第5話 沙羅

 無事登校日初日の始業式が終わり、特に授業があるわけでもなく俺は1人学校から家に向かって歩いていた。


 外は相変わらずの雨模様であり、異常なほど湿度が高い。この時期にしては珍しい天候に、俺は嫌気が差していた。


 ちなみに、隣に高峯さんはいない。


 そりゃあ一緒に登校して休み時間中も少しは喋る関係にはなったが、だからといって一緒に下校までする関係になったわけではない。


 それに高峯さんはクラスの級長であり生徒会書記なため、俺みたいな男と一緒に帰れるほど暇ではないのである。


「それにしても、ダンジョンかぁ⋯⋯」


 あれからというものの、俺の頭にはいつまでもダンジョンのことが離れず、先生の話なんてこれっぽっちも残らなかった。


 休み時間の時もクラスではディーダイバーの話題で持ち切りだったし、廊下ですれ違う奴らもみんなディーダイバーの話をしていた。


 世はまさにディーダイバー時代。とでも言うべきか、SNSでもトレンドのほとんどがディーダイバー関連であり、全世界が熱狂しているコンテンツになっていた。


「とりあえず、もうちょっと色々と調べてみるか──って、沙羅?」


「っ! お、お兄ちゃん⋯⋯?」


 自分の住んでいる家──といってもアパートの一室だが、その前にたどり着くと扉の前に1人佇んでいる沙羅の姿があった。


 一体どうしたのかと見つめていると、突然沙羅が俺の方へ向かって駆け寄ってきて。


「お兄ちゃんっ⋯⋯!」


 そう言って、普段からツンツンとしているあの沙羅が、俺の胸元に飛び込んでくる。


 濡れた体に、震えた声。そして俺に泣きついてくる沙羅を前に、俺はすぐになにか問題が起きていることを察することができた。


「とりあえず、中に入ってシャワーを浴びな。話はそれからだよ」


 鍵を開け、俺は沙羅を連れて部屋の中に入る。


 そして沙羅をお風呂場へと案内し、俺は冷たい麦茶とお茶菓子を用意して、沙羅がやって来るのを待つことにした──




──────




「ほい、お茶。あとこれお菓子だから、好きに食ってくれ」


「⋯⋯うん、ありがと」


 シャワーから出た沙羅が、素直に俺の言うことを聞いてお礼を言ってくれる。


 服装も俺がたまに着るジャージであり、本来だったら嫌がるはずなのに、今日の沙羅はやけに静かであった。


「ドライヤーとかなくてごめんな。それに、部屋も少し汚いし⋯⋯」


「⋯⋯うん、大丈夫だよ」


 俺は頭を洗っても自然乾燥させる派なため、ドライヤーがなく今沙羅の頭の上にはタオルが乗せられていた。


 肩よりも髪を長く伸ばしている沙羅にとって髪を乾かせないのはつらいかもしれないが、それでも沙羅は一言も文句を言うことがなかった。


「で、沙羅。なにかあったのか? こんなこと、初めてだろ」


「う、うん⋯⋯お兄ちゃん、あのね」


 恐る恐ると顔を上げる沙羅。


 この様子だと、なにか酷いことが起きたに違いない。


 それを受け止めきれるか不安だが、可愛い妹である沙羅の悩みや不安を受け止めてあげるのが、兄として生まれた俺の役目なのだ。


「お兄ちゃんは知らないと思うけど、ちょっと前からお父さんとお母さんの仲が悪くて⋯⋯些細なことでも言い合いをするようになったんだ」


「え、そうだったのか⋯⋯」


「それでね、昨日の夜大喧嘩しちゃってさ⋯⋯離婚とか、話してて⋯⋯そしたらお父さんもお母さんも、沙羅はこっちの味方だよねって言ってきて⋯⋯」


 なんとも酷い話だ。


 沙羅はしっかり者ではあるが、それでもまだ中学3年生だ。


 最近は大人っぽくなってきたが、それでもまだまだ子供である。


 そんな沙羅の前で言い合いをして、喧嘩をして、2人で沙羅を取り合うだなんて、そんなの沙羅があまりにも可哀想だろう。


「⋯⋯それで、なんかもう離婚するって話が決まりそうになってて⋯⋯ずっと家がピリピリしてるし、2人ともなんか変に優しく接してきて怖くて⋯⋯」


「⋯⋯だから、ここに来たんだな」


 小さく頷く沙羅が、ぐすっと鼻をすすりながら涙を流していた。


 さて、どうしたものか。


 俺は都合上実家からは学校が遠すぎて通えず、こうしてアパートを借りて暮らしている。


 一応学生の身として親に家賃などは払ってもらっているが、離婚するとなればそれがいつまで続くが分からない。


 アルバイトすれば払えない額ではないが、ぶっちゃけ生まれてこの方アルバイトをしたことがないため、不安があまりにも大きすぎる。


 それにまず問題なのは、沙羅だ。このまま沙羅を家に帰すのは可哀想だし、親の都合で振り回されるのはいくら血縁関係といえど許されることではない。


 しかも沙羅には受験が控えている。どこの高校に通うかは知らないが、このまま家に帰っても勉強なんてしたくても出来ないだろう。


 そんな時、ふと脳裏にとあることが過ぎった。


「沙羅、とりあえず落ち着くまではここにいろ。もし親が話し合って解決すれば帰ればいいし、それでも帰りたくなければここに残ってもいい。今はとりあえず、ここが1番安全だ」


「で、でも、これからどうするの⋯⋯? 私そこまでお金とかあるわけじゃないし、お兄ちゃんだってアルバイトしてないでしょ⋯⋯?」


「大丈夫。お金に関しては、俺に任せろ。お兄ちゃんにいい考えがあるんだ」


 沙羅が不思議そうに小首を傾げているが、俺はそんな沙羅を安心させてあげるべくそっと頭を撫でた。


 頭を撫でたことで沙羅は少し複雑そうな表情を浮かべていたが、それでも沙羅は俺の手を払い除けることはせず、どこか安心したような顔を見せてくれた。


 俺は兄として、沙羅を助けたい。


 だが助けるためにはまず第一に金が必要になってくるし、親が離婚する可能性がある以上、これからは俺がなんとかしなくてはならない。


 それならどうするか。素直にアルバイトを掛け持ちしたりして、ギリギリの生活を続けるか。否、そんなつもりはない。


 それよりも手っ取り早く、そして簡単にお金を稼ぐ方法があるだろう。


 そう。それこそ──


「お兄ちゃん、ディーダイバーになるわ」


 その宣言と共に、沙羅の驚愕の声が部屋中に響き渡ったのは、言うまでもないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る