第51話 戦闘指南

 時は22時55分。


 夏場とはいえ完全に太陽が沈み落ち、暗闇を仄かに照らす白い月が、どこまでも続く広大な水面をキラキラと輝かせている中。


「⋯⋯先輩。こんな時間に女の子を海辺に呼び出すとか、正直なんかあれっすよ」


 のどかな夜の海を眺めている俺の隣には、しゃがみこんで砂浜に木の棒で絵を描いている白銀 玲の姿があった。


「仕方ないだろ。そもそも、簡単なダンジョンはヤダって言ったのは白銀の方じゃないか」


「いやいや⋯⋯それは確かにそうなんすけど、まさかこんな時間にこんな場所へと連れてこられるとは思わないじゃないっすか」


 そう。放課後、あれから俺は白銀にディーダイバーについて教えるべく、とりあえず簡単な【光苔の洞窟】へと連れていこうとしたのだが。


 そこで白銀が『どうせやるなら難易度が少し高いところの方がいいっす』とか言い出したため、俺は一番最初に足を踏み入れた限定型ダンジョンである【深緑の大森林】を選んだのである。


 【深緑の大森林】は【光苔の洞窟】よりも割と難易度が高いダンジョンなのだが、俺にはある目的があった。


 その目的とは、今日の昼休み火野が言っていたことを参考にしたものである。


 火野がこのダンジョンを俺に教えてくれた理由は、難易度的に初心者にオススメだからではなく、ディーダイバーの素質があるかどうかを見極めるためだった。


 一番最初にレベルの低いダンジョンに挑んでしまうと、そこに生息しているモンスターに余裕で勝つことで慢心し、自分は強いと勘違いしてしまう。


 だから火野は、俺が慢心してモンスターに殺されることで心が病んでしまわないようにと、あえて少し難易度の高いダンジョンを教えてくれたのである。


 そうすれば必然的に出現するモンスターも強くなるため、そこのモンスターに勝てるのなら才能があって、もし負けて心が折れてしまうのなら、ディーダイバーとしての素質がないと判断できる。


 そう教えてくれた火野に倣って、俺も俺で白銀がディーダイバーとしての素質があるかどうかを、このダンジョンで見極めたいのである。


「ま、嫌なら帰ってもいいんだからな」


「まさか。ここまで来て帰るわけないでしょーに」


 立ち上がって背筋をぐぐっと伸ばしたと思えば、白銀は体を動かして準備運動を始めていた。


 だが、白銀は運動できるのだろうか。体は華奢というよりも細すぎるような感じだし、肌の色も色白いからあんまり外に出ていないことも分かる。


 それにこれは完全に俺の偏見ではあるのだが、プロゲーマーと肩を並べて大会に出るくらいの実力者である白銀が、とてもじゃないが運動できるとは思えないのである。


「てか、始めて会った時からずっと気になってたんだが⋯⋯」


「⋯⋯? なんすか?」


「白銀⋯⋯お前、敬語苦手だろ。なんというか、喋り方に違和感しかないんだよな」


 そう言うと、こちらに振り向いていた白銀がふいっとそっぽを向いてしまう。


 どうやら図星だったようで、俺に指摘されたことで居心地が悪いのか首筋をポリポリと掻いていた。


「⋯⋯やっぱ、バレるっすよねぇ」


「まぁな。てか、俺は気にしないから別に普段通りでいいぞ。俺は敬語を使わないからって、キレるような男じゃないからな」


「それなら──じゃ、今から敬語やめるんで。もう二度と戻さないから、そこんとこよろしく」


 敬語を止めるどころか、肩に入っていた力まで抜いて脱力気味になった白銀が、少し気だるそうな声のトーンで俺に向けて手をふりふりと振ってくる。


 なるほど、これが白銀の素なのか。


 だが俺には、こっちの白銀の方がなんだか自然で、白銀に似合っているような気がした。


 それにこれからダンジョンに挑む以上、苦手な敬語に脳のリソースを割くのは非常に勿体ないことだ。


 だから白銀には普段の白銀でいてもらって、特に上下関係等を気にせず自由にしてくれた方がきっと白銀自身のポテンシャルを引き出すことだってできるだろう。


「ところで、本当にこんなところにダンジョンなんか現れるの? どこ見渡しても海しかないんだけど」


「それがあるんだよ。限定型ダンジョンって言ってな、特定の時間や条件を満たさないと入り口が現れないダンジョンなんだ」


「へぇ⋯⋯でもそれ、結構貴重な情報なんじゃないの? そんなのわたしなんかに教えていいわけ?」


「別にいいだろ。確かに限定型ダンジョンの情報は貴重だが、俺は特に情報を独占する気はないしな」


「ふーん⋯⋯さすがは"死神"アマツさん。やっぱり出来る人は言うことが違いますねぇ」


 ニヤニヤとした笑みを浮かべながら、俺をからかうように天宮先輩ではなく、死神アマツと呼んでくる白銀。


 なんてやり取りをしていると、白銀のスマホからなんかのアニメで聞いたことがあるような曲が流れ始める。


 どうやらそれは白銀が設定したアラームの音のようで、試しにスマホで時計を見ると丁度時刻が23時になっていた。


「⋯⋯⋯⋯時間になったけど、特になにか変化は──」


 白銀が周囲を見渡しながら、そうポツリと呟いた瞬間。


 ──ヴゥン。


 突如として、波の音しか聞こえなかったはずの砂浜に鈍く短い重点音が鳴り響く。


 正面にある同じ形をした二つの岩──双子岩の中央に、小さな黒い点が出現する。


 そして、その黒い点が広がるように大きくなっていくと──


「⋯⋯まじですか」


 なにもなかったはずの双子岩の間に広がる空間に、青々と生い茂った緑の自然が顔を覗かせる穴が完成した。


 それにはさすがの白銀も絶句している様子で、とりあえずスマホを手に取ってその光景を写真に収めていた。


「よし、行くぞ」


「⋯⋯りょーかい」


 意外にも素直な白銀の前に立ちながら、俺は久しぶりに【深緑の大森林】へと足を踏み入れていく。


 そんな俺の後ろには、どこか真剣な表情を浮かべている白銀がしっかりと着いてきていて。


 俺は白銀と一緒に、二度目の【深緑の大森林】へと挑むのであった──




──────




「え、うそ。本当に森の中じゃん⋯⋯! なんだろ、この感じアルスフェルトオンラインみたい⋯⋯!」


 暗い海と砂浜しか広がってなかった場所から太陽の光が差し込む森の中に来たことにより、ゲーマーの血が騒ぐのか白銀が目をキラキラと輝かせながら周囲を見渡していた。


「どうだ、気に入ったか?」


「⋯⋯っ、ま、まぁまぁ、かな。ところでさ、どうやったらディーダイバーになれるの?」


「まぁ待て。まずは正面にある台座の宝石を触って、ディーパッドを取得しないといけない。とりあえず、話はそれからだ」


 そう言うと、白銀は早速目の前にある宝石が置かれた台座へと向かって歩いていく。


 そして白銀が台座の上にある宝石に手を置くと、宝石から暖かな淡い光が溢れ出し、やがてその光は粒となって一つの塊へと変わっていき。


 白銀の手の上に、お馴染みのディーパッドが置かれていた。


「それが、俺たちディーダイバーの必需品であるディーパッドだ。とりあえず、まず最初に画面をタップしてみてくれ」


「⋯⋯分かった」


 俺の説明を聞きながら、白銀がディーパッドの画面をタップしてくれる。


 すると暗転していた画面に【白銀 玲】という文字が浮かび上がり、そして白銀の顔と全身像がそっくりそのまま映し出されていた。


「え、えぇ⋯⋯なんで入力もしてないのに名前が分かるわけ⋯⋯? それに顔とか体とか、完全にわたしそのものじゃん⋯⋯先輩、これどういう仕組みなの?」


「⋯⋯さぁ? 生体認証みたいなアレなんじゃないか?」


「仮にそうだとして、その情報はどこに集められてるわけ? なんか、ちょっときな臭いんだけど」


 そういえば、そんなこと考えたこともなかったな。


 やっぱり、ゲーマーなだけあって着眼点が鋭いというかなんというか、そういうところがあるのだろうか。


 でも今はそんなことよりも、まずは白銀と情報を共有しないといけない。


「ところで、白銀はどうやって戦うつもりだ? そもそも、得意な武器とか使いたい武器とかあるのか?」


「銃ならなんでもいける。スナイパーライフルなら誰にも負けない自信があるから、あったら貸してほしいんだけど」


「あるわけないだろ、そんなもの」


「いーや、分からないでしょ。もしかしたらまだ見つかってない可能性だってあるわけだし。そもそも先輩の持ってる大鎌だって、第一発見者は先輩じゃん」


 ⋯⋯確かに、そう言われると銃系の武器があってもおかしくはないのかもしれない。


 それこそ、近代文明が発達したようなダンジョンを見つけることができれば、白銀の求めるスナイパーライフルが見つかる可能性だってゼロではないだろう。


「白銀の意見はご最もだが、少なくとも現段階でそんな武器は見つかってないはずだ。とりあえず、白銀でも扱えそうな武器を探したいのだが⋯⋯やっぱり、遠距離系か?」


「んー⋯⋯まぁ、一応アサルトスクランブルっていうゲームだと弓の世界ランク1位だけど」


「なら弓だな。とりあえず、白銀にはこれを渡しておこう」


 ディーパッドを手に取り、俺はアイテム欄からとあるアイテムを取り出す。


 それは以前、このダンジョンに挑んだ時に倒したゴブリンアーチャーのドロップアイテムである【小鬼弓士の小弓】だ。


 弓にしては小さめで材質の少し硬めの木材と心許ないが、一番最初に持つ弓としては無難で使い勝手も悪くないだろう。


「なんか、RPGとかで一番最初に選べる初期武器って感じの弓だ」


「あぁ。最初はそれで慣れていくのが一番だろう。だが問題は、矢がないことだ」


「え、だったら弓持ってる意味ないじゃん」


「だから、今から矢を取りに行こうと思う。とりあえず俺に着いてきてくれ。素手でモンスターを倒す方法をレクチャーしてやる」


 と言うと、後ろから「え、素手で⋯⋯?」という白銀の声が聞こえてくるが、俺はその声に気づかないフリをして、モンスターと出会うべく森の中を歩き進めていく。


 道中、後ろを振り向くとそこにはちゃんと白銀の姿がいて、どこまでも深く続く森に興味津々なのか、周囲をキョロキョロと見渡していた。


 そして、二人で森の中を歩くこと1、2分ほどで──


『ギッ、ギギィ!』


 両手に歪な刃をした短剣を持つ、懐かしのゴブリンハンターが俺たちの目の前に現れた。


「うわっ、めっちゃリアルじゃん。アルスフェルトオンラインよりも造形がいい⋯⋯!」


「そりゃ、現実リアルだからな。まぁ、丁度いいか。白銀はそこで見ててくれ」


 俺はいつもの死神セットを装備することなく、素手のままこちらを睨みつけてくるゴブリンハンターへと歩いていく。


 そして俺とゴブリンハンターまでの距離が、5メートルを切った瞬間。


『ギギィィッ!』


 ゴブリンハンターが鋭い鳴き声を上げながら、手に持つ【首突きの短剣】を振り上げ、俺に肉薄してきた。


「まず相手が武器を使って攻撃してきた時は、寸前のところで躱して相手の手首を掴むんだ」


『ギッ!? ギギィ⋯⋯!』


「相手が両手に武器を持ってる時は、手首を掴まれたらもう片方の武器を使ってくる可能性が高い。だから、相手が次の行動へ移す前に空いている手で相手の顎を狙うんだ」


『ゲバッ!?』


 ゴブリンハンターの右手首を掴んだまま、無防備な下顎を横から抉るように拳を振るう。


 それにより脳が揺れたのか、ゴブリンハンターの目が一瞬だけ白目になり、体から力が微かに抜けていく。


「まぁ、この手の相手は脳震盪させることで大きな隙ができる。だからこの隙に相手が手に握っている武器を奪って──よっ、と」


 俺はゴブリンハンターから【首突きの短剣】を奪い取り、そして隙だらけの首を引きちぎるように穿ち抜く。


 それによりゴブリンハンターの首が宙を舞い、そのまま白い光に包まれてキラキラと消えていった。


「とまぁ、こんな感じだな。分からないことがあったら質問してくれ」


「⋯⋯いや、いやいやいや⋯⋯」


 手をパンパンっと叩いて後ろを振り返ると、そこには乾いた笑みを浮かべている白銀の姿があった。


 そんな白銀の元へ歩み寄ろうとすると、背後から微かにカサッという、葉と葉が掠れるような音が聞こえてくる。


 その音に聞き覚えがあった俺はすぐに体を捻り、そしてこちらに向かって飛んでくる一本の矢を、ノールックでキャッチしてみせた。


「あー⋯⋯軽率にゴブリンハンターと戦ったせいで近くにいたゴブリンアーチャーに気づかれてたみたいだな」


「いや、えっと、はい? なんでアレをキャッチできるの? わたしでも、多分避けるので精一杯なんだけど」


「避けることができるだけで大したもんだ。まぁ、要は慣れってことだ。えーと、そうだな⋯⋯とりあえず、この辺の石でいいだろ」


 俺は足元に転がっている手頃な石を拾い上げ、そして目線の先にある木の陰に隠れているであろうゴブリンアーチャーに向けて、五割くらいの力で石を投擲する。


 するとギュルン! と横回転した石が空を切るように真っ直ぐ飛んでいき、そしてその直後にゴブリンアーチャーの小さな断末魔が聞こえてきた。


 そんな断末魔が上がる前にパァン! という破裂音が聞こえてきたため、見事頭部を破壊することができたのだろう。


 これでとりあえずは、一件落着であった。


「遠距離から攻撃してくる相手には、こういう方法が手っ取り早いな。相手は絶対に攻撃されないと油断しているから、そこに付け込むんだ」


「⋯⋯いや、アドバイスとしてはすごく正しいはずなんだけど⋯⋯見せられたもののレベルがあまりにも高すぎて、少し引いてる」


「え、えぇ⋯⋯」


 せっかく簡単な手本を見せてあげたのに、俺は白銀にドン引きされてしまっていた。


 でも、それもそうか。これら戦法は俺が異世界で独自に編み出し、そして進化させてきた結果だ。


 白銀はモンスターと戦ったことがないのだから、もっと、もっと簡単なところから教えてあげないといけないのである。


 だが、そうなるとあまりにも非効率的な戦闘方法になってしまうし⋯⋯。


 どうすれば白銀にモンスターを倒す方法を分かりやすく教えることができるのかと、俺はただ一人悩みに悩み続けていた。

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