第101話 たった一杯の『蜂蜜水』

 ……だめだ! このまま待っているだけじゃ……!

 何か、何か私にできることは……!


 そう思って顔を上げた時、聖女さんを呼びに行ったお手伝いの神官さんたちの姿が見えた。


「あっ!」


 私はパッと顔を輝かせた。てっきり、彼らが聖女さんを呼んできてくれたのかと思ったのだ。

 だが、聖女さんを呼びに行ったはずの神官さんたちの後ろには――誰もいなかった。


「大変です! 王都を担当している神官が、道中で起きた火事現場の治療に手一杯らしくて……!」

「見習い聖女の皆さんも……! 今日は研修で昼にならないと帰ってこないらしくて……!」

「なんだって……!? ということは、今この大神殿には聖女がひとりもいないのか!?」


 そんな……!

 こんなに広くて、こんなにたくさんの人がいるのに、誰も助けられないの……!?


 その時、この場には不釣り合いなほど明るい、エルピディオさんの声がした。


「ララローズ殿! どうやら先ほどの飴は、本当に《治癒》と《浄化》が付与されているようだな! 他の神官が驚いて――」

「エルピディオさん!」

「エルピディオ大神官!」


 私とフィンさんが、同時にエルピディオさんにすがりつく。


「なっ、なんだね君たちは!?」

「ブラウリオさんが!」


 私が床に横たわるブラウリオさんを指さすと、エルピディオさんの顔がサッと白くなった。


「ブラウリオ神官!!!」


 今まで見たこともないほど必死な顔で、エルピディオさんがブラウリオさんに駆け寄る。


「これはどうしたんだ!? 聖女たちは何をしている!?」

「それが、聖女も見習い聖女たちもみんな今遠方にいるんだ! 彼を治療できる人がいない! 大神官、先ほど渡した飴はどこに!?」

「それなら先ほど金庫に運ばせてあるものを急ぎ取りに行けば――」


 けれど、エルピディオさんが走り出す前に、ブラウリオさんの体からガクリと力が抜けた。


「!!!」


 サッとその場にいた全員の顔から血の気が引く。


 ――ブラウリオさんが、いよいよ危ないことに気が付いたのだ。それは今から飴を取りに行っても間に合わないのだろうと、わかるほどに。


「ブラウリオ!!!」


 エルピディオさんが、悲痛な顔で叫んだ。


「……くそっ! くそっ!!! またなのか!? また僕は、救える人を救えないというのか!?」


 また……?


「どうして……どうして僕には《治癒》スキルが目覚めなかったんだ! 《探索》じゃない、僕が欲しかったのは、《治癒》スキルなのに!!!」


 絞り出された声は、心臓をぎゅっと握りつぶされるような、悔しそうな声で。

 私はぎゅっと目をつぶった。


「僕には……どうしようもないというのか……!?」


 ドン! と床を叩いたエルピディオさんの瞳には、涙すら浮かんでる。――その時、私にはエルピディオさんの抱えた絶望が一瞬見えた気がした。


 ……もしかしてエルピディオさんは、過去にこうやって誰かを亡くしたことがある……?


「誰でもいい!!! 彼を助けられる人はいないのか!!!」


 エルピディオさんが叫ぶようにして吠えた。

 その声に、フィンさんの瞳がスゥ、と細くなる。


「……ひとりだけいる」


 それからフィンさんが、まっすぐ私を見た。


「ララ。君の《治癒》スキルで……ブラウリオ神官を助けられないか?」


 その声に、私はようやくハッと気づいた。


 ――そうだ! 私も《治癒》スキル持ちだ!


 こんな大事なことに言われるまで気づかなかったなんて……! 自分でも思った以上に動揺していた。


「私……私、助けます!」


 言って、私はばくばくする心臓を押さえてブラウリオさんのそばにしゃがみ込んだ。


 え、えっと……! 《治癒》スキルはどうやって使えばいいんだろう……!? 鑑定の時みたいに、治癒って言えばいいのかな!?


「治癒!」


 ……けれど《鑑定》スキルと違って、私が叫んでも特にそれらしき効果は現れない。


 ど、どうしよう! 叫ぶのじゃダメ? 心の中で願わないといけない!?


 そう思って心の中で治癒! 治癒! と叫んでみたけれど、辺りはシーンと静まり返るだけで何も効果はない。


 どうしよう! このままじゃ、ブラウリオさんを助けられない!? 《治癒》スキル持ちは、私しかいないのに!


 そう考えた途端、ドッと冷や汗が噴き出す。


 早く、早くしないと……!!!


『……ラ…………ララ…………ララ!!!』


 その時、突如リディルさんの声がビリリと頭の中に響いた。

 ビクッ、と私の体が止まる。


『落ち着いてください、ララ。あなたは今パニックを起こしています。私の声も届かないほどに』

「リ、リディル、さん……!」

『ララ。よく思い出すのです。あなたの《治癒》スキルが一番効果を発揮する方法、それはなんですか?』


 ――私の《治癒》スキルが、一番効果を発揮する方法。


 そう考えた時、不思議と頭の中にリディルさんの言葉が響いてきた。


 ――『ララの場合は、料理を作った方がより効果が強いようです』


「……そうだ。料理だ! 《治癒》の効果がある料理を作ればいいんだ!」


 私は叫んで立ち上がった。それから気づく。


「でも、今料理を作っている時間は……!」

「落ち着けララ!」


 次におろおろし始めた私の肩を掴んだのはフィンさんだ。


「君は以前セシル嬢に、回復のお茶を作っていただろう!? なら、料理は飲み物でも構わないのではないか!?」


 ……確かにそうだ!

 何も、お茶のようなしっかりしたものを作る必要はない!


 私は急いで立ち上がると、厨房の中を見回した。

 それからとある物を発見してパッと目を輝かせる。


「フィンさん! コップ一杯分のお水をください!」

「水だな!? わかった!」


 すぐさまフィンさんがコップを取りに走る。


「なに、を……」


 それをじっと見ているのはエルピディオさんだ。


「エルピディオさん! 忘れたのですか! 私は《治癒》スキル持ちです!」


 私の言葉にエルピディオさんも思い出したらしい。ハッとした顔をしている。

 その間にフィンさんが、水の入ったコップを渡してくれる。


「ララ! 水だ!」

「ありがとうございます!」


 私はフィンさんから水を受け取ると、すぐに目的のもの――蜂蜜の入った瓶の前に走っていった。

 それからひとさじの蜂蜜をすくい取ると、水の中に入れてぐるぐるとかき混ぜる。

 私が作ろうとしているものは単純だ。


 たった一杯の『蜂蜜水』。


 けれど、たったそれだけの蜂蜜水であっても、私が作ったものには《治癒》が付与されるはず!


 お願い……! 付与されて……!!!


 最大限祈りを込めながら私はぐるぐるとスプーンでかき混ぜた。


 それからすぐさま鑑定をする。


『蜂蜜水:魔力+10%、浄化、治癒・小』


 ……ついている!


「ブラウリオさん、これを!」


 私はすぐさま蜂蜜水を持ってブラウリオさんに駆け寄った。


「私も手伝おう!」


 すぐさまフィンさんがブラウリオさんを抱き起こす。既に、その息はぴたりと顔を近づけないと感じられないほどかすかだ。


「ブラウリオさん! これを飲んでください!」


 私がブラウリオさんの口元にコップを近づける。


「……」


 けれど、真っ青な顔をしたブラウリオさんは唇を動かさない。

「飲め! 舐めるだけでもいい! 口に入れたまえ!」


 そこにエルピディオさんの叫びが加わる。

 私は駄目元で、コップを傾けた。こぼれた蜂蜜水が、ブラウリオさんの唇を伝ってぼたぼたと落ちていく。


 ――その中からわずかにだけれど、口の中にも入っていくのが見えた。


「……………………う……」


 すると――蜂蜜水が触れた途端、かすかに、ブラウリオさんが身じろぎしたのだ。


「!? しっかりしろブラウリオ神官! もっとだ! もっと飲みたまえ!」


 エルピディオさんの声に合わせて、私はコップをぐっとブラウリオさんの唇に押し付ける。


「ん……く……! う……!」


 こくり……こくりと、わずかにだがブラウリオさんの喉が動き始める。

 やがて、こくこくと蜂蜜水を飲めるようになる頃には、死人だったようなブラウリオさんの顔にほんのわずかにだが血の気が戻ってきていた。


「落ち着いた……のか……!?」







***

人間予期せぬ事態にパニック起こすと、普段当たり前にできていることができなくなったりしますよね(昔けが人を目の前にして、救急車が119番なのか110番なのか本気でわからなくなって泣きそうになったことのある作者)

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