった草むらがガササッと揺れ、そこから1匹の生き物が姿を現していた。


「⋯⋯あれはゴブリン、か⋯⋯? にしては、ちょっと雰囲気が違うな」


 ゴブリンとは、よくRPGゲームやファンタジー作品の中で、ザコ敵として出てくるモンスターである。


 身長はおよそ、1メートルと少しくらいだろうか。


 緑色の肌に、ぽこっとした腹。鋭い爪に牙、そしてギョロっとした大きな瞳が特徴的な、小鬼とも呼ばれるモンスターだ。


 だが今俺の目線の先にいるゴブリンは、俺の知っているゴブリンとは少し違っていて。


 首に茶色のスカーフが巻かれていて、腰にはベルトが巻かれているのだ。


 そして手に持つ武器はゴブリンがよく扱う木の棍棒ではなく、推定30センチくらいの、刃がガタガタになったナイフのような短剣だ。


 しかもそれを、片手ではなく両手に持っている。最初に出てくるゴブリンにしては、中々装備が充実している個体であった。


『ギギ⋯⋯ギィ?』


 どうやら向こう側も俺の存在に気づいていたようで、俺を探しているのか周囲をキョロキョロと見渡している。


 見渡すだけ見渡して、再びゆっくりと歩き始める。その行動で、俺は目の前のゴブリンが単独行動していることを把握することができた。


 ゴブリンとは、仲間意識の高いモンスターだ。個の力が弱い分、群れを作って得物を狩る狡猾なモンスターだ。


 もし目の前のゴブリンの他に仲間のゴブリンが近くにいるのなら、鳴き声を上げるなり目配せをするなりして、合図をするはず。


 だがあのゴブリンは、そのような動きを一切見せなかった。つまり、近くに仲間がいないという証拠である。


「⋯⋯よし、早速戦ってみるか。でもこっちに武器はないから⋯⋯これでいこう」


 森の中を歩き進めている間に拾った、丁度いいサイズと形、そして重さの石をポケットから取り出す。


 今の俺に武器はない。枝を拾って戦ってもいいが、それよりも遠距離攻撃できる石の方が圧倒的に強い。


 それにこの状況、分があるのは俺の方だ。俺はゴブリンを目視しているが、ゴブリンは俺を目視できていない。


 そんな今こそが、急襲のチャンスなのである。


「⋯⋯ここからゴブリンまでの距離は、およそ15メートル⋯⋯いける」


 15メートルも離れた動く的を当てるなど、いくらプロ野球選手とはいえ簡単にホイホイと当てられるものではない。


 だが俺には、スキルがある。


 この場面だからこそ真価を発揮し、特定条件下でのみ大活躍するスキル。


 その名も──【投擲】であった。


「ふっ!」


 手で強く石を握り、そして肘と手首のスナップを利用して石をゴブリン目掛けて投擲する。


 手放す際に指を軽く引っ掛けたため石には強力な縦回転がかかり、ゴブリンの頭上斜め上に飛んでいく石が、途中でカーブして上から頭を抉る角度で飛んでいく。


 決まった。そう思い、ガッツポーズをしたその瞬間であった。


『──ギィッ!』


 石がゴブリンの頭部に命中する瞬間、ゴブリンは音で石が飛んできたのを察知したのか、命中する寸前に短剣を振り上げ、石を弾き飛ばす。


 それにより左手に握られていた短剣の刃は折れてしまっていたが、肝心のゴブリンは全くの無傷であった。


『ギィ! ギィァア!』


 敵の存在を確信したのか、ゴブリンが大きな雄叫びを上げる。


 そしてなにを思ったのか、腰のベルトについているラッパのような道具を手に取り、大きく息を吸い込んでいた。


「⋯⋯っ! まずい!」


 ゴブリンの妙な行動を前にした俺は、木の影から飛び出しゴブリンへ向かって地を蹴っていく。


 そして、ゴブリンがラッパに口をつけた瞬間──


「はっ!」


『ギ、ギィァ!?』


 俺は、ゴブリンが手にしていたラッパを思いっきり蹴っ飛ばし、破壊した。


 それによりゴブリンは驚愕の声を上げていたものの、すぐにその場から後退し、短剣を構え臨戦態勢になっていた。


「投石による不意打ちを弾いて、危険を感じたら仲間を呼ぶとか⋯⋯初心者ダンジョンに出てくるモンスターにしては、ちょっと厄介だな」


 何度も言うが、ゴブリンとは仲間意識の高いモンスターである。


 そんなゴブリンが大きな音を鳴らすことができるラッパを取り出したとなれば、そんなの仲間を呼ぶ以外理由はない。


 この森にどれだけゴブリンがいるかは分からないが、ラッパなんて鳴らされればゴブリン以外のモンスターも反応する可能性もある。


 さすがにそれは対処が面倒なため、それならこうして姿を見せて対峙した方が、色々と楽なのである。


『ギィ、ギギ⋯⋯!』


 舌なめずりをしながら、ゆっくりとこちらに向かって歩み寄ってくるゴブリン。


 最初こそ警戒を見せていたゴブリンだが、俺の手になにも武器が握られていないことを気づいたようで、嫌な笑みを浮かべながらこちらに接近してくる。


 そして俺とゴブリンとの距離が、約3メートルを切った瞬間。


『ギギィ!』


 ゆっくりと歩いていたゴブリンが急接近してきて、左手に持つ刀身が折れた短剣を投擲してくる。


 飛来してくる短剣を、上半身のみ動かして躱す。


 だが躱した方には既にゴブリンの次の一手が周っていて、俺の首元目掛けて凶刃が迫り来る。


 勝った。そう確信して、ゴブリンがニチャアと笑みを浮かべたが──


「その油断さえなければ、もっとマトモに戦えたのにな」


 首の薄皮を刃が切り裂く寸前で、俺はゴブリンの痩せ細った手首を掴み、静止させる。


 そして俺はゴブリンの腕を伸ばし、膝を使って肘を本来曲がらないはずの方へ思いっきりへし折ってやった。


『ギィ、ガァッ!?』


 腕が折れたことで握力が入らなくなったのか、ゴブリンの右手から短剣が落ちる。


 ソレを拾った俺は、その場でへたり込むゴブリンの顎を蹴り上げ、そして刃で隙だらけとなった喉仏を抉り、首を掻っ切った。


『ギィ──』


 短いゴブリンの断末魔が、森に響くことなく消えていく。


 中々強いモンスターだった。きっと、普通の一般人ならば一方的に殺されてもおかしくはない戦闘力だった。


 だが異世界で嫌になるほど魔物を討伐してきた俺にとっては、あの程度のゴブリンを瞬殺することなど造作もないことであった。


「まっ、こんなもんだろ」


 異世界で習得した戦闘技術が衰えていないことを確認した俺は、手のひらを強く握りながらダンジョンによる初戦闘を勝利に収めたことを噛み締めた。


 そして、首を切り落とされたゴブリンは以前調べた情報通り、首から血ではなく美しい光のエフェクトを撒き散らし、亡骸と共に消えていく。


 残ったのは俺が手に持つ、ゴブリンが使用していた2本の短剣の内の1つであった。

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